レフィーヤ・ウィリディスにとって、今日は楽しい休日となるはずだった。
【ロキ・ファミリア】の一員である彼女は、ティオナ、ティオネと共に
憧れの人と過ごせない時間はもどかしかったが、その後の合流を思えば我慢もできた。
——そう、そのはずだったのだ。
脱走したモンスターたちが、悲鳴を上げる人々を蹂躙し始めるまでは。
「なんなのコイツ!? 新種!?」
ティオネの絶叫が響く。
レフィーヤたちの目の前に立ちはだかったのは、大蛇のような怪物だった。当初は大蛇型のモンスターかと思われたが、それは本体である食人花から伸びる触手に過ぎなかった。
その誤認は致命的だった。
「あぐっ……!」
死角からの一撃が、レフィーヤの脇腹を深々と抉っていた。
「うん、なにこの!?」
ティオナが叫びながら姉と共に拳を叩き込むが、怪物はその膂力をゴムのように弾き返し、二人をまとめて吹き飛ばす。
ヒリュテ姉妹が体勢を崩したその隙を、怪物は見逃さない。鎌首をもたげた食人花の頭部が、血を流して倒れるレフィーヤへと殺到する。
「しまっ——!」
「レフィーヤ!」
姉妹の悲鳴にも似た叫びが遠く聞こえた。
迫りくる口と死の予感に思考が凍りつく。逃げなければ、動かなければ——しかし、焼けるような痛みが四肢の自由を奪っていた。
時間が引き伸ばされたような感覚の中、レフィーヤはただ死を見つめることしかできなかった。
その時だ。
一陣の風と共に、何者かが彼女と怪物の間に割り込んだのは。
(……アイズ、さん?)
霞む視界で希望を抱く。だが、焦点を結んだその背中は、黄金の髪の剣姫のものではなかった。
ツンツンとした茶髪。奇抜な衣装。そこに立っていたのは、『豊穣の女主人』で見かけた少年だった。
「下がってろ!」
少年——ソラの手には、フライパンのような奇妙な『盾』が握られていた。コック帽を被ったネズミの意匠が施されたその盾が、炎を纏って怪物の牙を受け止める。
ソラは盾を振るい、紅蓮の炎で食人花を焼き払うと、悲鳴を上げる怪物から視線を切り、レフィーヤにかざした。
「癒しよ!」
優しい緑の光がレフィーヤを包み込む。温かな奔流が傷口に吸い込まれたかと思うと、抉れたはずの肉体は瞬く間に塞がっていった。
(な、治った? 回復魔法……それに超短文……!?)
痛みが消え、呆然とするレフィーヤに手が差し伸べられる。
「大丈夫か?」
「は、はい、ありがとうございます……」
レフィーヤは夢心地のままその手を取り、立ち上がる。
「ならよかった」
ニッと少年らしく笑うと、ソラは再び盾を構え、二人を守るように立ちはだかった。
彼の視線は険しい。目の前の食人花は、ただのモンスターではなかった。漆黒の茎に紫の血管が脈打ち、その中心には——禍々しい『ハートレス』のエンブレムが刻まれている。
(これがこの世界のハートレス…)
「ここから離れた方がいい! こいつは危険だ!」
「で、でもあなたは! 盾しかないじゃないですか!」
レフィーヤの悲痛な声に、ソラは背中で語る。
「心配すんな! 盾を使って戦うことはできる! 君は自分の心配をしてくれ!」
その言葉に、レフィーヤは唇を噛み締めた。
まただ。いつもこうだ。
トラブルに巻き込まれては、アイズやティオナたちに助けられる。どこからともなく現れた少年にさえ守られ、「下がっていろ」と言われる。
足手まといの言葉が脳裏をよぎる。自分は、ここにいる意味があるのだろうか。
その時、一閃の風が戦場を駆け抜けた。
アイズだ。彼女は剣を構え、食人花の首を刎ねんと肉薄する。
だが、剣刃が怪物の表皮に触れた瞬間、砕け散ったのは剣の方だった。
「——ッ」
