東方帰還録 ~ Reclaiming the Bond ~   作:地軸

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第十一話 風神録後編

山の上は、風が違った。

 冷たいというより、澄み切っている。

 空気そのものが、選別されている感覚。

 

「来たわね、博麗霊夢」

 

 声は、前からではなく、空間そのものから降ってきた。

 

 霊夢は足を止める。

 

「ええ。呼ばれた気がしたから」

 

「でしょうね」

 

 くつくつと、楽しげな笑い声。

 

「うちの巫女が、随分と派手にやったみたいだから」

 

 早苗が一歩前に出かけて、神奈子に視線で制される。

 それだけで十分だった。

 

「弁解はいらないわ。

 あの子が納得してやったことだもの」

 

 霊夢は黙っている。

 その沈黙も、すでに織り込み済みだと分かる。

 

「それより――」

 

 神奈子の視線が、霊夢を通り越す。

 博麗神社のある方角へ。

 

「……ずいぶんと、“呑み込んだ”ものがいる」

 

 霊夢の眉が、わずかに動いた。

 

「私じゃないわ」

 

 即答だった。

 

 迷いも、探りもない。

 

 神奈子は、否定しない。

 肯定もしない。

 

「ええ。わかってる」

 

 ただ、それだけ言う。

 

 風が一段、強くなった。

 

「言えば、話は壊れていた」

 

「……」

 

「これは、博麗の異変じゃなくなっていた」

 

 霊夢は符を指で弄びながら、静かに言う。

 

「だから、言わせなかった」

 

「でしょうね」

 

 神奈子は満足そうに頷く。

 

「あなたが背負った。

 ――それで、世界はまだ形を保っている」

 

 一歩、前に出る。

 

 圧はある。

 だが、それは威圧ではない。

 

 確認だ。

 

「博麗霊夢」

 

「あなたは――

 博麗の巫女で在り続ける覚悟がある?」

 

 霊夢は、即答した。

 

「あるわ」

 

 理由は言わない。

 言う必要がないからだ。

 

 神奈子は、目を細めた。

 

「なら、話は早い」

 

 空が、軋む。

 

「神社は奪わない。

 信仰も喰わない」

 

「ただし」

 

 笑みが消える。

 

「力関係だけは、はっきりさせましょう」

 

 神の領域が、展開される。

 

「――博麗の巫女が、何なのか」

 

 弾幕が、山を覆った。

 

「身をもって、示しなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝敗を決し神奈子の気配が、風とともに遠ざかっていく。

 

 空は静まり返っているのに、

 霊夢はまだ符を下ろさなかった。

 

 ――終わってない。

 

「あーあ」

 

 足元の影が、ぬるりと揺れた。

 

「そこまで察されちゃあ、

 もう黙ってる意味もないよね」

 

 影が立ち上がる。

 

 小さな体。

 幼い見た目とは裏腹に、

 地の底みたいに古い神気。

 

 霊夢は振り返らない。

 

「最初から、いたでしょ」

 

「うん」

 

 諏訪子はあっさり頷いた。

 

「最初から全部、見てた」

 

 霊夢は、ようやく振り返る。

 

「……表に出てこなかった理由は?」

 

「出る必要、なかったから」

 

 軽い口調。

 だが、曖昧さはない。

 

「神社を奪う話も」

「信仰を集める話も」

「あの子が先走ったのも」

 

 指を折りながら、数える。

 

「全部、“まだ壊れてなかった”」

 

 霊夢の目が細くなる。

 

「……壊れてたら?」

 

「止めてた」

 

 即答だった。

 

 冗談めかした声なのに、

 その言葉だけは、冗談にならない。

 

「だってさ」

 

 諏訪子は肩をすくめる。

 

「博麗が壊れると、

 幻想郷は“別の形”になるから」

 

「それは――」

 

「うん。たぶん、もっとひどい」

 

 霊夢は口を閉ざす。

 

 諏訪子は、霊夢の背後――

 博麗神社のある方角をちらりと見た。

 

「言わなかったね」

 

