キングダムハーツ オラリオ ミィス   作:小説好きー

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次々回で59階層を目指します


第56話 心の繋がり

 ダンジョン第50階層。そこは、果てしなく続く地下迷宮において、唯一モンスターが産まれないとされる特異点――安全階層(セーフティハウス)であった。

 灼熱の業火が吹き荒れる階層を抜け、死線を潜り抜けてきた冒険者たちにとって、この静寂に包まれた空間はまさに砂漠の中のオアシスと言える。広大な岩壁に囲まれたフロアには、すでにオラリオ最大派閥であるロキ・ファミリアの大規模な野営地が形成されていた。無数の天幕が立ち並び、怪我人の治療や武器の整備、そして次なる未知の階層への準備が着々と進められている。

 その巨大な野営地の中心。一際大きく、堅牢な造りをした指揮官用の天幕の中では、極めて重苦しい空気が漂っていた。

 円卓を囲むように集まっているのは、ファミリアの団長であるフィンを筆頭に、リヴェリア、ガレスといった首脳陣。さらに、アイズを始めとした幹部たちと、ソラの姿があった。

 彼ら全員の鋭い視線が、中央に立つ一人の男――黒いコートを身に纏い、どこか間の抜けた空気を漂わせるデミックスへと突き刺さっている。

 

「さてと、ベルセクスからの伝言は伝えるからね」

 

 周囲の歴戦の猛者たちが放つ、肌がヒリつくような威圧感。並の冒険者であれば立っていることすら困難なそのプレッシャーを意に介する様子もなく、デミックスはいつも通りの軽薄な口調で話し始めた。

 

「曰く、以前ベルと戦ったあの変なミノタウロス。あれ、闇に侵食されたダンジョンによって産み出された、ハートレスとモンスターの混合種(ハイブリット)なんだってさ」

「なんだと……?」

 

 その衝撃的な事実に、ガレスが地響きのような低い唸り声を漏らした。

 モンスターはダンジョンが産み出すもの。それがこの世界の絶対的な摂理である。だが、ハートレスとダンジョンのモンスターが融合したとなれば、それはもはや既存の生態系を根底から覆す異常事態であった。

 

「しかもさ、あのミノタウロスが出現するまでは、そういう混合種(ハイブリット)って呼ばれるヤバい奴らは、ダンジョンの51階層以降にしか出現しなかったらしいんだよね。つまり、ダンジョンの奥底に溜まっていた闇の侵食が、どんどん浅い階層にまで上がってきてるってこと」

 

 デミックスの言葉に、フィンは自身の親指をそっと撫でた。迷宮が、確実に未知のフェーズへと移行している。それは冒険者にとって最大の危機を意味していた。

 そうして一通り伝言を伝え終えたデミックスは、「じゃあ、みんな頑張れよ!」と片手を軽く上げて、そそくさと闇の回廊を開き厄介事からいち早く逃れようとするのだが、その肩を、背後から伸びてきたリヴェリアの手がガシッと掴んで引き留める。

 

「待て。まだ我々が聞きたいことを聞いていないぞ」

「いやいやいや、でもさ……俺にそんな勝手に情報をペラペラ教える権限はないし……それに、ここで余計なことを言ったら、後でザリファになにされるか分かったもんじゃないし……」

 

 冷や汗を流し、引きつった笑顔で口ごもるデミックス。彼が必死に言い訳を並べ立てていた、まさにその時だった。

 ズウンッ、と。天幕の中の空気が急激に重くなり、禍々しい漆黒のゲート――闇の回廊が音もなく出現した。

 

「構わぬさ、デミックス。彼らには、我々の計画の行く末を知る権利がある」

 

 闇の中から悠然と姿を現したのは、先ほどアイズたちが第44階層で死闘を演じたばかりの男――ヴィクセンだった。

 彼はエルフの王族であるリヴェリアの姿を認めると、恭しく右手を胸に当て、最大限の敬意を込めた優雅な礼をしてみせる。

 