アイズが目を見開く。即座に『エアリエル』を展開するが、食人花は口から爆発性の種子を吐き出し、彼女を至近距離で吹き飛ばした。
「ア、アイズさん!」
レフィーヤが駆け出そうとするが、ソラがそれを制し、飛来した種子を盾で爆炎と衝撃を受け止める。
「下手に出るのは危険だ!」
「で、でもアイズさんを助けないと! か、彼女が——!」
だが、絶望は畳みかけるように訪れた。
突如として周囲の気温が急降下し、石畳の地面がパキパキと音を立てて凍り付いたのだ。
「なっ、今度は何!?」
吹き飛ばされていたティオナが身を起こしながら叫ぶ。
凍てついた地面から、さらなる異形が這い出してきた。
それは、透き通る氷塊で構成された東洋の龍のような姿をしていた。鋭利な氷のヒレと棘を持ち、冷気を纏いながら宙を遊泳する。その額にもまた、食人花と同じ禍々しいエンブレムが刻まれていた。
ハートレス--『フロントサーペント』の出現だった。
「シャアアアアッ!」
フロントサーペントが咆哮と共に、絶対零度のブレスを撒き散らす。
「くっ、こいつら連携してやがる!」
ソラは顔をしかめた。食人花の触手攻撃と爆発種子、そこにフロントサーペントの冷気攻撃が加わり、戦場は混沌を極めていく。
ソラは振り返り、パニック寸前のレフィーヤを見た。その瞳にあるのは、恐怖よりも友人への切実な想い。
——なら、答えは一つだ。
「友達を助けたいか?」
「えっ?」
「友達の危機を助けたい気持ちは分かる。だったら、俺ができるだけ注意を引く! 合図したら、友達を助けに行くんだ!」
「で、でも、じゃあ——」
あなたは? そう言いかけたレフィーヤを、ソラの力強い瞳が射抜く。
「俺のことはいい!君は友達を助けることに集中するんだ。君ならできるんだろ!」
根拠などない。会ったばかりの他人だ。
けれど、その真っ直ぐな信頼は、ファミリアの仲間たちが向けてくれる笑顔と同じ温度を持っていた。
(……何してるんだろう、私……誰かを囮にするなんて……!)
迷いは消えた。レフィーヤは杖を握りしめ、顔を上げる。
「……みんなを助けられる魔法があります! でも詠唱の時間が必要です! それまで守ってくれますか?」
「ああ、任せろ」
ソラの快諾を受け、レフィーヤは意識を集中させる。
「【ウィーシェの名において願う。森の先達、誇り高き同胞よ】」
足元に魔法円が展開される。
それに呼応するように食人花の触手が襲いかかるが、ソラが盾から炎の輪を放ち、熱波で牽制する。
一方、氷の龍はアイズたちを標的に定めていた。
「氷の次は炎!? 忙しいわねっ!」
ティオネがフロントサーペントの尻尾を拳で砕く。アイズは風を纏い、冷気のブレスを回避しながら怪物へ肉薄しようと試みるが、空を泳ぐ敵は捉えるのが難しい。
「【我が声に応え、草原に来たれ。繋がる絆、楽園の誓い。円を描き、舞い踊れ】」
詠唱が続く中、戦況は苛烈さを増す。
ソラは食人花の猛攻を一心に受け止め、炎のカウンターでフロントサーペントを牽制する。二体のハートレスのヘイトを巧みにコントロールし、レフィーヤへの攻撃を許さない。
「【来たれ、妖精の輪。どうか、私に力を! 終末の光、極寒の地。たそがれの前に風と吹け】」
長文詠唱が完成に近づく。食人花は脅威を感じ取ったのか、口内にどす黒い闇のエネルギーを収束させ始めた。
マズい。放たれれば全員が吹き飛ぶ。
だが、ソラは動じていなかった。
「よしっ、待ってたよ!」
少年はアイズたちを追い抜き、真正面から食人花へと突っ込む。
「何をする気——!?」
ティオナの叫びと同時に、食人花から闇のビームが放たれた。
しかし、ソラは盾を突き出し、叫ぶ。
