猿猴捉月   作:嘘風

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あけましておめでとうございます。年越し前に投稿しようと思っていたのですが間に合いませんでした。
今年もよろしくお願いします。


《モカ:3》接吻はなく

 最初に感じたのはシンパシー。そして次が、畏怖だった。

 

 恐らくほとんどの花咲川出身バンドマンが思い出す紗夜センパイの肩書きは「Roseliaのギタリスト」だろう──初期の話だとしても、そこに「サポート」という枕は付かない──けど、あたしに取っては「MiDDay-Moonのギタリスト」だった。今やすっかりエレキでラウドな音を鳴らす姿が様になっている彼女にアコースティックギターのよく似合うことを、あたしは知っている。

 氷川日菜の姉であるという前情報だけ握っていた。同じ学校の泣く子も黙る天才少女である彼女の冷淡さは噂から、その実面倒見がよく賢く優しいのだという賛辞は幼馴染から聞いていて、その姉。あまり興味がなくて漫画のキャラにあるようなテンプレートな印象を漠然と当てはめていた気がする。

 それを粉々に破壊したのがあのライブだった。

 たったふたり。あからさまに発展途上のテクニックで、アコギとベースの二本だけ。音もリズムも他のバンドより圧倒的に足りていない未完成のセクション。

 莫大な伸び代を持て余しているのが丸わかりの未熟な天才を補おうと、掻き鳴らすコードのニュアンス付けと合間にボディを叩く奏法でパーカッションを補う姿に、あたしは眩しさを見た。 

 どれだけ、努力しているのだろうか。

 純粋な練習時間の話じゃない。支えるべき相手をどれだけよく見ていて、どうすれば補えるのかをよくよく考え続けていなければ届かない献身性。輝く誰かを隣で眺めるのが好きなのかと勝手に思った。そんな人が、隣の天才と同じだけ輝いている。嫉妬したつもりでいたけど、本当は途方もなさに立ち竦んだような心地だった。先達が遠いほど伸びる影も長い。

 

 縁は繋がるもので、Roseliaに加入した紗夜センパイとの交流は続いた。あたしたちのアルバムを彼女に買ってもらっただけでもちょっとびっくりしたけど、音楽雑誌のディスクレビューでも真似たみたいな感想シートが日菜先輩からつぐへと流れてきて、今度こそみんなで不思議な顔したり、中身を確かめてニヤニヤしたり。

 

「……あの人、なんであたしたちの曲を気に入ってくれてるんだろ」

「また〜? 気にしすぎだよ蘭ってば」

 

 蘭は嬉しそうな頬をむっすり引き締めながら、それでもいつも同じことを口にしていたっけ。

 当時のあたしは、平熱さから来る羨望だと思っていた。あたしのシンパシーの源。周りの高まりに合わせて熱狂出来ないあたしの劣等感に近しいんじゃないか、なんて。

 

『他の人がさっさと捨ててしまう悩みに向き合う姿勢は、後に続く者への励ましにもなるし、先に行った者の郷愁にも応える』

 

 少し前。熱が無いと吐露したあたしに矮小化すべきと正論を言いながらも、センパイはそう添えることを忘れなかった。優しさでもあるだろうけど、先に()()()側としても共感もあったんじゃないかって、あたしは信じている。

 

 最初にシンパシー。次に畏怖。

 その後に抱いたのは、これは、なんだろう。

 

 周囲の熱に馴染めないこと。善意に純粋な善意で返せない後ろめたさ。あたしの苦悩をあっさりと切開してみせたのは同じ痛みを抱えたからじゃないか、そう思い至って。

 孤独と憂いと恒温性。一方的に覗き込んで必死に距離を整えて、なのに素知らぬ顔をして──騙しているような罪悪感。

 あたしと一緒じゃないか。

 センパイが怯えているように映るのは、あたしと一緒だからじゃないか。

 これは、憐憫だろうか。

 

 

 

 

「……紗夜センパイ、起きてますー?」

「……ええ、流石にね……」

「うっそだぁ」

 

 めっちゃ眠そうだもん。このひと、お酒飲むたびに突っ伏してる気がする。吐いたりはしないけどふにゃふにゃになるし、立ち上がれなくもなるし。そのくせ結構後先考えない飲み方するし。つぐが心配するのもそりゃ〜そうってもんでしょーよ。

 あんまり量のあるわけじゃなかったワインはそろそろ飲み切りそうで、パンもとりあえず全種類はひとつずつ食べたかなってとこ。センパイ、とりあえず見た目が食べ応えありそうなものが好きっぽいな。どろ〜っとチーズが溢れた大きなブールを面白そうに食べてたし。全然少食なのにね。

 手付かずのパンはお土産にしてもらおうかなーと思いながらしばらく見守る。紗夜センパイは左手で前髪をかき上げるようにしながら、頭をふるふる揺らして顔を上げた。

 

「……いま、何時……」

「四時前、ってとこですねー」

「……朝?」

「夕方ですよ」

 

 ぽけっとしていた。最近はこんなところばっかり見てる気がするなぁ。

 

「……まあ、朝四時ならもっと暗いわね」

「というか、十二時間も眠りこけるような量飲んでませんよー……飲んでませんよねー?」

「飲んでない……はずだけど」

 