「お見知りおきを。私はヴィクレプリカ4。数多いるヴィクセンたちの代表をしております」

 

 そう名乗ると同時、彼はパキッと乾いた音を立てて自身の美しい金髪のカツラを取り外した。精巧な変装の下から現れたのは、またしてもつるりとしたスキンヘッド。だが、その額に刻まれていたのは以前のような『21』ではなく、『4』という数字であった。

 先ほど倒した個体とは全く別の、複製された命。その事実を誇らしげに見せつけるかのような振る舞いに、リヴェリアは不快感を隠すことなく深い溜め息をついた。

 

「……そういう悪趣味なのをやめろ」

 

 リヴェリアの氷のように冷ややかな態度と痛烈な皮肉を浴びても、ヴィクレプリカ4は不敵な笑みを崩さない。まるで観察対象の面白い反応を見つけた学者のような目つきだ。そこへ、場を制するようにフィンが静かに歩み寄り、単刀直入に問いかけた。

 

「ヴィクセン。単刀直入に聞こう。ノアールたちは、いつ頃に目覚める?」

「……ふむ、こればかりは過去の実例が一つしかなく、絶対の確証があるとは言えないが……。以前の実例であるリディス・カヴェルナのノーバディであるジルディスのハートレスが、ゼムナスのキーブレードによって解放された時のことを考えれば、おそらく、三週間ほどだろう」

 

 三週間。その明確な期限を提示され、フィンは思案するように顎に手を当てていると。そこへ、リヴェリアが鋭い視線をヴィクレプリカ4へと突き刺し、一歩前に出る。

 

「私からも聞かせてもらおう。この世界に一体なにが起きている?お前たちの目的はなんだ?何故、我々にそこまでして手を貸すような真似をする?」

 

 迷宮の異変、混合種(ハイブリット)の誕生、速度、そしてアブセントシルエットという試練。すべてが不自然に繋がりすぎている。矢継ぎ早に放たれたリヴェリアの質問に対し、ヴィクレプリカ4はまるで無知な学生に講義を行う教授のような、余裕に満ちた態度で答えた。

 

「この世界に起きていることに関してならば……遠くない未来、そこのソラやベルを始めとした、関連するすべての者たちを一堂に集め、我々の世界にて直接説明しよう。今はまだ、その時ではない」

「……質問をはぐらかす気か」

「目的に関して言えば、至極単純なことだ。君たちに『超えて強くなって貰いたい』。ただそれだけだよ」

「強くなって貰いたい、だと?我々を実験動物か何かと勘違いしているのではないか?」

「そう邪推するでない。強くなるための手助けとして、他のアブセントシルエットの情報を君たちに全て開示しよう。さらには、51階層以降の闇の対策には、我々の用意した道具を存分に使うといい。我々の目的には君たちの力が必要なのだ」

 

 まるで自分たちがこの世界の運命すらも管理しているかのような、その底知れぬ傲慢さと余裕。一切の動揺を見せないヴィクレプリカ4の態度に、首脳陣たちの顔に濃い疲労と警戒の色が浮かぶ。

 そして最後に、ヴィクレプリカ4は声を一段低くし、警告するように告げた。

 

「59階層……そこには、君たちの予想だにしないものが待っている。気をつけて戦いたまえ」

 

 そう言い残すと、彼は手首をスナップさせ、一枚の光るカードをソラに向けて投げ渡した。ソラが素早い反応でパシッと空中でそれを受け取る。

 

「これは……?」

「他のアブセントシルエットの場所と詳細を記したデータだ。挑むも逃げるも、好きにしたまえ。……さあ、行くぞデミックス」

「えっ、ちょっと待って。どこに行くのさ?」

 

 話を全く聞いていなかったのか、呆けたように聞き返すデミックスに、ヴィクレプリカ4の額に太い青筋が浮かび上がった。彼は苛立たしげに声を荒げる。

 

