第二王子の婚約者に転生したので、流れに身を任せて気ままに生きていきます   作:シグル

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後編

 

 ここがどの世界線なのかを理解して早数年。

 ついにロイド様が禁書庫にいる魔物の封印を解いた。つまり本編開始の合図。

 禁書庫の扉には魔術師が10人がかりで張った結界が施されている。その10人の中でも中心となっていた魔術師が、なにを隠そう私のご先祖様だ。代々結界の強化や修繕、監視を任されており、そのお役目は現在私に移されている。定期的に扉の前まで赴き、結界の状態を確認して都度上書きしていく簡単なお仕事だ。常に結界に守られているため、禁書庫への扉が開かれることは滅多にないし、最後に開かれたのも百年単位で前の話だ。

 ──と、表向きはそうなっている。

 実際にはここが『第七王子』の世界線だと気づいてから私が何度も出入りしているのだけど。

 あの結界、何重にもなっているから堅そうに見えるけど、ちょちょっとイジればすぐに解くことができるのだ。イメージ的には知恵の輪が一番近い。

 もちろん、いけないことだというのは理解している。だけど私の主張も聞いてほしい。

 私は結界術と封印術以外はからっきしだけど、魔術書は読むだけでも楽しいし知識はあるだけあっていいと思うのだ。実家や城内の図書館にある魔術書は全て読み終えてしまったし、城下にはそもそも魔術書の類はあまり出回っていない。だったら次に目をつけるべきは禁書庫でしょう?本は人に読まれるためにあるのであって、城の地下深くにしまいこまれるために存在しているわけではないのだから。

 ちなみに出入りする度に禁書の一冊に封印されている魔物──グリモワールに話しかけられていたのだが、私は読書に集中したかったため自分とグリモワールに防音結界を張っていた。

 そうして只管魔術書を読み漁り、空が白んで来た辺りで切り上げて結界を張り直す日々を送っていたのだが、最後に張り直したときに結界が破れたらわかるよう少しばかり細工をしておいたのだ。

 だから昨夜遅くに結界が破られた事はすぐにわかった。そしてそこに封印されていた魔物の気配が、これまでよりもずっと近い場所──ロイド様の近くにいることにも。

 ロイド様は私が番人であることを知らない。というより、知っているのは本当に極一部の人だけだ。禁書庫の魔物だって都市伝説になっているのだから当たり前だけど、それだけではなくて国の安全を保つためでもある。万が一にも番人が敵の手に堕ちて魔物が復活なんてしたら事だもの。

 まあもっとも、その魔物も今回この国の第七王子殿下によって復活したのだけど。

 害はないどころかロイド様のよき相棒になるとわかっているから心配はしない。それよりも念の為扉の結界を見ておこうかしら。ロイド様のことだから元あったように張り直しているだろうけども。

 与えられた私室から出て周囲に人がいないことを確認する。人差し指をくるっと一度回せば準備は完了だ。そのまま足音にだけ気をつけながら廊下を進む。何度か侍女や騎士とすれ違ったがお互いスルーだ。だって向こうは私を認識していないもの。

 何度も言うが私は結界術と封印術以外はからっきしだ。指パッチンで炎や水や風を出すことに憧れはあるけれど、さすがにもう無理だってわかっている。だから短所ではなく長所を伸ばそうと、私は早々に方針を転換していた。結果、結界に条件を直接付与することに成功したのだ。警備の目を掻い潜って地下に向かうためにも私は頑張った。

 今では結界内を指定の天気にしたり、魔術を扱えないように設定したり、任意の対象に猫耳を生やしたりと色々できる。禁書庫で読書中にグリモワールに張っていた防音結界もそうだ。

 その気になれば二次創作では定番の『〇〇しないと出られない部屋』だって作ることができると思う。やらないけど。

 そんなこんなで私は今、周囲から認識されない結界を自分の周りに張って堂々と警備の横を通り地下へとやってきたわけだ。

 

「──さすがロイド様ね」

 

 結界の重ね方も、途中のトラップも元通りだ。少し強度が気になるけれど、中に封じているものはもういないし別にいいだろう。それに今後もロイド様はここに出入りするし。

 うんうん、と頷きながら地上に戻ればちょうど空が割れて夜が剥き出しになっているところだった。無人の射撃場でテンションが上がったロイド様の仕業だと知っているしすぐに元に戻ったが、実際に見てみると中々衝撃的な光景である。

