第66話 相談室の誓いと、動き出す神々の思惑
ギルドの電話室へと飛び出していったエイナさんが、深い疲労を滲ませながら応接室へと戻ってきた。
「……戻ったわよ、ベル君。リリルカ氏」
エイナさんが長椅子に座る僕たちの向かいの席に、どさりと重い音を立てて腰を下ろす。
その顔には、先ほどまでの般若のような怒気は消え失せ、代わりに呆れと疲労感が色濃く浮かんでいた。
「エイナ様。それで、ソラ様は……」
隣に座るリリが、おそるおそる様子を伺うように尋ねる。
「リヴェリア様から、直接事の経緯と無事を聞かされたわ。……詳細は後日、改めてギルドに報告されるそうよ」
エイナさんはそこまで言って、ふうと長いため息を吐き出した。
「ソラ君が無事なのは分かったけれど……本当に、何のためのモバイルポータルなのよ。全く、ロキ・ファミリアも何を考えているのかしら」
ぶつぶつと愚痴をこぼしながら、エイナさんは気を取り直すように僕へと向き直る。
その双眸に、僕を心配してるような真剣な光が宿った。
「ベル君。無茶はだめだよ。本当に」
「……はい」
その切実な声に、僕は小さく頷くしかなかった。先ほど確認した僕の死闘の記録映像が、彼女の言葉の重みを何倍にも膨れ上がらせている。
しばらく僕の顔を見つめていたエイナさんだったが、やがてふっと目元を和らげた。
「でも……生きて帰ってきてくれたことには、心から安心するわ。Lv.2への昇格、おめでとうリリルカ氏。そしてベル君も、前代未聞のLv.3への昇格……本当におめでとう。二人とも、よく頑張ったね」
「ありがとうございます、エイナさん!」
「ありがとうございます、エイナ様!」
温かい労いの言葉に、僕とリリは顔を見合わせて、満面の笑顔で頷き合った。
厳しいお説教の後に貰えたその言葉が、なによりも嬉しかった。
これで今日の業務報告は終わりだ。そう思って立ち上がろうとした、その時だった。
「――ちょっと待って、ベル君」
エイナさんが静かな声で呼び止めた。
普段のハキハキとしたエイナさんらしからぬ、ひどく沈み込んだ声色だった。
「なんですか、エイナさん?」
僕が不思議そうに振り向くと、エイナさんは目を伏せたまま唇を噛み締めていた。先ほどまでの安堵や労いの空気は完全に消え失せ、何か言い淀んでいるような、どこか怯えているような、痛切な気配を感じる。
「少しだけ、時間をくれないかな」
ただ事ではない気配を感じ取り、僕は黙って頷く。リリは不審そうに半目になりながら再び長椅子へと腰を下ろした。
席に着いた僕たちに対し、エイナさんは引き出しの奥から一枚の紙を取り出し、机の上に滑り込ませた。
それは……一目で分かった。以前、ノーバディのサムライから提供されたセブンハーツについての写しだった。
(な、なんでエイナさんがそれを持ってるの!?)