「忘れたのか!海洋国『ディザーラ』跡地の調査だろうが!無駄口を叩いていないでさっさと来い!」

「あぁ!そうだったそうだった!ごめんごめん!じゃあなソラ!椿、ティオナもまたね!」

 

 怒り心頭のヴィクレプリカ4に首根っこを掴まれそうになりながら、デミックスはのんきに手を振り、闇の回廊の奥へと転がり込むように消えていった。闇の回廊が閉じ、天幕の中に再び、先ほどよりもさらに重い静寂が訪れる。

 

「……さて。とんでもない置き土産を残していきよったな。どうする、フィン」

 

 沈黙を破ったガレスだった。彼は腕を組み、静かに団長の意志を問う。迷宮の深淵に待ち受ける未知の脅威。しかし、フィンの瞳に迷いの色は微塵もなかった。彼はキッパリと、揺るぎない声で言い放った。

 

「遠征はこのまま続行する。目標は変わらず、第59階層だ」

 

 そう言うと同時、フィンは懐にしまっていたモバイルポータルを開き、ディスプレイに表示されている現在の日付と時刻を確認したフィンは首脳陣とソラを力強く見回し、高らかに宣言する。

 

「決行は、明日!それまでに各員、万全の態勢を整えてくれ!」

 

 その言葉は、ダンジョンの奥底に潜む深き闇を打ち払う、希望の号砲であった。

 

 

 ・

 

 

 野営地での夕食が終わり、いくらかの落ち着きを取り戻した天幕の中。

 団員たちを再び集めたフィンは、明日に迫った第51階層以降への遠征に向け、具体的なパーティ編成の発表を始めた。

 

「第51階層以降の遠征パーティを発表する。僕、リヴェリア、ガレス……続いて、サポーターとして同行するのはラウル、ナルヴィ、アリシア、クルス、レフィーヤ……」

「はいっ!」

 

 名前を呼ばれたラウルやレフィーヤたちが、緊張の入り混じった面持ちで力強く返事をする。

 

「そして、外部からの協力者として、椿とソラ。以上のメンバーで、深層のさらに奥、未知の領域へと赴く」

「おう」

「うむ、任された」

 

 名指しされたソラと椿が、真剣な表情で頷くとフィンは次に、残る者たちへと視線を向ける。

 

「キャンプに残る者たちは、アキに指揮を任せる。いいか、もしモンスターが出現した場合でも、決して無理な接近戦は挑まず場合によってはドリームイーターたちと共闘し、配備してある『魔剣』と『魔法』を用いて、遠距離から安全に対処するように」

「分かりました、団長!」

 

 アキが力強く敬礼を返す。留守を預かる者たちの覚悟を確認したフィンは、再び遠征メンバーたちに向き直った。

 

「これからの深層は、僕たちの常識が通用しない未知の危険に満ちている。すでにパートナーがいるリヴェリアやアイズ、レフィーヤ、椿を除いたみんなは、各々、この過酷な深層を共に戦い抜くパートナーとなるドリームイーターを選んでほしい」

 

 フィンの言葉を受け、ソラが皆の前に進み出た。

 彼は懐から、星の形をした大切なお守りを取り出すと、それを天に向かって真っ直ぐに高く掲げた。

 

「みんな、お願い!」

 

 ソラの澄んだ声が野営地に響き渡る。

 その直後、星のお守りから眩い光が溢れ出した。光は無数の流星となって広大な安全階層(セーフティハウス)の空間を駆け巡り、色とりどりの輝きと共に、多種多様な姿をした無数のドリームイーターたちが次々と降臨するのだった。

 

 

 ・

 

 ややあって。

 第50階層に築かれたロキ・ファミリアの大規模なベースキャンプでは、深層という死地特有のヒリつくような緊張感と、束の間の休息がもたらす安堵が複雑に入り交じっていた。遠征に関するすべての連絡事項を伝え終え、団員たちが各々の準備に戻っていく中、第一級冒険者たちを中心とした慌ただしい動きが散見されていた。

