猿猴捉月   作:嘘風

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《モカ:2》ワインを注ぐ

「そういえばモカちゃん、実は成人してるんですよ〜」

 

 プラスチックのボトルに入った安〜いワインを袋から出してゆらゆらしながら、あたしは紗夜センパイの方を振り向いた。スーパーの帰り道、もっと言うとやまぶきベーカリーからの帰り道にまたぞろ遭遇して、なんとなしにふたりでのろのろお散歩している。

 紗夜センパイは「はぁ……」とよくわかってなさそうな顔でぽけっと返事をした。……いい加減見慣れたから「あ、テキトーにぽけ〜っと返事してるな」って察せられますけど、あたしはセンパイの突っ立っててもサマになる美人具合がちょっと羨ましい。傍目には変なこと言い出したあたしに呆れているように見えてそうだ。

 

「なので美少女ではなくぜっせ〜の美女なモカお姉さまなわけです」

「……アラサーやアラフォーになっても美少女を名乗っている芸能人もいますし、構わないのではないですか? どちらでも」

「おぉ、否定されない」

「器量良しなのは事実でしょうに」

「……おぉ〜」

 

 女たらしだ。まあ、あたしも否定はしない。悪い気はしないので。

 

「さて、そんな紗夜センパイお墨付き成人済み美少女なモカちゃんはですね、ただいまチーズ系のパンをいっぱい抱えておりまして」

「そうですね」

「ワインと一緒に摘んだらおいしそ〜じゃないですか」

「ええ。トマトなんかも欲しいところかもしれませんが」

「ピザもありま〜す、抜かりありませんよー……と、ゆーわけで」

 

 いつぞや、センパイが美味しそうに食べていたチーズバタールを差し出した。鼻先でふよふよ漂わせてみると、彼女はぱちくり目を瞬かせる。

 

「宅飲みなんていかぁすか〜? ……まだお昼ですけども」

「自堕落な……」

「紗夜センパイだって自堕落なんでしょ〜?」

 

 ほとんど形骸化していた敬語をいよいよ外して笑いかけてみる。紗夜センパイは「後輩に誘われては応えなくてはいけませんね」と仕方なさそうに零して、大変お行儀良くパンに食いついた。

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませー」

「おすすめは」

「揚げパスタでーす」

「……」

 

 顔を顰めた。こないだ入ったとこのお通しは微妙でしたねぇ。

 そこそこ要領よくやってるあたしは来年度学校が暇になりそうで、Afterglowでの活動に生活スタイルを寄せるべくひとり暮らしを始めていた。自室の中身を整理して実家からほんの一、二キロくらい離れたマンションに移した程度だし、ぶっちゃけ引っ越しそのものに大した意味はなかったかもしれないけど、心機一転にはちょうどよかった。

 

「……ワインセラー置いてるんですね」

「ワイン入ってませんけどね〜。みんながお酒置いてくんですよ」

「調理器具も」

「お惣菜をちょこ〜っとカスタマイズできると、QOLが上がるんで〜」

 

 あと、あたしは思ったより食道楽だった。買い食いに留まらず、練習とか課題とかしてるとき以外はず〜っと料理してる気がする。そろそろひーちゃんにカロリーを押し付けるのも限界かも。

 袋をローテーブルの脇に置き、並べた大皿にパンをどんどんどん。どれもこれもチーズ系だ。ゴルゴンゾーラのピザ生地パン、ごろごろ詰まった紗夜センパイお気に入りのバタール、フォッカチャをチーズで覆ったやつ、溢れて焼けた中身がプレートみたいにくっついてるチーズブール。エトセトラ。

 最後に今日の主役、安いワインをでんと置いた。

 

「今更ですけど、紗夜センパイワインって飲みます?」

「飲みますよ。なんなら高いのより好きです。飲みやすくて」

「あぁ〜」

 

 またつぐの幻想が壊れてしまうのか。……ま、夢見過ぎなのがいけない。

 この人はそんな大した人じゃないっていうのに。

 怒られないようすまし顔しながら、後輩の部屋を興味津々でじろじろ眺めてるような人だ。綺麗に正座したのにだらりと背中を丸めて頬杖なんかつく人だ。

 誰もが当たり前に持っている孤独と憂いと恒温性を抱えた、ふつうのひとだ。

 

