キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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第42話 恐怖に立ち向かえ

 ダンジョンの薄暗い上層の通路を、ソラ、ベル、リリの三人が周囲への警戒を怠らぬ慎重な足取りで進んでいた。

 陣形の最後尾を歩くリリの手には、小さな四角い板状の端末がしっかりと握られている。それは『万能者(ペルセウス)』の二つ名を持つ、アスフィ・アル・アンドロメダの持てる技術の粋を集めて開発された最新鋭の魔導端末――モバイルポータルであった。

 メールの連絡や通話は勿論のこと。筐体の背面には、カメラ機能の心臓部として眼晶(オクルス)が緻密に埋め込まれている。ソラがもたらしたサンフランソウキョウのARデバイスの構造を応用し、探索中の視覚情報を外部メモリーカードへと直接記録・保存することを可能にした画期的な機構で正にオーバースペックとも呼ぶべき贅沢な代物だった。

 その驚異的な性能ゆえに、市場価格は実に七千万ヴァリスという大金に設定されている。将来的な一般普及を見据えた試作品ではあるものの、強力すぎる機能がもたらす情報漏洩や悪用を防ぐため、ギルドによる極めて厳格な防犯利用規約が敷かれていた。現状でこの端末を購入できるのは正規登録された一部の冒険者に限られ、万が一犯罪行為への関与や無断改造が発覚した場合は、即座に端末を遠隔で機能停止させて没収。そればかりか、所属する派閥全体が将来にわたるモバイルポータルの購入権を永久に剥奪されるという、徹底した統制下におかれている。

 しかもアスフィの開発はそれにとどまることを知らず、据え置き型の『魔導固定電話』までもが既に実用段階に入っていた。単体で無線通信を可能とするモバイルポータルとは異なり、各拠点へと専用の回線を引き込んで物理的に接続する必要があるものの、クリアな音声通話のみならず、挿入した書類の文字や図面を素子が読み取り、回線を通じて信号を送信、受信先の端末がセットされた用紙に自動で印字して複製を出力する実用的なFAX機能まで搭載された優れものである。それはモバイルポータルよりも一足早く市場へ投入される予定であり、本体価格は百万ヴァリスという、その革新的な性能に対して破格の安さに抑えられているという。ただし、導入時の本体購入費とは別に、専用回線の維持管理に伴う月々の通信費用が継続的に掛かる仕組みとなっている。

 携帯端末ほどの莫大な価格設定がなされなかった背景には、都市全体の通信網を一刻も早く確立させたいというギルド側とヘルメスの強い思惑があった。初期導入のハードルを下げて契約数を伸ばし、継続的に発生する通信費によって大規模なインフラ網を支え利益を確保するという算段でもある。近々ギルド本部や都市の主要施設への公式導入が決定しており、緊急時の通達や依頼の受発注を根底から覆す新たな連絡インフラとして、オラリオ中へ早急に普及させる狙いがあるのだ。

 ヘルメスはそれらの画期的な通信機器の回線設置と導入、そしてダンジョン内におけるモバイルポータルの長距離通信テストを名目に、朝一番から彼らの本拠(ホーム)へと押し掛けてきた経緯があった。

 そんな騒がしい朝のやり取りを脳裏で振り返りながら、リリがモバイルポータルのボタン操作をしていると、彼女のすぐ傍らの空間が揺らぎエレキユニコーンが音もなく姿を現した。

 昨日、何の予兆もなく眼前へと顕現した瞬間こそ心臓が縮み上がるほどの衝撃を受けたリリだったが、事の顛末を聞き、これがソラが原因だと理解した現在では、頼もしい仲間としてすんなりとその存在を受け入れている。

 

「リリ、周囲の様子はどうだ?」

「はい、今のところ前方にモンスターの影はありません」

 

 ソラの問いかけにリリが的確に答えつつ、一行はダンジョンの通路をさらに奥へと進んでいく。道中、暗がりから急襲してくる少数のハートレスを流れるような武器の連撃と魔法の連携によって危なげなく排除し、息を整えるために歩調を緩めた際、話題は自然と、最近ソーマ・ファミリアの団員たちが不自然なほど執拗にリリの行方を捜索しているという不穏な一件へと移っていった。

 