 オラリオ最高峰の鍛冶師である椿・コルブランドから、フィンたち第一級冒険者へと、深層での未知なる激戦を想定して極限まで打ち直されたローランシリーズが次々と手渡されていったのだ。それらを手にしたフィンたちは、武具から伝わる確かな信頼の重みに深く頷き、これから待ち受ける第51階層以降の闇に対する覚悟を新たにするのであった。

 その後、野営地の中心に位置する指揮官用の天幕の片隅。

 周囲の喧騒から少し離れた薄暗いその場所で、椿は金床代わりの作業台の前に豪快に胡座をかいていた。彼女の手元にあるのはアイズの愛剣、デスペレートである。

 椿は極めて真剣な眼差しで、油を引いた砥石を慎重に、しかし力強く滑らせていた。一定のリズムで砥石が刃を滑る音が、静まり返った天幕の中に心地よく響き渡る。アイズは自身の半身とも言える剣が研磨されていく様を、静かな金色の瞳でただ見つめていた。

 

「……だが、変わったな、お前は」

 

 不意に、砥石を滑らせる音の合間に、アイズの昔を懐かしんだ椿がこぼした。その声音には、普段の豪快さとは異なる、どこか穏やかな響きが混じっていた。その言葉にアイズが不思議そうに首を傾げた、まさにその時である。

 天幕の入り口の布が勢いよく捲り上げられ、薄暗い空間に明るい光が差し込んだように、ソラが顔を出した。

 

「おーい、椿!」

「おお、ソラではないか!ドリームイーター選びはもう終わったのか!?」

「いや、それがまだ結構時間が掛かりそうでさ。だから、みんなが選んでる間に椿との用事を済まそうと思って」

 

 ソラは右手を空間へと差し出した。直後、眩い光の粒子が弾け、キーブレード――『レムノス・アンヴィル』が、彼の手に握られて出現した。

 

「さっき、なんか楽しそうだったけど、なんの話をしてたんだ?」

 

 無邪気な笑顔で問いかけるソラに、椿は口角を吊り上げて笑った。

 

「なに、昔の剣姫のことだ」

「へぇ!昔のアイズって、どんな感じだったんだ?」

 

 興味津々といった様子で目を輝かせるソラ。それに対し、椿は砥石を動かす手を止め、視線を虚空へと向けた。その瞳は、過去の凄惨な記憶を呼び起こすように、ひどく冷ややかで厳しいものへと変化していく。

 

「昔の剣姫はな、例えるなら『抜き身の剣』のようだったぞ」

「抜き身の剣?」

「ああ。刃がどれほどボロボロに毀れようとも、自らの命を顧みずに、ただひたすらに戦い続けておっての……。あれは死ぬ、と早々に思ったものだ」

 

 椿は当時のアイズの姿を脳裏に描きながら、容赦なく言葉を紡ぎ続ける。アイズは自身の過去を抉られるような言葉に、ただ無言で俯くことしかできなかった。

 

「常ならば、素質のある原石を見れば無性に疼くはずの手前の鍛冶師としての腕がな。当時の剣姫に対してだけは、全く動かなかったのだ。己自身をただモンスターを殺すための『一振りの剣』としか捉えておらん剣姫は、手前はこいつに武器を打ってやりたいなどと、欠片も思わなかったのだ」

 

 職人としての赤裸々な本音、そして武具を愛さない者への強烈な拒絶。椿は自嘲気味に短く息を吐き出す。

 

「神々が授けた『剣姫』という二つ名さえもな、当時はいつ折れるか分からん、ヒビ割れた壊れた剣に対する痛烈な皮肉だと笑ったものだ。それほどまでに、こいつは危うく、そして脆かった」

 