僕は内心で激しくツッコミを入れる。たしか、あのレポートはギルドに送ったとダルザクスさんが追記してたけどエイナさんにまで回ってくるような内容じゃないはずなのに。
まさかエイナさんの口からその話題が出るとは思わず、僕の心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。
エイナさんはそれに目を落としたまま、ひどく疲れたような、そして恐れを抱いた震える声で切り出した。
「ねえ、ベル君。……『セブンハーツ』って、なに?」
「ッ!?」
その単語を聞いた瞬間、僕の肩が大きく跳ねた。
隠さなければいけない。巻き込んではいけない。そう思っていた世界の秘密が、よりにもよってエイナさんの口からこぼれ落ちたのだ。
「……正直に言って、これを最初に読んだ時は誰かの悪質な冗談だと思ったわ」
僕の動揺に気づいているのかいないのか、エイナさんは頭痛をこらえるように額を押さえながら続ける。
「『迷宮最深部の扉』『外界の闇』『世界の完全な崩壊』……お伽噺にしても出来が悪すぎるし、神様たちの戯言だとしても突飛すぎるわ。こんな荒唐無稽な話、理解できるわけがないもの」
ギルドの公式記録にも存在しないスケールの話に、エイナさんは現実感を抱けていないようだった。そりゃあそうだ。オラリオの地下深くから、世界を滅ぼすような闇が押し寄せてくるなんて、普通は信じられるはずがない。僕だって、ソラたちに出会っていなければ信じていなかっただろう。
だが、そこで彼女の声のトーンが一段と低くなる。
「最初はただの不気味なデマだと思って聞き流していたわ。迷宮で消息を絶った冒険者が、黒い影のような怪物になって現れるなんて……でも、『アンセムレポート』を読んで、それが真実だと知ったの…」
今朝、ソーマ・ファミリアでの一件を受け、ギルドとガネーシャ・ファミリアとの間で協議が行われた。その結果、これまで噂話に過ぎなかったハートレスの危険性をオラリオ全域へ向けて緊急で周知されたのだ。
ただ、混乱を避けるためか、『心が闇に堕ちればハートレスに変貌する』という核心部分の発表は控えられ、今朝ギルドから通達されたのは『ハートレスとは特殊な装置によって人をモンスターに変異された存在』『ハートレスに心を奪われることで、自らもハートレスになってしまう』という内容までに留まっていた。
それでも、得体の知れない存在が実在し、冒険者たちを無惨な姿へと変えている事実は間違いない。エイナさんが、これほどの恐怖と不安を抱くのも無理はなかった。
「どうして、ここにあなたの名前があるの?」
彼女の震える指が、手記に記された一節を指し示す。
「それは……」
「『一歩間違えれば、自らの闇に心を支配され、ハートレスへと堕ちてしまう』……これ、何なの? ベル君が、あのモンスターになる危険があるって……本当なの!?」
切実な、悲痛な叫びだった。
どう答えるのが正解なんだろう。本当のことを言えば、世界の秩序の根幹に関わる秘密を漏らすことになってしまう。ギルドの職員である彼女に、安易に話していい内容じゃない。でも、どう話せばこの人を安心させられる?
葛藤で言葉を失う僕に、エイナさんの指は手記のさらに不穏な一節をなぞる。
「『ベル・クラネルの動向をザリファに一任する』……ねえ、ベル君は、実験動物のように監視されているの!? 答えて、ベル君!」
半信半疑だからこそ、エイナさんは僕の顔を真っ直ぐ見つめ、縋るように問いかけた。
「嘘だって言ってよ、ベル君。『全部ただのデタラメです』って、否定してよ……っ!」
その涙を堪えた瞳を見た瞬間、胸が張り裂けそうになった。
嘘だと言ってあげたい。安心させてあげたい。でも、ここで僕が目を背ければ、それは僕たちが命懸けで戦っている現実から逃げることになる。光を繋ごうとしている彼らの戦いを、否定することになってしまう。
だから僕は咄嗟に否定できず、気まずそうに視線を泳がせて唇を強く噛み締めてしまった。
その沈黙と動揺を見た瞬間、エイナさんの顔から完全に血の気が引き、「この手記も事実だったのだ」と直感させてしまったのが痛いほど分かった。
「……ッ」
「……大げさですよ」
深刻に詰め寄り、青ざめるエイナさんに対し、横で聞いていたリリが深いため息をつきながら呆れたように割って入った。
「大げさじゃないわよ!」
必死に反論するエイナさんをよそに、リリは平然と言い放つ。
「それはただの絵本の原稿ですよ」
「え……絵本……?」
予想外の言葉に、エイナさんは呆気に取られて唖然とする。リリの思わぬ助け舟に、僕も思わず目を見張った。
