東方帰還録 ~ Reclaiming the Bond ~   作:地軸

10 / 24
第十話 風神録前編

博麗神社に、珍しく来客があった。

 

 賽銭箱の前に立つ少女は、霊夢と同じ巫女装束を身に着けている。

 ただし、色も形も、どこか見慣れない。

 

「こんにちは。博麗神社の巫女さん、ですね」

 

 やけに丁寧な声だった。

 霊夢は箒を止め、相手を一度だけ眺める。

 

「そうだけど。あんたは?」

 

「東風谷早苗と申します。守矢神社の巫女です」

 

 聞いたことのない神社だ。

 それなのに、名乗り方には妙な自信があった。

 

 霊夢が次の言葉を探すより先に、早苗は続ける。

 

「率直に言いますね。この神社――

 信仰、ほとんど集まっていませんよね?」

 

 思ったよりも、直球だった。

 

 霊夢は肩をすくめる。

 

「まあ、そうね」

 

 事実だ。

 隠す気も、誤魔化す気もない。

 

 そのやり取りを、縁側から凪が見ていた。

 湯呑みに伸ばしかけた指が、ほんの一瞬だけ止まる。

 

(――いつからだ)

 

(いつから、日本の神は、

 八百万の信仰を捨てて、

 他の神を喰らう一神教もどきの邪神になってしまったんだ)

 

 言えば、話は壊れる。

 これは霊夢の異変でなくなる。

 

 凪は、何も言わなかった。

 

「ですので」

 

 早苗は続ける。

 

「博麗神社を、お譲りいただけませんか?」

 

 空気が、わずかに張りつめた。

 

 霊夢は怒らなかった。

 ただ、目を細める。

 

「譲るって……ここ、私の家なんだけど」

 

「承知しています。ですが、神社としての役割を考えれば――」

 

 霊夢は、早苗の肩越しに縁側を見た。

 凪は、視線を逸らしている。

 

 ――今、こいつ。

 何か、ヤバいこと言いそうだった。

 

 でも、言わなかった。

 自分のために。

 

「却下」

 

 霊夢は、あっさりと言った。

 

「私は博麗の巫女よ。

 この神社は博麗神社。

 譲る理由がないわ」

 

「……そうですか」

 

 早苗は一度、息を整える。

 

「なら、力で示していただきます」

 

 霊夢は振り返り、にやりと笑った。

 

「望むところよ」

 

 早苗は一礼し、踵を返す。

 

「妖怪の山で、お待ちしています」

 

 去っていく背中を見送りながら、霊夢は小さく鼻を鳴らした。

 

「やれやれ……」

 

 縁側に戻り、凪を見る。

 

「留守番、お願い……

 今、ヤバいこと言いそうだったでしょ」

 

 凪は、何も答えない。

 

「でも、よく呑み込んだわね」

 

 霊夢は帽子を被り直す。

 

「――私の異変だもの。

 あんたの分まで、とっちめてくるわ」

 

 凪は、静かに頷いた。

 

「行ってこい」

 

 霊夢は空を見上げる。

 風の向きが、確かに変わっていた。

 

 異変が、始まっている。

 妖怪の山は、相変わらず高い。

 

 登るたびに思う。

 別に距離が長いわけじゃない。

 ただ、ここは――歓迎される場所じゃない。

 

 霊夢は草を踏み分けながら、無言で進んでいた。

 

 ――あいつら、誰も気にしてない。

 

 凪がいないことを。

 

 当たり前だ。

 異変を解決するのは、いつも自分。

 

 それでいい。

 

 ……それで、いいはずだ。

 

 

 

 木々の間から、軽い足音が聞こえた。

 

「おや?」

 

「人間の巫女さん?」

 

 色づいた葉の間から現れたのは、二人の神。

 山の神というより、季節の一部みたいな存在。

 

「通りがかり?」

 

「それとも、山の用事?」

 

「異変よ」

 

 霊夢はそれだけ答える。

 

 二人は顔を見合わせて、ふうん、と曖昧に頷いた。

 

「じゃあ、私たちは関係なさそうだね」

 

「秋は忙しいし」

 

「……ええ、そうね」

 

 勘は鳴らない。

 殴る理由も、立ち止まる理由もない。

 

 そのまま通り過ぎる。

 

 

 

 少し進むと、空気が渦を巻いていた。

 

 少女が一人、風の中心で回っている。

 

 厄神。

 

 見た瞬間、霊夢の中で何かが引っかかった。

 

 敵意じゃない。

 悪意でもない。

 

 ただ――近づくな、という警告。

 

「……」

 

 霊夢は足を止める。

 

 雛は霊夢を見て、ほんの一瞬、目を見開いた。

 

 何かを見たような顔。

 見てはいけないものを、見てしまったような。

 

「あなた……」

 

 言葉は続かなかった。

 

 雛は回り続けながら、霊夢から少し距離を取る。

 

 ――今殴る理由は、ない。

 

 それだけは、はっきり分かる。

 

 霊夢は何も言わず、通り過ぎた。

 

 背中に、視線が絡みつく。

 厄を吸い取ろうとして、途中で手を止めたような、奇妙な沈黙。

 

 

 

 川の音が聞こえてくる。

 

「お、客?」

 

 河童の少女が顔を出す。

 

「何か買う?」

 

「いいえ」

 