 重い空気が沈殿する中、椿は立ち上がり、ソラへと歩み寄った。攻防、彼が召喚し手に持っていたレムノス・アンヴィルに向かって、無造作に手を伸ばす。

 何の造作もなく、まるでそこら辺に転がっている武器でも拾い上げるかのように、椿はキーブレードを容易く受け取ってみせたのだ。

 その、あまりにもアイズからすれば信じられない光景を見た瞬間。

 

「――っ!」

 

 アイズの金色の瞳が、驚愕のあまり限界まで見開かれた。呼吸が止まり、全身の血液が逆流するような衝撃が彼女を襲う。選ばれし者しか触れることすら許されないはずのキーブレードが、いとも容易く他者の手に渡ったのだ。

 

「どうした剣姫。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしておるぞ」

 

 訝しげに視線を向ける椿に対し、アイズは声を激しく震わせながら、縋るように尋ねた。

 

「キーブレードに……選ばれたの?」

「ん?ああ、これか!一度はコイツに完全に拒絶されたがな。まぁ、『心』について手前なりに深く考えておったらこうなったのだ。キーブレードがソラの手元に戻ってないのだから、手前も選ばれたということなのだろうな!」

 

 平然と、まるで大したことではないかのように答える椿。その言葉に、アイズは巨大なハンマーで頭を力任せに殴られたような、目の前が真っ暗になるほどの強いショックを受けた。自分があれほど欲し、力を求めても決して応えてくれなかった武器が、こうも簡単に他者を受け入れたという事実が、彼女の心を深く抉る。

 そんなアイズの深刻な内心の崩壊などつゆ知らない椿は、ため息をつきながら言葉を続ける。

 

「だがな、どういうわけか手前自身でキーブレードを出すことが一向にできん!千の妖精(サウザンド・エルフ)に出し方を聞いてみたが、全く出る気配がせん。本当、世話の焼ける困ったものだぞ!」

 

 落ち込み、愚痴をこぼす椿の姿を見て、アイズは深く俯き、しばらくの間、息を殺して沈黙した。心臓の鼓動だけが異常な早さで耳の奥で鳴り響いている。そして、何か壮絶な覚悟を決意したようにゆっくりと顔を上げると、少しだけ震える、しかし切実な声で呼びかけた。

 

「ねぇ、ソラ……私に、キーブレードを継承させて」

「えっ?アイズに?」

 

 唐突な申し出にソラは目を丸くしたが、彼女の切羽詰まった真剣な眼差しからただならぬ思いを感じ取り、「わかった」と力強く頷いた。

 ソラが右手をかざすと、椿の手にあったレムノス・アンヴィルが光の粒子となって分解され、瞬時に彼の手元へと戻る。ソラはそれを、祈るようにアイズに向けて差し出した。

 アイズは恐る恐る、まるで壊れ物に触れるかのようにソラからキーブレードを受け取った。その確かな重み、柄から伝わる冷たい金属の感触。絶対に手放すまいと、二度と失うまいと、アイズは両手で力いっぱい柄を握りしめた。

 今度こそ、私にも力が。この絶望的な状況を打破する力が。

 だが――。

 アイズの必死な思いや切実な願いなど全く知らないとばかりに、キーブレードは彼女の手の中で光の粒子となって霧散し、手からすり抜け、いとも簡単にソラの手元へと戻ってしまった。

 

「…………」

 

 何も握っていない、ただの空気を掴んだままの空っぽの両手を見つめ、アイズは再び、先ほどよりもさらに深く、底知れぬショックに打ちのめされた。

 

「やっぱり……私は、弱くなったんだ……」

 

 弱々しく、今にも消え入りそうな声で呟くアイズ。その言葉を聞き咎めた椿が、怪訝そうに眉をひそめる。

 

「なにを言うておる!Lv.も上がっておるのだから、冒険者として間違いなく強くなっておるだろうが!」

「そういうことじゃなくてっ!」

 

 普段の感情の起伏が乏しい彼女からは想像もつかないほど、珍しく声を荒げ、アイズは椿の言葉を力強く否定した。そして、せきを切ったように、これまで自身の胸の奥深くに抱え込み、押し殺してきた苦悩と絶望をさらけ出し始めた。

