キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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前話の話でマスターキーパーよりもリューを心配する感想が多かったですね。
リュー関連が出るのが大分先になりますが頑張って進めていくのでお楽しみください


第46話 闇を切り裂く英雄の光

 薄暗い迷宮の通路を、アイズとティオナは9階層へと向かって全速力で駆け抜けていた。

 ベルを救うため、焦燥に駆られる二人の行く手を阻むように、突如として暗がりから殺意を孕んだ無数の凶刃が飛来した。

 

「アイズ!」

 

 ティオナが咄嗟にウルガを盾にして弾き落としたのは、クナイだった。甲高い金属音が通路に響き渡り、火花が散る。

 歩みを止めた二人の前に、空間が陽炎のように歪み、ノーバディたちが音もなく這い出るように姿を現した。

 その内訳は、ニンジャが数体。そして、純白の細身の鎧を纏うチューナーが数体であった。チューナーたちの頭部には目も口もないのっぺりとした無機質な兜を被っており、両手には刃の代わりに、銀色に光る巨大な音叉を双剣のようにだらりと提げていた。

 立ちはだかるノーバディの群れに対し、アイズは即座にデスペレートを構えて詠唱を紡ぐ。

 

「テンペスト」

 

 アイズの周囲に高密度の風が巻き起こり、剣と身体に強力な風の装甲が付与されようとしたその瞬間だった。

 複数体のチューナーたちが一斉に、両手に持つ巨大な音叉同士を激しくぶつけ合わせたのだ。

 キィィィィンッという、脳の髄を直接削り取るようなおぞましい共鳴音が通路に鳴り響く。重なり合った目に見えない波動がアイズの身体を通り抜けた直後、彼女を包み込もうとしていた風の魔力が不可解なノイズと共に霧散し、完全に掻き消されてしまった。

 

「……風が、消えた?」

「アイズの魔法が無効化された!?」

 

 驚愕するアイズとティオナを追撃すべく、今度は数体のニンジャたちは空中でブレたかと思うと、それぞれが瞬く間に5体の分身を作り出し、通路の全方位からアイズたちを完全に包囲して一斉にクナイの豪雨を降らせてくる。

 

「あぁあもうっ!鬱陶しい!」

 

 ティオナが怒号と共にウルガを荒々しく振り回し、暴風を生み出してクナイの雨と分身たちをまとめて外側へと薙ぎ払う。だが、ニンジャのたちはアクロバティックな動きでティオナの死角を突き、一斉に迷宮の天井へと張り付くように跳躍していた。

 傷ついた獲物を仕留めるべく、空中で身体を限界まで海老反りのような不自然な姿勢に曲げると、その全身から青白い稲妻をバチバチと発生させ、広範囲に及ぶ強烈な放電攻撃を滝のように降らせたのだ。

 

「きゃあっ!」

「くっ……!」

 

 逃げ場のない通路全体を覆う雷撃の網を躱しきれず、アイズとティオナの身体に強烈な痺れと灼き切れるような痛みが走る。冒険者としての強靭な肉体が、一時的に麻痺を引き起こして硬直した。

 その決定的な隙を見逃さず、今度はチューナーたちが滑るような足取りで一斉に距離を詰め、巨大な音叉を鈍器のように振り回してアイズへと襲い掛かった。魔法を封じられたアイズは、純粋な剣技のみで四方から押し寄せる重い音叉の連撃を受け流すことを余儀なくされる。

 デスペレートと音叉が激突する度に、手首の骨が軋むほどの重い反動と同時に、特殊な振動と不快な音波が発生した。その不可視の波紋はアイズの三半規管を激しく揺さぶり、視界を歪ませて平衡感覚を容赦なく狂わせていく。

 魔法を無効化する白きチューナーたちと、分身と雷撃で死角から翻弄する黒きニンジャたちの連携。

 未知の連携と初見殺しの能力に対し、第一級冒険者である二人は思わぬ苦戦を強いられていた。

 

「アイズ!あいつら、ベルのところに行かせないつもりだよ!」

「……させない。絶対に、通る」

 

 アイズの金色の瞳に、烈火のごとき闘志が宿る。

 魔法が使えず、視界が揺らいでいるのなら、純粋なステータスと極限まで研ぎ澄ませた剣術の冴えだけで斬り伏せるまで。

 アイズはチューナーたちが放つ音波攻撃の発生源を本能で読み切り、ステップで網の目のように重なる音波を紙一重で回避していく。相手たちが次の打撃へと体勢を立て直すよりも早く、最も近くにいた個体の懐へと深く潜り込むと、デスペレートの神速の連撃を無機質な兜の中心へと正確に叩き込んだ。

 硬質な兜が真ん中から次々と両断されて砕け散り、チューナーたちの身体が白い煙となって完全に消滅していく。

 

「これで五月蝿い音はおしまいッ!」

 

 魔法封じの呪縛が消え去った瞬間、痺れから回復したティオナがウルガを大上段から力任せに振り下ろし、着地を狙って再び放電を準備していたニンジャの本体たちを一網打尽にせんと、迷宮の分厚い床ごと盛大に粉砕した。

 激戦の末、ノーバディの群れを完全に沈めたアイズとティオナは、息をつく暇もなく再び迷宮の奥へと駆け出した。

 

 アイズとティオナが暗い通路を一直線に駆け抜ける。やがて、冷たい迷宮の空気を通して、前方の空間から尋常ならざる死闘の気配が鼓膜を打ちはじめた。

 重く鈍い金属の衝突音、空気を切り裂くような爆発音、そして硬い岩盤が砕け散って瓦礫が飛び交う轟音が響く。

 アイズの金色の瞳が、剣士としての極限の鋭さを増していく。あの心優しい白髪の少年を、凶悪なハートレス・ミノタウロスの手から救い出す準備は完全に整っていた。だが同時に、アイズの胸中には微かな驚愕が広がっていた。これだけ長い時間、凄惨な戦闘音が途切れることなく続いているということは、ベルがあのハートレス・ミノタウロス相手に生き延びているという確たる証明に他ならなかったからだ。

