キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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第36話 魂の輝きと神の悪戯――英雄への夢

 酷使した筋肉が悲鳴を上げ、全身が鉛のように重く軋む。

 アイズとレフィーヤは疲れ切った体を引きずるようにして、黄昏の館へと帰還した。

 しかし、アイズの思考を占めていたのは自身の肉体的な疲労ではなく、全く別の事象――ソラとベルという、二人の少年のことだった。

 彼らは、アイズがこれまでに出会ってきた誰とも違う。ひどく不可思議でありながら、彼女の注意を強烈に惹きつける何かを持っていた。

 ソラは、ステイタス上はLv.1であるにもかかわらず、手合わせで第一級冒険者であるアイズ自身を打ち倒すほどに強かった。もし自分が魔法を全力で使っていれば結果は違っていたかもしれないが、それは魔法の行使を全力でしていなかったソラも同じことだ。

 どうすれば、彼のように理不尽なまでに強くなれるのか。知りたいと強く願うし、できることならベルやレフィーヤのように、自分もキーブレードを使えるようになりたいとさえ考えてしまう。

 

 一方のベルの方にも、アイズはより強く関心を引かれていた。

 彼はここ二日ほどで、常識では考えられない凄まじい成長を見せている。つまり、ベルは現在、爆発的な急成長を可能にする何らかの未知の方法を用いているということだ。それはすなわち、彼女がベルから何かを学び、今よりさらに強くなれる可能性があるということを意味している。

 それだけでなく、ベルにはどこか、彼女の過去を思い出させる透明感があった。今のような黒い炎を宿す前、もっと純粋で無垢だった頃の自分。言うなれば、何色にも染まっていない真っ白なキャンバスのような存在。

 ソラもある意味でベルに似ているが、決定的に違う部分がある。ソラは同僚のティオナによく似ているのだ。常に快活で楽観的だが、その明るさの裏には、これまでの人生で過酷な苦難を乗り越えてきたような独特の雰囲気がある。過去に何を目撃し、何を経験してきたにせよ、彼らは悲しみではなく、笑顔で前に進むことを選んでいるのだ。

 二人の特徴を思い浮かべ、アイズは微かに眉をひそめた。

 胸の奥で、小さな罪悪感がチクリと痛む。二人はとても優しく、純粋な心の持ち主だというのに、自分はひたすらに強くなるという自分勝手な目的のために彼らに近づき、利用しているのだから。

 そんな葛藤を抱えながら扉をくぐると、奥から見知った二人の少女が姿を現した。

 

「あ、アイズ! おかえりー!」

「おかえりなさい、アイズ、リヴェリア。それにレフィーヤも」

 

 出迎えてくれたのは、ティオナとティオネの双子の姉妹だった。

 しかし、二人の姿を見た瞬間、アイズたちは思わず言葉を失う。二人は全身傷だらけで、あちこちから血を流し、衣服もボロボロに破けていたのだ。

 

「お前たち……一体どうしたというのだ、その姿は」

 

 あまりの惨状に、リヴェリアが呆れ果てたような声を上げる。

 どうやら、彼女たちはアイズのLv.6到達にひどく刺激され、先を越された悔しさから、朝から晩まで激しい姉妹での組み手を行っていたのだと笑いながら語った。

 アイズの偉業は、双子だけでなく派閥全体にも多大な影響を及ぼしていたのだ。下位の構成員から第一級冒険者である幹部に至るまで、ファミリア中に過酷な特訓のブームを引き起こしてしまっている。

 大規模な遠征の直前であるにもかかわらず、館の中が不自然に閑散とするほど、団員たちがこぞってダンジョンでの鍛錬に現を抜かしている。その異常な状況に対し、副団長として全体を管理するリヴェリアは、深い心労から重いため息をついた。

 そんな中、ティオナがふと隣に立つレフィーヤを見て、屈託のない笑顔で大声を上げた。

 

「それでそれで? レフィーヤはキーブレード、出せるようになったの!?」

「ばっ、声がでかいわよこの馬鹿ティオナ!」

 

