キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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このまま出します
多分後でいくつか内容が修正されると思います


第43話 立ち塞がる猛者と立ち上がる白兎

 再生ボタンが押されると、小さな画面の中に迷宮の薄暗い通路が鮮明に映し出された。

 フィンはまず、モバイルポータルが持つ驚異的な利便性と、ブレのない高精細な映像を克明に保存している記録媒体の技術水準に目を細め、深い関心を寄せた。映像の序盤に映っていたのは、探索の最後尾を歩くソラから聞いていた同胞、リリルカ・アーデの姿であった。同じ小人族(パルゥム)でありながら不遇な環境に身を置く彼女の健気な姿に、フィンは内心でどうにかして助けになりたいという想いを巡らせる。

 ――しかし、和やかな探索風景は突如として終わりを告げた。

 画面の中の空間が闇に染まり、迷宮の床から突き出した巨大な黒い腕がソラを捕らえ、強引に地面の底へと引きずり込んだのだ。

 

「えっ……!?」

「ソラが地面に飲み込まれただと!?」

 

 息を呑むティオネと、驚愕に目を見開くリヴェリア。だが、映像が捉えた脅威はそれだけではなかった。

 混乱する画面の奥から、どす黒い靄を纏った巨獣が現れたのだ。その分厚い胸板にハートレスの紋章を不気味に浮かび上がらせた、漆黒のミノタウロスである。怪物が画面に向かって圧倒的な速度で猛突進を仕掛けてきた直後、激しいノイズと共に動画は唐突に途切れた。

 執務室に一瞬の静寂が落ち、次の瞬間には風が爆ぜていた。

 誰からの指示を待つまでもなく、咄嗟にアイズが一直線に窓へと駆け出し、外へと飛び出したのだ。大切な友達であるソラやベルたちを助けたい一心で、ティオナもまた迷うことなくその背中を追って飛び出す。

 アイズは瞬時にドリームイーターとの同調を果たし、リンクスタイルによって背にナルバードの光翼を展開する。エアリアルの爆発的な推進力を乗せて滑空するアイズの身体に、ティオナが搭乗する形でしがみつき、二人は大空を裂いて迷宮へと急行していった。

 

「儂らも行くぞい!」

「ああ、一刻を争う事態だ」

 

 ガレスが豪快に叫び、リヴェリアが鋭く同意して出撃の態勢を整える。その中で、ベートが苛立たしげに鋭い牙を覗かせ、盛大に舌打ちをした。

 

「チッ!おいフィン、いつまでその箱を見てやがる!さっさと行くぞ!」

 

 怒声を張り上げるベートだったが、フィンの視線は手元のモバイルポータルの画面に完全に釘付けになっていた。やがてフィンは表情を険しくしたまま端末を掲げ、周囲の幹部たちへと画面を向ける。そこに一時停止されて映し出されていたのは、動画の一場面――ソラが巨大な黒い腕に捕らえられたまさにその瞬間の静止画であった。

 

「団長、それがどうしたんですか?」

 

 出撃を急ぐティオネが、怪訝そうな顔で疑問を投げかける。フィンは無言のまま端末のボタンを操作し、捕獲の瞬間の暗がりへと映像をズームアップしていった。

 拡大され、粗い画素の奥から浮かび上がってきたもの。それは、ソラを引きずり込もうとする巨大な黒い腕の主――影の中に僅かばかり顔を覗かせた、犯人の姿であった。

 筋骨隆々の圧倒的な体躯と、鋭く冷徹な獣の眸。その正体は、フレイヤ・ファミリアの団長オッタルに他ならなかった。

 

「……ッ!?あの男が、なぜ上層にいる!?」

 

 信じがたい事実を突きつけられ、リヴェリアが戦慄混じりの声を上げる。

 

「そんなことより早く行くぞ!迷宮で何が起きておるのかは、直接とっ捕まえて吐かせれば済む話じゃ!」

 