 すぐに音の発生源である広大な空間へと飛び込んだアイズとティオナは、眼前に展開された常軌を逸した光景に、限界まで目を見開いた。

 そこには確かにハートレス・ミノタウロスが立っていた。だが、それは彼女が過去に幾度も屠ってきた通常の個体とは、あらゆる要素が異なっていた。周囲の光を喰らうような漆黒の巨躯。分厚い装甲のように隆起した赤紫色の筋肉。全身から立ち上る、粘着質で禍々しい闇のオーラ。その底知れぬ暗さと気配は闇派閥(イヴィルス)や深層のモンスターすらも連想させるほどに異質であった。

 そして、その圧倒的な死の質量の前に、ベルが一人で立っていたのだ。

 軽装備の衣服は斬撃と爆風によってズタボロに引き裂かれ、細い身体は血と煤に塗れている。その痛々しい姿を視界に収めた瞬間、アイズは反射的に愛剣を抜き放ち、両者の間に割って入ろうと床を蹴りかけた。

 だが、ベルの目を正面から捉えた瞬間……彼女の足は、迷宮の石畳に縫い付けられたようにピタリと止まった。

 死の淵に立たされているはずのベルの瞳には、恐怖も絶望もなく、ただ純粋で絶対的な決意の炎がごうごうと燃え盛っていたのだ。どれほど圧倒的な質量差や戦力差という絶望的な不利を突きつけられようとも、自らの足で、自らの刃で、目の前の巨大な障害を乗り越えようとする本物の戦士の目。誰かに助けを乞うような軟弱な光など、微塵も存在しなかった。

 彼は今、誰の庇護も受けず、己の心を懸けた真の冒険をしているのだ。

 

 そのひたむきな背中を見つめたまま、ティオナがぽつりと呟いた。

 

「アルゴノゥト……」

 

 直後、二人の頭上から爆発音のような凄まじい轟音が鳴り響いた。

 迷宮の分厚い天井が突如として崩落し、粉々になった岩盤と土煙と共に、上層から複数の影が落ちてくる。それは罠によって床を抜かれ、下の階層へと叩き落とされたフィンたちであった。

 無事に着地をキメた彼らが顔を上げるよりも早く、アイズとティオナの眼前に、あの黒コートの男――ダルザクスが音もなく立ちはだかった。

 

「……ッ!」

「もうっ!」

 

 アイズがデスペレートを、ティオナがウルガを即座に構え直し、殺気を放つ。

 だが、二人が斬り込むよりも一瞬早く、崩落した天井の穴から、レフィーヤの切羽詰まった叫び声が木霊した。

 

「フュゼレイド・ファラーリカッ!!」

 

 上層から合流してきたレフィーヤの魔法が発動する。炎の矢の雨が無数に出現し、ベルを追い詰める漆黒のハートレス・ミノタウロスめがけて一斉に放出された。

 しかし、その炎がハートレス・ミノタウロスに届くことはなかった。

 ダルザクスの傍らに控えていたチューナーが、両手の巨大な音叉を激しくぶつけ合わせたのだ。キィンッという甲高い音波が空間に広がった瞬間、猛烈な勢いで迫っていた炎の矢の雨が、嘘のように掻き消され無効化されてしまった。

 

「嘘……!?」

 

 遅れて広間へと飛び込んできたレフィーヤが、自身の最大魔法をいとも容易く打ち消された光景に絶句する。

 その様子を横目で見ながら、ダルザクスは短く呟いた。

 

「勇者が来たか」

 

 それは誰に向けた言葉だったのか。ダルザクスが背後に手を翳すと、虚空が歪んで闇の回廊が開いた。彼はそのまま迷宮の闇に溶け込むようにして、姿を消す。

 だが、ダルザクスが消え去ると同時に、今度は広間の空間を埋め尽くすようにサムライ、ドラグーン、ソーサラー。そしてその中央には、全身を鋭利な刃で構成されたアサシンが陣取っている。彼らはベルへの加勢を絶対に許さないというように、強固な防衛陣を敷きアイズたちの前に立ちはだかった。

 

 その光景を見据え、体勢を立て直したフィンが静かに呟く。

 

「この戦いを見届けろということか。ザルド……いや、ダルザクス」

「どいてください、アイズさん!」

 

 レフィーヤが叫び、手元に眩い光と共にキーブレードを出現させて構える。

 だが、その前に細い腕がスッと差し出された。

 

「だめ、レフィーヤ」

「アイズさん!?でもこのままだとベルが……!」

「ベル様……ッ」

 

 アイズの静止にレフィーヤが悲痛な声を上げ、その後方では、リヴェリアの回復魔法を受けてどうにか動けるようになったリリが、祈るように両手を組んでひどく心配そうに呟いた。

 モンスターに蹂躙されかねないベルの命を今すぐにでも助けに入らなければ、あの小さな背中は呆気なく潰されてしまうかもしれない。誰もがそう思って武器を握り直す。

 だが、アイズだけはデスペレートの切っ先を下げ、振り返ることなく、揺るぎない声で短く告げた。

 

「ダメ。あの子は今、冒険をしている」

 

 それは、一人の冒険者が己の殻を破ろうとする神聖な儀式に対する最大限の敬意であり、誰一人としてこの死闘への介入は許さないという、アイズとしての絶対的な宣言であった。

 

 

 

 

 ソラは上層へと続く階段を駆け上がり、ついに目的の広間へと到達。

 視界に飛び込んできたのは、漆黒のハートレス・ミノタウロスと、満身創痍になりながらもたった一人で立ち向かっているベルの姿だった。

 

「ベル!」

 

 ソラは迷うことなくキーブレードを握り直し、二人の死闘に割って入ろうと地を蹴った。

 だが、そのソラの行く手を遮るように、突如として空間が歪み、闇の回廊からダルザクスが立ちはだかった。

 

「今度はなんだよ……!」

 

 つい先ほど、オッタルとの激しい死闘を終えたばかりのソラは、次々と現れる障害に辟易とした声を漏らす。

 ダルザクスはソラを見下ろしながら静かに名乗った。

 

「俺の名はダルザクス」

 

 その顔と、彼から放たれる気配にソラはハッと息を呑む。そして次の瞬間、激しい怒りを露わにした。

 

「お前が……ベルに変なこと言ったやつだな!お前のせいでベルは傷ついたんだぞ!そこをどけ!俺はベルを!」

 