 曖昧だった。このワインしか用意してないから量的に全然なのは分かり切ってるんだけど、流石に起き抜けじゃ頭も回んないらしい。

 そも、なんでこの人は自分の飲める量を把握してないんだろう。前も潰れてたのに。

 ……気にしてないからか。

 

「紗夜さん〜」

「……なに」

「ちょっとくらい、気にしてくださいねー」

「……そうね、前も潰れていたし──」

「そっちじゃなくて、ですよ。あたし、紗夜さんが死んじゃったら、ちゃんと悲しいですからね」

 

 この人は丸くなった。Roseliaへの劇的な復活を経て、居場所を手にして、それはきっとあたしにとっての幼馴染(Afterglow)のような安らげるところでもあって。

 でも、あんなに怯えていた人が。

 他者を遠ざけて、影響という暴力が誰にも誰からも及ばないようにしていた人が。

 それを裡に向けないことが、あるだろうか。

 

「……そんなつもりは、ないのだけど」

「その割には無頓着ですよねー。飲み方もそうだし、案外刹那的なとこもそう」

 

 あー。あたし、酔ってるかもなぁ。

 いつもならこんな、ズバズバ言わないんだけど。

 

「周りが大切な人ばっかでギャップできちゃってますよー、きっと。自分も大切にしてるつもりでも、周りへの……あと、周りからの愛情に比べたら、ぜーんぜん」

「……」

 

 紗夜さんは表情を変えない。頭の痛そうな顰めっ面のまましばらく逡巡して、やがてぽつんと口を開いた。

 

「……おそらく、だけど」

「はい」

「貴女は、少し、優しすぎる」

「……はい?」

 

 紗夜センパイは薄く長く、溜め息のような深呼吸のようなわかんない息を吐いて目を閉じた。

 髪を掻き上げる左手の、薬指がゆっくりと屈伸する。思い出すように。なんとなく理知的に感じていた仕草が今だけはなんだか恐ろしかった。

 

「気にしいだと思っていたけれど……痛みに敏感なのね。自分のそれは勿論、人の痛みも他人事と思えないくらいの感受性がある。なまじ耐えられるだけの理性もあるから、相手を見てこれくらいは大丈夫のはず、と冷静に見極めることも出来てしまう」

 

 訥々とした静かな語り口は、内心の更に奥を切り開いていく。紗夜さんはあたしの神経を取り出し始めていた。

 

「……あぁ、だから、貴女は自己評価が低いのね。相手の強さに任せることを信頼だと知っているのに、自分事になると裏側の計算まで分かってしまって、薄汚い冷酷さのように感じてしまう」

「……あたし、紗夜さんの話をしてたはずなんですけど〜?」

「心配しすぎだと言っているのよ。仕方がない、とも」

 

 窓の外、傾いた日が建物の隙間から顔を覗かせた。空の夕焼けていることに今更気付く。

 

「何度か、美竹さんに言われたわね。どうしてAfterglowを好むのか」

「それは……」

「心を開いて、身を預けあって、それでも迷惑をかけすぎないよう気遣い合える──尊重することを忘れない関係が好ましいからよ。滲み出る好意の循環と、その輪を崩されまいと世間や社会を睨む姿は青くて、眩しい」

 

 直接言われたのは初めてだったかな。言葉が染みていって、だけど話のズレが素直に受け取ることを許してくれない。

 こうして裏を読もうとすることがまさに、あたしが「熱が無い」と自認するところなのに。

 

「……ねえ、青葉さん。私はAfterglowじゃない」

「……わかってます、けど」

「同じ高校だったわけでもない。たまたまバンド活動で縁があっただけの、ギター繋がりの先輩後輩でしかない」

「……はい」

「なら、気にすることはないのよ。ただの『仲良し』相手にそこまでしていたら身が保たない」

 

 距離を感じた。みんなよりずっと遠い距離だ。

 それはきっと互いに手を伸ばせば触れ合えるくらいで、でも──互いの姿が、よく見える。

 

「近づきすぎても仕方がない。キスをする仲でもないのだし……痛むくらいなら、心地よくなるまで距離を取って構わないのよ」

「……寂しくないですかー? それされたら」

「理由の見当くらいは付くから、別に」

「え〜? ……構ってくださいよー」

「構ってるでしょう、ほら」

「わ」

 

 左手がすいと伸びて、雑に頭を撫でられた。くしゃくしゃと前髪に掻き混ぜられる視界の真ん中で、オレンジ色に彩られた()()()()が意地悪に微笑んでいた。

 

「……まったく、手のかかる──」

 

 言いかけて、センパイはふにゃりと突っ伏してしまった。突然だったからぎょっとしたけど、息はある。眠っただけらしい。

 

「……紗夜さんが姉だったらヤダな〜。劣等感で潰れそー」

 

 そしてその度に、こうしてカッコいいとこを思い出させて、あたしは何度も立ち上がらせられていたことだろう。

 だらしないとこもいっぱいのくせに、あたしの憧れは一度も裏切られていない。ずるいなぁ。

 

「センパイでよかった〜。……なーんて」

 

 彼女のグラスに残ったワインを勝手に飲み干した。

 

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