「これでも食らえ!」
盾の先端から噴出したのは、圧倒的な質量の炎弾『フレイムバースト』。闇と炎が衝突し、凄まじい衝撃波が広場を揺るがす。
拮抗は一瞬。炎が闇を押し返し、食人花へと炸裂した。
時を同じくして、空中のフロントサーペントがアイズへ突撃する。
「アイズ!」
ティオネが叫ぶが、間に合わない。
だが、剣姫は冷静だった。迫りくる氷の顎に対し、彼女は風の防壁を解き——あえて懐へと飛び込んだ。
「——【リル・ラファーガ】」
至近距離で放たれた風の一撃が、氷の龍の胴体に直撃する。砕け散る氷の身体。フロントサーペントは悲鳴を上げることなく霧散した。
「任せた!」
煤けた顔でソラが飛び退く。その背中越しに、レフィーヤは叫んだ。
「【閉ざす光、凍てつく大地。吹雪、三つの厳冬——我が名はアールブ!】」
極寒の魔力が飽和する。
「【ウィン・フィンブルヴェト】!!」
解き放たれた猛吹雪が、直線上の全てを白銀の世界へと変えた。瓦礫も、触手も、そして食人花自身も、絶対零度の氷塊の中に閉じ込められる。
「やった! すごいよレフィーヤ!」
ティオナが歓声を上げる。だが、安堵は早計だった。
ピキ、と氷に亀裂が入る。
「嘘……! 私の最強の魔法だったのに……!」
レフィーヤが絶句する中、氷を砕いて一つの頭部が飛び出した。
食われる——そう思った瞬間、宙を舞うソラが叫んだ。
「これで終わりだ!」
彼が掲げた盾が光を放ち、一瞬にして巨大な——そう、巨大なフライパンへと変形した。
「そ、それフライパ——!?」
ティオナのツッコミは、轟音にかき消された。
巨大フライパンが脳天直撃。炎と共に怪物を地面に叩き潰し、食人花は断末魔と共に黒い霧となって消滅した。
静寂が戻った広場で、ソラは地面に残された黒い結晶を拾い上げた。
「ねえ、何あれ!? その巨大なフライパンどこから出したの!?」
好奇心の塊となったティオナが詰め寄る。ソラは慌てて結晶をポケットに隠した。
「あ、えっと——!」
「この馬鹿がごめんなさいね、でも、私も驚いたわ。フライパンの形をした魔剣があるなんて」
ティオネが妹を小突くとアイズも静かに近づいてきた。
「……あの氷のドラゴンも、新種?」
「多分な。さっきの花のモンスターと連携してて厄介だったよ」
「……盾はどこ?」
「うわっ、魔剣みたいに壊れちゃったの!?」
キーブレードを見せるわけにはいかないと思ったソラはとっさティオナの言葉に合わせることにした。
「あ、あー、そうなんだ。フライパンに変えて炎を出す特別な魔法がかかってて……使うと壊れちゃうんだよ」
「あんなことができるなんて、相当な物だったんでしょうね。もったいないことさせたわ」
ティオネの言葉に、ソラは笑って首を振る。
「後悔はしてないよ。みんなを助けてあのモンスターを倒せたなら、使った甲斐があったってことさ」
その屈託のない笑顔に、レフィーヤは胸が熱くなるのを感じた。
「助けていただいて、本当に感謝します。あなたがいなければ、もっと苦戦していました。二体の新種を相手に、回復魔法も……すごかったです」
「何言ってんだよ? 君の魔法こそすごかったぜ! あれがなかったら、食人花を足止めできなかった!」
ソラの言葉に、ティオナとティオネ、そしてアイズも頷く。
「ありがとう、レフィーヤ」
憧れの人の言葉に、レフィーヤの瞳が潤んだ。
「よう! パーティーには遅れたみたいやな!」
そこへ、ロキが現れた。
ロキの視線が、アイズたちの中心にいる少年——ソラに止まった。
ツンツン頭に、奇抜な衣装。
ロキは記憶の糸を手繰り寄せ、眉をひそめた。
「確か、ドチビの所の……?」