 キーブレードを構えて強行突破しようとするソラに対し、ダルザクスは武器を抜くこともなく、ただ冷徹な視線を向けた。

 

「お前の友は、お前の助けがなければ戦えない臆病者か?お前は、ベルを信じきれないのか?」

 

 その静かな、しかし確かな重みを持つ問いかけに、ソラは激昂して声を荒らげる。

 

「そんなわけないだろ!」

「ならばあれを見ろ。あの子の心は、過去の記憶に怯えているように見えるか?」

 

 ダルザクスが顎でしゃくった先では、ベルが血まみれになりながらも、決して闘志の炎を絶やすことなく巨大なハートレス・ミノタウロスへと刃を向けていた。

 

「違うだろ。あの子は今、自分自身の闇を乗り越え食らいつこうとしている。ならば、友としてお前がやるべきことはあるだろう」

 

 その言葉に、ソラはハッとさせられた。

 怒りに任せて構えていたキーブレードの切っ先が、ゆっくりと下がる。ダルザクスの言う通りだった。今のベルから伝わってくるのは、絶望や諦めではない。己の心の奥底に巣食う恐怖という名の闇と真っ向から戦い、打ち勝とうとする強靭な光の意志。心を感じ取る力に長けたソラが、それに気づかないはずがなかった。

 とはいえ、だからといってこのまま完全に傍観者を気取るわけにはいかない。ソラは鋭い視線をダルザクスへと向け直し、力強く宣言した。

 

「……もしベルがダメになりそうだったら、俺はお前を倒して絶対にベルを助けるからな」

「好きにしろ」

 

 ダルザクスは短く返し、口元に微かな笑みを浮かべて道を譲るように立ち尽くした。

 ソラは空いている手に力強く拳を握り込み、親友の背中へ向けて、広間中に響き渡るほどの大きな声で叫んだ。

 

「頑張れええええッ!ベルううううううッ!」

 

 

 

 その言葉が広間に響いた直後、ベルとハートレス・ミノタウロスが同時に鼓膜を裂くような雄叫びを上げ、正面から激突した。

 巨大な質量が空気を押し潰すような重低音と共に、ハートレス・ミノタウロスが分厚い大剣による凶悪な横薙ぎを繰り出す。壁を背にしたベルには、横へ逃げるためのスペースは完全に残されていなかった。だが、ベルは怯むことなく、ディフェンダーを左腕に鋭く顕現させた。

 大剣の強烈な一撃を盾の表面で真っ向から受け止める。ガキィィンッと激しい金属音が轟き、凄まじい衝撃波が周囲に吹き荒れた。ベルはその圧力を利用して後方へと鮮やかにバックジャンプし、着地の勢いのまま左腕の盾をハートレス・ミノタウロスの顔面めがけて力任せに投擲した。回転しながら飛び去った盾がハートレス・ミノタウロスの鼻面を強打し、その巨体を大きくよろめかせる。

 生じた一瞬の隙を逃さず、ベルは右手の『ヘスティア・ナイフ』を構えて神速の敏捷性で再び距離を詰めた。態勢を立て直そうとするハートレス・ミノタウロスの懐へと滑り込み、左手をその胸元へと突き出す。

 

「燃えろ!」

 

 速攻の火炎魔法が至近距離で爆発的な純白の炎が炸裂し、ハートレス・ミノタウロスの漆黒の肉体を激しく灼き焦がした。しかしベルの猛攻はこれだけでは終わらない。突き出した左手をすぐさま翻し、今度は頭上へと掲げる。

 

「雷よ!」

 

 間髪入れずに放たれた紫電の追撃。ハートレス・ミノタウロスの脳天に鋭い雷撃が落ち、その巨体を激しく麻痺させて動きを完全に止めさせた。硬直したハートレス・ミノタウロスの死角へと滑り込むようにサイドステップを踏みながら、ベルはさらにヘスティアナイフから瞬時にベルウェスタに変化させて刀身に光を宿らせて真横へと一閃する。

 

「はぁああ!」

 

 光の刃が闇の装甲を深く切り裂き、激しい火花を散らす。炎、雷、光と流れるような三連連続の魔法の波状攻撃が、ハートレス・ミノタウロスの肉体を確実に苛んでいく。

 巨獣が狂ったように反撃の裏拳を放つ寸前、ベルはバックジャンプで間合いを切りながら、腰のホルダーから引き抜いた投げナイフを矢のような速度で連続投擲した。狙いはハートレス・ミノタウロスの剥き出しの両眼。鋭い風切り音を立てて飛んだ刃に対し、ハートレス・ミノタウロスは反射的に太い腕を盾のように掲げ、金属音を響かせてこれを弾き落とす。しかし、紙一重で腕をすり抜けた最後の一振りが、ハートレス・ミノタウロスの右目を深く掠め去った。

 右目からどす黒い血を吹き出し、ハートレス・ミノタウロスが苦悶に満ちた声で顔面を押さえる。獲物の手痛い一撃に激昂し、血を吐くような咆哮を上げて猛然とベルを追いかけはじめた。

 ベルが放った覇気に応えるように、ハートレスのハートレス・ミノタウロスの全身を包む漆黒の靄が、さらなる濃度を増して蠢き始めた。これまでのようなただのオーラではない。それは、ダンジョンの天井からわずかに差し込む燐光さえも拒絶するような、どす黒い粘性を帯びた『闇』そのものへと変貌していった。

 ハートレス・ミノタウロスは黄色い瞳を凶悪に細めると、巌のような巨躯を、足元の石畳に広がる自身の影へと、滑り込むように沈ませた。

 物理法則を無視し、まるで水面に沈むかのように、巨獣の身体は音もなく、あっけなく闇に飲み込まれていく。後には、ただ蠢く不気味な黒い染みだけが石畳に残された。

 ベルは息を呑み、ナイフを正眼に構えたまま、周囲のあらゆる影へと全神経を集中させる。

 一瞬の静寂。

 直後、ベルの足元の影が、生き物のようにのたうち、凄まじい速度でダンジョンの壁面へと這い上がった。影は壁を伝い、さらに天井へと達すると、巨大な鍾乳石の影に紛れ、その不気味な気配を完全に消失させる。

 

「どこ……!?」

 