 

「…うん。元気なのはいいことだわ」

 

 一度でもツッコミ役になってはいけない。ロイド様の魔術に常識なんて通用しないのだから、全てを受け入れてしまったほうが賢い。

 問題なくストーリーが進んでいることに安堵しながら、私は誰にも気づかれることなく私室に戻っていった。

 

 

 

 

✽✽✽✽✽

 

 

 

 

 ロイド様がグリモを使い魔にしたあと、剣に付与魔術を施す事に成功し、その効果を見るためにアルベルト殿下の魔物討伐の任についていったのは少し前の話だ。きっとその間のどこかで城を抜け出して語尾が「アル」の中華系ヒロインとダンジョン攻略デートに行ったのだろうが今世の私には把握しようがないのでストーリー通りに進んだのかはわからなかった。それでも魔物は無事討伐できたしベアウルフのシロはロイド様の新しい使い魔(ペット)になったから問題なく進んでいるのだろう。最近では近隣国に留学していた第四王子のディアン様もご帰国されてロイド様と魔剣を作り始めたから、そろそろ暗殺者ギルドとの話が始まるのだと人知れず覚悟を決めていた。

 お察しの通り、私は彼らに手を出すことはしなかった。ジェイドを始めとしたロードスト領の民たちの命と、ストーリーに介入することで今後生じるだろう影響を考慮した結果だ。

 私は私の都合で、救えたかもしれない民を見殺しにした。だからせめて、私にしかできないことで彼らの命を背負おうとそう決めたのだ。

 夜中にロイド様が行方不明になり、後を追った護衛兼教育係のシルファとシロが暗殺者ギルドの拠点で見つけた一枚の書き置き。そこにはロイド様の字で、ギルドの面々とロードスト領主邸に向かうことが雑なイラスト付きで書かれていた。

 それだけならばまだ冷静な判断ができていたのに、共に残されていたのがロイド様の下着を含めた衣服(白いネバネバした粘液付き)だったものだから、弟大好きな我が婚約者殿とロイド様命なシルファが盛大にキレてしまったのだ。

 それでも国王陛下に許可を取り、魔剣部隊とその魔剣の製作者の一人であるディアン様、そしてレッサーフェンリルを使役しているアリーゼ様という戦力を確保したのは的確な判断だったと言えるだろう。ちなみに、ロイド様が巻き込まれた時点でシルファの参加は決定事項なため、誰も彼女の意思確認はしていなかった。そして実戦経験もないうえに能力値が防御に全振りな私は、国防の一角を担っていることもあり殿下直々にお留守番しているよう言い渡されていた。

 誠に遺憾です、と声高に言えないのが辛いところだ。

 何度も言っているように私は結界術と封印術以外はからっきしで、剣術もシルファには遠く及ばない。敵味方入り乱れる戦場に行ってもただの足手まといにしかならないのは想像に難くなかった。悔しくはあるけれど、現実は無情である。

 だから私は、大人しく待つことに決めたのだ。現地に到着した彼らがロードストの実情を知り、得た情報を城に報告するその時まで。ロードスト領にできてしまった魔界と通じる道(・・・・・・・)を封じるために、私を現地に派遣するよう陛下に直談判できるその時まで。

 かくして私は、国王陛下からの勅命という大義名分のもと、ロードストまで馬を走らせることに成功したのである。

 

 

 

 

✽✽✽✽✽

 

 

 

 

 ロードスト領主邸に着いた時には、戦闘は既に終わっていた。そこかしこに残る戦いの痕跡に、分かっていたこととはいえ自責の念が募っていく。自然と歪みそうになる顔面に、熱くなる目頭に、自分の中にいるお嬢様をフル動員してやり過ごした。彼らを見捨てた自分に、泣く資格なんて微塵もありはしない。

 深く呼吸をして背筋を伸ばす。

 意識的に普段の状態に戻した上で、開いてしまっている魔界への道を塞いでしまおうと周囲の気配を探った。

 今回のように意図的に開かれた道は、自然にできた()と違い閉じるまでに時間がかかる。魔物や魔人、魔族が再びそこを通って来ないように強制的に封じてしまうことが、今回私の派遣が許された理由だった。