 

「前に……ベルがミノタウロスと戦っている時、あの子の背中に、お父さんの姿が見えたの……。どんどん先へ進んでいくあの子を見て、私は焦って。それに……この前の、二つの鎌を持ったハートレスとの戦いの時だって……私、なにもできなくて……ッ!」

 

 アイズの金色の瞳から大粒の涙が零れ落ち、床の土を濡らす。

 ザリファとダーク・レクイエムの、圧倒的な戦い。それを目の当たりにしたアイズの心は、己の無力さと矮小さに深く揺さぶられ、完全に打ち砕かれていたのだ。

 

「私には、どうしてもやりとげたい……やりとげないといけないことがあるの!でも、今の自分……ロキやみんなとの幸せに浸りかけている、『抜き身の剣』ではなくなった自分は、ただ牙を折られただけの獣……これじゃ、だめなの!」

 

 それは悲痛な叫びだった。自身の強さの根源であった思いを失いつつあることへの、強烈な恐怖と焦燥感。思わずソラに対して自分の弱音を完全に吐き出してしまうほどに、彼女の心は極限状態まで追い詰められていた。

 アイズの抱える底なしの深い弱さと悲しみを知ったソラは、少し悲しそうな顔で呟いた。

 

「だから、キーブレードが欲しかったんだな……」

「うん……。ベルと同じ14歳で、私と同じ年までに数え切れないほどの戦いを乗り越えてすごく強くなったソラと……同じキーブレードがあれば、私もまた……」

 

 アイズの絞り出すような言葉に、ソラは真っ直ぐに、彼女の涙で濡れた目を見据えた。

 

「確かに、キーブレードはすごい武器だ。いろんな力があるし、俺を何度も助けてくれた」

「だから、私は……」

「でもね、アイズ」

 

 アイズの懇願するような言葉を優しく遮り、ソラは自身の胸に手を当てた。

 

「俺の本当の武器は、キーブレードじゃないんだ」

「……え?」

 

 全く予想していなかった言葉に、アイズは涙を流したまま呆然と黙り込んだ。彼が語る言葉の先に、自分が強くなるための、真の答えが秘められていることを心の底から願って。

 

「俺の本当の武器は、『心』なんだ」

「心……」

 

 その単語を聞いた瞬間、アイズは再び深く落ち込んだ。

 

「キーブレードに選ばれない……弱い心の私は、やっぱり……」

「違うよ!アイズの心が強いとか、弱いとか、そういうことじゃないんだ!」

 

 慌てて否定するソラ。彼は一歩前に出ると、アイズの目を真っ直ぐに見つめ返し、力説する。

 

「俺の心は、みんなと繋がっているんだ。俺を支えてくれる大切な人たちと……一緒に戦ってくれる大切なともだちと!」

 

 ソラの言葉には、微塵の疑いもない揺るぎない確信が込められていた。

 

「誰かが俺のことを思っていてくれたら」

 

 ソラは自身の胸に手を当て、静かに言葉を紡いだ。その手のひらの下にある温もりを、遠く離れた大切な仲間たちの存在を確かめるように。

 

「たとえ離れ離れになっても、たったひとりでも、俺のことを忘れずにいてくれたら」

 

 伏せていた目を上げ、彼は迷子のように立ち尽くすアイズの金色の瞳を真っ直ぐに見据えた。それは、数多の困難を乗り越えてきた者だけが持つ、絶対的な真実の響きだった。

 

「俺の心は絶対に消えない。みんなと繋がる心が、俺の強さなんだ!」

 

 熱を帯びたソラの真実の言葉。しかし、それを聞いても、アイズの表情はどこか納得のいかない、深い森で迷子になった子供のような顔のままだった。強さとは己を削り、孤高に剣を振るうことだという呪縛から、まだ逃れられていないのだ。

 