 ベルが天井を見上げた、その瞬間だった。

 真上の鍾乳石の影が、爆発するように膨れ上がる。闇の中から、ハートレス・ミノタウロスの獰猛な唸り声と共に、漆黒の大剣を先頭にした巨躯が、重力から解き放たれたかのように飛び出した。

 真上からの、完全な死角。

 だが、今のベルの瞳に、諦めの色は微塵もなかった。

 

「――っ!」

 

 ベルは、アイズから受け継いだ神速の脚力に、心の中に燃え盛る覚悟の炎を注ぎ込む。

 直撃の刹那、ベルの身体は白光を帯びた残像となり、ハートレス・ミノタウロスの突進軌道から横方向へと跳躍した。

 ハートレス・ミノタウロスの放った大剣が、ベルが先ほどまでいた石畳へと根元まで深々と突き刺さり、地面を揺らす轟音と共に爆発的な衝撃波を巻き起こす。

 着地と同時に、ベルは自身の走る勢いを殺すことなく、反転。土煙を切り裂き、得物を失い体勢を崩したハートレス・ミノタウロスの懐へと、一直線に駆け抜けた。

 

「光よぉ!!」

 

 咆哮と共に、ベルの左手から放たれた純白の光の柱が、ハートレス・ミノタウロスの無防備な胸元へと正確に殺到した。

 圧倒的な質量がのけぞるのを見て、ベルはきびすを返し、背を向けて走り出した。

 一瞬、恐怖に耐えきれず逃げ出したのかとアイズは息を呑んだが、ベルの進行方向に太く巨大な鍾乳石の柱がそびえ立っているのを見て、彼の真の意図に気づき目を見開いた。

 光の魔法から体勢を立て直したハートレス・ミノタウロスが怒れる戦車のように追いつき、大剣を引き抜いてベルの背中を両断せんと振りかぶった瞬間。ベルは逃げるのをやめ、鍾乳石の柱へと両手で力強く飛びついた。自由になった左腕に再びディフェンダーを顕現させ、柱の表面に叩きつけるようにして軸を作る。自身の走ってきた猛スピードの慣性と、柱を支点とした遠心力を完璧に利用し、柱の周りをグルリと高速で半回転したのだ。

 必殺の一撃を空振りに終わらされ、視界から突如として消えた獲物の奇妙な立体軌道を目で追おうと、ハートレス・ミノタウロスは一瞬だけその鈍重な動きを止めてしまった。

 スピードを絶対の武器とするベルを相手に、足を止めること。それは戦場において致命的すぎるミスであった。

 ベルは遠心力によって生み出された推進力を乗せたまま、柱を強く蹴ってハートレス・ミノタウロスの頭上斜め後方へと舞い戻る。その瞬間、ベルの胸中で一つの光の力が激しく共鳴し、ベルがヘスティア・ナイフを天へと掲げると、眩い光の粒子と共にベルはイグニスストライカーに変化しベルウェスタに変化し眩い光の衣を纏った。周囲に蠢く燃え盛る白炎が、そのキーブレードの先端へと渦を巻いて極限まで圧縮されていく。

 ベルは自身が一条の炎の彗星と化し、超高速の突進速度をもってハートレス・ミノタウロスの懐へと真っ直ぐに飛び込んだ。完全に反応が遅れたハートレス・ミノタウロスの胸板めがけ、先端に炎を溜め込んだ刃を渾身の力で叩き打つ。

 直後、極限まで圧縮されていた炎が一気に解放され、広間全体を包み込むようなドーム状の巨大な大爆発を引き起こした。

 凄まじい轟音と熱波が荒れ狂い、通路の岩盤がメキメキと抉り取られていく。

 

「視界の半分を物理的に奪い、あのドーム状の爆発で大ダメージを与えれば、ただでさえスピードで劣るハートレス・ミノタウロス相手の戦況は、さらに彼に傾く……」

 

 圧倒的な質量差を機動力と魔法の連撃、そしてスタイルで相殺するベルの姿に、フィンが戦況を冷静に分析し、感嘆に目を細めて呟く。

 

「待て……よく見れば……」

「気づいたか、リヴェリア」

 

 フィンの言葉に、リヴェリアも目を細めて追従した。激しく燃え上がる炎と大爆発の残光に照らされ、ハートレス・ミノタウロスの漆黒の肉体に刻まれた『痕跡』が明確に浮かび上がっていたのだ。そこには、今の一連の攻防だけでなく、彼らが到着する以前から刻み込まれ続けたであろう、無数の小さな斬撃の傷がびっしりと走っていた。一つ一つの傷は小さく浅いかもしれないが、そのダメージは確実に巨獣の体力を削り、蓄積されている。

 

「……あいつ、俺たちが来るまでのこの死闘の間に、あれだけの数を当ててたのか……!?」

 

 ベートが愕然とし、信じられないというように呟いた。

 大爆発の土煙の中から、なおも執念で立ち上がったハートレス・ミノタウロスが全身から爆発的な闇のオーラを放ち、無数の高密度の誘導弾を中空へと射出した。

 

「なに、あの魔法!?」

 

 ティオナが迷宮の常識を覆すハートレス・ミノタウロスの行動に叫ぶ。

 

「あのハートレス・ミノタウロス……!前の怪物祭(モンスターフィリア)で私たちが戦った、食人花と同じ!?」

 

 ティオネが、過去の戦いと眼前の敵の挙動を照らし合わせてその特異性に気づく。

 だが、回避困難な全方位からの誘導弾を前にしても、ベルは一歩も怯むことなく、確固たる意志で両手を前へと突き出した。

 

「炎よ!雷よ!光よ!」

 

 極限の集中力による限界を超えた連続詠唱。機関銃のごとく連射された三つの属性の魔法が、迫り来る漆黒の闇の弾丸へと次々に衝突し、広間の空気を震わせる大爆発を連続して引き起こす。さらにベルは立ち込める煙を切り裂くように再び地を這う速度で突進し、ハートレス・ミノタウロスの足元へ掌を向けた。

 

「雷よ!」

 

 二度目の電撃がハートレス・ミノタウロスの膝元で炸裂し、その巨躯を再び激しくよろめかせる。

 

「……とてもじゃないが、ベル・クラネルの手に負える次元の戦いじゃない。それなのに……!」

 

 フィンは、小柄なベルがハートレス・ミノタウロスと真っ向から渡り合う姿から一秒たりとも目が離せなかった。握りしめた槍の柄の上で、彼の親指が武者震いのように激しく震えている。

 

(これほどまでの勇気が、僕の魂、いや心を震わせる……!)