その言葉に、ソラが「げっ」という顔をする。
「ロキ、知ってるの? この人のおかげだよ! この人がいなかったらヤバかったかも。新種が二体も出たんだから!」
ティオナが親指でソラを指して説明する。
「あ、ああ。俺はソラ。所属はヘスティアのところで……」
ティオナに指を刺されたソラは苦笑いで答えた。
「……やっぱりか」
ロキは舌打ちしたい衝動をこらえ、複雑な表情で頭を掻いた。
よりによって、犬猿の仲であるヘスティアの眷属に助けられるとは。神としてのプライドがズキズキと痛む。ヘスティアが、後でどれほど勝ち誇った顔で自慢してくるか想像するだけで胃が痛い。
だが、ロキの鋭い朱色の瞳が、レフィーヤの破れた服の隙間から覗く、完治した肌に向けられた。そこには大量の血痕が残っている。一歩間違えれば、致命傷だったことは明白だ。
プライドよりも重いものが、そこにはある。
「……フン」
ロキは鼻を鳴らし、組んだ腕を解いた。
「ま、ウチの大事な子らを助けてくれたことには変わりないわな。ドチビに借りができるんは死ぬほど癪やけど……今回ばかりは礼を言うたるわ」
ロキは真っ直ぐにソラを見据えた。
「ありがとな。ソラ。レフィーヤ達を手伝ってくれて」
その言葉に嘘偽りはなかった。普段のふざけた態度は鳴りを潜め、眷属を思う「親」としての顔がそこにあった。
「……! どういたしまして!」
ソラは一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにニカっと笑った。
「それじゃ、俺は行くよ。ヘスティアとベルが心配だし」
ソラはそう言って、手を振りながら走り去った。
「じゃぁっ!」
遠ざかる背中を見送りながら、ロキは忌々しげに、しかしどこか認めるように呟いた。
「チッ……あないな子、どこで見つけてきよったんやドチビは?」
「回復魔法で私の傷も完全に治してくれました。それに、あの盾の魔法も……」
レフィーヤの報告に、ロキはさらに眉間の皺を深くする。
「回復魔法に、強力な魔道具持ちか。ドチビのくせに、とんだ拾いもんしよってからに……」
そこへ、ハーフエルフの職員、エイナ・チュールが息を切らして駆けつけてきた。
「あの、今ソラ君を見かけたんですが、彼は大丈夫ですか?」
「入れ違いやな。元気そうに走って行ったで」
ロキの言葉に、エイナは深く安堵の息を吐いた。
「よかった……彼のことだから、また無茶をしてるんじゃないかと思って」
「は? 何言ってのよ? むしろ彼がいなかったらもっとヤバかったし」
ティオナの言葉に、エイナはきょとんとして首を傾げた。
「え? 同じ人の話をしてます? だって彼——。まだ冒険者登録して一週間も経っていない、【Lv.1】ですよ?」
「「「「は?」」」」
エイナは事もなげに言った言葉に全員の声が綺麗に重なった。
訪れた沈黙の中、ロキだけが額に青筋を浮かべ、虚空を睨みつけた。
「ほんまに……どないしてそないな子を見つけたんや、あのドチビいッ!!」
・
ベル・クラネルにとって、今日は祭りを楽しむ安息日となるはずだった。しかし、運命の歯車は狂い、事態は急転直下、大惨事へと転がり落ちていた。
極彩色の装飾が施された街並みは、今や恐怖の悲鳴と破壊音に支配されている。
檻から脱走したシルバーバック。その白銀の巨獣は、なぜか執拗にヘスティアとベルを標的に定め、追い立ててくる。逃げても逃げても、その執念深い殺意は背後から迫り来る。
背中で感じる殺気は、まるで氷柱を突きつけられているかのように鋭く、冷たい。
路地を駆け抜けながら、ベルは焦燥に駆られた。
(盾を展開して、神様を抱えて逃げれば……!)
