猿猴捉月   作:嘘風

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《燐子:2》月待ち

「水色のカレー……いえ、観光地とか、あるところにはあるのは知っていましたが」

 

 コラボカフェのメニューを眺めながら、氷川さんが渋い顔をした。高校の頃から手慰みに料理をする人だったと聞くから、食欲の湧きそうにない色に敢えてする、という発想はなさそう。倫理的な、遊び心が冒涜に変わるラインをかなり手前に引いていそうな印象がある。

 

「ハイポーション……回復アイテムを再現した色合い、みたいです」

「……クチナシでしょうか」

「おそらくは……ただ、ゲームではちゃんとケミカルな水色なので、実際のところどんなものが出るかは、私もわからないです」

「……白金さんもご存じないんですか?」

 

 切れ長の目をほのかに丸くして顔を上げた。曖昧に頷いてみせると、彼女はかすかな逡巡を置いて「……頼んでみましょうか」と私にメニューを寄せ返す。

 

「……いいんですか? その……」

「構いません。せっかくこういう場所に来ているんですし、それらしいものを頼むべきでしょう」

 

 どこかわざとらしい口振りだった。

 少し、卑怯だったかな。

 本当はSNSで下調べをしたときに写真を見ていたから知っているのに、彼女がどんな反応をするだろうと思って隠してしまった。好奇心と罪悪感と、ひとさじの──きっと知人友人みんなが好んで彼女に向ける──悪戯心を隠す私の挙動不審をどうやら読み違えて、氷川さんが気まずそうに身動ぎする。

 あ、と心の中。

 

「……素人の悪ふざけならともかく、こうして飲食店に出されている以上は商品として一定のクオリティは担保されているはずです。見るだけで食欲を失くすくらい青々としていることはないでしょうし……よしんばそうだとして、結局はカレーですから。目を瞑れば普通のものと変わりませんよ」

 

 まるでこの商品か文化そのものを腐しているような調子なのに、実際には『白金さんに強要されたわけではないし頼んだあとで後悔もしない』という言外の主張でしかない。『だから気にしないでほしい』、まで読み取るのは……恣意的ではない、そう信じる。

 彼女のこういった予防線の張り方が、私はなんとなく好きだった。悪く言えば意見をぶつけて傷つけることを躊躇う臆病さだけれど、良く言えば誠実だから。

 

「……ふっ、ふふ……っ」

「白金さん……?」

「……いえ、なんでも、ありませ……っ」

「……それはまあ、こんなところに来てまでうだうだと理屈を捏ねるのはおかしいかもしれませんが……」

 

 釈然としない風の困り眉が一層面白くて、私は笑いを抑えられない。口許を隠すと、氷川さんに選んでもらった手首のオードトワレが香った。穏やかで爽やかで、無邪気な香り。私のイメージで選んでもらったけれど、どことなく氷川さんらしくもある気がしている。

 ようやく落ち着いた頃には氷川さんのお冷がなくなっていた。肩身狭そうにグラスに口付ける彼女に「ふふ、すみません……」と謝って、開いたままのメニューを指差した。

 

「私の目当てのものはこっちの、これ、なので……半分こしませんか」

「……なんでも構いませんよ。白金さんが気の済むようにしてください」

 

 ちょうど通りかかった店員さんを呼び止める。横顔に浮かぶ疲れたような呆れはやっぱりどこかわざとらしくて、読み取りやすく作ってくれるのが、やっぱり、優しい。

 

 ──いつの間にか随分、近くに感じられるようになった。

 

 彼女の名前を聞いてきれいだと感じたのを覚えている。

 うすぼんやりと雲の(しゃ)をかけた夜。霞んだ藍色、どこまでも遠い爪の縁で描いたような細い月が、粗い目に奥行きを均されて一枚の絵となって浮かんでいる情景。

 薄っすらと滲み出る倦怠感と、それを律する生真面目な手付き。冷たい空気を纏う人だった。水の冷たさじゃない。冬のそれでもない。冷たい何かがあるのではない。薪のひとつもない空っぽの炉を隙間風が流れていく冷めた冷たさ。

 初対面でそこまで読み解けたわけでは、もちろんないけれど。

 だけど、青いヴェールを隔てて暗がりの広がることは薄っすらと察せられた。

 ギターの音だけが幽かに響く向こう側を知りたくなったのは、いつからだろう。

 一瞬考えて、すぐに思い至った。

 

「氷川さん」

「はい」

 

 注文を終えてメニューも見飽きたのか手持ち無沙汰そうな友人に呼び掛けてみる。

 

「Roseliaが結成して間もない頃、仲違いで危うく解散しそうになったことがありましたね」

「はい? ……あぁ、ありましたね。思えばあの頃はビジネスライクでさっぱりしたものでしたが」

 

 きょとんと目を丸くしてから、皮肉っぽい一言とは裏腹に柔らかく微笑む。

 

「正面から向き合うのが怖くて、避けてしまっていた私に……『気にしていません。妥当な対応だと思っていましたし』と答えたことは……覚えていますか?」

「…………どうでしょう。そんな言い回しでしたか」

 

 絶対に嘘だ。気まずそうに目が泳いで隣のテーブルへ視線が逃げた。

 

「細かいニュアンスまでは記憶にないのですが」

「いえ、その、いいんです。それで。なんというか……それくらい人と距離を置いて……傷つけ合うことのない関係性というか、人に波風を立てないことを是としていた氷川さんが……こうして私の趣味に付き合ってくれているのが、なんだか嬉しくて」

 