 

「はあぁああ!!」

 

 連続爆発によって生じた濃密な土煙を警戒し、ベルは即座に動きを止めて気配を探る。直後、煙の奥から空気を裂く金属音が聞こえ、ベルは反射的に身を低くして横へと鋭く回避した。投擲された大剣が、自分の背後にそびえる硬い岩壁に深々と突き刺さる音を予想し、ベルは素早く振り返った。

 だが驚いたことに、空振りしたはずの漆黒の大剣は、自ら濃密な闇のオーラを噴出させながら空中で不自然に方向転換し、まるで意思を持っているかのようにベルの背中めがけて逆走してきた。

 

 (空中で軌道を、方向を変えられる……!?)

 

 ミノタウルスの大剣にベルは再び横へと跳び退き回避するが、通り過ぎた大剣はブーメランのように弧を描き、三度彼へと向かってきた。回避しきれないと悟ったベルは、迫り来る巨大な刃に向けて左手をかざした。

 

「光よ!」

 

 至近距離で放たれた光の柱が、大剣の側面に直撃する。大剣に対して放たれた眩い光は、剣に纏わりついていた闇のオーラを火に焼かれた紙のように激しく消滅させ、その推進力を奪って大きくよろめかせた。光の属性が、大剣を操る闇の魔導の構造そのものを内側から焼き払っているのだ。

 それでも慣性によって止まらない剣に対し、ベルは強靭な脚力で剣の上を飛び越えるように跳躍し、眼下を通り過ぎる刃に向けて再び掌を向けた。

 

「炎よ!」

 

 真上から叩きつけるように放たれた白い炎が、剣に宿る残った闇の力を完全に焼き尽くした。コントロールを失った大剣は、ただの重い鉄の塊となってガランッと乾いた音を立てて地面に転がった。

 最大の脅威を無力化したベルは、すぐに着地して煙の向こうのハートレス・ミノタウロスの位置を確認しようとしたが、視界のどこにもあの巨体が存在しない。

 

「ハートレス・ミノタウロスはどこに……!?」

 

 ベルが焦燥に駆られて声を上げたその直後、ベルの頭上の空間が歪み、どす黒い闇が形成された。ベルが殺気に気づいて見上げると、空間転移によってそこからハートレス・ミノタウロスの巨体が実体化し、地面に落ちていた大剣を闇の磁力で手元へと強引に引き寄せ、そのまま落下による質量攻撃の態勢に入っていたのだ。

 完全な死角からの強襲。ベルは全力を振り絞って後方へと大きく飛び退きながら、左腕にディフェンダーを再び展開した。

 

「雷よ!」

 

 空中の敵を迎撃しようと電撃を放ったが、落下エネルギーと大剣の重みを乗せたハートレス・ミノタウロスは紫電の矢を強引に突き破り、そのまま迷宮の岩盤へと大剣を深々と突き刺した。

 ドゴォォォンッ!という轟音と共に、大地を砕く強烈な衝撃波がすり鉢状に発生し、盾を構えていたものの防ぎきれなかったベルの身体を木の葉のように吹き飛ばして壁へと激しく叩きつけた。ベルは肺の空気を根こそぎ吐き出して地面に崩れ落ち、血の混じった咳を吐き出した。

 

 防具である軽装鎧も激突の衝撃に耐えきれず、ひび割れてボロボロと崩れ落ちていく。

 文字通り丸腰となり、全身の骨が軋むほどの痛みに苛まれながらも、ベルはよろめきながら片膝をついてゆっくりと立ち上がった。

 

「ベル様……!」

 

 その痛々しい姿に、リリが祈るように囁く。

 

「っち!」

 

 ベートは苛立ちを隠すように舌打ちをした。駆け出しの冒険者であれば、ハートレス・ミノタウロスと対峙した瞬間に恐怖で腰を抜かすか、一目散に逃げ出す場面だ。だが、ベルは、絶望的な状況でも一歩も引かずに頭を使い、戦い続けている。普通のハートレス・ミノタウロスであれば、先ほどの連携で確実に首を落としていただろう。だが、空間転移や魔法まで使いこなすこの異常個体は、どう考えてもベルの手に負える領域の相手ではない。ここまで格上を追い詰めたという事実だけでも賞賛されるに値する戦果だ。

 アイズは強く拳を握り締めた。剣を抜き、今すぐにでもベルの前に立ち塞がって介入したいという強い衝動に駆られる。だが、彼女は血まみれで立ち上がったベルの『顔』を見て、再びその思いを心の奥底へと留めた。

 

 ベルの顔には、死への恐怖も、力の差に対する絶望も、己の選択への迷いも、敗北すらも全く存在していなかった。「自分の戦いはまだ終わっていない」と雄弁に語る、絶対的な意志の光。彼の中には、この理不尽なハートレス・ミノタウロスを打ち倒すための、未だ切っていない『最後の手札』が残されているのだ。

 ベルはゆっくりと立ち上がり、白髪の前髪が瞳を隠したままの状態で、これまで命綱として振るい続けていた『ヘスティア・ナイフ』を、あろうことか静かに鞘へと納めた。腰を深く落とし、左手を鞘に、右手をその柄へと添える。

 

「何を……?」

 

 唯一の武器を仕舞うという自殺行為に等しい動作に、アイズが困惑の声を漏らす。

 ベルが柄を握る手に全神経を集中させ、精神力(マインド)に意識を移す。神聖文字(ヒエログリス)が刻まれたヘスティアナイフが鞘の中で激しく共鳴を始め、眩い光の粒子と共にキーブレード――『ベルウェスタ』へと姿を変えた。

 その刀身へ、これまでに彼が放ってきた炎、雷、そして光の魔力の奔流が一気に高密度に収束していく。三つの属性が渾然一体となり、周囲の空間を焦がすほどの圧倒的な熱量と、眩いばかりの神聖な輝きを放ち始めた。

