おいでませ、ルクセンブルク大公国   作:ワーファー・ドゥン・カウフ男爵

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前回の投稿からだいぶ日が開いてしまいました。
年末に向けだいぶ忙しくなってしまい、書き物をする時間が取れなかったのが敗因です。(あとHoi4)


空を見ろ!岩だ!樹だ!戦車の残骸だ!

 

ハインツ・グデーリアン上級大将は、自身のキャリアにおいて初めて、地図の前で指の震えを覚えた。 場所は、ベルギー国境近くに設営された第十九装甲軍団の前線司令部。 野戦テントの中には、オイルとタバコの匂い、そして隠しきれない焦燥感が充満していた。

 

「通信途絶だと?」

 

グデーリアンが低い声で問う。 目の前に直立する通信将校は、顔面蒼白で唇をわななかせていた。

 

「は、はい。先遣のクライスト装甲中隊、ならびに第二偵察大隊、全滅との報告が……最後の通信は、悲鳴と……何かが潰れるような轟音のみで……」

 

「馬鹿な」

 

グデーリアンは吐き捨てた。 相手はルクセンブルクだ。人口三十万にも満たない小国。軍隊など無きに等しい。そこに我が精鋭の装甲部隊を送り込んだのだ。泥道でトラックがスタックしたというならまだ分かる。だが「全滅」とはどういうことだ。

 

「敵の戦力は? フランス軍が国境を越えて介入したのか? マジノ線からの砲撃か?」

「いえ……それが……生存者の証言によりますと……『歩兵』だと」

「歩兵?」

「はい。ルクセンブルク軍の歩兵部隊が……素手で戦車を解体し、対戦車砲を小銃のように乱射していると……」

 

司令部内が凍りついた。 グデーリアンは眉間を揉んだ。集団ヒステリーか、敵のプロパガンダ放送でも聞いたのだろう。素手で戦車を解体する人間など、ゲルマン神話の中にしか存在しない。

 

だが、現実は地図上の進軍ラインが完全に停止している事実を突きつけている。 シュリーフェン・プランの成否は、速度にかかっている。アルデンヌを突破し、スダンでミューズ川を渡河する。この一連の機動こそが、連合軍の虚を突く「鎌の一撃(Sichelschnitt )」となるはずなのだ。ここで足踏みすることは許されない。

 

「敵が何であれ、道路を塞ぐ障害物は排除するのみだ」

 

グデーリアンは受話器を取り上げ、第VIII航空軍団司令官ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンへの回線を繋いだ。

 

「リヒトホーフェン、掃除の時間だ。ザウアー川流域のルクセンブルク防衛線に、貴軍の全火力を叩き込め。地上を蟻が這えないようにな」

 

「了解した。急降下爆撃隊を出そう。地上の鼠どもを巣穴ごと埋めてやる」

 

受話器の向こうから聞こえる自信に満ちた声。 グデーリアンは少しだけ安堵した。 空からの死神、Ju87スツーカ。その精密爆撃と「ジェリコのラッパ」による心理的恐慌に耐えられる歩兵など、この地上には存在しない。 たとえ相手がどのようなトリックを使っていようとも、物理的な破壊の雨には抗えないはずだ。

 

 

キィィィィィィィィィィィィン――。

 

空気を引き裂く不快な高音が、ルクセンブルクの空に響き渡った。 「ジェリコのラッパ」。 急降下時に風圧で鳴るサイレンの音。それは、直後に訪れる死を告げるファンファーレであり、ポーランド侵攻において数多の兵士を発狂させた恐怖の音色だった。

 

上空を埋め尽くす黒い影。 三十機を超えるJu87スツーカの編隊が、太陽を背にして急降下を開始した。 目標は、国境の橋梁周辺に展開するルクセンブルク第一大隊。

 

「来たな、ハエどもが」

 

ジャン・メイヤー大尉は、瓦礫の山となった検問所跡で空を見上げた。 彼の部下たちは、恐怖に逃げ惑うどころか、興味深そうに降下してくる機体を指差している。

 

「総員、対空戦闘用意」

 

ジャンの号令が飛ぶ。 だが、彼らは対空機関砲座へ走ることはなかった。 そもそも、そんなものは設置されていない。 彼らは、周囲に散らばる「手頃なもの」を物色し始めただけだった。

 

大隊きっての怪力で知られるガストン軍曹は、先ほどの戦闘でひっくり返ったドイツ軍のIII号戦車へ歩み寄った。 そして、ひしゃげた砲塔に手をかけると、全身の筋肉を膨張させ、一気に引きちぎった。

ギギギ、バキンッ!

数トンはある砲塔が、車体から分離する。

 

「仰角よし、風向きよし」

 

ガストン軍曹は、砲塔の砲身部分をハンマー投げの要領で掴むと、その巨体を独楽のように回転させ始めた。

ブンッ、ブンッ、ゴオオオオ……。

砲塔が風を切る音が、スツーカのサイレン音に対抗するように唸りを上げる。

 

「堕ちろッ!!」

 

指が離された。 砲弾ではない。戦車の砲塔そのものが、投石機から放たれた巨石の如く、空へと射出された。

 

急降下中のスツーカのパイロットにとって、それは悪夢以外の何物でもなかっただろう。 照準器の中に地上の標的を捉えた瞬間、視界の下から巨大な鉄塊が飛んできたのだ。

 

「回避ッ! 回避しろ! 何かが飛んでき――」

 

ドガァァァァァァァン!!

