世界滅亡級レイドボスなドラゴンさんに意味深な厨二病かましたら、なんか唯一の理解者判定された件 作:歌うたい
三日月にかかる雲はなく、喧騒を忘れたように静かな夜だった。
「ご苦労さまです。報告は?」
「特には無かったな。客室近くの柱に、まーた傷が増えてたぐらいか」
「リドとコニーでしょう。早く大きくなりたいと常々言ってますし、競ってもいるのでしょう。可愛らしいこと」
「男児の死活問題だからな。ま、あいつらの良い思い出として残しとこうか」
「ええ、結構ですよ」
院の施錠と見回りを終えたセトは、カタリナの部屋を訪れていた。錠棚に鍵を戻しつつ、ささやかな業務報告を交わす。蝋の火が浮かばせたカタリナの輪郭が、労るように揺らめいた。
「ふふ、お疲れ様でした。もう戻ってよろしいですよ。きっと今頃、首を長くして待っていることでしょうねえ」
「⋯⋯マザー。悪ノリが過ぎるぞ。そっちの立場なら普通
「あらまあ。この私に、普通の修道女を求めますか。今更過ぎると思いますがねえ」
「⋯⋯そうだったな」
そう開き直るカタリナであったが、客観的にみれば居場所のない孤児達を引き取り、育てる彼女は模範的なシスターにしか見えない。
だが長い付き合いであるセトはあっさり同意した。カタリナの特異であるとするだけの過去が、そこには確かにあるのだろう。
「──『信仰は道具』だっけか。あの時は度肝抜かれたよ。とんだ不良シスターが居たもんだってな」
「昔話を懐かしむとは、セトも大人になったものです。もう十年も前になりますか」
「⋯⋯ああ」
閉じた瞼の裏。蘇るのは昔の記憶。重い灰色ばかりが横たわる小さな世界の片隅で、セトはシスター・カタリナに拾われた。
敬虔たる神の信徒にあるまじき言葉。だがそれは確かに、一人にとっての救いになった。呆れながらも懐かしめば、当時と変わらない微笑みがセトに向けられていた。
「手の掛かる悪童が、たくましくなってくれたものです。お嫁さん候補まで連れてきてくれて、育て親の冥利に尽きます」
「誰がお嫁さんだ誰が。スピカの件は俺の意思ってより成り行きっていうか、その、色々あってだなぁ⋯⋯」
「色々と言われても、私のような一般シスターには分かりかねますねえ。記憶を失くした子というのも、初めての経験ですし」
「⋯⋯都合の良いときだけ普通ぶるなよマザー。流石に俺一人じゃ手に負えないんだ。面白がってないで、ちょっとくらい手伝ってくれ」
「勿論、私に出来ることはしますとも」
親は子の嘘に敏感なものである。本当は記憶喪失などではないことも、とっくに気付いているのかもしれない。
しかしカタリナはなにも疑う素振りを見せず、暖かく受け止めるだけだった。
「それにです。私なりにも彼女について、分かることはありますよ」
「分かること?」
「ええ、ええ。スピカさんは⋯⋯とても寂しがり屋なのでしょうねえ。あれだけ貴方に甘えてるんですもの。きっと長い間、寂しい思いをしたのでしょう」
「⋯⋯長い間、か」
寂しがり屋。セトの知るスピカの正体からすれば、まるで無縁な言葉である。
黒竜グラムスピカ。千年もの間、封じられ続けていた大災厄。だが果たして、それだけが彼女の全てなのだろうかと。
千年間。言葉にすれば一瞬だが、そこに至るまでに一体どれほどの春を迎えて、去って。どれほどの命が絶え、生まれたか。
誰にも何にも触れず触れられずに過ごす千年間。それは果たしてどれほどに孤独なことなのだろうかと。小さな人間には、想像すら出来ない。
「歳月が人を育てるのではありません。善き出逢いと善き別れで、人は強く、賢くなるのです。親愛を抱いた者を通して世を学び、別れがたき背を見送って強くなる。悲しさに負けないようにね」
「⋯⋯」
「スピカさんの無垢な瞳は、貴方を追いかけていますよ。セト坊。貴方もまた、彼女のことをしっかりと見てあげなさい。いいですね?」
「⋯⋯分かったよ、マザー」
「よろしい」
想像出来ないのならば、想像出来るようになるまで彼女のことを知るべきと。それが貴方の責任でもあると、言外に諭されたようなものだ。
親から子への忠言は、いつも耳に痛いもの。されどどこかすっかりした面持ちで、セトは退室した。
◆
「うう⋯⋯寒い、寒いぞ。セトよ。我が同胞よ。もう少しだけ傍によっては駄目かぁ?」
「駄目だ。約束したはずだぞ、俺達は唯一無二の同胞にして理解者。だが、全てを委ね合う関係性ではない。それは堕落に等しいと」
「わ、分かっている。分かっているが⋯⋯どうも鱗の少ない人の身だと、肌寒くて仕方ないのだ。ちょっとだけ。ちょっとだけでも駄目かぁ?」