 その凄まじい威圧感に呼応するように、ハートレス・ミノタウロスもまた、眼前の獲物が放つ最大級の脅威を本能的に察知した。ハートレス・ミノタウロスは血を吐くような雄叫びを上げ、残された全力を超える闇の魔力を爆発させる。その手にした漆黒の大剣の刀身へ、周囲の光すらも吸い尽くすほどのドス黒い闇の力を猛烈な勢いで収束、収縮させ始めたのだ。

 完全に限界を突破した光と闇のエネルギーが真っ向から対峙し、広間の空気がバチバチと激しく震える。

 ハートレス・ミノタウロスは本能的な死の恐怖を打ち消すように、闇の力を極限まで収縮させた必殺の大剣をベルめがけて全力で振り下ろした。巨大な刃がベルの頭部をターゲットとし、その絶対的な破壊の軌道を突き進む、まさにその刹那――。

 ベルは、極限まで高めた炎と雷、そして光の力を宿したキーブレードを、全力で振り下ろした。

 

「はぁあああああッ!!」

 

 ベルの咆哮と共に放たれた一閃は、闇の力を収縮させて迫り来たハートレス・ミノタウロスの漆黒の大剣をその刃元から綺麗に両断し、そのままハートレス・ミノタウロスの強靭な肉体を左肩から右脇腹にかけて、空間ごと一文字に真っ二つへと切り裂いた。

 刃が走り抜けた次の瞬間、イグニスストライカーの時をも遥かに凌駕する、白炎と聖光による巨大な大爆発が引き起こされた。

 一瞬の静寂の後、両断された傷口から、これまで蓄積されていた炎と雷、そして光のエネルギーが間欠泉のように爆発的に噴き出し、ドーム状の破壊の奔流となって周囲一帯の空間を激しく吹き飛ばしたのだ。痛覚を麻痺させているはずのハートレス・ミノタウロスが、自身の細胞を内側から完全に焼き尽くされる致命の光に包まれ、天を仰いで絶叫する。

 体内に直接撃ち込まれた三つの魔力の奔流と、空間を消し飛ばす巨大なドーム状の大爆発により、ハートレス・ミノタウロスの巨体は内部から完全に崩壊した。

 轟音と共に熱波が広間を吹き荒れる。

 やがて、浄化の炎が迷宮の空気に溶けて消え去ると、そこには完全に黒焦げになり、プスプスと嫌な煙を上げるハートレス・ミノタウロスの巨体だけが、彫像のように直立していた。

 直後、その炭化したハートレス・ミノタウロスの肉体は、直立したままサラサラと音を立てて灰となって崩れ落ち、ダンジョンの床には、通常の魔石よりも深い闇を湛えた黒い魔石と、折れた金色の角だけが虚しく残された。

 

 しかし、死闘の終わりを告げる静寂はすぐに打ち破られた。

 ハートレス・ミノタウロスを倒し、魔力も体力も使い果たして膝をつくベル。その無防備な背中を狙って、広間の暗がりから無数のシャドウやソルジャーといった下級のハートレスの群れが、湧き出るように出現して襲い掛かってきたのだ。

 

「ベル様ッ!」

 

 リリが悲鳴のような叫び声を上げ、ベルの元へと全速力で駆け出す。

 だが、その群れがベルに群がるよりも早く、二つの影が動いた。

 駆けつけたソラのキーブレードが一閃しハートレスの群れを次々と両断していく。さらに、ダルザクスが背後から放ったマスターキーパーの一振りにより、残っていたハートレスたちも一瞬にしてチリと化して消え去った。

 アイズやフィンたちが介入する間もなく、ソラとダルザクスの二人によって、ベルを狙った脅威は完全に一層されたのだ。

 リリが駆け寄る中、ベルは力なく倒れ込もうとし、それをソラがしっかりと両腕で受け止める。

 

「やったよ……ソラっ……」

 

 虚ろな瞳で空を見上げながら、ベルが弱々しい声で呟く。

 

「あぁ、見ていたよベル。本当によく頑張ったな」

 

 ソラは泥と血にまみれた親友を抱きかかえ、その努力を心から労った。

 そこに歩み寄ってきたダルザクスが、黒い手袋に包まれた大きな手で、ベルの白髪の頭を乱暴に、だがどこか優しく撫でた。

 

「よく食らいついた」

「ダルザクス……さん……」

 

 ベルが薄れゆく意識の中で名前を呟く。その様子を見ていたリリは、突然現れてベルを撫でるこの黒コートの男に警戒心を抱き、内心で(誰ですかこの人……)と疑問符を浮かべていた。

 その時だった。

 限界を迎えて意識を手放したベルの胸元から、突如として眩い光が溢れ出したのだ。

 その光は一直線のに迷宮の空間を走り、硬い岩壁の一角へと真っ直ぐに突き刺さった。光が収束した壁面に、巨大で神秘的な『鍵穴』の紋様が浮かび上がる。

 

「鍵穴だ!」

 

 ソラがベルをリリに預け、即座にキーブレードを構え直して叫んだ。

 

「あれが、鍵穴……」

 

 フィンたちが壁に現れた鍵穴を見つめて息を呑む。

 ソラはキーブレードの先端を鍵穴へと真っ直ぐに向けた。剣の先から一直線に放たれた一条の光が鍵穴へと吸い込まれると、ガチャンッという重厚な錠が降りる音が広間に響き渡り、鍵穴は眩い光と共に壁から完全に消失した。

 

 

 

 

 同じ頃、地上にあるギルドの地下深く、祈りの間。

 ウラノスは、迷宮の奥底から伝わってきた微かな、しかし確かな光の脈動を感じ取り、静かに瞳を開いた。

 

「……ようやく見つけたか、ソラ」

 

 松明の炎に照らされたウラノスの顔に、安堵の入り交じった微かな微笑みが浮かんでいた。

 

 

 一方、ダンジョンでは安堵する暇は与えられなかった。

 鍵穴が閉じた直後、広間の中央の空間が不自然に歪み、そこからオッタルが姿を現したのだ。

 

「またお前か!」

 

 ソラは即座にキーブレードを構え、オッタルへと敵意を向ける。

 しかし、オッタルの視線はソラではなく、その傍らに立つダルザクスへと向けられていた。

 

「久しぶりだな、ザルド」

 