 ガレスが急かすように怒号を轟かせ、幹部たちは弾かれたように執務室の扉を飛び出していった。

 慌ただしい足音が遠ざかり、誰もいなくなった静かな執務室。ただ一人残されたロキは、窓からのぞく迷宮都市の空を細い目で見つめ、低い声で一人ごちるのだった。

 

「……なにを考えてるんや、フレイヤ」

 

 

 

 

 時間も空間の概念すらも存在しない、絶対的な漆黒の闇の中。ソラは見えざる強固な力によって四肢を拘束され、深く沈み込んでいた。

 だが、その底知れぬ無の深淵に、一滴の眩い光の雫が落ちる。

 光が視界を埋め尽くしたかと思うと、次の瞬間には周囲の景色が急速に収束し、ソラはダンジョン十階層へと乱暴に引きずり出されていた。巨大な黒い腕に身体を掴まれたまま、ソラは硬いダンジョンの地面へと容赦なく叩きつけられ、そのまま圧倒的な力で圧殺されそうになる。

 

 その刹那、ソラの姿がかき消えた。

 テレポによる瞬間転移により圧壊の危機を間一髪で抜け出したソラは、自身を捕らえていた襲撃者の背後の空中へと実体を現す。

 手にしたキーブレード『ファボデピュティ』が光を放ち、無骨で巨大なブーストハンマーへと瞬時に変形を遂げた。ソラは落下の勢いと自身の力を乗せ、保安官の星章をあしらった重量級のハンマーヘッドを、眼下の襲撃者の背中めがけて渾身の力で叩き込んだ。

 

 轟音と共に、襲撃者は受身を取る暇すらなく顔面からダンジョンの石畳へと深くめり込む。

 ソラは攻撃の手を緩めない。追撃を決めるべく、手元のブーストハンマーをさらに巨大化させ、必殺の打撃技『グランドノッカー』を展開して頭上から豪快に振り下ろした。

 しかし、地面に伏していた襲撃者の左腕が突如として異様に膨張し、凶悪な漆黒の巨腕へと変貌を遂げる。黒き巨腕は、迫り来るソラの巨大ハンマーを下から鷲掴みにするようにして完璧に受け止めてみせた。

 そのまま襲撃者は、右手へ呼び出した漆黒の大剣をソラの胴体めがけて鋭く薙ぎ払う。ソラは空中で身体を捻って致命の刃を躱すと、眼下を通り過ぎたその漆黒の大剣の平を足場にして強く蹴りつけ、大きく後方へと跳躍した。

 距離を取った空中で、ソラの武器が再び変形する。ハンマーから巨大な砲身を備えたマジックランチャーへと姿を変えると同時に、ソラは襲撃者めがけて強力な魔力の塊を撃ち出した。

 砲口から射出された巨大なエネルギー弾が、猛スピードで襲撃者へと殺到する。立ち上がった襲撃者が漆黒の大剣を力強く振り抜くと、刃と魔力の塊が激しく衝突し、通路を揺るがす大爆発が巻き起こった。

 すさまじい爆音が轟き、灼熱の閃光と衝撃波がダンジョンの空気を吹き飛ばす。そして、荒れ狂う爆風が周囲の土煙を晴らした時――これまで影に隠されていた襲撃者の素顔が、ついに白日の下に晒された。

 その影をよく見れば、獣の象徴たる猪の耳を持ち、血を思わせる錆色の髪と鋭い眼光を備えた、見上げるほどに巨大で屈強な猪人(ボアズ)の男であった。鋼のように鍛え上げられた分厚い筋肉を濃紺のノースリーブで包み、赤い胸当てと特徴的な襟元の装甲、灰色のズボンに頑強なブーツを身に纏っている。

 迷宮都市オラリオにおいて『最強』という言葉を口にする時、万人が例外なく思い浮かべる絶対的な頂点。二つ名『猛者』の称号を戴く武人、オッタルその人である。

 フレイヤの命を受け、あるいは彼自身の奥底に眠る純粋な武への渇望に従い、立ちはだかったオッタルはただそこに静止しているだけで、周囲の迷宮の空気が重く軋み、空間そのものが平伏するかのような圧倒的な存在感と絶対的な威圧感を放っていた。

