東方帰還録 ~ Reclaiming the Bond ~ 作:地軸
縁側でお茶を飲みながら、凪は境内を掃除する霊夢の背中をニヤニヤと眺めていた。
箒が砂利を擦る音は一定で、風も穏やかだ。
特別なことは、何もない。
それなのに、胸の奥が妙に落ち着いている。
こんな時間が、
いつから「あっていいもの」になったのか、
凪自身にも分からなかった。
「……よっ」
軽い声。
振り向く前に、気配で分かる。
いつもの調子で、魔理沙が縁側の端に腰を下ろしていた。
「少しは、周りが見えるようになったみたいだな」
冗談めいた口調なのに、視線は笑っていない。
凪は湯呑みを持ったまま、一拍だけ間を置いた。
「……迷惑かけたか?」
魔理沙は肩をすくめる。
「いんや」
即答だった。
「まぁ、ちょっと不気味だったけどな」
茶を一口啜り、続ける。
「だいぶマシになった」
“良くなった”でも、“戻った”でもない。
ただの事実としての言葉。
凪は何も返せなかった。
一瞬、空気が張る。
だが魔理沙は、それを深追いしない。
代わりに、にやりと笑った。
「……で?」
嫌な予感がした。
「様子が変わったってことはさぁ」
身を乗り出し、面白がる声になる。
「進展があったってことだろ?」
「なぁ霊夢とは、どこまで行ったんだ?」
畳みかける調子。
完全に、いつもの魔理沙だ。
その瞬間だった。
凪の脳裏に、
ほんの一瞬だけ、記憶がよぎる。
湯気。
近すぎる距離。
何も纏っていなかった、霊夢の姿。
「……っ」
凪は反射的に頭を振った。
考えるより先に、身体が動いていた。
「……何でもない」
だが、その反応を、魔理沙が見逃すはずもない。
「ほほう?」
にやにやと距離を詰めてくる。
「今のは何だ?」
「今のは“何もない”顔じゃねぇぞ?」
凪が言い訳を探す前に、
背後から低い声が飛ぶ。
「……魔理沙」
箒を止めた霊夢が、こちらを見ている。
「変な詮索、やめなさい」
魔理沙は一瞬だけ肩をすくめた。
「はいはい」
あっさり引く。
それ以上は踏み込まない。
その代わり、凪にだけ聞こえる声で、ぽつりと言う。
「守ってるつもりで、全部背負うのだけはナシな」
冗談の延長みたいな口調。
でも、そこだけは笑っていなかった。
「霊夢は“守られる側”じゃねぇぞ」
それだけ言って、魔理沙は帽子を被り直す。
「じゃーな」
軽い挨拶とともに、空へ飛び去っていった。
縁側には、また箒の音が戻る。
霊夢は何も言わない。
凪も、何も言えない。
何も言われない沈黙の方が、
さっきの茶化しより、ずっと重かった。
風に乗りながら、魔理沙は一度だけ振り返る。
縁側。
湯呑み。
箒の音。
平和だ。
さっきの反応。
一瞬の動揺。
誤魔化し方の下手さ。
全部、覚えのある人間のそれだ。
消えかけていた影は、
ちゃんと縁側に戻っている。
背負い込みすぎる癖も、
霊夢の甘さも、まだそのままだ。
でも――
冗談が通る。
茶化せば、ちゃんと照れる。
なら、今はいい。
「……まだ大丈夫だな」
そう呟いて、魔理沙は空に溶けた。