 ティオネの拳が、ティオナの頭に容赦なくめり込む。

 無理もない。キーブレードや、ハートレスという未知の怪物の存在は、幹部を除けば当事者であるレフィーヤしか知らないトップシークレットなのだ。もしここに他の団員がいれば、聞き咎められて大騒ぎになってしまうところだった。

 わちゃわちゃと騒ぎ始めた双子を見つめていたアイズは、ふと、ソラから言われた言葉を思い出した。

 ――対人戦の経験不足。ファミリアの仲間にお願いして手合わせをしてもらったら。

 あの的確な助言。アイズは何かを決心したように、スッと前に出た。

 

「ティオナ、ティオネ。私と、組み手をしてくれないかな」

 

 アイズからの突然の手合わせの提案。それに、双子は一瞬だけポカンと目を丸くして驚いた。

 しかし、次の瞬間には顔つきが一変し、好戦的で凶悪な笑みを浮かべる。

 

「やるやる!」

「よし。行くわよ、アイズ!」

 

 やる気満々で中庭へと歩き出す戦闘狂の三人を見て、レフィーヤは深く長いため息をついた。

 つい先ほどまでダンジョンで限界まで体を動かしていたというのに、彼女たちの底知れない体力はどうなっているのだろうか。呆れ返るレフィーヤの肩に、リヴェリアがそっと手を置く。

 

「今日はよく頑張ったな、レフィーヤ。お前はもう部屋に戻って、ゆっくり休め」

 

 そう優しく労いの言葉をかけた後、リヴェリアは中庭へと向かう三人の背中を睨みつけ、厳しい声で叫んだ。

 

「こらお前たち! 組み手をするにしても、せめて身だしなみをなんとかしてからにしろ!」

 

 口うるさい母親のように小言を言いながら、リヴェリアもまた三人の後を追っていく。

 その騒がしくも温かい光景を背に受けながら、レフィーヤは自室へと続く廊下を歩き出すのだった。

 その後、中庭で繰り広げられたアイズとの苛烈な組み手の中で、彼女の未知なる機動力を肌で体感したティオナとティオネは、ソラ由来の移動技術であるフリーフローを瞬く間に習得してしまうのだった。

 

 

 

 

 限界まで酷使した足を引きずるようにして、レフィーヤは黄昏の館の長い廊下を歩いていた。

 あちこちが軋む体でようやく自室の扉を開けると、ルームメイトであるエルフィがベッドの上でくつろぎながら顔を上げた。

 

「あ、おかえりレフィーヤ」

「……ただいま…」

 

 レフィーヤはおぼつかない足取りのまま自らのベッドへと倒れ込み、そのまま仰向けにごろりと横になった。

 柔らかいシーツの感触に安堵の息を漏らしながら、今日の過酷で、そしてあまりにも濃密だった特訓の光景を思い返す。

 レフィーヤはゆっくりと右手を持ち上げ、天井の虚空に向けて突き出した。そして、ギュッと拳を握り、心の奥底に眠る力へと意識を集中させる。

 しかし、どれだけ力を込めても、感情を昂ぶらせても、彼女の右手にあの鍵剣が現れる気配は一向になかった。

 空を掴んだままの右手を下ろし、レフィーヤはやれやれと深い深いため息をつき、今度はベルのことを考えた。

 レフィーヤにとって、ベル・クラネルという少年は数多いる一介の冒険者の一人に過ぎなかった。自分たちロキ・ファミリアの不手際があったとはいえ、憧れのアイズに直々に鍛えてもらっている彼に対しては、ドロドロとした醜い嫉妬を覚えるくらいだったのだ。

 しかし、彼への心証が決定的に変わり始めたのは、あの二十四階層での事件以来であった。

 あれ以来、レフィーヤは不思議な夢を見るようになっていた。自分ではない、されども確かに自分自身の夢。

 夢の中で、自分はハーフエルフだった。善王が統治し、多種族が共に住む都イルコスに生まれたが、差別の憂慮を捨てきれず、両親によってその存在を隠されて育った。

 しかし、押し寄せたモンスターの群れによって都は陥落し、両親も死亡してしまう。誰にも助けてもらえず、燃え盛る都で一人で泣いていたところを、ある男に助けられたのだ。

 最初は、半端者の自分を助けたことを糾弾した。だが、男は優しく笑ってこう言ったのだ。

 

