東方帰還録 ~ Reclaiming the Bond ~   作:地軸

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第十三話 儚月抄前編

妖怪の山の自室で、姫海棠はたては原稿用紙を前に唸っていた。

 

「……いや、これは絶対ネタになるでしょ」

 

 文が妙に触れず、神様たちが妙に静かで、

 博麗霊夢の隣にいる――あの人間。

 

 噂だけは山を巡っているのに、肝心なところが、どこか欠けている。

 

 ――なら。

 

「撮るしかないじゃん」

 

 はたては軽い気持ちでカメラを構えた。

 距離は関係ない。

 場所も関係ない。

 

 ただ、被写体を思い浮かべ、シャッターを切る。

 

 瞬間。

 

 ――ぐにゃり、と。

 

 視界が歪んだ。

 

「……え?」

 

 現像された写真には、確かに二人が写っていた。

 博麗霊夢と、凪。

 

 だが――

 

 背景が、おかしい。

 

 神社でも、幻想郷でもない。

 黒く濁った大地。

 枯れ落ちた花。

 湿り気を帯びた空気。

 

「……なに、これ」

 

 次の瞬間。

 

 じゅっ、と音がした。

 

「っ!? あっ、あっつ――!?」

 

 写真を持っていた右手から、白い煙が上がる。

 皮膚が、腐るように変色していく。

 

 汗が噴き出し、膝が笑う。

 呼吸が重い。

 体が、急激に疲弊していく。

 

「や、やば……これ……」

 

 それは呪いじゃない。

 攻撃でもない。

 

 穢れだ。

 

 黄泉の穢れが、紙を媒体に溢れ出している。

 

「だ、誰か……!」

 

 はたてが床に崩れ落ちた、そのとき。

 

 空間が、静かに裂けた。

 

「――いけませんわ」

 

 柔らかく、しかし断固とした声。

 

 紫が、そこに立っていた。

 

「イザナミ様。

 それ以上ここで力を振るえば、凪君の心遣いも無駄になってしまいます」

 

 空気が、ひとつ沈む。

 

 写真から噴き出していた穢れが、ぴたりと止まった。

 

 重苦しい沈黙。

 

 やがて、紫がはたてを一瞥する。

 

「……知らなかった、では済まない領域でしたわね」

 

 はたては答えられない。

 手は震え、息も荒い。

 

「ですが」

 

 紫は扇子を閉じる。

 

「今回は、ここまでです」

 

 そう言って、写真を境界の向こうへ消した。

 

――八雲紫よ。

 汝が止めた神罰の不足分を、

 凪に補填しろ。

 

 それだけ。

 

 短く、冷たく。

 まるで短文の脅迫文のように。

 

 紫は扇子を閉じ、ゆっくりと息を吐く。

 

 手紙の端から、微かな穢れの気配が漏れ出している。

 多くを語らぬその言葉に、黄泉の底知れぬ恐ろしさが染みついていた。

 

 これは、脅しではない。

 

 博麗神社の縁側は、穏やかな午後の光に包まれていた。

 

 宴会の余韻がまだ残る境内で、霊夢はいつものように箒を振るい、

 凪は湯呑みを手に、静かに座っている。

 

 その空気が、ふっと揺れた。

 

「あら、凪くん。少しお話があるわ」

 

 紫が隙間から現れ、縁側に腰を下ろす。

 扇子を、優雅に広げて。

 

 凪は湯呑みを置き、彼女を見る。

 かつて話した時のように、少しだけ警戒しながらも、

 その穏やかな表情に肩の力を抜いた。

 

「紫さん、どうしたんですか?

 また何か……異変?」

 

「いいえ。ただの提案よ。

 あなたに、少し贔屓したくなっただけ」

 

 紫は懐から古めかしい紙を取り出し、ちらりと見せてから、またしまう。

 

 凪の視線が、そこに留まる。

 微かな穢れの気配に、胸がざわついた。

 

 だが、紫は詳細を語らない。

 ただ、微笑む。

 

「あなたが霊夢を守る心遣い、素敵だわ。

 だから、補填として……月でデートなんて、どう?」

 

 凪の息が、一瞬止まる。

 

 月。

 脳裏をよぎるのは、儚月抄の記憶。

 月の民、永琳、そして――霊夢。

 

(……ああ、やばいな)

 

 視線を落とし、息を吐く。

 

 霊夢の強さを信じるため。

 そして、黄泉の影を遠ざけるため。

 

「……わかりました。行きましょう」

 

 即答だった。

 

 紫の目が、わずかに輝く。

 

「ふふ。いい返事ね。

 じゃあ、準備は私がするわ」

 

 こうして、月への旅が始まる。

 

 博麗神社から、永遠亭を経て、月の都へ。

 

 異変ではない。

 だが、決して無関係でもない渦へと、

 凪と霊夢は足を踏み入れていく。

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