 視認できる距離まで間合いが詰まると、オッタルは巨大な岩塔のように揺るがぬ姿勢のまま、底知れぬ覇気を秘めた瞳でソラの全身をじっと観察した。

 

「空色の魂を持つ者……」

 

 男の低い声が地を這うように響く。それは単なる直感や推測ではなく、確信に基づく宣言であった。

 

「俺? いや、そんなことより、今すぐ戻らないといけないんだ!」

 

 ソラは咄嗟に自分自身の胸を指差したが、現状の緊迫した事態を思い出し、すぐさま激しく首を横に振って叫んだ。

 だが、ソラの焦燥に満ちた声は、オッタルが腰に帯びていた巨大な武器を静かに抜き放ち、眼前に構えたことで強制的に遮られた。尋常ならざる高密度の闘気が通路を満たし、ソラの脳内でかつてないほどのけたたましい警鐘が鳴り響く。

 

「挑む」

 

 オッタルは短い言葉で、自身の目的を冷徹に告げた。

 

「挑むって……なんで!?いや、それどころじゃないんだ!お前と戦ってる場合じゃないんだ!」

「知ったことではない俺の頭にあるのは、お前に挑むことだけだ」

 

 他者の命や地上の騒動など微塵も意に介さない、ただひたすらに未知なる強者との立ち合いを求める求道者としての純粋にして苛烈な意志。オッタルは揺るがぬ声で淡々と、しかし確固たる熱を帯びて言い放った。

 

「俺は気にするんだよ!だからそこをどいてくれ!」

 

 仲間を想うソラの心が激しく反発し、道を譲るよう強く要求する。

 

「仲間の元へ行きたいなら……俺を超えていくがいい」

 

 オッタルは自らの得物である『覇黒の剣』をゆっくりと正眼に掲げた。

 対話による解決が不可能であることを悟り、ソラは鋭く顔をしかめた。

 

(待っててくれベル、リリ……すぐに戻るからな!)

 

 上の階層に取り残された大切な友たちの無事を心の中で強く祈りながら、ソラは覚悟を決めて迷宮の石畳を力強く蹴り飛ばした。

 フリーフローアクションによって自らを弾丸と化し、猛スピードでオッタルの懐へと肉薄。光の軌跡を描きながら、手にしたキーブレードを全力で振り抜く。対するオッタルもまた、覇黒の剣を豪快に振り下ろした。

 キーブレードと、覇黒の剣が正面から激突する。激しい火花と衝撃の余波が空間に弾け飛び、迷宮の岩盤全体を震わせるほどの重く凄まじい轟音が、薄暗い通路の奥深くへと轟き渡った。

 

 

 

 

 冷たいダンジョンの石畳の上、ミミが衝撃で落としてしまった二つ折りのモバイルポータルを、静かに拾い上げる者があった。

 闇を凝縮したかのような漆黒のコートに身を包んだその人物は、手慣れた動作で端末をパカりと開く。そして、ボタンをカチカチと正確に押し込み、何事かの通信設定を完了させると、パタンと軽い音を立てて本体を閉じた。そのまま誰もいない虚空に向かって、低い声で話す。

 

「あれをロキファミリアに持ってくのか?…好きにしろ…」

 

 その言葉に応じるように、空間がぐにゃりと陽炎のように歪み出す。

 揺らぎの中から音もなく滲み出てきたのは、ノーバディの一種である『アサシン』であった。鋭利な刃物のごとく尖った銀色の甲冑を纏い、頭部深くを覆い隠すように鋭い装甲板が何枚も垂れ下がっている。人間らしい顔はなく、手足の先から連なるように無数の鋭い刃が付き従うその姿は、冷酷な暗殺者を体現したかのような特異なフォルムをしていた。

 黒コートの言葉に対し、アサシンは声を発することなく静かに頷き、液体に沈むようにしてダンジョンの床へと溶けて消えていった。

 

 場所は変わり、黄昏の館。ロキファミリアの執務室にて。

 ロキは、トントンとリズミカルに指先で執務机を叩きながら、一人深い思考の海に沈んでいた。

 

