東方帰還録 ~ Reclaiming the Bond ~   作:地軸

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今年最後の更新です。


第十七話 地霊殿

境内は、いつもと同じだった。

 

風が通り、狛犬が黙って立ち、

霊夢の帰りを待つ場所として、

何一つ変わっていない。

 

凪は縁側に腰を下ろし、

視線だけを空に向けていた。

 

――遅い。

 

理由はいくらでも思いつく。

異変だから。

相手が相手だから。

霊夢だから。

 

「大丈夫だ」

 

誰に言うでもなく、口に出す。

それは、待つことを正当化するための言葉だった。

 

閻魔の言葉が、頭の奥で反芻される。

 

――帰ってくる場所を、守りなさい。

 

だから、ここにいる。

そう決めたはずだった。

 

なのに。

 

胸の奥に、説明できないざわめきが残っている。

 

嫌な予感、というほど具体的ではない。

ただ、落ち着かない。

 

――霊夢は強い。

――博麗霊夢は、死なない。

 

何度も言い聞かせる。

それでも、心のどこかで、

「今回は違うかもしれない」と考えている自分がいる。

 

その瞬間だった。

 

「どうして生きてるの?」

 

声がした。

 

背後でも、前でもない。

耳で聞いた、という感覚もない。

 

凪は眉をひそめる。

 

……今のは、何だ?

 

「死ねなかったからだ」

 

考えるより先に、答えが口をついた。

 

「どうして死なないの?」

 

また、声。

 

問いかけなのに、感情がない。

責めても、慰めてもいない。

 

「この命は、霊夢の為に使うって決めた」

 

それは、いつも使っている答えだった。

だから、疑いもしなかった。

 

「無意識に嘘をつくとか、気持ち悪いことするのやめてよ」

 

ぴたりと、胸の奥を撫でられた感覚。

 

凪は、言い返す。

 

「嘘はついてない」

 

声は、少しだけ間を置いた。

 

そして。

 

「じゃあなんでその霊夢が、今回死ぬかもしれないと思ってるのに、ここにいるの?」

 

――。

 

言葉が、思考より先に刺さった。

 

その瞬間、

誰の声か考える前に、

凪は立ち上がっていた。

 

気づいたときには、

巻き割り用の斧を握ったまま、

境内を駆け下りていた。

 

理由は、分からない。

考える余裕もない。

 

ただ、

行かなければならないとだけ、分かっていた。

 

 

 

 

 

 

重い。

 

それが、最初に戻ってきた感覚だった。

 

身体が、鉛のように地面に貼りついている。

指一本、動かない。

 

――ああ。

 

霊夢は、ぼんやりと思った。

 

やられたのか。

それとも、まだ途中なのか。

 

目は、開いている。

けれど、視界は曖昧で、焦点が合わない。

 

「……聞こえていますか、博麗の巫女」

 

声が、近い。

 

さとりだ。

そう判断するのに、少し時間がかかった。

 

頭の奥を、何かが撫でている。

覗かれている、という感覚。

 

嫌悪より先に、疲労が来た。

 

……今は、やめてほしい。

 

そう思ったが、声にならない。

 

代わりに、

思い出したくもない光景が、引きずり出される。

 

白い砂。

焼けるような陽射し。

動かない身体。

 

指一本動かせないまま、

ただ、時間だけが過ぎていく。

 

喉が渇き、

意識が薄れ、

このまま朽ちるのだと理解した瞬間。

 

――怖かった。

 

霊夢は、はっきりとそう思った。

 

あの時。

私は、確かに怖かった。

 

最強でも、無敵でもなかった。

ただの、動けない少女だった。

 

そして。

 

知らない男に拾われた。

 

世話をされ、

水を飲まされ、

情けない姿を晒した。

 

恥ずかしかった。

惨めだった。

 

なのに。

 

毎日、死にそうな顔をしているくせに、

その男は、私に向かって言った。

 