「アイズは、色んな人と繋がっているだろ?いつもアイズを導いてくれるフィンやリヴェリア……ぶっきらぼうだけど優しいベートに、アイズを慕うレフィーヤたち。武器を打ってくれる椿だってそうだし、俺とも繋がってる。そして……ベルとの繋がりが、きっとアイズを一番強く助けてくれるよ」

「繋がり……みんなやベルとの……」

 

 アイズはゆっくりと懐に手を入れ、ソラから受け取った『ベルのお守り』を取り出した。不格好だが、彫った者の温もりと不器用な優しさが込められている、兎の木彫り。

 そこへ、黙って二人のやり取りを聞いていた椿が、静かに口を開いた。

 

「まぁ、手前から言うなら……今の剣姫に、かつてのような鋭さはなくなったかもしれんな」

「椿……」

「だがそれは、剣で言うところの『鞘』を見つけたということだ」

 

 椿は口元に薄く笑みを浮かべながら、武器を知り尽くした鍛冶師としての哲学を語り始める。

 

「鞘に守られることで、剣は常に研ぎ澄まされた鋭利な刃を剥き出しにして在る必要はなくなるのだ。心も同じだぞ。……いいか、武器というものはな、あるものを全てつぎ込まねば神の領域に届きすらしない。だが、どれほど鋭く打たれた業物であろうと、身を休める『鞘』がなければいずれ刃こぼれを起こし、サビにまみれて朽ち果てる。一度本当に斬るべき敵と相見えた時、守られていた剣は鞘から飛び出し、最大の光を放つのだ。詰まるところ『仲間』というやつだ」

 

 その鍛冶師らしい、厳格さと優しさを帯びた独自の解釈に、アイズは無言になった。狂気を失ったのではなく、刃を休める場所を知ったのだと。

 

「お前は弱くなってなどおらん!守るべきものが増え、そして……自分が仲間に守られることにうろたえておるだけだ」

 

 そう力強い言葉を残すと、椿はソラから受け取っていたレムノス・アンヴィルを『フォージング・ハンマー』へと変形させた。目まぐるしく部品が組み替わり、巨大な鍛冶用の金床へと姿を変えたキーブレードに椿はその上に砥石を置くと、何事もなかったかのように再びデスペレートの整備作業へと戻っていった。

 

「じゃぁ俺は、みんなのところに戻るよ!」

 

 アイズの心に確かな光が灯ったのを見届けたソラは、手を振ると、野営地を照らすような明るい笑顔を残して天幕から出ていった。

 静かになった天幕の中。アイズは椿の整備が終わるまでの間、じっとベルお手製のお守りの兎を見つめ続けていた。

 

(鞘……繋がり……私の、心……)

 

 アイズの精神の奥底で『キーブレードが欲しい』と看板を振り回し続けていた心の中の幼女(アイズ)の目には大泣きした跡がうっすらと浮かんでいたが、その細い両腕には、温かい兎が大事に抱えられており、もう泣き叫ぶことはなく、安らかな、満ち足りた表情をして静かに眠っていた。

 

「……終わったぞ」

 

 やがて、椿から完璧な整備を終えたデスペレートが差し出される。

 アイズは左手に持つ不格好な兎のお守りと、極限まで磨き上げられ、美しい白銀の光沢を取り戻した刃を交互に見下ろした。もはや、折れることのない強い刃。

 

「ありがとう、椿」

 

 アイズは静かに、そして大切にお守りを懐へとしまい直すと、自身の心の在り方――『鞘』を確かめるように、デスペレートをゆっくりと鞘に収めたのであった。




補足としてダーク・レクイエムとの戦いの中でベートはセレニア。ザリファはメーテリアの幻覚を見せられました。ちなみにダーク・レクイエムは別れたレヴィスのうちの一人の魔石がハートレス化した存在です。
後、その頃ベルはヴェルフをパーティメンバーに加えてインファントドラゴンの混合種(ハイブリット)と戦いました。
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