「作者についてはリリたちも知りませんが、そんな御伽噺みたいなのがほんとのわけないじゃないですか。アンセムレポートのせいで不安になるのは分かりますが、いくらなんでもベル様を心配しすぎですよ、エイナ様は」
「で、でも、ベル君を実験動物みたいに……!」
「だからそれも物語の設定ですよ」
食い下がるエイナさんを、リリはひたすらに冷静な声で一蹴する。
その堂々とした態度に、エイナさんは困惑したように僕へと視線を戻した。
「でも、ベル君の反応が……」
「ベル様は
言い淀むエイナさんの言葉を遮るように、リリが呆れ半分といった様子で続ける。
「本気で英雄に憧れているんですし、あの紙だって、自分が物語の主人公みたいに書かれてるからって、ベル様すごく喜んでたんですよ。でも、今はエイナ様に本気で詰め寄られて、羞恥とかでいっぱいいっぱいなんですよ」
「うぐっ……!?」
リリの容赦ない発言が、思わぬ角度から僕の心にぐさりと突き刺さる。恥ずかしさで顔から火が出そうになり、僕はますます目を泳がせて身を縮こまらせた。
そんな僕の反応を見たエイナさんは、深刻な思い詰めから一転、どこか申し訳なさそうな表情に変わる。
「そう……だったの?」
「とは言え、アンセムレポートの件を考えれば、エイナ様の不安は分かります」
リリのその言葉を最後に、重苦しかった相談室にふっと静寂が落ちた。
誰も口を開かない。ただ、エイナさんの心配そうな視線だけが僕に注がれている。
誤魔化してもらったのはありがたい。でも。
なおも不安を完全に拭い去れないエイナさんの顔を見て、僕はずっと押し黙っていた口を開き、真っ直ぐな瞳で彼女に向き直った。
「エイナさん。確かに、エイナさんが心配する気持ちは痛いほど分かります。でも……だからと言って、僕は足を止められません」
「ベル君……」
「僕は絶対、ハートレスになんてなりません。絶対に、エイナさんを悲しませるようなことはしません!」
嘘偽りのない、僕の真っ直ぐで力強い宣言。
世界を救うとか、そういう大きなことはまだ分からない。僕にどれだけの力があるのかも分からない。
でも、目の前の大切な人を悲しませないこと。それだけは、絶対に譲れない僕の意志だった。
その揺るぎない覚悟と熱の籠もった瞳を前に、エイナさんは気圧されたように息を呑んだ。
「……わかったわ」
僕のその眼差しに嘘がないことだけは、エイナさんにもはっきりと分かってくれたようだ。
エイナさんは小さく息を吐き出し、一先ず納得すると同時に、自分が取り乱して騒ぎすぎたことを深く恥じ入った。
「ごめんなさい、ベル君。私が勝手に思い詰めて、少し騒ぎすぎちゃったみたい……」
「いえ、エイナさんが僕を心配してくれたっていうのはよくわかってます」
僕がいつものように照れくさそうに笑うと、重苦しかった相談室の空気はようやく静かに収まりを取り戻すのだった。
・
重苦しい相談室での話し合いを終え、僕とエイナさん、そしてリリの三人はギルドの受付へと戻ってきた。
すると、受付の向こう側から見覚えのある二人組が、真っ直ぐに僕たちの下へと歩いてくるのが見えた。
ノーバディの『サムライ』と『アサシン』だ。
僕の目にはどう見てもモンスターにしか見えないが、幻術の使用しているようで、エイナさんたちや他の人の目には『寡黙な剣士』と『不審なローブの男』という普通の人間に見えているらしい。
それでも、ノーバディが堂々とギルドを歩き回っているという事実に、僕は内心で大量の冷や汗を流していた。
「ベル君。この人たちは?」
僕に向かって歩いてくる二人を見て、エイナさんが不思議そうに首を傾げた。
「あ、ええと……この人たちは……」
僕が言い淀んでいると、僕より先にアサシンが一枚の紙を取り出し、無言でエイナさんの手元に差し出した。
「え?」
エイナさんがその紙に目を落とす。そこには、達筆な字でこう書かれていた。
『私たちはつい先日、ヘスティア・ファミリアに入団しました』
『いつも息子がお世話になっています』
「む、息子ぉぉっ!?」
エイナさんは素っ頓狂な悲鳴を上げ、目を限界まで丸くしてアサシンと僕の顔を交互に見比べた。
怪しいローブの男。どう好意的に見ても、僕と似ている要素など欠片も存在しないはずだ。
だけど、エイナさんの頭ではその発想が思いついていないのか激しく困惑していることが見て取れた。
(悲しませないって……まさか、そういう意味!? だから保護者の方がわざわざファミリアに入ってまで、私に挨拶に来てくれたの!?)