『そのちょこんと尖った耳、僕は好きだ。花のような君にとても似合っている』

 

 そう言って勇気づけてくれた彼を、それ以降レフィーヤは自身にとっての英雄とし、兄と慕うようになった。

 その男が、問題なのだ。男の名はアルゴノゥトと言い、さらに言えば、容姿がベルにそっくりなのである。

 しかし、姿形は同じでも言動は全く違う。だからこそ、彼女の頭を酷く混乱させる。なぜ自分は夢の中でハーフエルフなのか。なぜ、アイズたちとの合同訓練が始まる前、彼との交流が全くなかった時期から、彼が自分の夢の中で兄になっているのか。目覚めるたびに、レフィーヤの頭には疑問符が浮かんでいた。

 今日見た夢だって変だった。英雄を求める王都へ向かうため、村を出て数日。アルゴノゥトたる兄さんはひどく弱く、女性を助けるためにボロボロに傷だらけになり、さらにモンスターに襲われそうになっていた。そこを、一人の狼人(ウェアウルフ)に助けられるという夢だった。

 しかし、肝心の狼人(ウェアウルフ)がまた大問題なのである。

 その狼人(ウェアウルフ)の名はユーリと言い、姿形は同じファミリアの幹部である凶暴な狼人(ウェアウルフ)、ベートにそっくりだった。だが、アルゴノゥトとベルのように、性格が致命的に違っていたのだ。丁寧な口調で話し、自分に非があれば素直に頭を下げて謝罪する。そんな誠実な姿は、普段彼女が見ているベートとは完全にかけ離れており、今日の夢もまた彼女の頭を大きく混乱させるのだった。

 夢の中の兄と、現実の少年の姿がぐちゃぐちゃに重なり合う。

 ただでさえ混乱しているのに、現実のベルはアイズがLv.6になった直後に、たった一ヶ月弱という異常な速度でLv.2へとランクアップしたというのだ。これにはレフィーヤも底知れない驚きを覚え、同時に明確な対抗心が生まれた。

 そして今日、アイズやソラとの訓練を通して、彼に対する心境はさらなる変化を遂げていた。

 次元の違うアイズとソラの戦いを前にして、誰よりも残酷な実力差を痛感しながらも、決して諦めずに食らいつこうとしていたあの少年の横顔。

 

(……負けていられません)

 

 天井を見つめるレフィーヤの瞳に、強い光が宿る。

 あの少年が己の弱さを認めた上で足掻き続けているのに、自分が、不可思議な夢や才能への不安に囚われて立ち止まっているわけにはいかない。

 次に会った時、絶対にあの少年の前で華麗にキーブレードを出して見せる。

 不可思議な夢の記憶と、純粋な好敵手への熱いライバル心。それらを胸に強く抱き込みながら、レフィーヤは疲れ切った体を休めるために、ゆっくりと目を閉じるのだった。

 

 

 

 ロキ・ファミリアの巨大な本拠地、黄昏の館の団員たちが完全に寝静まった深夜。

 都市最高位の魔導士であるリヴェリアは、自室の執務机の前に座り、静かな思考の渦に沈んでいた。

 彼女はそっと右手を浮かせ、魔力を練り上げる。すると、手元に冷気を纏った鋭い氷のナイフが生み出された。そのまま手を離せば重力に従って床に落ちるはずの氷刃。しかし、リヴェリアがスッと意識を向けて力を込めると、氷のナイフはふわりと宙に浮き上がり、彼女の周囲を静かに旋回し始めたのだ。

 そのまま術者の手を離れれば、重力という世界の絶対法則に従って床に落ちて砕け散るはずの氷刃。しかし、リヴェリアがスッと意識を向けて魔力のパスを繋いだまま力を込めると、氷のナイフはふわりと空中に留まり、まるで意志を持っているかのように彼女の周囲を静かに旋回し始めたのだ。