「ソーマ様のご性格や、団長であるザニス様のことを考えれば純粋な心配での捜索など絶対にあり得ません。何か裏があるはずです」

「リリ……。その、ファミリアへの借金の残額は、今どうなっているんだい?もし足りないなら、僕たちが……」

 

 ベルが心配そうな眼差しを向け、心からの援助を申し出る。その温かな気遣いに触れ、リリはダンジョンの石畳の上で静かに足を止め、柔らかな微笑みを浮かべた。

 

「お気遣いありがとうございます、ベル様。ですが、ご心配には及びません。以前の探索で手に入れたミスリルのカケラやシズクを、ミアハ様に頼んで合成をしていただいたおかげで、純度の高いミスリルの結晶が生成できたんです。それを換金すれば、借金を全額返済してもまだ十分に余るほどのヴァリスが手に入ります」

「よし、なら今日にでもソーマ・ファミリアに乗り込んで、リリを正式に脱退させようぜ!」

 

 ソラが自身のキーブレードを軽やかに肩へと担ぎ直し、裏表のない頼もしい笑顔で即座に提案した。

 

「し、しかし……まだハートレスが潜んでいますし、そんな急に……」

「大丈夫だって!俺たちがついているし、何とかなるさ。な、ベル!」

「うん。ソラの言う通りだよ、リリ。僕たちを頼ってほしい」

 

 ベルの真っ直ぐな言葉に呼応するように、エレキユニコーンがリリの小さな肩へと親しげにすり寄り、自分たちの力を信じろとばかりに頼もしく鼻先を寄せる。さらにベルの頭上からは、いつの間にか顕現していたミミバニー(ミミ)がひょっこりと顔を出し、僕も手伝うと言いたげな様子で長い耳を愛らしく揺らしていた。

 

「……っ、ありがとうございます」

 

 損得勘定を抜きにした仲間たちの温かな絆に激しく胸を打たれ、リリは込み上げるものを隠すように深く俯いた。

 だが、その微笑ましく穏やかな光景を隣で見守りながらも、ベルの胸中には濃い陰りのような、静かなる精神の乱れが生じていた。

 どれだけダンジョンの死線を潜り抜け、着実にステイタスの更新を重ねてきたつもりであっても、規格外の強敵と対峙するたびに己の圧倒的な非力さと、目指すべき絶対的な高みまでの途方もない距離を容赦なく突きつけられ続けている。だからこそ、ソラが立っている遥かなる領域へと辿り着き、その隣に並び立つに相応しい本物の英雄となるためには、現在の限界をさらに暴力的な速度で突き破らなければならない。

 ――今のお前は、女神の施しと、勇者のおこぼれを貰っているに過ぎない。自らの足で立っているようで、その実、常に誰かの庇護のもとで戦っているだけだ。

 かつてダルザクスから冷徹に言い渡された事実が鋭い棘となって脳裏に蘇り、ベルは自身の不甲斐なさに強く拳を握り締めた。

 いつまでもソラたちの力に守られ、ただ導かれるだけの存在であってはならない。これまでに受けた数々の恩を返し、庇護されるか弱い対象としてではなく、友として肩を並べて最前線を駆け抜けられるのだと、他ならぬ自分自身の力で証明したかった。

 

(……そんな時は、本当に来るのかな……?)

 

 焦燥感の裏返しとして生じたどす黒い自己不信が、冷たい感情の澱となってベルの心の底へと広がり始めた、まさにその刹那である。

 ダンジョンの通路を満たしていた淡い燐光が一瞬にして掻き消え、視界の全域が絶対的な漆黒の闇によって乱暴に塗り潰された。

 

「なに、これ!?」

「気を付けろ!何か来るぞ!ベル!リリ!」

 

 空間の異常を肌で察知したソラが鋭く叫び、即座にキーブレードを構えて臨戦態勢をとる。ベルも反射的にヘスティアナイフを出現させを、リリも出力した槍を握り締めて死角からの襲撃に備えた。

 直後、硬い岩盤で覆われていたはずの足元の石畳から、泥沼を突き破るようにして巨大な漆黒の腕が急襲。先頭に立っていたソラの身体を、強固な万力のような握力で乱暴に掴み上げた。

 

「うわっ!?」

「ソラッ!?」

「ソラ様ッ!?」

 

 迎撃や脱出の術を行使する間すら一切与えず、圧倒的な質量を持つ黒い腕はソラを捕らえたままダンジョンの底へと引きずり込み、瞬く間にその存在ごと完全に掻き消してしまった。あまりにも唐突な略取の前に為す術もなく残された二人の悲痛な叫びが、色を失った闇の通路に虚しく木霊する。