「じゃあ情報だけ。山の上、神様がピリピリしてるよ」

 

「知ってる」

 

 にとりは肩をすくめた。

 

「ま、止めないけどね」

 

 

 

 次に現れたのは、白狼天狗。

 

 槍を構え、道を塞ぐ。

 

「ここから先は――」

 

「通るわ」

 

「……仕事なので」

 

 短い弾幕。

 必要最低限。

 

 勝敗はすぐについた。

 

 椛は一礼し、道を開ける。

 

 

 

 そして、風が変わった。

 

「いやぁ、さすがですね」

 

 射命丸文。

 

 その目は、霊夢だけを見ているようで、

 見ていないものも確かに見ている。

 

「今日は一人ですか?」

 

「……何が言いたいの」

 

「いえ、別に」

 

 でも、空気が張りつめる。

 

 ここから先は、遊びじゃない。

 

 霊夢は符を構えた。

 

 ――勘が、はっきりと鳴っている。

 

 風が走った。

 

「――では、通行確認といきましょうか」

 

 射命丸文は、軽い調子で符を構える。

 いつもの笑顔。いつもの声。

 

 けれど、その距離感は正確だった。

 

「邪魔するなら、どきなさい」

 

「ええ。天狗として、そこは省けませんので」

 

 最初の弾幕。

 風は鋭く、しかし深追いしない。

 

 霊夢は結界を展開し、一歩踏み込む。

 

 ――速い。

 

 だが、知っている速さだ。

 山の天狗の、仕事としての速さ。

 

「今日は……静かですね」

 

 文が言う。

 

 その視線は、霊夢の背後を一瞬だけなぞった。

 確認。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

「余計なものが、ないだけよ」

 

「なるほど」

 

 納得するのが早い。

 

 文は弾幕を重ねながら、霊夢の動きを測る。

 勘。反応。迷い。

 

 ――揺れていない。

 

 それが、文にとっての結論だった。

 

「では、これ以上は不要ですね」

 

 風が緩む。

 

「……退くの?」

 

「ええ。止める理由が見当たりません」

 

 文は符を下ろし、肩をすくめる。

 

「今日は“博麗の巫女”の記事で十分です」

 

「勝手に書かないで」

 

「そこは、いつも通りで」

 

 笑うが、深入りはしない。

 

 文は一歩下がり、道を空けた。

 

「山の上は、少し荒れています」

 

「知ってる」

 

「でしょうね」

 

 それ以上、何も言わない。

 

 風に乗り、文の姿は消えた。

 

 残された空気は、妙に澄んでいる。

 

 霊夢は、深く息を吐いた。

 

 ――問題ない。

 

 今は、それでいい。

 

 彼女は再び、山を登り始めた。

 

 山の風が、強く吹き抜けた。

 

 岩場に立つ巫女は、霊夢を見て微笑んだ。

 逃げ腰ではない。

 待っていた顔だ。

 

「やっぱり来ましたね、博麗霊夢さん」

 

「来るに決まってるでしょ」

 

 霊夢は足を止める。

 

「話は終わったはずよ」

 

「ええ。でも――」

 

 早苗は符を取り出した。

 

「私は、納得していません」

 

 その声に、迷いはなかった。

 誰かに言わされている調子でもない。

 

「信仰が足りない神社が、このまま在り続けるのはおかしい。

 幻想郷の仕組みとして、歪んでいます」

 

「ずいぶん上から言うのね」

 

「事実ですから」

 

 早苗は一歩、前に出る。

 

 人間の距離じゃない。

 だが、神の距離でもない。

 

「だから、ここで止めます」

 

 弾幕が放たれた。

 

 風を切る軌道。

 殺意はない。

 だが、譲る気もない。

 

 霊夢は結界を展開し、正面から受けた。

 

「……本気ね」

 

「ええ。神社のためですから」

 

 弾幕が交錯する。

 

 速い。

 強い。

 だが――

 

「勘違いしないで」

 

 霊夢の声が、弾幕の隙間を割った。

 

「それ、あんたの判断でしょう」

 

 一瞬、早苗の動きが止まる。

 

「……はい」

 

 否定しない。

 

 だからこそ、霊夢は理解した。

 

 この子は逃げない。

 神の名を盾にしていない。

 

「なら、ここまでよ」

 

 霊夢は符を下ろした。

 

 早苗が目を見開く。

 

「え?」

 

「勝ち負けの話じゃない」

 

 一歩、踏み出す。

 

「責任を取れる相手を出しなさい」

 

 風が、止まった。

 

「神社をどうするか。

 信仰をどう集めるか。

 幻想郷で、どの神が残るか」

 

 霊夢は、早苗を真っ直ぐに見る。

 

「それは――あんたじゃない」

 

 早苗は、数秒、黙っていた。

 

 そして、苦笑する。

 

「……さすがですね」

 

 符を収め、一歩退いた。

 

「確かに。

 ここから先は、私の仕事じゃありません」

 

 山の奥。

 雲の向こう。

 

 そこにいる存在を、霊夢も、早苗も知っている。

 

「案内します」

 

 早苗はそう言って、進路を空けた。

 

 霊夢は一度だけ、早苗を見た。

 

 敵ではない。

 だが、同じ場所にも立っていない。

 

「行くわよ」

 

「ええ」

 

 神のいる場所へ。

 

 責任者のいる場所へ。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。