東方帰還録 ~ Reclaiming the Bond ~ 作:地軸
最初に、足元が抜けた。
揺れじゃない。
落ちた。
「――っ!」
柱が折れる音。
屋根瓦が流れ落ちる音。
それらが同時に、視界を埋め尽くす。
床に叩きつけられ、息が止まった。
額を打つ。
温かいものが、目の端を塞ぐ。
――血。
そんなことを考えたのは、一瞬だけだった。
そんなことを考えている余裕は、本来なかった。
「霊夢!!」
返事がない。
凪は身体を起こそうとして、
瓦礫に肩を引っかけ、前に倒れた。
違う。
おかしい。
さっきまで、ここにいた。
居間で。
縁側に近い座布団に座って。
湯呑を両手で持って、
「今日は静かね」なんて言っていた。
原作では、外出していたはずだ。
だから、あの地震でも無事だった。
――でも、今回は違う。
「霊夢!!」
瓦礫を掴む。
重い。
指が滑る。
もう一度、掴む。
爪が割れる感触。
投げる。
割れる。
「……っ、霊夢!!」
土埃で視界が潰れる。
息を吸うと、喉が焼ける。
居間だ。
梁の向き。
倒れ方。
さっきまで、確かに――
「どこだ……!」
声が掠れる。
考えるな。
今考えるな。
瓦礫の下を覗く。
いない。
梁の隙間。
いない。
「……嘘だろ」
心臓が、異様な音を立てる。
俺のせいか?
ほんの少し、予定がズレた。
ほんの一言、余計な会話をした。
それだけで――
この位置に、いさせてしまったのか。
「霊夢!!」
梁を掴み、持ち上げようとする。
腕が震え、力が抜ける。
――無理だ。
だが、離さない。
歯を食いしばり、
もう一度、力を込める。
その時だった。
「うるさいわね……生きてるわよ」
声がした。
凪は、弾かれたように振り向く。
狛犬の陰。
いつも凪が、
苔を落とし、
欠けを埋め、
黙って手を合わせてきた、
あの狛犬の横に。
霊夢が立っていた。
「急に、あっちがざわついたのよ」
霊夢は顎で、狛犬を示す。
「嫌な感じがしてね。
居間を出た、ほんの直後だったわ」
その言葉で、凪の中の何かが切れた。
――間に合った。
偶然じゃない。
理由も、奇跡もいらない。
あそこが鳴った。
だから、霊夢は動いた。
膝から力が抜ける。
「……っ」
霊夢は、凪の額の血に気づき、顔をしかめた。
「ちょっと……あんた」
叱る声。
いつも通りの、日常の声。
それを聞いて、
ようやく凪の呼吸が戻る。
今回は、生きていた。
だが。
――次は、分からない。
世界は、
まだ壊れていない。
けれど、
壊し得る距離に来てしまったことだけは、
はっきりと分かっていた。
暗転
境内には、拍手が響いていた。
天子は高壇に立ち、得意げに胸を張る。
「さあさあ、新生神社の落成式よー」
ぱちぱち、と乾いた拍手。
「神社は災害により倒壊してしまいましたが、
それを機に美しく強く生まれ変わったのです」
凪は、その光景を黙って見ていた。
血はもう止まっている。
痛みも、ある。
だが、それよりも――この声が、限界だった。
「そもそも、神社は何故長い間同じ形で風化もせず
壊れもせずに、信仰を保てたのでしょうか?」
天子は饒舌だった。
「それには日本の神社特有のある風習による
深い理由が有ったのです。その風習とは――」
「……もういい」
その声は、大きくなかった。
だが、確かに通った。
拍手が止まる。
空気が、わずかに歪む。
天子が眉をひそめた。
「なによ、今は――」
凪は前に出ない。
壇を見上げるだけだ。
「霊夢が無事だから、今は何もしない」
静かな声だった。
だが、逃げ場はなかった。
「もし、あの人に何かあったら」
一拍、間が空いた。
言葉が、一段低くなる。
「お前を、島に連れていく」
境内から、音が消えた。
意味は、誰にも分からない。
だが、冗談ではないことだけは、誰にでも分かった。
天子は一瞬、言葉を失った。
「……は?
何を言って――」
「……紫さん」
凪は、そこで止めた。
「後は、お願いします」
その瞬間、空間が裂ける。
「つーかまーえた」
八雲紫が、境界から姿を現した。
「何!?何!?
今は神社の落成式中よ?」
「こんな神社、壊れちゃいなよ」
「いきなり出てきて何よ!
そんな事させないわ!」
「へぇ、自分の時はいとも簡単に壊した癖に、
今になって壊しちゃ駄目って言うの?」
「ぐっ、それは……」
「何を仕込んだのさ」
「何の話?」
「判っているよ。
お前の家系は神社を持っているってね」
紫は、淡々と続ける。
「自分の良いように神社を改造して、
自分の住む場所を増やそうって魂胆だろう?」
「ええそうよ、良いじゃないそのくらい。だから何?」
「だから壊れちゃいなよ」
天子は笑う。
「ふふふ、地面を這い蹲っている土くさい妖怪が
愉しい事言ってくれるじゃないの」
紫は、薄く目を細めた。
「この間、天界を見てきたわ。
天界は広くて土地が余ってそうね」
「それなのに、さらに地上にも住む処って……」
天子が言い返す。
「貧しくても恨む無きは難し。
地上に居るからって僻まない事ね!」
紫は、一歩も動かずに言った。
「富みて奢る無きは易し。
鼻につくわ、その天人特有の上から目線」
そして、ほんの少しだけ声を落とす。
「――黄泉の英雄がその気になる前に、
美しく残酷にこの大地から住ね!」
天子は、その言葉の意味を理解しない。
理解しないから、
まだ、この場に立っている。
凪は、もう何も言わなかった。
ここから先は、
紫の仕事だ。
世界は、まだ壊れていない。
――だが、
壊れ得ることだけは、はっきりと示された。
戦いが終わり、
境内に静けさが戻る。
霊夢は、凪を見た。
「島に連れていくなんて、
冗談でも言うもんじゃ……」
言いかけて、止まる。
凪の目を見て、分かった。
冗談じゃない。
「……なおさら悪いわ」
島の意味は分からない。
でも、越えかけた一線だけは、感じ取れた。
怒りはある。
だが、拒絶ではない。
信頼が、ぎりぎりのところで、踏みとどまっている。
「……次は、気をつけなさい」
それだけ言って、霊夢は背を向けた。