だが、その選択肢は即座に却下せざるを得なかった。下手に逃げ回れば、巻き添えで町の住民に被害が出る。ベルとして、それは許されない行為だった。
守るべき者の存在が、少年の足を重くし、思考を縛り付ける。
追い詰められたのは、複雑怪奇な路地が入り組む迷宮街区――ダイダロス通り。
地の利を活かして撹乱を試みるも、モンスターは並外れた跳躍力で建物を飛び越え、執拗に食らいついてくる。
石造りの壁を爪が削る音が、すぐ耳元で響く。迷宮のような路地すらも、この獣にとってはただの遊技場に過ぎないのか。
隠し通路へ滑り込み、一時的に息を整えることはできた。だが、それも時間の問題だ。奴の鼻は、確実に二人の居場所を嗅ぎつけている。
荒い呼吸音が、静寂の中で不自然に大きく響く。心臓の鼓動が早鐘を打ち、恐怖が喉元までせり上がってくる。
覚悟を決め、ありったけの勇気を振り絞って立ち向かったベルだったが、結果は無残なものだった。愛用のナイフは白銀の剛腕に触れただけで飴細工のように砕け散り、手元に残ったのは魔法で喚び出したディフェンダーのみ。
幸いにもその耐久力は桁外れで、シルバーバックの猛攻を凌ぎつつ、盾そのものを投擲して牽制することはできた。
しかし、決定打がない。
守ることはできても、勝つことはできない。その絶望的な事実が、ベルの心を蝕んでいく。
今のベルのステータスでは、あの強靭な肉体を削りきることは不可能だ。体力が尽きるのが先か、一瞬の隙を突かれて絶命するのが先か。
思考を巡らせるその一瞬の隙間。
風を切り裂く轟音と共に、シルバーバックの豪腕が横薙ぎに振るわれた。
「くっ!」
反射的にディフェンダーを展開するが、衝撃は殺しきれない。ベルの体は枯れ木のように吹き飛ばされ、石壁に叩きつけられた。
「がはっ……!」
肺から空気が強制的に排出され、視界が明滅する。
全身を走る激痛。だがそれ以上に、己の無力さが悔しかった。
(ソラのキーブレードみたいな……強い武器があれば……!)
ベルは血の味と共に歯を食いしばる。
このままでは全滅だ。ならば自分が囮になって、その隙にヘスティアだけでも逃がさなければ。
悲壮な決意を固めかけたその時、ヘスティアが彼の前に割って入った。
「ベル君……もっと良い武器があれば、あいつを殺れるかい?」
その瞳に宿っていたのは、恐怖ではなく、燃えるような真剣な光だった。
それは、神としての威厳と、母のような慈愛が入り混じった、絶対的な信頼の眼差し。
ベルは呆気にとられ、数回瞬きをする。
「えっと、はい。……どうしてですか?」
ヘスティアはふわりと微笑むと、背に隠していた布包みを解き放った。
現れたのは、一振りのナイフ。
ベルは吸い寄せられるようにその柄を握り、鞘から引き抜く。
その瞬間、彼の瞳が見開かれた。
漆黒の刃。その表面には複雑な幾何学模様が刻まれ、微かな脈動と共に光を放っている。そして何より目を奪ったのは、刃の縁を彩る清冽な白い輝き――それは、ソラと共に戦った時に何度も目にした、『光』の力そのものだった。
手に伝わる重みは、単なる金属のそれではない。温かく、力強く、鼓動しているかのようだ。
「……これ……光ですか?」
震える声で尋ねると、ヘスティアは深く頷いた。
「ああ。ソラ君もこの武器のことを知っていてね、作成に協力してくれたんだ」
「ソ、ソラが……」
ベルは手の中の重みを見つめる。
(……また……ソラは僕が強くなるために、助けてくれたんだ……)
胸の奥から熱いものが込み上げる。友人からの信頼と、女神の期待。その二つが、折れかけた心に新たな火を灯した。
恐怖は消えた。代わりに満ちてくるのは、使命感と高揚感。
「お行き。ソラ君とボクからのプレゼントだよ。ソラ君と一緒にハートレスと戦うなら、強い武器が必要だろ。ソラ君にキーブレードがあるように、君には君だけの武器があるんだ」
「神様……」
ベルは静かに、けれど力強く答えた。
ヘスティアは立ち上がり、ニッと勝気な笑みを浮かべる。
「さて、戦う前にステータス更新だよ。あいつを倒すには全力が必要だからね」
一刻を争う状況下、ベルは即座に背中を晒した。ヘスティアは手際よく針を刺し、血で神聖文字を更新していく。
前回から数日しか経っていない。常識で考えれば微々たる変化のはずだ。だが、ヘスティアはすでに確信していた。この少年の成長は、常識など軽く飛び越えていくと。
更新を終え、浮かび上がったステータスを見たヘスティアは、内心で絶句した。
ベル・クラネル
Lv.1
力:F386→D588 耐久:G269→E449 器用:G299→E495敏捷:E420→C669
魔力:I0→H224
(あの数日で上昇値1000オーバー!?)