 ()はすぐに見つかった。

 ロードスト領主邸に設えられた礼拝堂。皮肉にも、神に祈るための場に魔界に繋がる道が出来てしまっていた。

 取り敢えず応急処置としてこの場から簡易封印の術式を飛ばす。問題なく作動したのと他に道がないかを改めて確認して一息ついた。これで新たな勢力が襲来してくる心配はなくなったと言っていい。

 さて、それじゃあそろそろ挨拶に行かなくてはと、近くの騎士に我が婚約者殿の居場所を聞こうとして──。

 

(あ…)

 

 小高い丘の、お日様がよく当たる場所。

 そこに建てられた十字のお墓と、微調整を繰り返すロイド様とグリモ、シロの姿が遠目に見えた。

 前世の()の、お気に入りのシーンのひとつ。

 暗殺を生業とするギルドの面々の処遇について、第二王子としてロイド様にその覚悟を問う場面。彼らが失態を犯せば、それは主人であるロイド様の責任となり、ひいてはサルームの名に泥を塗ることになると、静かな声で告げていたっけ。

 ()がアルベルト=ディ=サルームというキャラクターに惹かれたシーンでもある。

 

(え、見たい)

 

 これまでなかなか縁がなくてストーリーに関わる場面に立ち合うことはなかったが、それはきっとこの瞬間のためだったのね。そう自己完結し、見逃してなるものかと急いで丘──ロイド様によって建てられたジェイドのお墓まで向かった。

 声が聞こえるギリギリまで近づき、木の陰に隠れて彼らのやり取りを盗み聞く。

 創作物ではない、生きている人たちの声。

 静かで硬い、甘さが一切含まれていない婚約者殿の声を聞きながらふと、私はそんな声を向けられたことがないことに気がついた。

 私と話すときの殿下の声には、それがどんな内容だったとしても必ず特有の柔らかさと温もりが含まれていて。それが、他の誰かと話すときともまた違う温度なのだと、今不意に思い至った。

 

(、…っ)

 

 ああ、だめだ。顔が熱くて仕方がない。この場から走り去ってしまいたくなるのをどうにか耐えて、抑えきれなかった衝動が手の震えとして表に出てくる。

 

(どうしよう…私、やっぱり殿下のこと…)

 

 昔、殿下がご学友に「恋愛結婚がしたい」と話しているのを聞いてから、気づかないように、見ないようにしていたのに。なんで…。

 知らぬ間に大きく育ってしまっていた自分の想いに軽く絶望する。

 そしてそうこうしている間に話し合いは終わったらしい。仲睦まじい御兄弟のやり取りが耳に入ってくる。ついでに凄まじい勢いで語尾が「アル」の中華系ヒロイン、もといタオがやって来て、振り返った面々に私の存在がバレた。なんてこと。

 

 

 

 

✽✽✽✽✽

 

 

 

 

「それでルクシア、どうしてここにいるんだい?城にいるよう伝えていたと思うんだけど」

 

 簡単な挨拶と全員の無事を確認し終えた私に対し、小首を傾げ柔らかい笑みを浮かべる殿下。一見いつも通りの様子だけど、見る人が見れば怒っているのがわかる。ロイド様とディアン様が冷や汗を流しながらこちらを伺っている中、にこにこと楽しそうなアリーゼ様とタオの首根っこを捕まえたままのシルファは流石だと思います。

 そして怒っているのに先程のロイド様に対するものよりも明らかに声音が柔らかい事実が刺さって辛い。主に胸のときめきという意味で。

 

「魔人の集団がロードスト領を襲撃したと報告なさったでしょう?規模から考えて魔界へ通じる道が開かれている可能性が高いと、私から陛下に進言したのです。開いてしまっているのなら早めに対処しなくてはいけませんから」

 

 内心の動揺を綺麗にお嬢様で覆い隠して、こちらも負けじとにこやかに答える。小首を傾げてしまったのは殿下につられてのことだ。決してあざとさを狙ったわけではない。

 数秒の間じっと見つめられたけれど、やがて折り合いをつけたのかふぅ、と小さく息をついた殿下は、今度こそちゃんと目元を緩めて私を見る。

 うっ、顔がいい…!