 先日、この新しい魔法の形態を主神であるロキに見せた時のことを、リヴェリアは思い返していた。

 

『なんや、ビットみたいでかっこええな』

 

 ロキは、宙に浮く氷のナイフを見るなり目を輝かせ、酷く興奮した様子でそう口にした。

 ビットとは何か。不思議に思って詳細を聞いてみたところ、ビットというのは神々の間で読まれている、宇宙や未来を舞台にしたSFと呼ばれる架空の物語によく登場する兵器のことらしい。術者の意志に呼応して宙を自在に浮遊し、死角から敵を撃ち抜く小型の遠隔誘導兵器。

 なるほど、確かに今のこの魔法の性質を的確に表している。ちょうどいい呼び名だと思ったリヴェリアは、自身のこの新たな魔法の運用法にアイスビットという名を付けたのだった。

 リヴェリアが指揮者のように滑らかな指先の動きで縦横無尽にアイスビットを操っていると、旋回する氷の刃は一つ、二つと空中で音もなく増殖していき、やがて全部で六基のアイスビットが後光のように彼女の背後に展開された。

 そうして、浮遊する一つのビットにスッと魔力を込めると、氷の先端に眩い光のエネルギーが集束し、パシュッという短い音と共に魔法の弾丸たるショットが放たれた。

 これは、昼間の特訓中にソラが教えたものである。ただ魔力を溜めて、撃つ。オラリオの魔導士の常識を根底から覆す、詠唱というプロセスを一切必要としない魔法の発動。

 放たれたショット自体は非常に低威力のもので、執務机の端に置いてあった木彫りの小さな置物をコトリと押し倒す程度のものだった。

 リヴェリアは今度は、さっきよりも少しだけ魔力を多めに込めて、再び別のビットからショットを放ってみた。

 パァン、という乾いた破砕音が室内に響き渡る。

 見事に威力の調整が上手くいったことに、リヴェリアは思わず満足げな微笑みを浮かべた。

 しかし直後、放たれた魔法の弾丸が、彼女が長年愛用している高級な木材で作られた執務机の分厚い天板を見事に貫通し、向こう側が見えるほどの綺麗な焦げた丸い穴を開けてしまったことに気づく。

 しまった、と内心で冷や汗を流し、彼女はすぐさま展開していた六基のアイスビットへの魔力供給を断ち、空中で霧散させて消滅させた。いくら防音の結界を張っているとはいえ、これ以上部屋を破壊しては明日の執務に支障が出る。

 小さく咳払いをして気を取り直したリヴェリアは、背もたれに深く体重を預け、ソラからもたらされたこの規格外の魔法について深く考察を始めた。

 ロキのステイタス更新によれば、リヴェリアが新たに手にしたこの魔法は、魔法の項目としてではなく、スキルとして彼女の背中に刻まれていたという。

 

【ふしぎな力】

 ・魔法を扱う力

 

 神聖文字(ヒエログリス)によって背中に刻まれていたのは、ただそれだけの、あまりにもシンプルで抽象的な文字列だった。

 しかし、このたった一文のスキルにより、リヴェリアは神の恩恵(ファルナ)によって定められた、魔法スロットは最大三つまでという絶対の枠組みを完全に超越してしまったのだ。

 下界の住人は、どれほど魔力の素養があろうとも、神から与えられた神の恩恵(ファルナ)の器の大きさに縛られる。三つの魔法を習得した魔導士は、それ以上新たな魔法を覚えることは決してない。だからこそ、エルフをはじめとする魔導士たちは、己の限られた魔法を極めるために一生を捧げるのだ。

 だが、今の彼女は違う。氷のナイフを空中に浮かべることも、詠唱なしで魔力の弾丸を撃ち出すことも、彼女がこれまでに習得してきた三つの大魔法とは全く異なる、新しい魔法の形なのだ。