 誰に向けた言葉かは、言わない。

 

「正解だよ」

 

 霊夢は、符を構え直す。

 

「……あんたも、やるの?」

 

「やるよ」

 

 諏訪子は笑った。

 

「確認しとかないと」

 

「何を?」

 

「あなたが」

 

 一歩、近づく。

 

「“選ばなかった側”で、

 ちゃんと立っていられるかどうか」

 

 霊夢の表情が、ほんの一瞬だけ強張る。

 

 ――そこを突くか。

 

「私は、博麗の巫女よ」

 

「知ってる」

 

 諏訪子は、楽しそうに頷く。

 

「だから聞いてる」

 

「もし」

 

 一拍。

 

「その肩書きが、

 あなた自身を縛り潰す日が来たら」

 

「――どうする?」

 

 霊夢は、答えない。

 

 代わりに、結界を展開した。

 

「弾幕で語る趣味は、ないんだけどね」

 

 諏訪子は、跳ねるように後退する。

 

「でもまあ」

 

 地面が、ざわりと動いた。

 

「博麗の巫女は、

 こうやって答えるんだよね」

 

 古い神の力が、解き放たれる。

 

「来なよ」

 

 諏訪子は笑う。

 

「壊れなかった世界の、

 その先を見せてみな」

 

 弾幕が、地と空を塗り替えた。

 

博麗神社は、いつも通りだった。

 

 酒の匂い。

 勝手に増えていく料理。

 誰が呼んだわけでもないのに、集まってくる顔ぶれ。

 

 異変の後とは思えないほど、騒がしい。

 

 縁側に座ったまま、凪はその光景を眺めていた。

 

 ――ああ。

 

 勝ったんだな。

 

 そう思った理由を、言葉にする気はない。

 山で何があったのかは知らない。

 誰からも説明は受けていない。

 

 それでも、霊夢がそこにいる。

 

 それだけで、十分だった。

 

「留守番、ご苦労さん」

 

 いつの間にか、隣に霊夢が座っていた。

 いつもの声。

 少しだけ、疲れた顔。

 

「……おかえり」

 

「うん。ただいま」

 

 それ以上、会話は続かない。

 聞かない。

 話さない。

 

 今は、それでいい。

 

 酒瓶が置かれる音がして、凪は顔を上げた。

 

「いやあ、盛大だねえ」

 

 八坂神奈子が、杯を掲げている。

 機嫌は良さそうだが、浮かれてはいない。

 

 諏訪子はその隣で、足をぶらぶらさせていた。

 周囲を見渡す視線が、ふと、こちらをかすめる。

 

 凪は反射的に視線を逸らした。

 

 言葉はない。

 だが、視線だけで十分だった。

 

 ――見られている。

 そして、何も言われない。

 

 霊夢が、小さく息を吐いた。

 

「山、どうだった?」

 

 何気ない問いかけ。

 返事まで、ほんの一拍。

 

「……いつも通りよ」

 

 霊夢はそう言って、杯を傾ける。

 

 いつも通り。

 

 その言葉の裏にあるものを、

 凪は、考えないことにした。

 

 神奈子が、霊夢の方をちらりと見る。

 

「博麗」

 

「何よ」

 

「面倒な役目、背負ってるわね」

 

 それだけ言って、酒を飲む。

 

 霊夢は肩をすくめた。

 

「今に始まったことじゃないわ」

 

 諏訪子が、くすっと笑う。

 

「ほんとだね」

 

 また一瞬、こちらを見る。

 それでも、何も言わない。

 

 ――言わなかった。

 それが、判断なのだと分かる。

 

 凪は、ゆっくりと息を吐いた。

 

 世界は、まだ壊れていない。

 少なくとも、今日のところは。

 

 霊夢は、博麗神社にいて。

 自分は、その縁側にいる。

 

 騒がしい宴会の音が、夜に溶けていく。

 

 凪は、静かに目を閉じた。

 

 ああ。

 

 ――博麗霊夢のまま、帰ってきた。

 

 

 

 

 

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