東方帰還録 ~ Reclaiming the Bond ~ 作:地軸
博麗神社は、静かだった。
異変解決の最中。
霊夢は留守にしている。
境内には、人の気配も、妖怪の気配もない。
あるのは、風が木々を揺らす音と、遠くで鳴く鳥の声だけだ。
凪は、狛犬の前に膝をついていた。
倒れている。
地震のせいだ。
普段は境内を睨むように立っているそれが、
今は横倒しになり、土と埃にまみれている。
頭の一部が、欠けていた。
指で触れると、割れた断面が引っかかる。
ざらついていて、思った以上に冷たい。
「……悪かった。助かった」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
謝罪と感謝を、分ける気にはなれなかった。
凪は狛犬の胴に手を掛け、ゆっくりと起こす。
思ったよりも重い。
ずしりとした感触が腕に残る。
身体を起こすと、土埃が音を立てて落ちた。
欠けた破片は、すぐ近くに転がっていた。
拾い上げて、地面に並べる。
角度を変え、位置を確かめる。
何度かずらして――合った。
問題ない。
「直すか」
それだけ言って、凪は息を吐いた。
普段なら、背後から声が掛かる。
「何してるのよ」
そんな、少し不機嫌な声。
今日は、それがない。
それだけで、境内がやけに広く感じられた。
◇
夕方。
影が長くなり、空気がひんやりとしてくる頃。
風が、一瞬だけ止んだ。
凪は、その瞬間を覚えていた。
こういう時、大抵はろくなことが起きない。
次の瞬間、境内の空気がわずかに歪む。
「静かね」
振り返らなくても、誰かは分かる。
「留守ですから」
凪は、狛犬の前にしゃがんだまま答えた。
八雲紫は、倒れた狛犬を見下ろす。
「派手にやられたわね」
「地震です」
「知ってるわ」
それ以上、何も言わない。
少しの沈黙。
紫は袖の中から、小さな封を一つ取り出した。
「直すなら、これが要るでしょう?」
凪は、ようやく顔を上げた。
封は小さい。
だが、軽くはなさそうだった。
中身を確かめることもなく、受け取る。
「……ありがとうございます」
それで十分だった。
紫は、口元だけで笑う。
「丁寧にやりなさい」
「ええ」
理由は聞かない。
理由を言う必要もない。
紫は境界に半身を沈めながら言った。
「貸しは、これで一つね」
「はい」
境界が閉じると、空気が元に戻る。
少しだけ、軽くなった気がした。
それが良いことかどうかは、分からない。
境内に、再び静けさが戻る。
凪は、狛犬の欠けた頭に、そっと手を置いた。
「……すぐ終わらせる」
返事はない。
だが、風が一度、狛犬を撫でていった。
欠けた部分は、
やがて継がれるだろう。
傷は、消えない。
それでいい。
――守った結果だから。