どう見てもエイナさんの思考は完全に明後日の方向へと暴走していることが見て取れる。エイナさんの顔が瞬く間に赤く染まりパニックに陥っていくのが分かった。
「いや絶対違いますよエイナ様!?」
混乱するエイナさんの横で、リリがすかさず鋭いツッコミを入れた。
「ベル様の親族がこんな怪しいローブ男なわけないじゃないですか! 少しは冷静になってください!」
「で、でも……っ!」
リリにツッコまれながらも、未だに混乱の渦中にいるエイナさん。
すると、アサシンがローブのフードを少しだけずらした。
そこから覗いたのは――僕と全く同じ色をした、透き通るような『
「あ、あなたがベル君のおと……っ!」
その瞳の色を見た瞬間、エイナさんの心臓が高鳴り、完全に信じ込みかけた、まさにその時。
アサシンが次の紙をエイナさんの目の前に提示した。
そこに書かれていたのは、たった一言。
『冗談です』
「…………へ?」
頭が完全に真っ白になり、呆然とするエイナさんの前で、質の悪い冗談で遊んだアサシンの頭に、隣にいたサムライが刀の鞘を容赦なく叩き落とした。
「〜〜〜ッ!?」
声にならない悲鳴を上げるアサシンの首根っこを、サムライが無言で鷲掴みにする。そしてそのまま、床を引きずるようにしてギルドの出口へと連行していった。
アサシンは首を絞められて引きずられながらも、受付で固まっているエイナさんに向けて、無言で手を振るのだった。
・
アサシンがサムライに引きずられていく光景に苦笑いしながら、僕はふと、ギルドの壁に貼り出された一枚の紙に目を留めた。
そこには、精巧に描かれた二人の人物の顔――『ザリファ』と『ダルザクス』の似顔絵と共に、『情報求む』という大きな文字が躍っていた。
その手配書ともつかない紙の周りで、冒険者たちが物珍しそうに群がって雑談を交わしている。
「なんで静寂と暴食が……死んだんじゃなかったんかよ」
「いや、待て。本人なら情報求むとかないだろ。じゃあ、息子と娘とかの親族か?」
「いや、それにしても似すぎじゃね?」
「お、見ろよ。情報提供の報奨金がでかいぜ。俺、受けてみようかな?」
「バカ言え、この情報提供のためにはカメラを買わねぇといけねぇだろ。割に合わねえよ」
そんな冒険者たちの心無い噂話が耳に入り、僕はふと考え込んだ。
ダルザクスさん。僕のことを「俺たちの息子」と呼んだ人。……僕のお父さんなのかと思ったけれど、それについては本人がきっぱりと否定しているから違うはずだ。
ザリファさん。ダルザクスさんが言うには、僕と「深い関係」があるらしい人。
以前、ルクソードが放った言葉や、神様が口にした「お母さん」という言葉が、どうにも頭から離れない。僕はどうしても、あの二人のことを深く考え込んでしまう。
あの二人は、僕と一体どういう関係なんだろうか。どうしてあんなに、僕を気にかけるのだろうか?