驚愕は一瞬。すぐに呆れたようなため息へと変わる。
(まあ、ソラ君が関わった時点で、これくらいのデタラメは予想すべきだったか!)
背中に走る熱は、いつもの更新よりも遥かに熱く、まるで体内で新たなエンジンが唸りを上げたかのようだった。
更新を終えたのと同時、広場にシルバーバックの咆哮が響き渡る。奴が来たのだ。
ベルは新しい相棒を強く握りしめ、前を見据えた。
逃げる必要はない。ソラと女神の信頼に応える時だ。
「いっけえええ!」
ヘスティアの手が、ベルの背中を力強く押した。
その勢いを借りてベルは弾丸のように飛び出す。シルバーバックへ向かって一直線に疾走する自分の速度に、ベル自身が驚愕した。
(体が……軽い……!)
手には強力な武器。背後には安全な場所にいる女神。そして目の前には、自分だけに集中するモンスター。
何もかもが揃っている。全力で戦える。
世界がゆっくりと動いて見える。研ぎ澄まされた感覚が、戦場を支配していた。
今までなら、隙を見て魔石を砕くことだけを考えていただろう。だが、ベルはすでに知っている。様々な形態を持ち、この階層の主よりも遥かに強大な『ハートレス』との死闘を。それに適応し、生き延びてきた経験を。
シルバーバックも同じだ。ただ図体がデカいだけ。
ソラと女神の信頼に報いるため、安易な勝利ではなく、正面からねじ伏せる。ソラに自分の力を見せるんだ!
シルバーバックが咆哮し、丸太のような拳を振り下ろしてくる。
その軌道を視界に捉えた瞬間、ベルの脳裏にソラが語った冒険譚がフラッシュバックする。巨大な闇の怪物『ダークサイド』との戦い。その動き、その攻略法。
イメージが重なる。巨躯を相手にする際の足運び、死角への潜り込み方。
ベルは最小限の動きで横へ跳躍し、拳を回避。すれ違いざまにナイフを走らせる。
一閃で硬質な皮膚がバターのように切り裂かれ、鮮血が舞う。
モンスターは苦痛に吠え、拳を引き戻して薙ぎ払おうとするが、ベルはバックステップで軽々と躱す。
左右へ高速で動き回り、シルバーバックの攻撃を空転させ、その度に腕へ深い傷を刻んでいく。
ベルの軌跡に残るのは、白と黒の光の残像。それはまるで、戦場を舞う一陣の風。
業を煮やしたシルバーバックが、腕の鎖を振り回す。凶器と化した鉄鎖が迫るが、ベルは怯まない。ナイフを振るう。金属音が響くことすらなく、鎖は断ち切られた。
敵が勝負を急ぎ、大跳躍から両拳を振り下ろしてくる。
それこそが、ベルの待ち望んだ好機。
紙一重で衝撃波を回避し、着地した腕を足場に駆け上がる。
頭部の金属装具ごと斬撃を叩き込み、背後へと着地する。
視界を奪われた獣が悲鳴を上げる。血が流れ、目を押さえてよろめく隙を見逃すベルではない。距離を詰め、無防備な背中を斜めに切り裂く。
激痛に暴れる左腕を掻い潜り、ベルは懐深くへと飛び込んだ。
目の前にそびえ立つ巨体。だが、その命脈を絶つ道筋は、はっきりと見えていた。
――しかし、獣の闘争本能は死んでいなかった。
瀕死の巨獣が、最期の決心とばかりに苦悶と殺意の入り混じった絶叫を上げる。自らの死を悟り、目の前の怨敵を道連れにせんと、残された右腕を丸太のような勢いで振り上げたのだ。
至近距離からの、回避不能な一撃。
だが、ベルの思考は冷徹なまでに冴え渡っていた。
(ここだ!)