「潰れちゃっても大丈夫ですからね〜。まだ日も高いからゆっくり休めますしー、なんなら前のお返しに泊まってもいいですよー……や、ほんと、あのときはすみませんね」

「律儀ですね。まあ、そういうことであれば遠慮なく」

 

 センパイは右手の甲に乗せていた顎を軽く持ち上げて指を組む。橋渡す指にまた気だるげに置いて薄っすらと微笑んだ。左手の長い薬指が屈伸したそうに身動ぎしている。

 前から思ってたけど、この人の仕草ってなんかいちいち艶めかしい。ひーちゃんが一生手に入れられないタイプの色気だ。幸薄そうな感じがこの背徳感を生むんだろうか。

 

「……そういえば、羽沢さんに今日のことは話してるんですか?」

「い〜え〜。突発の思いつきですしー。でもなんでまた?」

「小言を頂戴しそうだなと。あっさりお持ち帰りされてるわけですし」

「……いや〜ん。ワンナイトの秘密ができちゃいますね〜」

 

 びっくりした。えっちだなこの人。そういうところですよ。

 あたしたちと同じ女子校育ちの純粋培養のはずなのにこの余裕はなんだろう。大学が共学だからってだけではなさそうだし……うーん、あんまり考えるとあたしの脳も危ないかも。やめやめ。

 人の気も知らないでグラスにワインを注ぐ紗夜センパイは無駄に格好がついていた。

 

「さっそくいっちゃうんですか〜?」

「ちびちび舐めるぐらいのペースで行くつもりですけどね。メインはチーズ、というかパンなわけですから」

「え〜、イッキしちゃいましょうよ〜」

「私が粗相をして困るのは青葉さんですよ」

「でもちょっと見たい、っていうのもわかりません〜? 普段真面目な人の醜態」

「……否定できないのが困りますね。ですがまあ、勘弁してください」

「後輩のお願いが聞けないんですか〜」

「先輩の言うことを聞いてくださいよ」

「パワハラだぁ」

「そっちはアルハラです」

 

 ヘラヘラ笑いながら何に対してでもなく雑に乾杯した。ワインをひと口舐めると、自販機で買うようなぶどうジュースの口当たりをちょっと悪くしてアルコールの辛さを足した感じの、風情もへったくれもない味わいが広がった。

 

「……まあ?」

「まあ、こんなものでしょうね」

 

 揃ってもうひと口。

 とりあえずゴルゴンゾーラがそれっぽいかな、と同じ結論に辿り着いたらしい紗夜センパイと半分こでピックしながら、あたしはぼんやり言った。

 

「なんか〜……面白いですね。紗夜センパイがうちにいるの」

「呼んでおいて何を。それに、こちらの台詞ですよ」

「はい?」

「青葉さんと、Afterglowの方々や今井さんを間に挟まず宅飲みをする日が来るなんて、ね」

「あ〜……それは、かもですねー……」

 

 あたしが壁を作るというか、ラインを決めてその範囲で動くタイプなのはバレてるだろうし。

 

「達人の間合いですよね。相手の動きを絞るために近づいて手を出して、予測できる範囲に抑え込もうとする」

 

 酔拳みたいな、と締められてあたしはぽかんとした。それで剣道じゃないことあるんだ。ゴルゴンゾーラの一癖ある風味をワインで飲み下した。

 

「紗夜センパイもそうじゃないです?」

「私はむしろ遠ざけますよ。これ見よがしに仮面を被って鎧も着込んで、近づきがたくして」

「優しいですね〜」

「……波風を立てたいわけではないから、ですよ」

 

 そもそも人を近くに置きたくない、という言外の前提をセンパイは否定しなかった。

 昔から、それこそ高校のときから感じていたこと──センパイの平熱さの裏には、密かな攻撃性がある。すべてを可能な限り遠ざけて、最大限のスペースを確保するために一部へ仕方なく近づく。このラインだけは破ってくれるなと睥睨しながら。

 加虐的とは違う、むしろ被虐者的な防衛行動のそれとして、あたしの目には映る。

 ずっと、ずぅっと不思議だった。あれだけ良い人たちに囲まれて、自分を慕う出来た妹もいて、なのにどうしてか荒んだ気配がする。涼しげではなく荒涼として、寒々しい。

 まるで、身ぐるみ剥がされて知らない土地に放り出されたみたい……というのは、流石に当時女子高生のセンパイに当てはめるには漫画の読みすぎで大袈裟な喩えだろうけど。

 あたしには彼女の孤高が、いつも怯えに見えていた。

 