「大丈夫だ」

 

根拠なんて、どこにもなかった。

それでも、その声は、妙に暖かかった。

 

……嬉しかった。

 

認めたくなかった感情が、

胸の奥で、静かに形を取る。

 

助けられたからじゃない。

生きろと、言われたからでもない。

 

一緒に、生きようとされた。

 

その事実が、

あの時の私を、支えていた。

 

けれど。

 

「ごめん」

 

その言葉が、胸の奥で何度も反響する。

 

「君一人を残して死ぬことになる」

 

……違う。

 

霊夢は、そこで初めて気づいてしまう。

 

残されたのは、私じゃない。

生き残ったのが、私だ。

 

あの場で、

生き延びる理由があったのは、どっちだった?

 

分からない。

分からないのに、私は生きている。

 

それだけで、胸が苦しい。

 

私は、助けられた。

でもそれは、正しかったのだろうか。

 

弱くて、動けなくて、

何もできなかった私が。

 

その代わりに、

あの人は、全部を投げ捨てた。

 

――私は、その上に立っている。

 

今の私の強さも。

無敵も。

巫女としての誇りも。

 

全部、

誰かが「もういい」と諦めた結果だ。

 

だったら。

 

私は、自分の力で生きているんじゃない。

 

生かされている。

使われている。

預けられている。

 

それを、返す場所も、方法もない。

 

怒る資格もない。

泣く資格もない。

「ありがとう」と言う資格すら、分からない。

 

だって、それを言った瞬間、

私はこの命を肯定してしまう。

 

――そんなこと、していいのか。

 

身体が、動かない。

 

飛ぶことも、できない。

 

能力が使えないんじゃない。

使ってしまえば、逃げてしまう。

 

この重さから。

この事実から。

 

霊夢は、はっきりと理解する。

 

私は、浮けない。

 

怖かったことも。

嬉しかったことも。

生き残ってしまった、この事実も。

 

全部が、重すぎて。

 

この感情の重さから、

能力で解放されて、

空へ逃げることができない。

 

地面に伏した霊夢を見つけた瞬間、

凪の足が止まった。

 

――いや。

止まったように見えただけだ。

 

踏み出す速度が、わずかに変わった。

それだけで、身体はもう次の段階に移っている。

 

呼吸が変わる。

肺の奥まで、冷たい空気が一気に流れ込む。

 

一拍。

二拍。

 

心拍が、一定の速度に落ちる。

焦りも、恐怖も、今さら意味を持たない。

 

視界が整理されていく。

 

倒れている巫女。

その傍で、第三の眼を開き、必死に何かを呼びかけている女。

距離。

角度。

遮蔽物。

 

足の運びが変わる。

音を殺し、重心を沈める歩法。

 

――戻った。

 

島で、何度も繰り返した感覚。

化物を前にしたときの、あの状態。

 

俺を見つめる何かが、傍らにいる。

気配だけは、はっきりと分かる。

だが、今は関係ない。

 

斧の柄が、掌に吸いつく。

木の感触。

刃の重み。

振り下ろしたあとの軌道が、頭の中に正確に描かれる。

 

世界が、さらに遅くなる。

 

肩。

肘。

手首。

 

筋肉が、順番に収縮する。

――ここまで来たら、戻れない。

 

その瞬間、

さとりの第三の眼が、こちらを向いた。

 

己のトラウマが想起される。

 

白い砂浜。

焼けつく太陽。

指一本、動かせない身体。

 

声が、内側で再生される。

 

「ごめん」

 

知っている。

 

「君一人を残して死ぬことになる。

 だから、懸命に生きてくれ」

 

分かっている。

 

――もういい。

――ここで終わってしまえば、楽になれる。

 

そう思った瞬間、

全部を投げ捨てた。

 

守るとか。

生きるとか。

約束とか。

未来とか。

 