 

「場所に検討はついているのかい?」

 

 仕方ないなぁと言わんばかりの表情で、折り曲げた人差し指で擽るように頬を撫でられた。手袋越しに触れられたことに物足りなさを覚え、それを自覚した瞬間に心臓がドッと音を立てて跳ね上がる。殿下に対する好意を認めたばかりの私にとって、この仕打ちはあまりにも酷い。殿下、お願いですから物理的に距離を縮めないでくださいな。

 しかしそんなことを声に出して言えるわけもなく。相変わらず心臓は早鐘を打っているけれど、表向きは通常通り対応していくしか私にはできなかった。

 

「、はい。礼拝堂にありました。既に簡易的な封印はしてありますので、すぐにどうこうなるわけでもありませんが…なるべく早く取り掛かりたいと思っております」

 

 嘘。通常通りとか絶対無理。今だって喋り出しで言葉に詰まったもの。すぐに立て直したとはいえ、殿下なら気づくだろう。

 

「…」

 

 あー!ほら!じっと見られてる!何か探られてる気がする!

 にこやかに対応しているが内なる私は上へ下への大騒ぎだ。そろそろ顔が引きつりそう。

 多分あと5秒も保たないといったところで右手が暖かい何かに掬い上げられた。いやもう正直に言おう。殿下だ。目の前の殿下の左手が私の右手を掬い上げるようにして握っている。しかも素手。いつの間に手袋外したんですか??

 

「わかった。では行こうか」

「へ?」

 

 今度こそ動揺が表に出た。私今絶対間抜けな顔してる。

 殿下が歩き出すから私も付いていく形になる。当たり前だ。だって手が繋がれているのだから。痛みはないけれどしっかりと握られているその手を、私は振り解くことができないでいる。

 

「あの、殿下…!私一人でも…」

「僕が動けるときは、君の護衛は僕がすると決めてるから」

 

 当然のようにそう言ってのけた我が婚約者殿は大層楽しそうで。そんな顔を見たらこれ以上抵抗するなんてとてもじゃないができそうにない。

 成す術なく礼拝堂に向かって歩いていく中、殿下が

 

「シルファ、お茶会の準備を頼めるかな。それからロイド。封印術は企業秘密のようなものだから、付いてきたらだめだよ」

 

 と振り返りながら告げていたのが辛うじて耳に入った。逆に言えばそれしか耳に入らない。

 そんな感じでいっぱいいっぱいになっていたから、

 

「…なんかアル兄、いつにも増して押せ押せじゃね?」

「ふふ、一方通行じゃなさそうって気づいたからじゃない?」

「随分と長かったですね」

「というかいい加減離すアルこの暴力ゴリラメイド!」

 

 という賑やかな会話も、

 

「(釘を刺されてしまった…姿を消したらバレないでついていけるかな…)」

「(あの女…少し前まで禁書庫に出入りしてた"番人"じゃねぇか…!)」

 

 とロイド様とグリモがそれぞれ内心で呟いていたのも、もちろん知らないのである。

 

 

 

 

✽✽✽✽✽

 

 

 

 

「いや…ほんといいアル、お茶会とか…こんなお通夜みたいなときに…」

 

 とは、宣言通りジェイドのお墓の前でお茶会を開催した殿下に対するタオの言葉である。まあ気持ちはわかる。

 あの後、繋がれた手を解くことができないまま礼拝堂まで連行された私は、殿下に見守られながら無事に魔界へ通じる道を封じることに成功した。そして再び手を取られて元来た道を戻って来たのである。恥ずかしいやら嬉しいやらで内なる私が泣いていた。本当お願いだから物理的に距離を縮めないでほしい。私の情緒がダメージを負うから。

 それでも殿下が楽しそうにしているのを見ると「離してほしい」なんて口が裂けても言えなくて。その表情を見るのも好きなのだと気づいてからは、もう殿下が幸せならなんでもいいやと受け入れることにした。最早悟りの境地。

 そんなこんなで戻ってきた丘の上。

 改めてタオと、そして暗殺者ギルドの面々と顔合わせを行い、いつの間にか用意されていた酒樽に腰をかけた殿下のお茶会への招待に対するタオの一言が、冒頭のあれだ。

 その後もこの場にいる顔触れに対して恐縮しきりだった彼らだが──なにせ王族が4人もいる──殿下の「無礼講だから気にしないでどんちゃんとやらをしよう」という言葉に次第に緊張も遠慮もなくなっていった。