(ソラを強襲した犯人がオッタルやってことは分かった。せやけど、いくら映像の証拠があっても、フレイヤのところにうちが下手に抗議しに行くのは難しいな……この辺の面倒ごとはドチビに任せるしかないやろな)

 

 問題はそこではない。ダンジョンでベルを襲った、あの漆黒のミノタウロスだ。

 明らかに通常の個体とは一線を画す異様な変異種。しかも、その分厚い胸板にはっきりと刻まれていたハートレスの紋章。あれはミノタウロスの形を模したハートレスなのか、それともミノタウロスそのものが闇に飲まれた姿なのか。

 ロキが眉間に皺を寄せて頭を悩ませていると、慌ただしい足音と共にラウルが執務室へと駆け込んできた。どうやら団長のフィンに急ぎの用事があったようだが、肝心の首脳陣が揃って血相を変えて本拠(ホーム)を飛び出してしまったため、その理由を尋ねに主神の元へやってきたらしい。

 

「すみませんロキ。団長たちは一体どこへ行かれたんすか!?」

「あぁ、ラウルか。9階層にミノタウロスのやばい変異種が出やがってな。今、ベルが戦っとるんや」

「ええっ!?べ、ベル君がミノタウロスと!?そんなの大変じゃないっすか!!」

 

 ロキがあっけらかんと告げた事実を受け、ラウルは血の気を引かせて大慌てで叫んだ。

 無理もない。実はラウルをはじめとしたロキファミリアの団員たちは、ベルが訓練のために館へ来て休憩や昼の食事の合間に言葉を交わしてすっかり交友を深めていたのだ。最初はベルに対して嫉妬や理不尽な怒りを抱いていた者たちも、あまりにも過酷な特訓にボロボロになりながらも、決して折れることなくひたむきに立ち上がる少年の姿を目の当たりにし、すぐに認識を改めていたのである。

 

(ほんま、ベルはええ子やで。仮にうちに来て冒険者としての素質が開花せんでも、あの真っ直ぐな性格と実直な優しさがあれば、誰からも愛されてやっていけるやろな。……やっぱり、あのドチビにはもったいない優良物件やわ)

 

 内心でヘスティアへと盛大に毒づいていたその時、ロキの手に収められていたモバイルポータルがピリリと鋭い通知音を鳴らした。

 

「なんや?ヘルメスかガネーシャのところからか?」

 

 不思議に思いながら端末を取り出してパカりと画面を開くと、そこには『LIVE』という文字が表示されており、ダンジョンの通路でベルが傷だらけになりながらミノタウロスと対峙している激しい戦闘風景が映し出されていた。

 驚いたロキが画面を見つめていると、突如として執務室の床から、鋭利な刃物のような白い腕が音もなく突き出してきた。

 するりと抜け出てきたアサシンは、ロキの手からモバイルポータルを取り上げるようにして完全に実体を現す。

 

「な、なんすかこいつはっ!?」

 

 突然の侵入者に驚愕したラウルが、即座に手元へ武器を具現化させて構える。しかし、アサシンは攻撃の意思を見せることなく、空いている手でラウルに向けて待てと求めるジェスチャーをした。そして、どこからか見慣れない機械を取り出す。

 それはラウルやロキの知識にはない未知の道具――プロジェクターであった。黒塗りの洗練された箱型をしており、正面には分厚く澄んだ集光レンズが嵌め込まれ、上部には操作用の小さなボタンが整然と並んでいる。

 アサシンは手際よくモバイルポータルとプロジェクターの端子を接続すると、本体のボタンをカチリと押し込んだ。直後、レンズから強い光が放たれ、執務室の広い壁面いっぱいに大迫力の映像が投影された。

 

「べ、ベル君!?」

 

 壁に映し出された死闘の光景に、ラウルがたまらず叫び声を上げる。

 その尋常ではない叫び声を聞きつけたのか、廊下からアキが勢いよくドアを開け放った。

 

「どうしたのラウル!……って、何よこれ!?」

 