「譲れないな。俺の矜持をかけてでもこの境界線は死守すると決めたんだ。諦めろ、スピカ」
「むう。なんたる覚悟、鋼の決意⋯⋯流石だセト、そなたこそ闇の体現者よ」
なにやら感銘を勝手に受けているスピカだったが、当然セトの真意はそんな崇高なものではない。
現在、セトとスピカは同じベッドに横たわっている。だが二人の間には、人ひとり分の空間がぽっかりと空いていた。セトが設けた、男の最終防衛ラインである。今彼は理性との仁義なき戦いを強いられていた。
(こいつは黒竜こいつは黒竜こいつは黒竜⋯⋯)
いくら中身が分かっていても、見た目はスタイル抜群の超級美女。それが目の前で横たわり、もっと近くでと懇願してくるのだ。甘えるように声を震わせて。もはや新手の拷問に等しかった。
だがスピカの言うちょっとを許せば、もはや体同士が接触するは必至。そんなことになれば、セトも流石に耐えられるかも分からない。文字通り、死守すべき最終防衛ラインなのである。
(こいつは黒竜こいつは黒竜⋯⋯)
そんなセトの抵抗を嘲笑うかの様に、異性特有の甘い香りまで届いている。粗いヤスリでガリガリと削られるセトの理性は、風前の灯であった。
「⋯⋯ふふ」
「⋯⋯スピカ?」
「いやなに、良いものだと思ったのだ」
「⋯⋯急にどうした」
煩悩と理性のせめぎ合いに、鈴を鳴らしたような笑い声が滑り込んだ。見れば寝転ったスピカが、頬を綻ばせている。
蝋の火を灯さぬ闇の中。唯一頼りの月光に浮き彫りにされた女の微笑みは、とても綺麗で。不意をつかれたようにセトの胸が高鳴った。
「無防備な時、誰かが傍らに居る。よもやそれが、こんなにも心を休ませるとは。闇の奥底に留まっていては、分からぬこともあるものだな」
薄い唇から紡がれた告白の、なんと穏やかことか。大災厄と恐れられし存在の言葉にはあまりに相応しくない。
だからこそ本質だった。余計な前書きを挟まない、グラムスピカの本文だった。
(千年か⋯⋯)
カタリナの言っていた、寂しがり屋という分析が脳裏に過ぎる。千年間眠り続けていたとスピカは言ったが、その間に意識はなかったのだろうか。
もし、封じられている間にも意識があるとしたのなら。誰とも、何とも触れ合えない孤独を真っ暗な闇の中で味わい続けたとしたら。
寂しさを隠さないスピカの言動は、孤独だったことの裏返しではないか。人間形態のスピカの精神がやけに幼いのも、その証左にさえ思えた。
「⋯⋯不思議だ。そなたがすぐ傍に居てくれるのだと思えば、体の中から熱が広がっていく。悪くない。これなら肌寒さも耐えられよう」
「⋯⋯そうか」
「うむ。ありがとう、セト」
「⋯⋯⋯⋯」
目の前に誰かが共に居る。それに安心したように目を細めるスピカに、セトは心になにかが湧き上がる。
「ぁ⋯⋯セト? どうしたのだ?」
無意識だった。気付いた時には手を伸ばし、寝転がる彼女の左手に重ねられていた。
驚いたように見開かれるエメラルドの瞳。戸惑いはセトの意図を問うているが、セト自身にも分からない。
ただ、そうしたいと思った。だからそうした。けれどそうと真っ直ぐ伝えられるほど、セトは真っ直ぐには生きてこられなかった。
「人間は手と足の先から冷えていく。我慢を強いさせておいてなんだが、目の前で風邪を引かれても困るからな⋯⋯これが最大限の譲歩だ」
「⋯⋯」
即席で編んだそれらしい理由。面倒な男の意地を過分に挟んだ言い訳は、
だがスピカには気にならなかった。男の言葉が真実か嘘であることなど、彼女にとって重要ではないのだ。
彼女にとって、差し出されたこの温もりこそが確かだったから。唯一の熱源を離さぬようにと、スピカは両手でセトの手を包み込んだ。
「暖かいな、そなたは」
「⋯⋯生きてるからな」
「そうか、そうか」
三日月にかかる雲はなく、喧騒を忘れたような静かな夜。
穏やかな顔で眠りにつくスピカを見て、セトは小さく息を吐く。
散々に振り回され、苦慮を強いられた立場ではある。だがこうも心を預けた様な寝顔を向けられると、不思議とその苦労もじわりと溶けていく。
前途多難に尽きた彼女との生活も、ひょっとしたらそう悪いものでもないのかもしれない。初めての夜を越えた男は、なんだかんだ絆されている自分に、そっと苦笑をこぼしたのだった。
◆
「すぴー⋯⋯セトぉ⋯⋯」
「は、離せスピカっ、今すぐ起きろ手ぇ離せ! か、かんせつ、関節キマってんだよこの寝坊助!」
「むにゃ⋯⋯やみあじ⋯⋯びみぃ⋯⋯かぷっ」
「ギャーーーー!!!」
翌朝。腕にくっきりと噛み跡が出来た哀れな男は、前言撤回を誓った。
黒竜グラムスピカとの暮らしはやはり、前途多難なのであった。