 オッタルが、まるで再会を楽しんでいるかのような、彼にしては珍しい感情の乗った声で呟く。かつて己が討ち取ったはずの相手との再会に、武人としての血が騒いでいるのは明らかだった。

 だが、ダルザクスの口から返ってきた言葉は、オッタルの期待を完全に裏切るものだった。

 

「……誰だ、お前?」

 

 心底不思議そうな、そして面倒くさそうなダルザクスの一言。

 その予想外の返答に、オッタルの思考は完全に停止した。

 無理もない。かつて文字通り命を懸けて殺し合い、そして己が確実に殺したはずの相手が蘇るという事態自体がありえないことである上に、その相手から完全に忘れ去られているなど、オッタルからすれば最大の屈辱以外の何物でもなかったからだ。

 オッタルの巨躯から、先ほどのソラとの死闘の時以上の、どす黒い怒りと闇のオーラが爆発的に膨れ上がる。彼は手にした『覇黒の剣』に濃密な闇を纏わせ、ダルザクスへと殺気を向けた。

 その一触即発の空気を裂くように、鋭い鞭がオッタルめがけて飛来した。シャクティの放った一撃だ。

 だが、ダルザクスは面倒そうに身を躱して鞭を避け、オッタルは覇黒の剣で鞭を容易く弾き返した。

 

「オッタル!何故、ソラを襲ったッ!」

 

 シャクティが鞭を引き戻しながら、激昂してオッタルを睨みつける。

 オッタルは一瞬沈黙した。主神であるフレイヤの名をここで出すわけにはいかない。

 

「俺の独断だ」

 

 短く答えるオッタルに対し、ダルザクスが横から口を挟んだ。

 

「ベルのためでもあるんだろう?」

 

 その言葉に、シャクティをはじめとする周囲の者たちが「えっ?」と疑問符を浮かべる。

 

「どういうことか、説明してもらおうかオッタル」

 

 フィンが鋭い視線を向ける中、ダルザクスが代わりに淡々と語り始めた。

 

「このオッタルと言った男は、多分だが、うちのザリファと同じなんだ。ベルが大切で、ベルに死んでほしくない。だから、ベルが自立して成長するための『試練』として、邪魔となるソラを襲って足止めし、ベル自身の力でトラウマを乗り越えさせようとした。……違うか、オッタル?」

 

 ダルザクスの推測は、オッタルにとっては完全に見当違いなものであった。彼はただフレイヤの命に従っただけであり、ベルに対する個人的な保護欲など持ち合わせてはいない。

 しかし、ここでフレイヤの関与を疑われるなど、色々と面倒になったオッタルは、ただ短く肯定した。

 

「……そうだ」

 

 そう言って、これ以上の問答は無用とばかりに影の中へと沈み込み、姿を消そうとする。

 その時、ダルザクスが「これは礼だ、持って行け」と声をかけ、小さな黒い球体を二つオッタルに向けて軽く投げ渡した。オッタルは無言でそれを受け取ると、そのまま影の中に完全に消えていった。

 オッタルが去った後、フィンが改めてダルザクスに向き直る。

 

「改めて聞こうダルザクス。何故君はそこまでしてベル・クラネルに入れ込む?一体、君とザリファと呼んでいた人物……そして君たち『XIII機関』の目的は何だ」

 

 小人族の指揮官の鋭い追及に対し、ダルザクスは肩を竦めた。

 

「俺たち機関には、各々の目的がある。だが、そのための『過程』が重なるから、こうやって一時的に協力して活動しているだけだ」

 

 ダルザクスはソラ、そしてベルたちのほうへと視線を向ける。

 

「ソラ、お前はもう気づいているはずだが……そこに倒れているベル、隣にいるリリルカ・アーデ、アイズ・ヴァレンシュタイン。……それに、そこにいるレフィーヤ・ウィリディスは、この世界にとって大切な『光』となっている。一人でも決して、闇に奪われてはならない存在だ」

 

 その言葉に、意識を取り戻しかけていたベルが「光……?」と弱々しく疑問符を浮かべる。

 ダルザクスは「まさか気づいていないのか」と心底呆れたように大きなため息をついた。

 

「お前の知る言葉で言えば、『セブンプリンセス』や『ニュー・セブンハート』と呼ばれるものに近い。俺たちはこれを『セブンハーツ』と呼んでいる。だがセブンハーツは、セブンハートとは違い、心に闇を抱えることもあり、闇に心を支配される危険性もある不完全なものだ」

 

 ダルザクスの言葉に、ソラやフィンたちが真剣な表情で耳を傾ける。

 

「基本的にそれらは『突然目覚める』ものだと考えてくれ。……セブンハーツは、セブンプリンセスのように、このダンジョンの最奥に存在する『扉』を開くために絶対に必要な鍵となる存在だ」

 

 ダンジョンの最奥にある扉。その言葉の重みに、第一級冒険者たちでさえ息を呑んだ。

 

「そして何より……さっきのように、ダンジョン内にある『鍵穴』を唯一見つけることができる存在だ。今ので、少なくとも上層からハートレスが出現することはなくなるだろう」

 

 新たな情報の洪水に、ソラは完全に混乱していた。

 そんなソラをよそに、ダルザクスは黒コートの懐からモバイルポータルを取り出した。

 

「もう落とすなよ」

 

 ダルザクスはそれを、ベルが心配で出現したミミバニー(ミミ)へと差し出した。

 

「さっきの詳しい説明は、後でまとめて送る。それが、以前ゼムナスがアイズ・ヴァレンシュタインを守った理由だ」

 

 ダルザクスは静かにそう告げると、さらに言葉を続けた。

 

「それに、俺とザリファの個人的な目的としては、俺たちの息子の成長を見届けたいというのもある」

「ええええええええッ!?」

 

 その場にいたソラたちが、あまりの衝撃発言に一斉に大声を上げた。

 

「お、お前はベルのお父さんなのか!?」

 

 ソラがすっとんきょうな声を上げて指を差す。

 

「いや、正確には違う」

「じゃあなんだよ!」

「うーん、なんて言うべきかな。ベルとの血縁というなら、ザリファがベルのお――」

 

 ドゴォォォンッ!