 

「ど、どどど、どうしましょうベル様!?ソラ様が地面に飲み込まれて……っ!」

「落ち着いて、リリ!」

 

 想像を絶する怪現象の前にパニックを起こし、半狂乱になって取り乱すリリを大声で引き戻すベルだったが、彼自身もまた目前の現実を咀嚼しきれず、冷や汗が全身を濡らすほどの激しい焦燥に襲われていた。

 どうすればソラを奪還できるのかと暗闇の中で足掻く二人の足元で、ミミバニー(ミミ)が鋭い鳴き声を上げ、前脚をダンジョンの地面へと力強く突き立てる。同時に、傍らのエレキユニコーンも鋭い蹄で石畳を激しく踏み鳴らし、視線を鋭く真下へと向けて下層の気配を探るような仕草を見せた。

 

「い、いや、ソラ様が足元の地面から出てきた謎の腕に捕まって連れ去られたことくらい、リリにも分かっていますっ!問題はどうやって救出するかで……」

 

 混乱のあまり早口でまくしたてるリリの視界の先で、ミミバニー(ミミ)が器用に自身の長い両耳を交差させ、明確な意思を持って数字の『10』の形を作ってみせた。

 

「……ソラは今、十階層に引きずり込まれたってことなの!?」

 

 ベルの確認を求める問いかけに対し、ミミバニー(ミミ)は迷いなく力強く首を縦に振る。ミミバニー(ミミ)の確固たる導きを受け、ベルの揺らいでいた瞳に、恐怖を焼き尽くすほどの強烈な決意の光が宿った。

 

「だったら、すぐに行かないと!」

「ま、待ってくださいベル様!危険です!」

 

 武器を握り締め、十階層へと通じる下り階段を目指して駆け出そうとするベルの背中を、リリが必死の形相で引き留めようとしていると、二人の背筋をぞわりと冷たい悪寒が駆け抜けた。

 何かが根本的におかしい。ダンジョンに広がる第九階層――本来ならば上層の喧騒に満ちているはずの空間が、まるで底知れぬ墓標のように静まり返っている。

 その本能的な警鐘の正体を突き止める間もなく、二人の耳に重く鈍い地響きのような足音が届いた。硬いダンジョンの石畳を踏み砕くようなその足音は、濃密な死の気配を纏いながら刻一刻と彼らへと近づいてくる。

 暗がりの奥を見据えたベルとリリの全身が、次に現れた光景によって完全な金縛りに遭ったように凍り付いた。

 通路の奥から這い出るように姿を現したのは、どす黒い不吉な靄と深い影を纏った巨大な人影であった。薄暗い燐光の照明がその輪郭を暴き出すにつれ、圧倒的な質量と異常性が鮮明に浮かび上がってくる。

 ベルは驚愕のあまり、限界まで目を見開いた。

 そのシルエットは、かつて少年の心に決定的なトラウマを植え付けた猛牛、ミノタウロスのものに酷似している。だが、ベルの記憶にある通常の個体とはあらゆる要素が異なっていた。

 全身を覆う獣毛は焦げ茶色ではなく、光すらも吸い込むような禍々しい漆黒。隆起した筋肉を包む肌は深い赤紫色に染まり、丸太のような太腕には青黒い血管が不気味に脈打っている。眼窩の奥に灯る光は、ダンジョンのモンスター特有の凶暴な赤光ではなく、底知れぬ知性と悪意を感じさせる淀んだ黄色の輝き。頭部からそそり立つ巨大な双角は黄金色に染まり、そこへ黒い亀裂のような筋が幾重にも走っていた。そして極めつけは、その引きずる巨大な剣――尋常ならざる高密度の闇のエネルギーが刃全体に濃密に纏わりついている。

 だが、何よりもベルの目を釘付けにし、その精神を激しく揺さぶったのは別の要素だった。

 巨獣の分厚い胸板の中央に、はっきりと刻み込まれていたのだ。交差する茨と心を模した、あの災厄の印――ハートレスの紋章が。

 

「ハートレスの……ミノタウロス……!?」

 

 現実を受け止めきれないベルの口から、掠れた声が漏れ出る。

 