一瞬の集中。練り上げられた魔力が、ベルの意志に応える。
ベルとシルバーバックの間の空中に、ディフェンダーが瞬時に顕現した。
迫りくる剛腕。しかし、ベルはそれを防御には使わなかった。
衝突の刹那、ベルは出現したディフェンダーを思い切り蹴りつけたのだ。
硬質な破壊音が響き、モンスターの膂力とベルの脚力に挟まれた盾は掻き消える砕け散る。だが、その強烈な反動が、ベルの体をさらに高く、宙へと弾き飛ばしていた。
シルバーバックの必殺の一撃は、ベルの足元にあった空を虚しく薙ぎ払うのみ。
「はぁぁぁっ!」
空中で体勢を整えたベルは、驚愕に見開かれた獣の眼下から、彗星のように落下する。
煌めく刃が、喉元を真一文字に奔る。
鮮血が噴水のように噴き出し、シルバーバックは自らの血で喉を詰まらせ、よろめいた。背中、腕、目、喉。全身から命が漏れ出していく。
やがて、巨獣は最期の弱々しい咆哮を残し、地響きと共に仰向けに倒れ込んだ。
動かない。
静寂が戻る。圧倒的な質量を持つ死骸の横で、ベルはただ一人、立っていた。
ベルは荒い息を整えながら、沈黙したモンスターを見下ろした。耳には自分の心臓の音だけが大きく響いている。
(信じられない……やったんだ。特訓の成果が出たんだ……!)
ソラとの特訓。彼から聞いた戦いの記憶。それらがすべて血肉となり、ベルに勝利をもたらしたのだ。
呆然とするベルの耳に、わっと歓声が飛び込んできた。
顔を上げれば、隠れていた人々がドアや窓を開け、拍手と指笛で称賛を送ってくれている。
「やったね!ベル君!!!」
弾かれたように飛び出してきたヘスティアが、ベルに抱きついた。
温かいぬくもりと、自分を誇ってくれる声。それが、戦いが終わったことを実感させた。
「か、神様、やりました!」
「ああ、やったとも! ボクの自慢のファミリアだよ!」
ヘスティアは我が事のように胸を張る。
「ベル!」
その時、頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。
ベルが振り返ると、ソラが建物の屋根から軽やかに着地したところだった。
「ソラ!」
「ソラ君!?どこから来たの!?」
「屋根の上を走って探してたんだ。グライド……空を飛んで探したかったけど、目立つから走るだけで我慢したよ」
ソラは頭をかきながら説明し、ふと足元のシルバーバックの死体に目を留めた。
「やったんだな。ベル…」
「はい。最初は苦戦しましたけど……」
ベルは、まだ熱を帯びている漆黒のナイフをソラに差し出した。
「……ソラのおかげで、モンスターを倒して神様を守れたんだ」
「おお、それが新しい武器か?」
ソラは目を輝かせ、刃から放たれる白い光に感心したように頷く。
「……俺が渡した素材、ちゃんと役に立ったみたいだな」
「はい……ソラと神様のおかげで勝てました。本当にありがとうございます、この武器をくれて!」
「俺は素材を提供しただけだよ」
ソラはニッと屈託なく笑った。
「役に立てて嬉しいよ!」
「役に立ったなんてもんじゃないよ! 結果が物語ってる。正直、前の武器とは雲泥の差だよ」
ヘスティアが興奮気味にベルを指差す。
「ああ。でも、それを使いこなしたのはベル自身の努力さ!」
ソラは右の拳を突き出した。
ベルは一瞬戸惑ったが、その意味を悟り、ゆっくりと自分の拳を合わせた。
拳が静かに触れ合う。
「バララララララ!」
「バラララララ……ラ?」
ソラは指を波打たせながら拳を引くとそんなソラの挙動をベルはぎこちなく真似をしてみる。
「……そのジェスチャー、また外の世界のものかい?」
ヘスティアは呆れたようにため息をついたが、その表情は柔らかかった。
奇妙な挨拶に少しだけ照れくささを感じながらも、ベルの胸には確かな達成感が満ちていた。それはモンスターを倒したこと以上に、憧れの友人に一歩近づけたという喜びだった。
ヘスティア・ナイフ:アビリティ-ファイアアップ、ラストリーヴ
攻撃と魔法の威力はベルの成長と共に強くなる
書き溜めは一旦これで終わりです。