 ダルザクスが言葉を言い終わるよりも早く、突然、彼の頭上に見えない衝撃が直撃した。

 圧倒的な質量を伴った見えない一撃により、ダルザクスの頭部はダンジョンの石畳に首まで深々とめり込んだ。

 

「……いい加減、会いに行けザリファ……」

 

 頭を地面に埋めたまま、ダルザクスは痛みに耐えるように呻き声を上げる。

 だが、彼はそのまま倒れることはなく、スポンッと鈍い音を立てて自力で頭を抜き、フラフラと立ち上がった。

 そして、制裁のダメージを引きずりながらも、呆然とするフィンたちに向けて鋭い視線を向ける。

 

「……フィン・ディムナ。お前たちロキ・ファミリアは近々、大規模な遠征に向かうそうだな」

 

 急な話題の転換に、フィンはこめかみを押さえながらも警戒の目を向けた。

 

「ハートレスは、ダンジョンで死んだ者の魂だけから生まれるわけじゃない。俺がノーバディとしてお前達の前に現れたように、暗黒期と呼ばれる時代で死んだ魂もまた、ハートレスとなりお前達に襲いかかるだろう」

 

 暗黒期。その言葉が意味する重い因縁に、フィンやリヴェリアたちの表情が凍りつく。

 

「闇は狡猾だ。必ずお前達の心に澱みを植え付けるようなハートレスが襲い掛かる。気をつけろよ」

 

 それだけを言い残すと、ダルザクスは足元に開いた漆黒の闇の回廊へと沈み込み、今度こそ完全に姿を消した。

 残された一同は、嵐のように過ぎ去った一連の出来事と、最後に落とされた爆弾発言、そして不吉な警告に完全に硬直していた。

 ティオナたちが情報過多に混乱する中、許容量を超える情報を叩き込まれたフィンは、ズキズキと痛むこめかみを押さえながら力なく息を吐き出した。

 

「……リヴェリア。帰ったら胃薬の準備を頼むよ」

「あぁ、同感だ……」

 

 こうして、ベルの死闘と新たなる世界の真理、XIII機関の存在と不吉な予言は、フィンたちに消えない頭痛と深い疲労を刻み込んで幕を閉じるのだった。

 

 

 

 とある鄙びた宿の薄暗い廊下。何もない空間が突如として陽炎のように歪み、漆黒の靄が渦を巻いて闇の回廊が開かれた。

 その底知れぬ闇の中から、分厚い黒コートに身を包んだダルザクスが音もなく姿を現し、古びた木製の扉の前に静かに立つ。

 ダルザクスが黒い手袋に包まれた手で控えめに扉を叩いた。

 

「入っていいぞ」

 

 その老齢な男性の声に反応し、ダルザクスは静かに扉を押し開けて室内へと足を踏み入れた。

 

「おぁ、ザル……ダルザクスか。どうしたんじゃ」

 

 机に向かっていた白髭の老人が、振り返りながら尋ねる。

 ダルザクスは無言のまま懐に手を入れると、一つの球体を取り出し、老人の目の前へと差し出した。

 

「おおっ!新しいベルの冒険か!?」

 

 球体を目にした瞬間、老人の顔に年甲斐もない興奮の色が広がり、身を乗り出してそれを受け取った。

 ダルザクスは要件は済んだとばかりに、背を向けて再び闇の回廊を開く。

 

「お前から見て、ベルはどうじゃった?」

 

 背後からの老人の問いかけに、ダルザクスは足を止め、振り返ることなく淡々と答えた。

 

「以前お前が言ってた通り才能はない。出会いに恵まれなければ、すぐに死んでもおかしくなかった。せめて冒険者として基礎的なものぐらい教えられただろ」

 

 ダルザクスの容赦のない苦言に、老人は図星を突かれたようにバツの悪そうな顔をして口ごもった。

 ダルザクスはさらに言葉を続ける。

 

「ザリファほどではないが任務の合間にあの子を見てきた。才能はなくても惚れた女と友の隣に立つべく立ち上がる姿。そして己の闇を克服した姿に……なにか妙な熱を帯びるような、なにかざわめくような奇妙な錯覚を覚えたよ」

 

 生者だった時の記憶はなく心を持たないノーバディである今のダルザクスには感情というものが理解できない。彼にとってそれは感情の起伏ではなく、ただ空っぽの器に生じた不可解な現象でしかなく、それを不器用に表現するしかなかった。

 その言葉を聞いた老人は、ふっと目を細めて優しく微笑む。

 

「それは誇りじゃ」

「そうか誇りか」

 

 老人の指摘に、ダルザクスは小さく反芻するように呟く。

 そして今度こそ振り返ることなく、彼は漆黒の闇の回廊の中へと完全に姿を消した。

 

 完全に閉じた空間を見つめながら、老人はぽつりと呟く。

 

「難儀じゃな」

 

 老人はダルザクスから受け取った球体を机の上に大事そうに置くと、書斎の奥から分厚い一冊の本を取り出し、羽ペンにインクをたっぷりと含ませた。

 

「さてベルよお前はどんな冒険をしてきたんだ?」

 

 老人は孫の成長を待ちわびる好々爺の顔になり、嬉しそうに呟きながら球体のボタンを押す。

 空中に鮮明な映像が魔法のように映し出される。それを見ながら、老人は滑らかな手つきで羽ペンを書き進め始めた。

 表紙に何も書かれていなかったその本の最初のページに本の題名が記される。

 その本の名はオラトリア・ハーツ。




これにて原作第3巻部分は終了です。
後2話ほどやった後にロキファミリアとソラの遠征編につながります
オリジナルノーバディ&ハートレス紹介
・チューナー
ザリファの配下ノーバディで両手の巨大な音叉を打ち合わせて発生させる共鳴波で相手の魔法を強制的に無効化し、滑るような歩法で接近して音叉による重い連撃を叩き込むだけでなく、相手がその攻撃を受け止めた際に発生する特殊な振動と音波で三半規管を揺さぶり、視界と平衡感覚を狂わせるという厄介な能力を持つ

・ハートレス・ミノタウロス
ミノタウロスとハートレスのハイブリット。本来なら大剣に闇を纏わせたり闇の弾丸を真っ直ぐ放つ程度だったがオッタルとの特訓により色々できるようになった。これによりオッタルもできることが増えた。
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