 ソラの扱う魔法は、この世界で発展してきた魔法とは根本的な理法が違う。

 詠唱の途中で集中を乱しても、魔力暴発を引き起こして自爆するようなことはない。詠唱そのものも、魔法名や属性に関係する短い単語だけで成立し、先ほどのアイスビットからの射撃のように、無言での発動すら可能としている。

 

 そもそも、この世界における魔法というものは、身を削るような厳しい修行や魔導書による儀式、あるいは神の恩恵(ファルナ)による促進剤によって、魂の歴史を代償にしてようやく習得できるものだ。人々を癒し、毒や呪いを消し去る奇跡もあれば、ステイタスを遥かに凌駕する圧倒的な破壊力を広範囲に撒き散らす災厄のような大魔法もある。

 しかし、基本的に高威力の魔法は、その威力に比例して非常に長く、難解な詠唱を必要とする。

 詠唱でわずかでもミスを犯せば、体内で練り上げた膨大な魔力が暴発し、術者自身を内側から破壊する危険性が常に付き纏う。だからこそ、優れた魔導士には大木の心と呼ばれる強靭な精神力が必要不可欠とされているのだ。

 己の可能性を世界に顕現させる魔力は、極端に言えば、この世界の絶対的な理を術者の意志で一時的に塗り替える力であり、いかなる強力な武器よりも扱いが難しく、危険な代物だ。

 それ故に、一切の淀みなく魔力を束ねる、決して揺れない盤石な精神が要求される。それは謂わば、荒れ狂う嵐をその身に留め、従える巨大な大木。決して折れぬ己の精神を中心に、嵐のような魔力を構築し、暴れ馬の手綱を血を吐くような思いで精一杯に引いて、どうにか発動させるのが、オラリオにおける魔法の真髄なのだ。

 

 だが、ソラから教えられた魔法はどうだろうか。

 極めて高い威力の魔法を放てば、精神力枯渇に似た疲労で倒れることはあるというが、それすらも余程強力な大魔法を発動しない限りは起きないという。何よりも、失敗した時の魔力暴発による致命的なリスクが存在しないというのは、魔導士にとって革命的なまでの安全性を意味していた。

 さらには、習得難易度もこの世界の魔法と比べれば驚くほど容易であり、自力で目覚める者もいれば、他者からの伝授によって適性さえあれば覚えられるという手軽さだ。

 こうした事実を冷静に並べてみれば、ソラたちの扱う魔法の利便性と汎用性は、既存の魔法体系を遥かに凌駕していると言わざるを得ない。移動しながらの並行詠唱や、咄嗟の防御、空間の制圧など、その戦術的な価値は計り知れない。

 ただ反面、純粋な最大火力という一点のみにおいては、長文の詠唱で強引に世界の理を捻じ曲げ、広域を焦土と化すオラリオの魔法の方が、今のところはまだ上に位置しているとリヴェリアは分析していた。

 しかし、その考察もあくまで、前衛で剣を振るう魔法剣士であるソラを比較対象にしてのことだ。

 ソラの口から度々語られる、生粋の魔導士であるという彼の仲間であるドナルドや、ドナルドの師であるというマーリン。もし彼らのような、魔法に極限まで特化した存在が比較対象であったならばどうだろうか。

 もしかすると、彼らはこの世界のいかなる魔導士よりも遥か高みに君臨しているやもしれないのだ。そう考えると、リヴェリアの背筋にゾクりとした悪寒と、それを上回る底知れない好奇心が走った。

 ふと、リヴェリアはソラの魔法が自分たちに宿った時、ロキが言っていた言葉を思い出す。

 自分たちに発現したこのスキルや魔法は、ソラという外部の存在によって無理やり魂に埋め込まれたものではない。ソラという特異な鍵の力に触れたことによって、自分たちの魂の奥底に元々眠っていた未知の可能性が開花し、引き出されたものだというのだ。

 もしも、ソラたちの扱うこの魔法の体系が、神の恩恵(ファルナ)というシステムに一切頼らずに発展し続けた、下界の魔法の行き着く果ての姿だとしたら。

 神々がもたらした神の恩恵(ファルナ)という檻の外に、これほどまでに自由で、力強い魔法の世界が広がっていたとしたら。

 そう考えると、リヴェリアは自身の前に果てしなく広がる魔法の無限の可能性に、柄にもなく強い高揚感で胸を震わせていた。今の彼女はまるで、初めて魔法に成功した見習いの魔導士のように、純粋な知的好奇心と探求心で胸を躍らせているのだ。