 呪言使いのクロウはジェイドのお墓に抱きつき号泣し始め、タオもその声に釣られて涙を流し、バビロンはどこから調達したのか料理をテーブル代わりの酒樽に並べ、ガリレアとタリアは酒瓶片手に呑みまくる。うん、王城ではない賑やかさだ。アリーゼ様とシルファに誘われた湯浴みも心惹かれたけれど、こっちはこっちでこのカオスな感じが前世の飲み会を思い出して懐かしい気分になる。

 静かに酒瓶を傾けているディアン様の横でサンドイッチを齧りながら空気を楽しむ。帰りも馬に乗る予定なので飲酒は厳禁なのだ。

 

「素晴らしい!これが下々の茶会…今度この形式を王宮にも取り入れよう」

「やめとけ?」

「ふふ」

 

 滅多にない経験にテンションが上がっている殿下と、冷静なディアン様のやり取りに自然と笑みが溢れた。

 くすくすと笑う私を見下ろしながら、殿下は柔らかく問いかける。

 

「楽しいかい、ルクシア」

 

 その質問に対し、私は緩んだ口元をそのままにまっすぐと殿下を見上げて口を開いた。

 

「ええ、勿論。…殿下も楽しいでしょう?」

「──ああ」

 

 とろりとした蜂蜜が溶け込んだような、そんな瞳。上から見下ろされていても一切圧を感じないのは、この人の纏う空気がいつもふわふわとしていて優しいからだ。

 

「ブラックコーヒーとかねぇかな…」

 

 ぼそりと隣からそんな呟きが聞こえてきたのは、殿下から注がれる視線が擽ったくなってきた頃だった。これ幸いと顔ごとそちらに向ける。

 

「お酒はもうよろしいのですか?ディアン様」

「今は酒よりも苦いものが飲みたい」

「珍しいね、ディアン。いつもならコーヒーか酒かだったら迷わず後者を選ぶのに」

「誰のせいだと…」

 

 はあ、とわざとらしいまでの溜め息に首を傾げるが、近づいてきた気配に意識が逸れた。

 

「んふふ。そういうアルベルト様はお飲みにならないのですかぁ?」

 

 ギルドメンバーの一人であるタリアが、顔を赤らめながら殿下にしなだれかかる。

 むにゅりと押し付けられるたわわなお胸。つつ、と人差し指が艷やかに殿下の身体を辿るのを、私はある種の感動を覚えながらガン見していた。

 アニメであったシーンだわ!

 

「…おい、ルク義姉(ねぇ)。あれいいのか?」

「?なにがです?」

 

 ディアン様の問いかけの意味がいまいちわからなくて首を傾げたら、何故だか呆れたような視線を向けられてしまった。

 もう一度殿下とタリアに顔を向ける。

 相変わらずタリアの顔は赤らんでいるが、あれはどう見てもお酒のせいだ。そして柔らかな膨らみを押し付けられているにも関わらず、殿下は顔色ひとつ変えずにさらっと誘いを断っていた。しかもウィンク付き。

 そんな様子を見ていたタオが「ゲロ堅アル…」と呟くのが聞こえる。

 

「…男性は大きいものを好む方が多いと思っていたのですが、殿下は違うのでしょうか」

「ごふっ」

 

 自身の胸元に手を添えたままそう言えば、ちょうど酒瓶を傾けていたディアン様が盛大に噎せた。

 

「ディアン様、大丈夫ですか」

「げほっごほ、うぇっ…」

 

 口元に手を当てて咳き込むディアン様の背中を擦る。ジェスチャーで大丈夫だと伝えてくるけれど、とてもそうは見えなかった。

 すると突然、周囲がざわっと騒がしくなった。

 

「どうよ!酔いを共有してやったわ!ヒック」

 

 どや!と得意げにタリアが声を上げる。その言葉に殿下と自傷共有が行われたのだと察した。お酒を飲んでいない殿下の顔が赤らんでいるのが何よりの証拠でもある。

 

「やりやがった!あの阿呆!」

「なんて無礼講…」

「あらまあ」

「でも気になる…どうなるアル…!」

 