 

無線は絶叫と共に途切れた。 ガストンの投げた砲塔は、先頭のスツーカの操縦席を直撃し、機体を空中で粉砕した。 航空燃料と弾薬が誘爆し、巨大な火球が空に咲く。

 

「へっ、一丁あがり」

 

ガストンが鼻をこする。 それを合図に、他の兵士たちも一斉に投擲を開始した。 ある者はへし折った大木を槍のように投げ、ある者はトラックのエンジンブロックを砲丸投げのように放り投げる。 信じがたいことに、彼らの動体視力と腕力は、時速数百キロで降下してくる航空機を正確に捕捉していた。

 

「馬鹿な! 対空砲火ではない! 飛んでくるのは……岩だ! 木だ! 戦車の残骸だ!!」

 

スツーカ隊の編隊長は錯乱していた。 高度を上げようにも、急降下の慣性がついている。 次々と僚機が、理不尽な地対空投擲物によって撃墜されていく。 主翼を大木にへし折られ、きりもみ状態で墜落する機体。 エンジンに岩石がめり込み、黒煙を吐いて爆散する機体。

 

その光景は、近代戦の否定だった。 最新鋭の航空機が、原始的な投石によって落とされている。

 

「爆弾を捨てろ! 上昇しろ! ここは空ですら安全ではない!」

 

爆弾を投下する暇もなかった。 投下された爆弾ですら、地上から飛び上がった兵士によって空中で殴り返されたり、爆風を筋肉で耐えられたりしているのだ。 250kg爆弾が至近距離で爆発しても、彼らは「ピリピリするな」と言って煤を払うだけ。

 

三十分後。 リヒトホーフェンが誇る急降下爆撃隊は、半数が撃墜され、残りの半数もほうほうの体で敗走した。 ルクセンブルクの空は、再び静寂を取り戻した。 地面には、無惨な鉄屑となった航空機の残骸と、戦車の残骸が積み重なり、奇妙なオブジェのような山を築いていた。

 

ジャン大尉は、墜落したスツーカの残骸からパイロットを引きずり出した。 パイロットは恐怖で失禁し、震え上がっている。

 

「帰って伝えるといい」

 

ジャンは、パイロットの胸ポケットに、千切れた鉄片をねじ込んだ。

 

「我々の空を汚すなら、次は月まで投げ飛ばしてやる、とな」

 

 

空軍の敗退。 その事実は、グデーリアンのみならず、ベルリンの総統大本営にも衝撃を与えた。 ルクセンブルク方面への進軍は完全に停止。 迂回しようにも、アルデンヌの森そのものが彼らの狩り場であり、どこを通ろうと、木々の陰から戦車砲弾並みの拳が飛んでくるのだ。

 

「物理的な打撃では埒があかん。奴らの皮膚は戦車の装甲より硬く、その腕力は投石機を凌駕する」

 

事態を重く見た軍上層部は、ついに国防軍(Wehrmacht )による正攻法を諦め、ナチスの闇を体現する「黒い部隊」の投入を決定した。

 

夕暮れ時。 ルクセンブルク国境の前線基地に、重苦しいエンジン音と共に、異様な車両の列が到着した。 掲げられた旗はハーケンクロイツではなく、二つの雷光――SSのルーン文字。

 

トラックから降り立ったのは、骸骨の記章をつけた黒服の兵士たち。 だが、彼らの様子はおかしかった。 整列しているにも関わらず、小刻みに震え、虚空を見つめて歯軋りをしている。異常な発汗と、開ききった瞳孔。 彼らはナチスが開発した覚醒剤「ぺルビチン」を、致死量寸前まで投与された突撃兵たちだった。恐怖も痛みも疲労も、薬物によって強制的に遮断されているのだ。

 

そして、彼らが護衛していたのは、見たこともない形状の戦車だった。 II号戦車の車体をベースにしているが、主砲がない。代わりに、不気味なノズルと、砲塔後部に巨大な燃料タンクを備えている。 「II号戦車フラミンゴ」。 火炎放射戦車である。

 

部隊を率いるのは、SS上級大佐クラウス・フォン・シュタインベルク。 片目に眼帯をし、蒼白な肌をしたその男は、ルクセンブルクの森を見つめ、嗜虐的な笑みを浮かべていた。

 

「グデーリアンもリヒトホーフェンも、所詮は『騎士』気取りだ。戦いをスポーツか何かと勘違いしている」

 

シュタインベルクの声は、錆びたナイフのように冷たかった。

 

「あの国に巣食うのは、人間ではない。古の怪物だ。ならば、こちらも仁義なき『狩り』を行うしかない。怪物を殺すのに最も有効なのは、いつの時代も『炎』だ」

 

彼の背後で、タンクローリーからドロリとした液体が戦車に注入されていく。 ナフサと重油を混合した、特製の焼夷剤。一度火がつけば、岩肌だろうと燃え尽きるまで消えることはない。

 

「酸素を焼き尽くし、森ごと炭にする。いかに頑強な肉体を持とうとも、呼吸ができなければ生物は死ぬ」

 

シュタインベルクが、白い手袋をはめた指で、ポケットから錠剤のケースを取り出した。 彼はそれを一粒噛み砕くと、充血した目で叫んだ。

 

「さあ、宴の時間だ。痛みを知らぬ狂人たちと、全てを食らい尽くす紅蓮の炎。ルクセンブルクの筋肉がどこまで耐えられるか、見せてもらおうか」

 

森の中で、ジャン大尉は風の匂いが変わったことを感じ取った。 火薬の匂いではない。 もっと鼻をつく、揮発油の臭気。そして、獣のような狂気の気配。

 

「……油か」

 

ジャンは拳を握りしめた。 その拳の中で、空気が圧縮され、バチバチと音を立てる。

 

「小賢しいマネを。我々の汗は、貴様らの安っぽい油よりも熱いということを教えてやろう」

 




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