 アキの乱入を皮切りに、騒ぎを聞きつけたレフィーヤや他の団員たちも次々と執務室へと集まってくる。そして、壁の映像と、ロキのすぐ隣に佇む異形の存在――アサシンに気づいて息を呑んだ。

 

「ロ、ロキの傍にモンスターがっ!?」

「まぁまぁ、落ち着きやみんな」

「落ち着いていられるわけないでしょ!モンスターが、私たちの本拠(ホーム)に侵入してるのよ!?」

 

 即座にキーブレードを出現させたレフィーヤと同調するように、アキたちも武器を構えて叫ぶ。

 

「ええか?こいつは気配も消して現れた。やろうと思えばいつでもうちを殺せたはずやのにそうせんかったし、隣にいたラウルをも襲わんかった。攻撃の意思はないってことや」

 

 ロキが冷静に諭すが、団員たちは武器を下ろそうとせず警戒を緩めない。緊張が続く中、レフィーヤが壁に投影されている映像へと視線を向け、震える声で尋ねた。

 

「あの、これは……?」

「あぁーミノタウロスの変異種が9階層に出現してな、今映っとるのはちょうどベルと戦っとるところや」

 

 その言葉を最後まで聞くや否や、レフィーヤは弾かれたようにきびすを返し、脱兎のごとく駆け出した。

 

「レフィーヤ!」

 

 背後からアキが叫ぶが、そんなことはお構いなしに、レフィーヤは友を救うために廊下の奥へと全力で走っていくのだった。

 残された執務室で、ロキは静かにアサシンへと向かって口を開く。

 すでにソラから、ノーバディという存在が『心が闇に飲まれた者に残された肉体と魂が生まれ変わったもの』であるという事実を聞かされていたため、過度な警戒心はなかった。ロキは神としての威圧感を底に忍ばせ、鋭い眸で眼前の相手を射貫く。

 

「……で?自分、何しにここに来たんや?」

 

 問われたアサシンは沈黙したまま、勝手に執務机の引き出しを開け、中から一枚の紙と羽ペンを取り出した。そしてサラサラと何事かを書きつけると、すぐさまロキの手へと渡す。

 そこに記されていたのは、短い単語だった。

 

{自慢}

「……自慢?」

 

 予期せぬ言葉にロキが疑問符を浮かべて見返した時には、すでにアサシンの姿は掻き消えるようにしていなくなっていた。

 

「どうするんすかロキ?」

「まぁフィンたちが助けに向かっとるしまぁ大丈夫やろ。折角やしみんなで見ようや」

「そんな悠長な……っ」

 

 あまり納得できない様子のラウルに対し、ロキは壁の映像を指差して力強く告げた。

 

「自分らは、あれを見てあの子が死ぬと思っとるんか?見いやベルの目を。さっきまで絶望しとったのが嘘みたいに明るくなっとる。今から自分らがいったところでフィンたちが追いつくが先や。やったら、うちはここでベルを応援しとくで」

 

 

 

 

 ダンジョン第九階層。薄暗いダンジョンの静寂を乱暴に引き裂き、鼓膜を震わせる重々しい爆発音と硬い岩盤が砕け散る轟音が通路の奥深くへと響き渡っていた。

 もうもうと立ち込める土煙の中、ベルは、絶対的な質量を誇る巨獣の一撃をまともに浴びぬよう、極限まで加速した思考の中で「足を止めるな」と己の全身に叫び続けていた。神速の脚力を以てしても完全には躱しきれない死角からの豪腕。致死の間合いで強引に軌道を逸らし、あるいはディフェンダーを翳して斬撃を受け流すその度、暴力的な運動エネルギーの余波が細い両腕へと伝播し、骨が軋むような激痛となって激しく悲鳴を上げる。