 上から順にバビロン、ディアン様、私、タオの台詞である。ちゃんと焦っているのがバビロンのみというなんとも緊張感のない現場だ。ちなみにディアン様は息も絶え絶えで喉が枯れていた。お酒で噎せていたから仕方がない。

 私は殿下が酔うほど飲んでいるのを見たことがないのでとても楽しみだったりする。いや、アニメで見たから知識として知ってはいるんだけど、それはそれというか。

 そんな私たちの期待と好奇心を一身に背負った殿下は、無言でゆらりと足を踏み出したかと思えば一人静かに飲んでいたガリレアに近づいて。

 

「そういえば…ロイドを粘液で穢した説明がまだだったな?ガリレアァ!」

 

 目を剣呑に光らせ腕を組み、背後に般若を召喚しながらガリレアに対し圧をかけ始めた。

 うん、アニメで見た通りだ。普段の姿と懸け離れていて面白い。ああ、でも。弟大好きな我が婚約者殿だから、そう不思議なことでもないのか。

 なんにせよ、酔っ払っている殿下の姿など激レアもいいところだ。ついにこにこと眺めていれば、ディアン様の切羽詰まった声が私を呼ぶ。

 

「ちょ、ルク義姉!アル兄を止めてくれ!」

 

 その言葉に、可能性は低いけれど暴力沙汰になったら大変だものね、と思い直し、未だガリレアに圧をかけている我が婚約者殿に近づいた。

 

「えっと、ディアン様。ルクねぇ(・・・・)ってことは、ルクシア様もきょうだいなのか…?」

「正確にはまだ違うけど、ルク義姉はアル兄の婚約者だからな。結婚はもう確実だから俺たち皆"義姉さん"呼びだぜ。…聞いてないのか?」

「俺たちはただ、王宮から派遣された事後処理担当だとしか聞いてないが…」

「ルク義姉…」

 

 そういえば殿下の婚約者だとは一言も言ってなかったなと背後で交わされる会話を聞いて気づいた。あの時は自分の感情の収めどころを探しててそれどころじゃなかったものね…。

 若干遠い目になったが、きっと気の所為。今は殿下を止める方が先だ。

 くん、と殿下の上着の裾を引っ張る。殿下の気を引きたいときは上着の袖か裾を引くのが幼い頃からの癖だった。

 酔っていても通用するのかは正直賭けだったが、殿下はいつも通りちゃんと私に意識を向けてくれた。

 

「殿下、そんなにお話ししていては喉が渇くでしょう?」

 

 あちらにお水がありますから、一緒に参りませんか?

 とりあえず場所を移動してしまおうと料理や飲み物が置かれている酒樽を指し示すも、殿下は無言で私を見下ろすだけだった。

 おっと、これは想定外。

 もう一度くい、と軽く裾を引くも微動だにしない様子にどうしたものかと自然と眉が下がる。それでも当初の"殿下を止める"という目的は果たせた。ガリレアもバビロンたちのところへ避難したようだし、このまま無理に動く必要はないかと思い直す。水を飲んで酔いが覚めるわけでもないだろうし。なんせ、今の殿下はタリアの魔術によって酔いの感覚を共有しているだけだ。実際にアルコールは一滴も入っていないのだから、水を飲んでもあまり効果は期待できない。

 ならこのままでもいいか、と結論に至ったところで視界の端で殿下の腕が動いた。

 

「え」

 

 ぐい、と背中に回された腕に力が込められる。いきなりのことで身体がついていかず、気がついたときには私は殿下に抱き寄せられていた。

 

「?!」

 

 ぴし、と石化したのが自分でもわかる。だってこんな距離、ダンスを踊っていたとしても中々ない。咄嗟に前に出た両腕が辛うじて隙間を作っているが、そんなものは最早ゼロに等しい。当然殿下を見上げるなんて芸当私にはできなくて、ただひたすら俯くことしかできなかった。

 

「ルクシア」

 

 なにが、どうなって…は…?