 あのときは確か、私は──そう、ひどく恥知らずにも──冷たい人なのだと感じてしまって。

 同時に、冷たい人は崩壊寸前のバンドに留まる義理なんて投げ捨ててしまうだろうと気がつくことが出来た。

 冷たいのではなく、温度を感じないほど遠いのだと。

 だから、近づきたくなった。叶うなら触れ合えるほどにまで。

 

「……あの頃も今も、根は変わりありませんよ。貴女達への好意こそずっと多く募ったものの、重んじるもの以外周りの押しに流されてばかりなのはそのまま」

「押されてもくれなかったのに、ですか」

「……宇田川さんの入知恵が利きすぎてはいませんか?」

 

 本当に気まずそうだった。あこちゃんは今でも無邪気で可愛いけれど、ふとした拍子に消えてしまいそうな『憧れのお姉さん』を定期的に刺す強かさも身に付けている。

 そしてそれは、いつか青薔薇の一輪を欠いた私たちが二度と逃すまいと備えたギルド共有武装なのだった。効果は氷川さんの罪悪感プラス1。あと居心地悪くありつつもこれは甘んじて耐えなくてはと一生懸命飲み下そうとしてくれる味わい深いエモートの発動。

 また笑って「それだけじゃ、ないです」と言えば、彼女はすべて察して一層バツが悪そうにした。

 私と似ている彼女の、似ているようで違うところ──自罰的な側面が覗ける。

 私はただ自分に自信がないだけ、だけど……彼女は自分を疎み嫌っていることに強い自信、正当性を抱いているように思う。インターネットでよくよく見かける、炎上沙汰へのコメントが度を越してしまうような行きすぎた正義感を振りかざす人たちに近い雰囲気。私がダメな私を嫌って変わりたいと思うことの、更に極端な形。正しくあろうとする自分と否定されるべき最低な自分の乖離。

 この考察が正しいかはわからない。だけど、そうであるなら伝え聞くところの『家族の問題』と良好らしい家族仲の矛盾にもなんとなく説明が付く気がしたし、その殺意の根底に踏み込んではいけないことも承知できた。人を嫌いになる理由は人を好きになる理由と同じくらい些細で、繊細で、他者が捻じ曲げていいものじゃない。

 ただ、それはそれとして。

 

「好きな人が貶されていて……良い気分の人は、きっといません。どこにも、どんな世界にも」

「…………」

「でも、何かと韜晦して影のある氷川さんだから、その影に隠れたところを見たくなるのかもしれないです」

「……あぁ、なるほど。このまま説教でも始まるのかと思いましたが」

「思い当たる節があるのなら、それでもいいんですよ……?」

 

 氷川さんは肩を竦めて両手を軽く上げた。流石に意地悪だったかなと苦笑いすると「もしかして湊さんですか」とサンプリング元を当てられた。

 

「はい。……湊さんならもっと、さらりと言いそうですけど」

「そうですね、もっと──」

 

 声が揃った。

 

「鼻で笑い飛ばすように」「堂々と受け止めてあげると言いたげに」

 

 言葉は揃わなかった。

 

「……」

「……その、内緒にしておきますね……?」

「……ここはご馳走します。せめて」

 

 近々何かの形で補填しようと心に決めながら頷いた。

 湊さんからはいつだか「片想いよ」と聞かされたけど、彼女の氷川さんに対して抱く信頼……というか、その上にある何でも背負う覚悟の大きさが、どうにも伝わっていない気がする。これも自罰性の側面……それとも、強く優しい氷川さんのヴェールの奥、自称するところの「嫌な人間」らしさの一部分かな。好意に無頓着というか、もしかしたら身内の扱いが大雑把になるタイプなのかも。

 

「話を戻しますが……いえ、戻すのも少々、不本意なんですが」

「は、はい……」

「つまるところ説教でなく……暴きたいなら暴いてくれと言った私の、身から錆を出させられているわけですか。今まさに」

「……そうです」

 

 もう既に香水を選んでもらうなんて望外の収穫こそあるものの、そもそもこの『デート』はそんな目論見によるものだった。

 氷川さんをもっと知りたい。

 相手を知りたいのなら自分も、まずは好きなもののことから打ち明けよう。

 それだけ。

 みなさんはどうですか、というノリでRoseliaで話題に出したらはっきりと言語化していたのがまだ私だけだったせいで意図が伝わり切らず、色々あってこんな形になってしまったけど。結果的に勇気を振り絞れたとはいえお誘いを掛ける瞬間をみんなで見守られたのはひどく恥ずかしかった。

 

「どうしてそ……いえ」

「……言わなきゃ、伝わりませんか……?」

「……浅慮でした。ええ、私の自惚れでなければ、そうですよね」

「私は、今井さんやあこちゃんのような社交性はありませんから……」

「わかっています……はぁ、まったく、日菜のときに思い知ったでしょう……」

 

 氷川さんは眉間に皺を寄せて溜め息を吐いた。手慰みに握っていたグラスを額に当てて、カラン、と音がする。

 

「……そう。踏み込むのは、勇気がいる」

 

 小さな呟きだった。おそらく無意識の。

 それを掬い取ってくれる細やかさも、好きなところだった。

 

「……さっきと同じことを言います。白金さんの、気の済むようにしてください」

「はい……っ」

「……あまり……いえ、困らせるなと言うのも卑怯ですか?」

「ぜ、善処します……」

 

 舌の根も乾かぬ内に、青々としたカレーに引き攣った顔をする氷川さんをグループに上げさせてほしいとお願いした。今井さんの手でRoselia公式SNSから放流されるまで、あと三十分。

 

 

 

 

 

 

 

 

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