 

「……ふむ。とりあえず明日、フィンやレフィーヤで試してみるとしよう」

 

 静寂に包まれた部屋の中で、リヴェリアはまるで悪戯を思いついた少女のように、小さく、しかし楽しげに微笑んだ。

 穴の空いた執務机のことはひとまず忘れ、リヴェリアは心地よい疲労感と共に自身のベッドへと潜り込み、新しい魔法の夢を見るために、静かに眠りにつくのだった。

 

 

 

 

 天を衝く巨塔、バベル。その頂上付近に位置する神室から、美の女神フレイヤは迷宮都市オラリオの街並みを睥睨していた。手にした豪奢なワイングラスをゆったりと揺らしながら、形の良い唇から思案げな鼻歌を漏らす。

 ここ数日、彼女にとって実に興味深く、退屈とは無縁な日々が続いていた。彼女が異常なまでの執着を寄せる白髪の少年は、その透明な輝きを絶えず放ち続けている。誰の色にも染まることなく、一度として違う色に濁ることもない。暗い夜空に瞬く一等星のように、ただひたすらに純粋な光を放ち続けているのだ。

 そして、その少年の輝きをさらに引き立てているのが、ソラという異界の少年の魂だった。

 ソラの魂について思考を巡らせる時、美の神たる彼女ですら、そのあまりにも特異な在り方に困惑し、深い混乱を覚えるしかなかった。以前から観察していた通り、ソラの魂は無意識のうちに他者の魂へと手を伸ばし、目に見えない繋がりを結んで、相手の魂をより強く輝かせることができるのだ。時間が経つにつれて、ますます多くの魂がソラと繋がり、そのすべてが呼応するように明るく輝き始めている。

 神の眼を通してその幻想的な現象を目の当たりにするだけで、フレイヤは魅了されそうになる。だが同時に、それは彼女の中に果てしない知的好奇心と、答えを知りたくなる無数の疑問を生み出すものでもあった。

 なぜ、ソラの魂だけがこのような現象を起こせるのか。

 何が彼の魂を他者と繋げているのか。

 その魂は、一体いくつの繋がりを形成できるというのか。

 ソラの魂が他者と繋がるための条件は何なのか。

 ソラの魂を観察するたびに、疑問は尽きることなく次々と湧き上がってくる。だが、その無数の疑問の中でも、フレイヤにとって最も不可解であり、すべての上に立つ最大の謎が一つだけあった。

 周囲の魂がソラと結びついてあんなにも明るく輝いているというのに、なぜ、ソラ自身の魂は少しだけ曇ったままなのだろうか。

 彼の魂は依然として、薄い雲に覆われた青空のような色合いのままなのだ。何かが彼の魂を少しだけ曇らせ、不完全な状態に留めている。フレイヤは、その雲が完全に晴れた、どこまでも澄み渡った青空がどのようなものか、どうしても見てみたいと強く切望していた。だが、そもそもその雲がどのような仕組みで掛かっているのか、どうすれば晴れるのかすら見当もつかない。

 

「本当に、あなたは解くのが難しいパズルね、ソラ……」

 

 フレイヤは艶やかに呟き、小さくクスクスと笑い声をこぼした。

 

「でも……簡単だったら面白くないわね。少し検証が必要かしら……」

 

 はるか眼下の街の端へと視線を向けると、彼女の興味の対象であるベルとソラが、アイズとレフィーヤと合流しているのが見えた。あの四人が共にいるというのは、フレイヤにとってもいささか予想外の展開であった。神の眼にはすでに、ベルの魂がアイズたちと新たな繋がりを形成しているのがハッキリと視認できる。そしてソラとの繋がりを通して、ベルとアイズ、レフィーヤの魂は他のどんな時と比べても、桁違いに明るく眩い輝きを放っていた。