「ベル様?」
考えに沈んでいた僕の肩を、リリがちょんと突いた。
「な、なにリリ?」
「モバイルポータルが、さっきから何回も鳴ってますよ」
リリの指摘にハッとして、僕は慌てて腰のポーチからモバイルポータルを取り出した。
画面を確認すると、神様から何枚もの部屋の写真と共に、メッセージが届いていた。
| < ヘスティア Q ✆ Ξ |
|
| + ☺ ψ |
神様が本格的に新居探しを始めたのは、リリがファミリアに正式に加入してからのことだ。
僕が常にミミバニーと一緒に
元々の
資金であるヴァリス自体は、以前ソラが受けたクエストの報酬のおかげで何の問題もない。ソラが遠征から帰ってくるまでの間に、神様は一人で張り切って新居探しを行っているのだ。
送られてきた写真を見せながら、リリと「これがいい」「あっちの方が広いですよ」なんて新しい新居について話し合っているうちに、僕たちは慣れ親しんだ廃教会の
廃教会の扉の前でいつの間にかサムライが静かに佇んでいた。
サムライと僕の視線が交錯する。
言葉はなかったが、僕は無意識の内にキーブレードを強く握りしめ、構えをとった。
それに応えるように、サムライは刀の柄に手をかけ、低い姿勢から居合切りの構えへと移行する。
ピリッとした剣呑な緊張感が空気を震わせる。少し離れた場所から、リリとアサシンが息を呑んで僕たちの立会いを見守っていた。
静寂を破り、両者が同時に動き出す。
僕はキーブレードを逆手で握り込み、ソラの『ザンテツケン』を模した斬撃を繰り出そうと踏み込んだ。
だが――それよりも速く、サムライが動いた。
見えないほどの速度で抜刀されるかと思いきや、サムライは刃ではなく、その硬い『鞘』を僕の胴体めがけて容赦なく打ち込んできた。
「ごはっ!?」
肺の空気が弾け飛び、強烈な一撃に僕はくの字に曲がりながら無様に地面へ倒れ込んだ。
すかさず、倒れた僕に追い打ちをかけるようにサムライが刀の鞘を垂直に突き下ろしてくる。
僕は鞘が突き刺さるより一瞬早く横に転がって回避し、素早く立ち上がって再びキーブレードを構え直した。
サムライの動きには一切の無駄がない。完全に心を削ぎ落とした純粋な剣の技。彼との対峙は、僕自身の甘さを徹底的に叩き直されるような厳しさがあった。
息を整え、再びサムライとの激しい打ち合いが始まろうとした、その時だった。
「精が出るね、ベル君」
不意に、元気な声が僕たちの背後から響いた。
僕たちが驚いて声の方向に顔を向けると、そこには、両手に書類の束を抱えた僕たちの主神、ヘスティア様が立っていた。
「あ、神様」
「修業はいいけど、今日明日は休むように言ったよね?」
ヘスティア様のジト目での指摘に、僕はバツが悪そうに頭をかきながら謝罪する。
「ごめんなさい……つい、体が動いちゃって」
「全く君は……本当に無理しちゃだめだからね」
呆れたように肩をすくめる神様に、リリが隣から口を挟んだ。
「ヘスティア様、物件はどうでしたか?」
「ああ、ヘファイストスのおかげでいくつかいい物件が見れたよ。あとは、ソラ君が遠征から帰ってきてから、ソラ君と一緒に内見して決めるだけだね」
満足そうに笑う神様は、ふと思い出したように言葉を続ける。
「それと、今日は僕は夜はいないから。晩御飯は二人で適当に済ませといておくれ」
「えっ、夜はいないんですか? もしかして、バイトの打ち上げですか?」
僕が不思議に思って問いかけると、神様は表情を引き締め、首を横に振った。
「いや。ロキやガネーシャ、ヘルメス達と、今後のハートレス対策についての対談だよ」
「それは……リリたちはいかなくていいんですか?」
リリの問いに、神様は大きく頷く。
「今回のは、ロキたちが今後どう動くかの首脳陣の話し合いだからね。君たち下位のファミリア員が出る幕じゃない。……それじゃ、僕はもう行くけど。くれぐれも、ベル君に変なことをするなよ、リリ君」
「それはベル様次第ですね」
「なんだとぉっ!?」
リリのからかいにまんまと乗せられ、神様は「きぃーっ」と悔しそうに声を上げた後、僕たちに見送られながら急ぎ足で