「……ワインが負けてますね。パンの方は上等なだけに、なんだか勿体ない気がしてきました」

「さーやが聞いたら喜び……や、どうかなぁ」

「安ワインの共にされて役不足だったと言われても困るでしょうね。分かり切っていたことだから」

「ワイン側の企業努力も素晴らしいはずなんですけどねー。あたしたちとしてはやっぱり、友達の肩を持ちたいですな」

「そうね。……友人なのかしら」

「あっちは恐縮しそうですけどね〜。まあでも、MiDDay-Moonでサポートとかもしてましたし〜? さーやは友達でいいんじゃないですかねー」

「……とりあえず、保留ね」

「へーい」

 

 あっちは──恐れ多いけどって枕が付きつつも──友達だと思ってそうだけど、紗夜センパイの方は感触を確かめるまで確定させなさそうだ。そのへん慎重なイメージ。

 それはそうと。

 

「あたしはちゃーんと友達に入ってますよね〜?」

「それは……ええ、勿論。仲良しですからね」

「へぇ〜……? ふぅーん……」

 

 ちょっと迷ったなこのひと。ずい、とまだ半分くらい残ってるあたしのグラスを押しつける。

 

「なぁーんか引っかかってますね〜? ネタは上がってるんだぞー、白状しろ〜」

「……あまり大したことでは……いえ、それを決めるのはそっちですか」

 

 紗夜センパイは溜め息を吐いた。テーブルに乗せられた左手の薬指が、数えるようにゆっくりと天板を叩く。

 

「……Roseliaのサポートをやりませんかと、聞いたことがあったでしょう?」

「……あー」

 

 あれか。

 

「あのときは冗談半分でしたが……Afterglowとも交流が深くなった今にして思えば、不誠実だったなと」

 

 もう随分前だなぁ。いきなりギターを持たせてみたりしてたっけ? まだ紗夜センパイもあたしも高校生で、全然心なんか開いてなかった頃だ。タツジンノマアイをしてた頃。

 バツの悪そうな顔の紗夜センパイに、あたしは改めてグラスを押し付ける。

 

「許してませんよ」

「……」

「センパイも未練あったし、あたしだって浮気はごめんですし。もしも今おんなじこと言われたら、たぶんショックっていうか、幻滅します」

「……ですよね」

「です。……ですけど」

 

 ワインを差し出す。

 血の色には似ても似つかない。かじったパンもそのまんま。あたしは別に、誰の救いにもなりはしない。人の罪なんて背負う気もないからいいんだけど。

 だけど。

 

「モカちゃんは今をもちまして、汝の罪を許しましょう」

「……許さないのでは」

「謝られてなかったですもん。ごめんなさいには、ちゃーんといいよと言ったげます」

 

 (ただ)しくない只人のモカちゃんが、何かと特別視される紗夜センパイの──何かにずっと怯えていた只人でしかない彼女のしがらみをほんの少し弱めてあげられるのなら、それくらいはしてあげたい。

 仲良しなのだから。

 

「悪いことしちゃったら、ごめんなさい、でいいんですよー。ちゃんと謝ったら、ちゃーんと赦してもらえます」

「……そうですか」

 

 紗夜センパイは、どことなく、安心したように綻んだ。

 欲目だろうか。ちょっとくらい自惚れていいか。

 

「そーゆーわけで、あたしもごめんなさい」

「なにがです」

「紗夜センパイにシンパシー感じてるって言いますけど、嫉妬の方が近いかもです」

「……許しません」

「えー」

「私なんかさっさと追い抜いて、なんであんなのに嫉妬してたんだ、って振り切りなさい。そうしたら許します」

「じゃーあたしも許しませ〜ん。荷が重いですよ、あの氷川紗夜の後任とか。なんてもの押しつけようとしたんですかも〜」

「花咲川の氷川紗夜でしょう? できますよ」

「無理寄りの無理ですー」

「そう言わずに」

 

 センパイがダル絡みしてきた。ヤなセンパイだなぁ。へへ。

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