 フレイヤは、その眩しすぎる光景にそっと柳眉をひそめた。愛しのベルが、他の女と親密になりすぎるのは、決して面白いことではないのだ。

 

「ふふ……そうね、少しばかりの試練と恐怖が必要ね……」

 

 フレイヤは甘い独り言を囁きながら、すでに頭の中で精緻な計画を練り始めていた。

 極東のことわざにあるように、一石二鳥の計画を。

 

 

 

 

「始めるよ」

 

 その短い一言を合図に、アイズはデスペレートの鞘を構えた。風を纏うかのような、流麗で、一切の無駄がない構え。

 

「はいっ!」

 

 ベルはヘスティア・ナイフを逆手に握り直し、市壁の硬い石畳を蹴り飛ばした。

 

「はああああああっ!」

 

 裂帛の気合と共に、ベルは瞬時にアイズの間合いへと飛び込んだ。Lv.2へとランクアップした彼の体躯から放たれる速度は、以前の比ではない。短刀が風を切り、銀色の軌跡を描いてアイズの喉元へと迫る。

 

「……」

 

 アイズは微動だにせず、デスペレートの鞘を最小限に動かした。ガァン、と金属音が響き、ヘスティア・ナイフが弾かれる。しかし、ベルは止まらない。弾かれた反動を利用して身を捩り、手元に戻したヘスティア・ナイフをウェスタベルに切り替え今度は下段からアイズの脚を狙って振るう。

 アイズは半歩引き、それを紙一重で躱すと、そのままベルの体勢が崩れた瞬間に剣を突き出した。

 

「くっ!」

 

 ベルは必死に短刀の腹でその突きを受け止める。強烈な衝撃が両腕を突き抜け、ベルの身体は市壁の上を数メートルも滑っていった。

 当てなきゃ。アイズさんに、一撃でも。

 ベルの心の中に、黒い炎のような焦燥感が渦巻いていた。ダルザクスに言われた言葉が、呪いのように彼を縛っている。強くなりたい。誰かの影に隠れるのではなく、自分の足で立ちたい。その強すぎる思いが、彼の視界を狭め、剣筋から余裕を奪っていく。

 

「やああっ!」

 

 ベルは再び、市壁を蹴った。今度は、フェイントも駆け引きもかなぐり捨てた、一直線の突撃。Lv.2の身体能力をフルに活用し、限界を超えた速度でアイズへと肉薄する。退路を絶った、渾身の力を込めた一撃。

 

「……直線的」

 

 アイズは静かに呟き、デスペレートの鞘を閃かせた。真正面から突っ込んできたベルのキーブレードをデスペレートの鞘で軽く弾き上げると、そのまま流れるような動作でベルの懐へと潜り込んだ。

 ベルの視界が一瞬でアイズの顔で埋まる。

 アイズは剣を引き、峰打ちの要領でベルの鳩尾の寸前でピタリと止めた。その動作は、あまりにも速く、あまりにも正確だった。

 

「あ……」

 

 完全に体勢を崩され、死に体を晒したベルは、そこで自分の敗北を悟って力なく武器を下ろした。彼が立ち尽くしていたのは、市壁のエッジからわずか数センチの場所だった。一歩間違えれば、虚空へと真っ逆さまに落ちていた。

 

「そこまで」

 

 アイズが剣を引き、短い決着の合図を告げる。

 激しい打ち合いを終え、二人は市壁の石畳の上に座り込んで息を整えていた。少し離れた場所で、レフィーヤとソラが見守っている。

 

「ベル……戦っている時、どこか焦りが出ている」

 

 アイズは静かにベルを見つめ、ポツリと指摘した。図星を突かれたのか、ベルはハッとして肩を揺らし、コクリと頷いた。そんな彼の様子を見て、アイズは小首を傾げる。

 

「……どうしたの? 悩みがあるなら、聞くよ」

 

 普段は口数の少ないアイズからの気遣いに、ベルは少し驚いたように疑問符を浮かべた。しかし、彼女の真っ直ぐで嘘のない瞳に見つめられ、やがてポツポツと胸の内に抱えていた蟠りを吐露し始めた。