全部、死という逃げ道に体重を預け無責任にはなったあの言葉が俺が許されるべきではない事を思い知らせる。

 

それでも、霊夢は生き残った。

 

そして俺までも。

 

自分が何かを成したわけじゃない。

命を張った覚えもない。

ただ、逃げただけだ。

 

だから今も、

「助けた」とは思えない。

 

思ってしまったら、

あの瞬間に投げ捨てた自分を、

肯定することになる。

 

それだけは、できなかった。

 

――だから、生きている。

 

罰でも、使命でもない。

終わるはずだったのに、

終わらなかった時間を、

ただ消費し続けているだけだ。

 

だが、今更だ。

 

心は既に折れている、魂まで折れて曲がってぶら下がったまま動いてる。

 

身体が、前に出る。

 

理由はない。

意味もない。

 

霊夢を害する存在を、排除する。

 

島で、そうしてきた。

考えるより先に、身体が動いた。

 

振り上げた斧に、躊躇はない。

 

躊躇できるほど、

自分はもう、まともじゃなかった。

 

――斧が、振り下ろされる。

 

その瞬間、

衝撃が来た。

 

視界が横に流れ、

地面が近づき、

背中から叩きつけられる。

 

蹴り飛ばされた。

 

肺の空気が、強制的に吐き出された。

 

「何やってんのよ馬鹿!!」

 

霊夢の声。

 

凪の身体は地面を転がり、

ようやく止まる。

 

数歩先に、斧が転がっている。

 

霊夢は立っていた。

まだ、完全には浮けていない。

それでも、確かにそこにいる。

 

――生きている。

 

言葉が、出ない。

 

霊夢は荒い息のまま凪を睨み、

一歩、前に出た。

 

「止まれないなら、止めるわよ」

 

それだけ言って、

もう一度、地面を踏みしめた。

 

世界は、まだ壊れていない。

 

だが、

壊れるはずだったものが、

壊れきれなかったまま、

ここに集まっていた。

 

 

 

 

 

 

霊夢は、凪を一度だけ振り返った。

 

「……あんたは、ここで待ってなさい」

 

声は強くない。

でも、迷いはなかった。

 

「さとり」

 

第三の眼の主が、わずかに身構える。

 

「やるわよ。弾幕ごっこ」

「異変は――私が終わらせるわ」

 

次の瞬間、霊夢は地を蹴った。

まだ完全には浮けないはずの身体が、

それでも迷いなく空へ向かう。

 

弾幕が、花のように咲く。

 

地面に伏したまま、凪はそれを見上げていた。

息が、うまく吸えない。

 

――ああ。

 

「……綺麗だなぁ」

 

声にならない言葉が、零れる。

 

泣いていることに、気づくのが遅れた。

 

花のように咲く弾を、霊夢は無言で抜けていく。

足を止めない。

視線も逸らさない。

 

その只中で、声が落ちてくる。

 

「……よく、浮けましたね。博麗の巫女」

 

第三の眼の主は、淡々としていた。

 

「さっきまで、浮けないと考えていたはずです」

「怖かった。重かった。逃げられなかった」

 

弾幕が重なる。

だが、霊夢の軌道は崩れない。

 

「あなたは、自分の命を

自分だけのものだと思えなくなっている」

 

「助けられたから」

「生きろと言われたから」

 

「……それだけではない」

 

一瞬、霊夢の高度が揺れる。

 

「あなたは、生き残ってしまった」

 

「動けず、弱く、怖がっていたあなたの代わりに」

「誰かが、“もういい”と全部を投げ捨てた」

 

「だから重い」

「強さも、無敵も、誇りも」

「全部、他人の諦めの上にある」

 

弾幕が、心臓を縫うように迫る。

 

「それでも、あなたは飛んだ」

 

「逃げるためじゃない」

「忘れるためでもない」

 

「その重みごと、引き受けると決めたからだ」

 

「助けられたなら、助けなければならない」

「助ける以上、自分が“自分”でいなければならない」

 