 漆黒の靄を纏ったハートレスのミノタウロスは、獲物を確実にすり潰さんとばかりに血に飢えた咆哮を轟かせ、ダンジョンの石畳を踏み砕きながら猛進してくる。視界のすべてを覆い尽くすような豪快な大剣の横薙ぎ。ベルは咄嗟にディフェンダーの強固な装甲面を激突の瞬間に合わせ、衝撃のベクトルを斜め後方へと逃がす防衛のロジックを展開した。だが、受け流しに成功したという事実をあざ笑うかのように、桁外れの膂力はベルの身体をいとも容易く中空へと跳ね飛ばす。勢いそのままに地面を転がり、追撃として真上から落下してくる凶悪な踏みつけを間一髪で跳び退いて回避した。

 体勢を立て直し、素早く間合いを広げようと試みるベル。しかし怪物は逃がすまいと大剣を翳し、凝縮された高密度の闇のエネルギー弾を機関銃の如く連射して追い打ちを仕掛けてきた。濃密な殺意の弾幕から逃れようと後退を踏んだベルの背中に、冷たく硬い感触が走る。ダンジョンの天井から伸びる巨大な鍾乳石の柱に退路を阻まれたのだ。完全な死地へと追い詰められたと悟ったその瞬間、視界の全域をどす黒い闇の弾丸が埋め尽くした。

 直後、通路を揺るがす大音声と共に大規模な連鎖爆発が巻き起こり、濃密な粉塵と鋭い石の礫が嵐のように舞い上がる。

 巨獣は大剣を引きずりながら、立ち込める土煙の向こうにひしめく死の気配を確信し、底知れぬ悪意を孕んだ黄色い瞳を細めて低く唸り声を上げた。

 だが、白煙が風に流されて晴れゆく先に現れたのは、無残な犠牲の痕跡などではない。黒い爆撃によって抉られ、瓦礫の山と化した爆心地から僅かに距離を置いた後方で、荒い息を吐きながら床に尻もちをついているベルの姿であった。

 一瞬の反応速度が生死を分けた。ベルは着弾の刹那、背後を塞いでいた巨大な鍾乳石をあえて物理的な防壁として利用し、その裏側へと滑り込むように回り込んでいたのだ。岩盤を貫く爆発のすさまじい余波を受けて吹き飛ばされはしたものの、直撃による致命傷は見事に回避してみせたのである。

 とはいえ、決して無傷で済んだわけではない。

 ベルは苦痛に顔を歪めながら、自らの前腕を保護する防具を見下ろした。上質な素材で編み込まれた篭手は、闇の魔力の侵食と爆風によってひび割れ、無残にひしゃげている。この頑強な防具と、かつて憧れの存在から託された『英雄の手袋』が持つ効果がなければ、今頃はその両腕ごと綺麗に消し炭に変えられていたことだろう。

 標的の生存を認めたハートレスのミノタウロスが、怒りに任せて再び爆発的な推進力で突進を開始する。全身からどす黒い闇のオーラを噴出させながら迫る死の暴走。ベルは軋む足に鞭を打ち、地面を転がるようにして間一髪でその凶弾の軌道から身を逸らした。

 すれ違いざまに回避を成功させた直後、ベルは自身の走る勢いを殺すことなく、標的へ視線を向けることすらしない完全なブラインド状態のまま左手を背後へと突き出した。

 

「炎よ!」

 

 鋭い呼気と共に放たれた魔法は視認を伴わない射出であったため、白光を帯びた炎の矢は一見して標的とはかけ離れた虚空へと飛んでいくように見えた。だが、それはベルの練り上げた誘導の戦術だった。純白の炎は暗い通路の中空で鋭い弧を描くように自動で軌道を捻じ曲げ、通り過ぎた直後の怪物の無防備な背中へと正確に殺到し、激しい爆炎を弾けさせたのだ。

 光属性を帯びた業火に肉を焼かれ、ハートレスのミノタウロスが苦悶の咆哮を轟かせながら狂ったように白い炎を振り払おうともがく。

 振り返ったベルの目に映ったのは、体勢を崩した敵と、さらなる間合いを稼ぐための絶好の好機だった。ダンジョンの奥へと駆け抜けようとしたその瞬間、炎を強引に振り払った怪物が恐ろしい執念で振り返り、あろうことか自らの主兵装である長大な闇の大剣を、投擲武器としてベルの背中めがけて渾身の力で投げ放ったのだ。

