おいでませ、ルクセンブルク大公国 作:ワーファー・ドゥン・カウフ男爵
夜の帳が下りたルクセンブルクの森は、異様な熱気に包まれていた。 SS上級大佐シュタインベルクは、防熱コートに身を包み、戦場の指揮を執っていた。 彼の背後には、異形の戦車部隊が待機している。 II号戦車を改造し、砲塔の代わりに巨大な放射器を搭載した「II型フラミンゴ」。 そして、その後ろには、瞳孔が開ききった数千の兵士たちが、無言で揺れていた。
「グデーリアンは物理的な破壊力にこだわりすぎた。鋼鉄には鋼鉄を、という発想が貧困なのだ」
シュタインベルクは、手にした銀色のケースから錠剤を取り出し、自らの口に放り込んだ。
「行け。森ごと焼き払え。いかに頑強な肉体を持とうとも、酸素がなければ生物は死ぬ。呼吸をするという生物の弱点を突くのだ」
シュタインベルクの号令と共に、火炎放射戦車が前進を開始した。 同時に、薬物でトランス状態にある歩兵部隊が、獣のような唸り声を上げて突撃する。
♦
ボオオオオオオオオッ!!
森が紅蓮の炎に包まれた。 フラムパンツァーから吐き出される摂氏千度の油剤が、木々を、地面を、そして空気を焼き尽くす。 酸素が一瞬で消費され、真空に近い状態が生まれる。 通常の人間ならば、熱で焼かれる前に酸欠で窒息し、肺が破裂していただろう。
ザウアー川沿いの防衛線は、火の海と化していた。 炎の壁の向こう側。 ルクセンブルク第一大隊の陣地は、静まり返っていた。
「……見たか。悲鳴一つ上げん。窒息したか、あるいは蒸し焼きになったか」
シュタインベルクが勝利を確信した、その時だった。
炎の壁が、揺らいだ。 まるで、巨大な送風機で内側から吹き飛ばされたかのように、炎が左右に割れたのである。
「暑いな」
不機嫌そうな声が響いた。 炎の中から現れたのは、上半身の軍服を脱ぎ捨て、筋肉を露わにしたジャン・メイヤー大尉と、その部下たちだった。 彼らの体からは、凄まじい量の汗が噴き出している。 その汗が体表で蒸発し、蒸気の鎧となって熱波を遮断していたのだ。 さらに、彼らの肺活量は常人の十倍以上。一度深呼吸をすれば、数十分は無酸素で活動できる潜水夫のような心肺機能を備えていた。
「サウナにしては温度設定が雑だ」
ジャンは玉のような汗をぬぐい、テラテラと光る筋肉を見せつけた。 熱によって血流が促進され、筋肉の柔軟性と出力が向上している。 ドイツ軍の火攻めは、彼らにとって最適なウォーミングアップを与えてしまったに過ぎなかった。
「お返しだ」
ジャンが大きく息を吸い込んだ。 周囲の空気が渦を巻き、炎ごと彼の肺へと吸い寄せられる。 そして。
「フンッ!!」
彼が息を吐き出した瞬間、突風が発生した。 それは吐息というレベルを超えていた。台風のような衝撃波が、前方の炎を巻き込み、ドイツ軍の方へと逆流させたのだ。
「な……ッ!?」
自らが放った炎に巻かれ、フラムパンツァーが次々と誘爆を起こす。
「ええい、構わん! 歩兵隊、突撃せよ! 痛みを知らぬ死兵の力を見せてやれ!」
シュタインベルクが絶叫する。 炎の中を突き破り、薬物中毒のSS突撃隊が雪崩れ込んできた。 彼らは自身の体が燃えていても止まらない。銃で撃たれても止まらない。 ナイフを持ち、歯をむき出しにして、ルクセンブルク兵に襲いかかる。
「ウオオオオオオオッ!」
一人のSS兵が、ガストン軍曹に飛びかかった。 ガストンは無造作に裏拳を放つ。 バキッ! 頭蓋骨が砕ける音がしたが、SS兵は倒れない。ニヤニヤと笑いながら、折れた首で噛み付こうとしてくる。
「……なんだ、こいつらは」
ガストンが眉をひそめる。 力が強いわけではない。技があるわけでもない。 ただ、壊れても止まらない。それは生物としてあまりに不気味で、そして哀れな姿だった。
ジャン大尉が、一人のSS兵の首を掴み、持ち上げた。 兵士は虚ろな目で笑い、手足をバタつかせている。 ジャンは、その瞳の奥にある狂気と、薬品特有の甘ったるい体臭を感じ取った。
「薬か」
ジャンは静かに言った。 その声には、怒りが滲んでいた。 肉体を鍛えることを神聖な行為とする彼らにとって、安易な薬物でリミッターを外す行為は、最大の冒涜であった。
「己の弱さと向き合わず、薬で誤魔化した力など、力ではない。ただの暴走だ」
ジャンは兵士を地面に叩きつけるのではなく、強く抱きしめた。
ミシミシ……。
背骨が鳴る。だが、それは破壊するためではない。 強烈な圧迫により、血流を一時的に遮断し、強制的に失神させる絞めの技術。
「眠れ。悪い夢を見ているだけだ」
SS兵の体がビクリと震え、脱力した。 周囲の兵士たちも、ジャンの意図を悟った。 殴れば壊れる。投げれば死ぬ。 ならば、制圧する。
ルクセンブルク兵たちは、襲い来る狂信者たちを、一人、また一人と抱擁していった。 スリーパーホールド。 コブラツイスト。 アルゼンチン・バックブリーカー。
それは、まるで暴れる子供をあやす大人のようであり、あるいは酒場で暴れる酔っ払いを介抱する用心棒のようでもあった。
「離せ! 殺せ! 俺は不死身だ!」
「はいはい、わかったから寝ろ」
数分後。 戦場には、いびきをかいて眠る数千のSS兵たちが転がっていた。 彼らはルクセンブルク兵の関節技によって、優しく、しかし確実に意識を刈り取られたのである。
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残されたのは、シュタインベルク一人であった。 彼は震える手で、自身の拳銃を抜こうとした。 だが、巨大な影が彼を覆った。
ジャン・メイヤー大尉。 彼は炎の照り返しを受け、鬼神のような形相で立っていた。
「貴様の罪は二つある」
ジャンが指を立てる。
「一つは、神聖な森を燃やしたこと。もう一つは、兵士の誇りを薬で汚したことだ」
「ひ、ひぃ……私は……総統の命令で……」
「言い訳は聞かん。貴様には、我々の流儀で『教育』が必要だ」
ジャンはシュタインベルクの首根っこを掴んだ。
「岩を運び、土を耕し、汗を流せ。薬など無くとも、飯が美味くなるまでな」
シュタインベルクは、そのまま小脇に抱えられ、闇の中へと連れ去られていった。 彼の絶叫が、夜の森に虚しく響き渡った。
翌朝。 焼け跡には、ドイツ軍の戦車の残骸が積み上げられ、巨大なバリケードとなっていた。 その頂上には、ルクセンブルクの国旗と共に、一枚の看板が掲げられていた。
『火気厳禁。および薬物乱用防止キャンペーン実施中』
ヒトラーの放った「火と狂気」の軍団は、ルクセンブルクの健康的な筋肉と、サウナで鍛えられた耐熱性の前に、完全なる敗北を喫したのである。