 

「実は……以前に、XIII機関のダルザクスという人に言われた言葉がずっと頭から離れないんです。僕が持っている力は、神様の施しと、ソラたちのおこぼれを貰っているに過ぎないって。自分の足で立っているように見えて、その実、常に誰かの庇護のもとで戦っているだけなんだって……」

 

 ベルの告白に、場が静まり返る。市壁の上を渡る風の音だけが、虚しく響いていた。俯くベルの肩をポンと叩いたのは、ソラだった。

 

「気にするなよ、ベル」

 

 ソラの明るく力強い励まし。しかし、少し離れた場所にいたレフィーヤだけは、ダルザクスの言葉に何か思い当たる節があったのか、複雑な表情を浮かべたまま無言で俯いていた。彼女自身もまた、アイズといった強大な存在の影で足掻いている身だからこそ、その言葉が鋭く胸に刺さったのかもしれない。

 沈黙の中、アイズの静かな声が響いた。

 

「……そのダルザクスという人の言う通り、ベルはこれから先、逃げ出したり、立ち止まったりするかもしれない。さっきの訓練だってそうだった。自分が臆病なことを否定したくて、無理に直線的な攻撃ばかりを繰り返していたから」

 

 アイズの鋭い指摘に、ベルは何も言い返せず唇を噛む。しかし、アイズの言葉は彼を責めるためのものではなかった。

 

「でもね。臆病なのは、悪いことじゃない」

 

 アイズは真っ直ぐにベルを見つめ、諭すように言葉を紡ぐ。

 

「臆病なおかげで、助かる命がある。危険を察知して、立ち止まることができる。……むしろ、怖さを感じない人のほうが危ない」

 

 ……私のように。

 アイズは声に出さない心の声を繋げながら、真剣に耳を傾けているベルへと告げていく。

 

「だから、自分が臆病なことを恥ずかしがらずに、大切にして……」

「アイズさん……」

 

 胸を打たれたように、ベルが彼女の名前を呼ぶ。アイズはさらに言葉を続けた。

 

「怖さを忘れたら、パーティーや仲間に迷惑を掛けちゃうから」

「……えっ?」

 

 てっきり冒険者としての深い心構えの話だと思っていたベルは、突然の現実的すぎる理由にポカンと疑問符を並べた。

 

「怖さを忘れて、ただ力に任せて戦うのは……それはもう、怪物(モンスター)と同じだから……私のようになっちゃいけない」

 

 自嘲気味に落とされたその言葉。次の瞬間、ベルとレフィーヤの声が同時に重なった。

 

「それは違いますっ!」

「そんなことありません!」

 

 咄嗟にアイズの言葉を強く否定し、二人は立ち上がった。

 

「アイズさんは怪物なんかじゃありません! 僕を助けてくれた、立派な冒険者です!」

「そうです! アイズさんは誰よりも強くて、優しくて……私の、私たちの憧れなんです!」

 

 二人の必死な褒め言葉の連続に、アイズは目を丸くして呆気に取られる。そこへ、ソラがニカッと笑って同意した。

 

「俺もそう思うよ。アイズの心は、自分で思っているほど弱くない」

 

 三人の温かい言葉。自分に向けられた、曇りのない真っ直ぐな信頼。アイズは少しだけ面食らった後、フッと小さく、本当に小さな微笑みを浮かべた。

 

「……ありがとう、みんな」

 

 市壁の上の風が、ふわりと温かくなったような気がした。アイズは立ち上がり、デスペレートの鞘を手に取って再びスッと構えを取る。その瞳からは、先ほどまでの自嘲の色は完全に消え去っていた。

 

「それじゃあ……次は、二人で来て」

 

 アイズのその言葉に、ベルとレフィーヤは顔を見合わせ、力強く頷いた。

 

「「はいっ!」」




なお、リヴェリアができることが増えるとレフィーヤもできることが増えます。
レフィーヤのキーブレードは考えているので次々回あたりで出す予定です
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