・
格式高い高級酒場の前で、石造りの重厚な門構えを見上げたヘスティアは、無意識のうちに肩をすくめていた。
つい先日まで街角でジャガ丸くんを売り、ソラが腕を振るってくれた素朴な手料理で腹を満たしていた彼女にとって、足を踏み入れるだけで気後れしそうな豪奢な空間であり、案内された個室の扉を恐る恐る開けてみたものの、円卓の周囲には誰の姿もなくどうやら一番乗りだったらしい。
所在なさを紛らわせるように上座へ腰を下ろしたヘスティアは、モバイルポータルを取り出すと、画面に呼び出したミニゲーム『クラシックキングダム』に指先を走らせて夢中で自己最高記録を塗り替えていったが、ふと視線を上げて卓上に置かれた品書きを何気なく開いた瞬間、その顔を引き攣らせることとなった。
「うげぇ……なんだいこの値段は……」
目玉が飛び出そうな金額に冷や汗を流しながら慌てて革張りの表紙を閉じたちょうどその時、重厚な扉が静かに開き、室内へとロキとガネーシャの二つの影が滑り込んできた。
だが、現れた二柱が纏う空気はいつになく殺伐としており、普段なら開口一番に貧乳だのドチビだのと絡んでくるはずのロキが露骨なまでに眉根を寄せて不機嫌そのものの面持ちで腕を組んでいる一方、ガネーシャにしてもあの仰々しい名乗りを上げる気配すら微塵も見せず、ただ威厳に満ちた沈黙を守ったまま巨躯を椅子へと沈めていた。
あまりの重苦しさにヘスティアが居心地の悪さを募らせていると、象の仮面の奥から低く硬い声が静かに落ちてきた。
「……ソーマの件だが、近々開かれる
「沙汰って……やっぱり、あの件かい?」
ヘスティアの問いかけに対し、ガネーシャは厳かに頷きを返す。
「表向きは団長が闇派閥と通じ、モンスターを都市外へ流出させようとした責任は極めて重く、ソーマ・ファミリアは今後、ガネーシャの傘下という形で厳格な監視下に置くこととなった」
「……大分、温情があるな。被害がゼロやったとはいえ、オラリオに大量のハートレスをもたらしたんやろ?」
腕を組んだままのロキが不快感を隠そうともせずに鋭く指摘すると、ガネーシャは重々しく首を振った。
「下手にオラリオからの追放や、送還で済ませても、それで根本的な解決になるとは思えん。……元団長のザニス自身がハートレスにされたというのに、独房の中で『あの方が助けてくれるはずだ』とずっと呟いているそうだ」
「……」
「あれほどの闇への異常な心酔を考えれば、主神であるソーマへの影響も注視しなくてはならん。最悪の場合、ザニスに力を与えた存在が、ソーマ自身に何か干渉していないとは断言できんからな」
ガネーシャの懸念にロキも反論を飲み込み、それきり会話は途切れてしまい、室内の空気は氷のように冷え切っていった。
針の筵のような沈黙の中で時間だけが刻一刻と過ぎていき、約束の刻限をとうに過ぎても姿を見せない最後の神に対し、ロキの堪忍袋の緒がついに限界を迎える。
「……いつまで待たせる気や、あのボケヘルメス!」
怒気を爆発させたロキが懐から折りたたみ式の端末を乱暴に引っ張り出して迷わずヘルメスへの通信を叩きつけると、数度の呼び出し音の後にスピーカーの向こうから拍子抜けするほど呑気な声が返ってきた。
『やあ、どうしたんだいロキ?』
「どうしたやあらへんわ! おどれヘルメス、いつまでうちらを待たす気や!」
『いやあ、本当にすまないね。ちょっとばかり急用が入って手を取られていてね。……ちょうど今、君たちの真上に到着したところだよ。よかったら窓を開けてみてくれないかい?』
「……はあ? 窓やと?」
訝しげに目を細めるロキを尻目にガネーシャが静かに席を立ち、中庭に面した大窓を一気に押し開けると、夜の穏やかな静けさは瞬く間に吹き飛んでしまった。
頭上から叩きつけられる吹き下ろしの猛烈な突風が室内に雪崩れ込み、深紅のカーテンを激しく煽って敷布を浮き上がらせるだけでなく、巨大な回転が空気を引き裂くような重厚極まりない圧迫感が個室全体を満たしていく。
怪訝な面持ちで夜空を見上げた三柱は、その場に縫い止められたように息を呑むこととなった。