 風を切り裂き回転しながら飛来する漆黒の凶刃。その風圧に気づいて背後を振り返ったベルは驚愕に目を見開き、反射的に上体を捻って横方向へと跳び退く。だが完全な回避には至らず、高速で通過した刃の側面が右腕の装甲を大きく削り取り、鮮血と共に鋭い痛みがベルの顔を歪ませた。大剣はそのまま突き進み、ベルの背後に聳えるダンジョンの硬い岩壁へと根元まで深々と突き刺さる。

 得物を失ったはずの怪物が、歩みを止めるどころかさらなる咆哮を上げて徒手空拳のまま猛然と間合いを詰めてきた。前方からの巨大な圧力に後退を踏もうとした刹那、ベルの背後で岩盤が激しく砕け散る異音が響く。

 はっと振り返ったベルの目に飛び込んできたのは、物理法則を無視して壁から引き抜かれた大剣が、まるで目に見えない強固な磁力に引かれるように、怪物の手元へと向かって真っ直ぐに逆流してくる信じがたい光景だった。敵の放つ濃密な闇のオーラが、手放した武器をブーメランのように引き寄せていたのである。

 

(嘘、戻ってくるのなんて……!)

 

 前方からは暴走する巨獣、後方からは飛来する死の刃。完璧な挟撃の死地を脱するため、ベルは強靭な脚力でダンジョンの宙へと高く跳び上がることを余儀なくされた。

 交差する二つの脅威そのものは足元を通過していったものの、空中に逃げたことでベルの身体は完全に回避の自由を失う。長年数々の冒険者を葬ってきた戦闘本能を持つ怪物が、その致命的な隙を見逃すはずもなかった。

 手元に戻った大剣の柄を片手で掴み取ると同時、怪物の丸太のようなもう片方の腕が頭上へと伸び、中空で無防備となっていたベルの細い足首を万力のような握力で捕らえたのだ。

 受け身をとる時間すら皆無だった。視界が乱暴にひっくり返り、すさまじい遠心力を伴って砲弾のように投げ飛ばされたベルの身体は、ダンジョンの壁面から突き出た無数の鍾乳石へと豪快に叩きつけられる。岩の柱を一本粉砕するほどの激しい衝撃音が木霊し、ベルは力なく地面へと転がり落ちた。

 全身の骨格が軋み、肺臓から根こそぎ押し出された空気を求めて、白髪のベルは血の混じった激しい咳を何度も吐き出した。断続的に襲い来る限界突破の痛みと、死の足音に対する原始的な恐怖によって四肢がガクガクと震え、ただ上体を起こすことすら困難な状態に陥る。

 

(か……勝てない……)

 

 薄暗い視界の中でどうにか立ち上がろうともがくベルの心を、絶対的な絶望の影が侵食していく。見上げれば、手負いの獲物を確実に処刑せんと歩み寄るハートレスのミノタウロスが、勝利を宣言するように深く濁った唸り声を上げながら、一歩、また一歩と距離を詰めてくるところだった。

 

(もう無理だ……逃げ場がない……!)

 

 退路を断たれ、己の力も底をつきかけた。濃厚な死の気配に抗う術を失い、ベルは諦めと絶望の冷たい水底へと沈み込むように、ゆっくりと瞼を閉じた。

 ――その時だった。

 

『なに言ってんだベル、お前ならできる!』

「ソ、ソラ……!?」

 

 鼓膜を通さず、直接脳裏を揺らしたあまりにも聞き慣れた明るい響きに、ベルは弾かれたように目を見開いて声のした方角へと視線を巡らせる。

 だが、冷酷な現実がそこにあった。視界の先に立つのは殺意を燻らせる怪物のみであり、いつも絶望の淵から自分を救い出してくれる、あの頼もしい背中は世界のどこにも存在しない。

