東方帰還録 ~ Reclaiming the Bond ~ 作:地軸
事の始まりは、なんだっただろうか。
人里に、魔理沙の護衛つきで買い出しに行った日だったか。
里の入り口で一旦別行動になり、俺は酒屋や茶屋を回って、少量の酒と、霊夢のための茶葉を買っていた。
店先では、よく見ない顔だと怪訝な目を向けられる。
どこに住んでいるのか、誰の知り合いなのか。
そんな探るような視線。
だが、「博麗神社の者だ」と名乗ると、空気が変わった。
霊夢の人徳、という言葉では足りない。
博麗の名は、それだけ幻想郷では重い。
同時に、怖さもあった。
俺が何か一つ間違えれば、その重さごと傷つけてしまう。
霊夢の誇りを、俺の軽率で穢してしまうかもしれない。
だからこそ、愛想よく、無難に振る舞った。
……それが、まずかった。
酒屋の女将に、声を掛けられた。
蔵から物音がする。
良くない妖怪が住み着いているかもしれない。
博麗神社の関係者なら、一度見てくれないか、と。
最初は断った。
俺は霊夢じゃない。妖怪退治なんてできない。
だが、「見るだけでもいいから」と言われて、結局引き受けてしまった。
理由はいくつかあった。
ここは人里の中だ。結界の内側で、規則に守られた安全地帯。
もし本当に危険な存在なら、もう被害が出ているはずだ。
それでもう一つ。
霊夢の傍にいる俺が、その条件を分かった上で何も見ずに帰ることが、
かえって博麗の名を傷つけるのではないか、という恐怖があった。
蔵を見に行くと、妖怪の気配はなかった。
あの島で過敏になった感覚が、何も引っかけない。
代わりに感じたのは、小さい生き物の気配と、かさかさとした物音。
数匹分。
――鼠だろう。
殺気を込めて、柏手を一つ打つ。
それだけで、気配は散っていった。
なんとなく、出来る気はしていた。
だが、実際に出来てしまったことには、自分でも少し驚いた。
女将から、礼として幾ばくかの金を渡された。
断りきれず、受け取ってしまった。
帰って霊夢に説明すると、即座に言われた。
「里で蔵の鼠退治しただけでしょ。
博麗の仕事として受け取れるわけないじゃない。
貴方個人の稼ぎよ。お小遣いにでもしときなさい」
それで終わりだった。
だが、それで終わらなかった。
ついでにこれを届けてくれ。
この前の礼に、白菜を持って帰ってくれ。
博麗のお守りを売りに来てくれ。
妖怪退治を頼みたいから、巫女に取り次いでくれ。
小遣いが増え、顔見知りが増えてしまった。
「……というわけで、永琳さんに是非ご協力いただきたくて」
永遠亭の診察室。
定期健診で訪れた時のことだった。
この検診自体は、紫の勧めだ。
霊夢は一度死んでいる。
永琳ですら詳しく知らない症状や、後遺症が出る可能性は否定できない。
精神的な影響は当然あるだろう。
だが、肉体的な異常についても警戒するに越したことはない。
検診費用は紫持ちで、
永琳も珍しさ半分、好奇心半分で安くしてくれているらしい。
「霊夢の健康状態を向上させるための食事メニューと、
霊的向上も含めた、シャンプーや石鹸の考案をお願いしたいんです」
「まぁ、食事療法の相談は医者の仕事だから、できなくはないわね。
でも、石鹸やシャンプーは……」
「普段、霊夢は人里で適当なのを買ったり、貰ったりして使ってるみたいですけど。
無い時は米のとぎ汁で済ませてるらしいんですよ」
「……巫女とはいえ、年頃の女の子ね」
「それに、巫女だからこそ、髪に籠る霊力も整っているべきでしょうし」
「足るを知る、という言い方もできるけど……
賄えている限り、向上に目を向けない性分なのかもね。
体形も、年の割には少し痩せすぎている」
「費用は払います。
調合は、鈴仙さんに薬師としてお願いできればと思ってまして。
その分、支払いも抑えられますし」
「いい物ができれば、他の力ある女性たちも欲しがるでしょうし」
「……蓬莱人には不要だけど、
力を整える美容品には、確かに需要はありそうね」
「なので、是非」
「分かったわ。鈴仙に作らせてみましょう。
それで、食事の話だけど……」
数週間後。
「なぁ、霊夢。最近、何か変わったよな」
いつものように魔理沙が訪れ、茶を飲んでいる時だった。
「別に、何も変わってないわよ」
「いや、なんか目に力があるっていうか」
「何? 目つきでも悪くなった?」
「いや、いい意味だ。
髪も綺麗になったし、なんかいい香りするし」
「そう?」
「どっしりしたっていうか……背もちょっと伸びた気がする」
「太ったのかしら。
最近、ご飯が美味しいのは確かだけど」
「いや、太ったって感じじゃない。むしろ逆だ」
「痩せた?
でも、体の調子は前よりいいわよ。疲れにくいし」
「それに……」
「それに?」
「お茶も前より美味くないか?
茶請けの質も上がってる気がする」
「美味しいならいいじゃない。
凪のお茶の入れ方が上手くなったのね」
こぽこぽこぽ……。
「まぁ、ちょっと勉強しただけだ。
美味しいなら、俺を褒めてくれ、魔理沙」
「お、おう……
まぁ、美味いならいいか」