夜闇を背にして浮かんでいたのは鳥でも飛竜でもなく、天を衝く何基もの回転翼を旋回させ、鮮やかな紫色の筒状装甲と鋼の骨組みを組み合わせた巨大極まりない『家』だった。
大海原を往くはずの船が大地を遥か下に見下ろしながら確固たる質量をもって空中に静止しており、まるで子供の積み木細工に人知を超えた技術を注ぎ込んで受肉させたかのような、圧倒的な異形の要塞そのものだった。
「お、おお……! シャクティのヴィマーナよりも遥かに巨大ではないか……!?」
「……は? 船……? なんで空を飛んどるんや!?」
ガネーシャが我を忘れて感嘆の声を漏らし、ロキが口をあんぐりと開けて天を仰ぐ一方で、ヘスティアはその奇妙な外観に強烈な見覚えを感じて目を丸くしながら立ち上がっていた。
「ま、まさか……ソラ君が持っていた、あの『グミシップ』を本当に形にしちゃったのかい!」
度肝を抜かれた神々が見守る中、緩やかに高度を下げた飛空艇から旅装の風来坊たるヘルメスが酒場のバルコニーへと軽やかに飛び降りてくる。
「いやあ、待たせて悪かったね」
何食わぬ顔で羽根付き帽子に手を当ててみせるヘルメスへ、すかさずロキの怒鳴り声が突き刺さった。
「おっそいねん、ボケナス!」
「そう怒らないでおくれよ。なにぶん初めて動かす代物でね、調整に手間取ってしまったんだ。しかも急遽オラリオの外に出ないといけない用事ができてな。こいつがなかったら二十日はオラリオに帰れなかったよ。いやぁ外の技術はすごいなぁ!!」
「それで、ヘルメス。背後に控えているのは
ガネーシャが鋭い視線を向けた先、ヘルメスの背後には頭の天辺から爪先までをすっぽりと包み込む漆黒の外套を被った人物が音もなく佇んでいた。
「いや、アスフィなら飛空艇をヘファイストスの工房へ戻しに行かせているよ」
「なら、その怪しいのは誰やねん」
ロキが怪訝そうに眉をひそめたその時、黒コートを纏った人物がゆっくりと細い指先をフードへと伸ばし、布地が払われて露わになったその横顔を目にした瞬間、ヘスティアの喉から弾かれたような叫びが上がった。
「アルテミス……っ!」
考えるよりも先に床を蹴ったヘスティアは、再会の喜びを全身で爆発させながら愛しい親友の胸元へと思い切り飛び込んでいった。
「アルテミス! 久しぶり、本当に久しぶりだよ……!」
強く抱きしめたヘスティアだったが、やがて何か決定的な違和感に気付いたのか、再会の喜びに満ちていた顔から急速に血の気が引いていく。
「ア、アルテミス……? 君、君は一体……!?」
戦慄に震えながら後ずさるヘスティアに対し、呼びかけられたアルテミスは硝子細工のように透き通った瞳でただ見つめ返すばかりで何の言葉も発せず、息の詰まるような緊張が部屋の空気を張り詰めさせたその時、部屋の隅の薄暗がりから低くよく通る声が静かに滑り込んできた。
「――それを踏まえて、説明は俺がしよう。今後のロキたちの動きについても、俺が同席していた方が好都合だろう?」
神々が一斉に視線を走らせると、いつの間に忍び込んでいたのか気配の一片すら感じさせない完全な潜行で、壁に背を預けるようにもう一人の黒コートが佇んでいた。
その男が嘲るような笑みを浮かべながらフードを跳ね上げると、見覚えのある精悍な顔立ちが影の中から浮かび上がってくる。
「エ、エレボス……!?」
ヘスティアが愕然と絞り出すと、男は小さく肩をすくめ、その呼び名をあっさりと否定してみせた。
「今の俺はベルセクスだ。魂は同じだが、心は違う。だから、別の存在だよ」
エレボスのノーバディであるベルセクスの出現と、明らかな異常が起きているアルテミス。これから始まるハートレス対策会議が波乱に満ちたものになることを、確かに予感させていた。
次回は情報開示みたいな感じの回です
・飛空艇
ソラが提供したグミシップの設計図で作成された代物、厳密に言えばグミシップ擬きで下界でしか使えないが見た目はキングダムハーツ3のグミシップの飛空艇。
オラリオからエルソスの遺跡までを数時間で往復できる飛空速度を持つ、明らかにダンまち世界ではオーバーテクノロジーな代物である。