 待ち望んだ英雄が助けに来てくれたわけではないという事実に、一度生き返りかけた希望の火が完全に消え去りそうになる。

 しかし、冷たい絶望に染まりかけたベルの思考は、その一点で不自然なほどの静寂を迎えた。

 もし仮に、本当にソラがここに駆けつけてくれていたらどうなっていたか。間違いなく自分はまた、ソラが振るうキーブレードの力によって命を救われる結末を迎えていただろう。

 かつての死闘のように。いつもの他愛ない日常のように。

 けれど――それは本当に、自分自身が心の底から望んでいる結末なのだろうか。

 救われたいわけではない。守られたいわけではない。

 あの日、ダンジョンの血に染まりながら見上げたあの黄金色の瞳に、どうしようもなく心を奪われた。だからこそ、いつまでも無力で惨めな保護対象のままで、彼女の瞳に映り続けることだけは耐えられなかった。

 もう、ただ一方的に助けられるだけの弱者でありたくない。友の圧倒的な光に庇護され、安全な後ろから背中を眺めているだけの存在になど甘んじたくはなかった。

 目指すべきは、遥かなる空の領域へと辿り着き、ソラの隣に並び立って共に運命を切り拓く真の相棒となり、誇り高き一人の冒険者として彼女の隣に立つ資格を手に入れることのはずだ。

 それでもなお、ベルの心に刻み込まれた過去の圧倒的な実力差の記憶が、今の自分が彼らにどれほど後れを取っているかを残酷なまでに突きつけてくる。

 果たして、自分一人の力でこの規格外の闇に打ち勝つことなど、本当にできるのだろうか。

 自己不信の靄が再び心を覆い隠そうとしたその刹那。

 

『頑張って、ベル』

 

 今度はソラのものとは異なる、透き通るような優しさを帯びた見知らぬ声が、そっと心の中へと響き渡った。

 その不思議な温もりに触れた瞬間、ベルの身体を縛り付けていた呪いのような痛みが嘘のように和らぎ、気づけばベルの口元には小さな、しかし確かな笑みがこぼれていた。床をついた両手に力が宿り、ゆっくりと、だが決して揺るがない動作でダンジョンの大地へと自らの足で立ち上がる。

 なぜ極限の死地にあって、遠く離れたソラの声や知らない声の励ましが届いたのか、その理由は分からない。死の恐怖が見せた単なる都合の良い幻聴に過ぎないのかもしれない。

 声の主が誰なのか、ベルには思い当たる節がなかった。けれど、自分が知らないだけで、世界のどこかに自分を知っていてくれる誰かがいて、その想いが届いたのではないだろうか。

 胸の中を満たすのは、奇妙なほどの静謐さと絶対的な安らぎだった。先ほどまでベルの心を凍り付かせていた死への恐怖や暗い絶望の気配は完全に霧散し、その空洞を埋めるように、純度の高い覚悟と決意の炎がごうごうと燃え盛り始める。

 彼女がその身を以て刻み込んでくれた戦う術が、確かな熱となって四肢に宿っている。

 前髪の隙間から覗くベルの瞳が、かつてないほど鋭利な光を宿して巨獣を射抜いた。

 

(そうだ……ソラ……僕が今ここで戦っているのは……本物の英雄になるため!君と同じように、誰かを脅かす闇と真っ向から戦える英雄になりたいんだ!)

 

 迷いを捨てたベルの手に眩い光の粒子が収束し、ベルウェスタが再び確かな実体を持って顕現する。

 

「今ここで僕は証明する……ソラが僕に向けてくれた信頼が、絶対に間違いじゃなかったってことを!!」

 

 薄暗い通路を震わせるほどの力強い声で、ベルは堂々と己の運命へと宣言した。

 眼前の獲物が恐怖に屈するどころか、これまでにない底知れぬ覇気を纏って立ち上がった事実を悟り、ハートレスのミノタウロスは本能的な脅威を感じ取って咆哮を轟かせる。

 ただ怯え逃げ惑う過去の自分への決別。ベルの心が真の覚醒を迎え、強大な闇の恐怖へと正面から立ち向かう運命の時が来たのだった。




謎の声の正体に関しては近いうちに判明する予定です。
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