「ど、どうしてミノタウロスが九階層にいるんですか!?」

 

 ミノタウロスの出現に、リリの喉から引きつった悲鳴が上がった。

 

「逃げましょう、ベル様! リリたちじゃ絶対に勝てません! だから早く……!?」

 

 必死に撤退を訴えるリリだったが、隣に立つ少年が一歩も動こうとしないことに気づき、その言葉を途切れさせた。

 

「ベル様?」

 

 細い腕でベルの袖を力いっぱいに引っ張りながら叫ぶ。

 しかし、ベルの耳にその声は届いていなかった。少年の身体は絶対的な恐怖によって完全に支配され、指一本動かすことすら叶わない。眼前の異形を視界に収めた瞬間から、かつてアイズに救われる直前に味わった、血の匂いと圧倒的な死の記憶が脳裏でフラッシュバックを起こしていた。早鐘のように打ち鳴らされる自身の心臓の音が耳を塞ぎ、捕食者に睨まれた小動物のように視線を逸らすことすらできなくなっていたのだ。

 

「ベル様、逃げないと――!」

 

 凍りついたベルを正気に戻そうとリリが身を乗り出した、まさにその瞬間だった。

 ハートレス・ミノタウロスが鼓膜を破るような激しい咆哮を轟かせ、闇を纏った大剣を上段へと振りかざした。圧倒的な脚力から生み出された神速の踏み込みが、一瞬にして二人の目前へと迫る。

 頭上から容赦なく叩き落とされる死の刃。

 絶望に染まったベルの身体を包み込んだのは、強烈な剣撃の痛みではなく、小さな身体がドンッと力強く自分を突き飛ばし、横方向へと強引に弾き飛ばす荒々しい感触だった。

 直後、大剣がダンジョンの床面へと激突し、硬い岩盤が爆砕される。圧縮されていた闇のエネルギーと大量の瓦礫が津波のように爆散し、突き飛ばされたベルとリリの身体を容赦なく巻き込んで吹き飛ばした。

 冷たい石の床に激しく打ち付けられた衝撃と鋭い痛みによって、ベルの精神を縛り付けていた呪いのような金縛りがついに打ち破られる。五感を取り戻した少年が弾かれたように視線を向けた先で、彼の瞳は限界まで見開かれた。

 そこには、斬撃の余波をまともに受けて背負い袋を半壊させ、額から赤い血を流しながら冷たい床の上で動かなくなっているリリの姿があった。

 己の身を挺して主を救った少女の姿に、自らの不甲斐なさと優柔不断さが彼女の命を奪ってしまったのではないかという絶望的な自責の念がベルの胸を突き刺す。だが、震える視線で彼女の小さな胸元が微かに上下し、細い呼吸が続いていることを確認した瞬間、ベルは張り裂けそうなほどの安堵を覚えた。どうやら直撃は免れ、衝撃と破片によって一時的に意識を失っているだけのようだ。

 しかし、戦場は少年に安堵の余韻など許しはしない。

 土煙を切り裂き、巨獣が再び獣の咆哮を上げて突進を開始した。獲物を確実に粉砕せんと迫る大剣の軌道を見切り、ベルは瞬時に駆け出してリリの身体を抱き抱え、強靭な脚力で大きく跳び退いて死の領域から離脱する。

 ベルは奥歯を強く噛み締めると、意識のないリリの身体を安全な後方の空間へとそっと、しかし素早く放り投げた。そして即座に振り返り、迫り来る黒い脅威へと右手を力強く突き出す。

 

「炎よ!」

 

 短文詠唱と共に放たれたのは、ベルが得意とする速攻の魔法による眩い純白の炎の矢がダンジョンの薄闇を鋭く切り裂き、ハートレス・ミノタウロスの胴体へと正確に直撃した。

 着弾と同時に激しい閃光が弾け、巨獣がたまらず苦痛に満ちた叫び声を上げる。その確かな手応えに、ベルの表情に驚きと一筋の希望が走った。相手が通常のモンスターではなく『ハートレス』であるならば、自らが扱う光の属性を帯びた炎魔法やキーブレードの攻撃は、劇的な有効打になり得るはずだ。