「――だから、飛んだ」

 

さとりは、そう言い切った。

 

「選びましたね。博麗霊夢」

 

 

 

霊夢の弾幕が、一段、鋭くなる。

 

「……うるさいわよ」

 

声は低い。

だが、迷いはない。

 

「アンタに返す言葉は、ないわ」

 

一瞬だけ、地上を見る。

 

「私が今、何か言うべき相手がいるとしたら」

 

視線を戻す。

 

「それは、アンタじゃない」

「凪よ」

 

それ以上、何も言わない。

 

弾幕が、空を押し切る。

 

 

 

――それから、どれほど経ったのか。

 

霊夢は、凪の前に立っていた。

 

怒っている様子はない。

叱る気配もない。

 

ただ、息が少し荒い。

 

「……怒ってないから」

 

それだけ言って、視線を逸らす。

 

「帰るわよ」

 

凪は、返事ができなかった。

 

言葉が、喉で詰まる。

膝に力が入らない。

 

「だから――」

 

霊夢は、一拍置く。

 

「泣くんじゃないわよ」

 

その瞬間、

凪の中で、何かが崩れた。

 

音もなく、視界が歪む。

理由は分からない。

 

ただ、止まらない。

 

霊夢は、それ以上何も言わない。

手を差し伸べることもしない。

 

背を向けて、歩き出す。

 

それが、

「一緒に帰る」という合図だった。

 

 

 

霊夢の無意識が、ふと揺れる。

 

体も、精神も、重い。

張り詰めていたものが、ほどけかける。

 

――さっさと帰って……「少しくらい甘えてもいーじゃん」

 

声が聞こえた気がしたが、意味にならず消えていく。

 

 

思考がそこで、途切れる。

 

 

ただ、歩く。

 

 

 

とぼとぼと、凪は立ち上がる。

 

足がもつれ、視界が滲む。

それでも、置いていかれまいと、前に出る。

 

その背中に、

 

「……疲れた」

 

霊夢の声。

 

「だから、負ぶって帰りなさい」

 

次の瞬間、

軽い衝撃。

 

凪の背中に、霊夢が飛び乗った。

 

重いはずの身体は、

不思議と、重すぎなかった。

 

凪は、歩き出す。

 

帰り道は、静かだった。

 

霊夢の重みを背に感じながら、

凪は前だけを見て歩いていた。

 

足音が、二人分になる。

 

しばらくして、霊夢がぽつりと口を開く。

 

「……島では、ありがとう」

 

一拍。

 

「……私を諦めないでくれて」

 

風が、髪を揺らす。

 

「ほんとうに、ありがとう。凪」

 

凪の肩が、わずかに強張った。

 

息を吸い、

振り返ろうとした、その瞬間。

 

「馬鹿」

 

短い声。

 

「こっち見んな」

「振り返らず、前向いて歩きなさい」

 

それ以上、何も言わない。

 

凪は、唇を噛みしめ、

ただ歩き続ける。

 

 

 

しばらくして。

 

堪えきれず、

凪の口から言葉が零れた。

 

「……でも俺は」

 

声は低く、揺れていた。

 

「お前が死ぬなら、

 すべてを殺すよ」

 

霊夢は、即座に答えた。

 

振り返らず、

背中越しに。

 

「なら私は」

 

一拍。

 

「生きて、すべてを倒すわ」

 

それだけだった。

 

 

 

二人は、歩き続ける。

 

世界は、まだ壊れていない。

 

だが、

壊れきれなかったものを抱えたまま、

それでも確かに、

生きて帰っていった。

 

 

 

 

 

 

 




旧地獄の帰り道、死の世界からの帰り道は振り返ってはいけないオマージュで閉めました。
ここで凪君の後悔とあり方に変化が現れます。
物語はまだ続きますが一区切りとして今年最後の更新をしめました。
感想と評価お待ちしています。
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