東方帰還録 ~ Reclaiming the Bond ~   作:地軸

16 / 24
第十六話 狛犬

博麗神社は、静かだった。

 

異変解決の最中。

霊夢は留守にしている。

 

境内には、人の気配も、妖怪の気配もない。

あるのは、風が木々を揺らす音と、遠くで鳴く鳥の声だけだ。

 

凪は、狛犬の前に膝をついていた。

 

倒れている。

地震のせいだ。

 

普段は境内を睨むように立っているそれが、

今は横倒しになり、土と埃にまみれている。

 

頭の一部が、欠けていた。

 

指で触れると、割れた断面が引っかかる。

ざらついていて、思った以上に冷たい。

 

「……悪かった。助かった」

 

誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。

 

謝罪と感謝を、分ける気にはなれなかった。

 

凪は狛犬の胴に手を掛け、ゆっくりと起こす。

思ったよりも重い。

ずしりとした感触が腕に残る。

 

身体を起こすと、土埃が音を立てて落ちた。

 

欠けた破片は、すぐ近くに転がっていた。

拾い上げて、地面に並べる。

 

角度を変え、位置を確かめる。

何度かずらして――合った。

 

問題ない。

 

「直すか」

 

それだけ言って、凪は息を吐いた。

 

普段なら、背後から声が掛かる。

「何してるのよ」

そんな、少し不機嫌な声。

 

今日は、それがない。

 

それだけで、境内がやけに広く感じられた。

 

 

夕方。

 

影が長くなり、空気がひんやりとしてくる頃。

風が、一瞬だけ止んだ。

 

凪は、その瞬間を覚えていた。

 

こういう時、大抵はろくなことが起きない。

 

次の瞬間、境内の空気がわずかに歪む。

 

「静かね」

 

振り返らなくても、誰かは分かる。

 

「留守ですから」

 

凪は、狛犬の前にしゃがんだまま答えた。

 

八雲紫は、倒れた狛犬を見下ろす。

 

「派手にやられたわね」

 

「地震です」

 

「知ってるわ」

 

それ以上、何も言わない。

 

少しの沈黙。

 

紫は袖の中から、小さな封を一つ取り出した。

 

「直すなら、これが要るでしょう?」

 

凪は、ようやく顔を上げた。

 

封は小さい。

だが、軽くはなさそうだった。

 

中身を確かめることもなく、受け取る。

 

「……ありがとうございます」

 

それで十分だった。

 

紫は、口元だけで笑う。

 

「丁寧にやりなさい」

 

「ええ」

 

理由は聞かない。

理由を言う必要もない。

 

紫は境界に半身を沈めながら言った。

 

「貸しは、これで一つね」

 

「はい」

 

境界が閉じると、空気が元に戻る。

少しだけ、軽くなった気がした。

 

それが良いことかどうかは、分からない。

 

境内に、再び静けさが戻る。

 

凪は、狛犬の欠けた頭に、そっと手を置いた。

 

「……すぐ終わらせる」

 

返事はない。

 

だが、風が一度、狛犬を撫でていった。

 

欠けた部分は、

やがて継がれるだろう。

 

傷は、消えない。

 

それでいい。

 

――守った結果だから。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。