 だが、甘い希望は次の瞬間に叩き割られる。

 痛みによって激昂した怪物が、全身からさらに濃密な闇のエネルギーを噴出させ、ブレーキを壊した戦車のような勢いで真っ直ぐに突進してきたのだ。ベルは反射的に身を捻り、紙一重の距離で横方向へと跳んで激突を回避する。しかし完全に躱しきることはできず、凶悪な黄金の角の先端がベルの側腹部を浅く掠め去り、少年は苦痛に顔を激しく歪めた。

 勢いそのままに床を転がり、すぐさま体勢を立て直して患部を押さえる。鋭い痛みと共に指先に生温かい血液の感触が伝わるが、幸いにも致命傷ではない。装備している上質な軽鎧が衝撃を分散し、被害を最小限に留めてくれたのだ。だが、あの桁外れの質量攻撃を前に、この防具がいつまで耐えられるかは完全に時間の問題であった。

 通り過ぎたハートレス・ミノタウロスが重々しい動作で振り返る。その黄色い瞳は気絶しているリリには一切の興味を示さず、明確な殺意を持ってベルただ一人を執拗に見据えていた。

 

(僕が完全に注意を引きつけておかないと……じゃないと、リリが危ない……!)

 

 決意を固めたベルの手に眩い光の粒子が収束し、キーブレード『ベルウェスタ』とディフェンダーが同時に顕現する。

 

「……ベ……ル……様……?」

 

 背後から掠れた微かな声が届いた。

 視界の隅で捉えたのは、先ほどの奇襲による衝撃波で壁際へと打ち付けられ、痛みに顔をしかめながらも意識を取り戻したリリの姿だった。ふらつく足取りでダンジョンの床から身を起こそうとする彼女が生きていることに、ベルの胸が安堵で震える。しかし、眼前に立ちはだかる漆黒の巨獣――ハートレス・ミノタウロスが再び殺気を膨れ上がらせて距離を詰めようとしている現実が、少年の視線を強制的に前へと固定させた。

 

 ベルは即座にキーブレードを構えて敵の前に立ち塞がり、背後に侍る頼もしい相棒たちに向けて力強く叫んだ。

 

「ミミ、エレキユニコーン!リリを抱えて逃げて!」

 

 少年の悲痛にして確固たる指示に対し、二体のドリームイーターはベルの身を案じるように瞳を揺らしたが、フィンたちに救援を求める必要性を理解し、すぐさま同意の意志を示した。

 

「逃げて、ここから逃げるんだ!早く!」

 

 ベルは喉を裂くような大声で叫びながら、鋭い踏み込みで迫る大剣の豪快な薙ぎ払いをサイドステップで躱す。

 現状の圧倒的な戦力差と危機的状況を正しく理解したリリは、恐怖とショックのあまり大きく目を見開いた。自分がここに留まって少しでも援護すべきか、それとも足手まといにならぬよう撤退すべきか、極限状態の中で判断を迷い、その場に立ち尽くしてしまう。

 

「行け!走って!すぐに追いつくから、急いで!」

 

 敵の猛攻を紙一重で凌ぎながら、ベルはありったけの願いを込めて再び叫んだ。己の覚悟が、どうか彼女の心に届いてくれと祈りながら。

 主の悲痛な叫びを受け取ったリリは、唇から血が滲むほど強く歯を食い締めた。張り裂けんばかりの絶望の嗚咽を漏らしながらも撤退の意志を固めた彼女の意を汲み、行動を開始したミミが動く。

 ミミは床に転がっていたモバイルポータルを素早く拾い上げると、自身の伸縮自在の長い耳を器用に動かし、自力で走れそうにないリリの身体を優しく巻き上げた。そして横で姿勢を低くしていたエレキユニコーンの背中へと確かな動作で乗せ、自身も跳躍して獣の背に陣取る。

 

「べ、ベル様ぁっ!」

 

 涙ながらに叫ぶリリを乗せ、エレキユニコーンは紫電を纏った脚力で石畳を蹴り、安全な階層へと通じる通路の奥へと猛スピードで走り出した。

 遠ざかる小さな足音と叫び声を聞き届け、ベルはその方向へ一度だけ頷く。これで後顧の憂いなく、目の前の強敵との死闘に意識のすべてを没入させることができる。

 

 一方、ダンジョンの通路を疾走するエレキユニコーンの背の上で、ミミは小さな手を使って拾い上げたモバイルポータルの画面を操作し始めた。あらかじめソラたちの様子を見て学習していたのか、器用な手つきで通信機能を開き、ロキ・ファミリア、ガネーシャ・ファミリア、椿と全ての宛先を選択する。そして、ソラが謎の腕に飲み込まれた瞬間と謎のミノタウロスの登場までの映像記録データを送信し始めた。

 だが、脱出を図る彼らの行く手にも魔の手が迫っていた。前方や側面の暗がりから、進路を阻むようにモンスターの群れが次々と襲い掛かってきたのだ。

 エレキユニコーンは疾走の速度を緩めることなく、額の角からサンダーを放ち、正面から現れた敵を閃光と共にモンスターを牽制しながら道を切り開く。さらに接近を許したモンスターに対し、ミミは長い耳でら強烈なミミフックやミミアッパーを正確に喰らわせ、モンスターの身体をダンジョンの壁へと打ち据えていく。

 二体の見事な突破力によって危機を脱するかと思われた、まさにその時だった。

 頭上の死角から音もなく急降下してきたバットバットが超音波攻撃を放ったのだ。

 鋭い高周波の波状攻撃が直撃し、脳を揺らすほどの強烈な振動と衝撃に襲われたミミは、たまらず両手で自身の耳を覆い隠そうとする。その余波で指先の力を失い、送信処理の半ばであったモバイルポータルをダンジョンの床へと落としてしまうのだった。

 

 

 ――その頃、独り残されたベルは、荒れ狂う連続攻撃を軽業師のような跳躍で躱し、空いた左手を高く掲げていた。

 

「炎光よ!」

 

 牽制時よりも一段階出力を上げた光炎の魔法が鋭く射出される。高密度の熱線が怪物の分厚い胸板を激しく焼き払い、焦げる臭いと共にハートレス・ミノタウロスが苦悶の咆哮を上げた。

 

(いける……!このまま一定の距離を保ち続けて戦えば、きっと勝機は……!)

 

 戦術の活路を見出した直後、ベルの瞳に戦慄の色が浮かんだ。

 攻撃の手を緩めた怪物が大剣を地に突き立て、全身のオーラを強烈に収縮させたかと思うと、その周囲に凶悪な質量を伴った闇の弾丸が複数同時に形成されたのだ。濃密な殺意を孕んだ黒弾が、散弾銃のように一斉にベルへと襲い掛かる。

 

「雷よ!」

 

 圧倒的な弾幕に対し、ベルは一歩も引かずに迎撃の呪文を連呼した。キーブレードの先端から広範囲をカバーする無数の雷撃の矢が連射され、迫り来る闇の弾丸へと正確に殺到する。

 光を帯びた雷電と凝縮された闇のエネルギーが激しく衝突し、通路全体を揺るがす大爆発が巻き起こった。発生したすさまじい爆風と衝撃波がダンジョンの空気を押し潰し、ベルの身体を後方へと大きく押し流す。

 石畳にブーツの底を擦りつけ、強引に姿勢を制御して足を踏ん張ったまさにその瞬間――これまでの戦闘経験で磨き上げられた本能が、死の危険を察知して激しく警鐘を鳴らした。

 視界を覆う濃密な煙の壁を突き破り、漆黒の巨大な拳が突然眼前に迫っていたのだ。魔法の撃ち合いを目くらましに利用した怪物が、爆風をもろともせずに距離を詰めていたのである。

 ベルは極限の反応速度で再び横方向へと跳躍を試みる。しかし、回避行動よりも一瞬早く振り抜かれた怪物の巨大な裏拳が、ベルの無防備な側腹部を無慈悲に捉えた。

 壁面を揺らすような重い衝撃音と共に、ベルの身体は木の葉のように軽々と宙を舞い、ダンジョンの硬い壁面へと打ち付けられた後、地面を何度も無様に転がった。

 肺に詰まっていた酸素が根こそぎ吐き出され、激しい息苦しさにむせ返る。全身の骨が軋むような激痛に耐え、震える膝をどうにか打ち据えて立ち上がると、晴れゆく煙の向こうから、勝利を確信した死神のようにゆっくりと歩み寄ってくるハートレス・ミノタウロスの姿があった。

 口内に広がる血の味を吐き捨て、ベルは痛む身体に鞭を打つ。そして、決して折れない意志を宿した瞳で巨獣を睨み据え、震える両手で再び自らの武器を固く握り直した。




アスフィ「頑張りました。私、すごい頑張りました!!」
始まりましたベルvsミノタウロス
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