 2次元風に言うならぐるぐると渦を巻いた目をしているだろう私の耳元で、低く掠れた声が名前を呼ぶ。どこか舌っ足らずでありながら甘さも含むという器用なことをしているのは勿論我が婚約者殿で、その事実に全身が一気に温度を上げた。

 

「顔をあげて」

 

 上げないほうがいい。

 頭ではわかっているし私の勘もそう告げている。それでも言うことを聞いてしまうのは惚れた弱みかはたまた殿下のお声に込められた力か。

 なんて、そんな詮無いことを考えながら、何かに引っ張られるように私は無謀にも顔を上げてしまった。

 

「いい子だね、ルクシア」

「っ、」

 

 とろりと蕩けた瞳のその奥に、知らない熱が浮かんでいる。だがそれも、瞳自体が伏せられたことですぐに見えなくなってしまった。

 殿下がゆっくりと顔を近づけてくる。輪郭がぼやけ、互いの吐息が唇にかかるのではという距離まで近づいて──。

 

 ──殿下はそのまま、私の肩口に顔を埋めたのだった。

 

「…〜〜〜っ!!」

 

 ドッと心臓が強く脈打った。血流が一気に増したからかは知らないが指先には痺れるような感覚が走るし頬もじんと痛むくらいには熱い。というより全身が熱を発している今、熱くない部位などどこにもないだろう。なんなら変な汗までかいてきた。

 いまなにがおきたの。

 再び目をぐるぐる回す私は、首元に顔を埋める殿下がすり、と懐いてきたことで強制的に現状を理解させられた。相変わらず背中に回ったままの腕は私を解放する気は微塵もないらしい。

 熱い吐息が首に当たり息が詰まる。いつにない距離感に加えて見られている(・・・・・・)事実が余計に私の羞恥心を煽った。

 

「あの、殿下、はなして──…」

「君は」

 

 私の懇願を最後まで聞くことなく声を被せてきた殿下に驚いて口を噤む。いつもちゃんと話を聞いてくれる方だから、遮られたのは今回が初めてだった。

 

「君は、この国での自分の有用性を、いたいほど理解しているだろう」

「!」

 

 どこか気怠げな、ゆっくりとした口調が言葉を紡いでいく。

 

「その魔術も、血筋も。国益をかんがえれば決して失ってはいけないものだ」

 

 ぎゅ、と私を囲っていた腕に力が込められる。

 

「僕になにかあれば、君は僕の弟の誰かと改めて婚約を結ぶだろう。そして君も、自分の立場を分かっているからきっとそれを受け入れる」

 

 そこで言葉を切った殿下がもう一度すり、と首元に懐いてきた。さらりとした前髪が首筋を掠めて擽ったい。

 

「いやなんだ。君が…。…──君の隣に立つのは、これから先もずっと、僕だけがいい」

 

 昔殿下は言っていた。「政略結婚じゃなくて恋愛結婚がしたい」と。じゃあ、今のこの状況はなんなのだろう。都合のいい夢でも見ていると言われても納得できてしまう。

 だって、これじゃあまるで、殿下が私のことを──。

 

「あいしてるんだ。もうずっと。それこそ、初めて会ったあの日から、君は僕の心を捕らえて離さない」

 

 ざあっ、と風が吹いて花弁が舞い視界を彩る。

 

「──────」

 

 殿下の頭に頬を寄せ呟いた言葉は、果たして殿下の耳に届いただろうか。

 

 

 

 

 

「えっ、これもしかしなくても私がキューピッドじゃない?」

「タリアお前まじで黙れ」

 

 

 

 

✽✽✽✽✽

 

 

 

 

 僕には幼い頃に決められた婚約者がいる。

 ルクシア=カーライル嬢。

 緩くウェーブのかかった白金色の髪とペリドットを嵌め込んだように煌めく翠眼を持つ、公爵家の令嬢だ。

 初めて会ったとき、彼女は公爵夫人のドレスに隠れながらチラチラとこちらを伺い見ていたけれど、それがもうなんていうか。凄く可愛らしくて、守りたいなと思ったのを覚えている。

 幸いだったのは互いの母親が友人同士で僕たちの婚約がトントン拍子に進んだことだろう。もっとも、第二王子という立場にあるから国益も考えなくてはならなかったけれど、その点は相手がカーライル公爵家の令嬢という時点でクリアしていたから問題はなかった。

 剣術と魔術の鍛錬や王族としての教育が行われていく中、合間を縫ってルクシアに会いに行く日々が数年続いた。城下にお忍びで出掛けたこともあれば、ピクニックのために遠出をしたこともある。あの時食べたルクシアお手製のサンドイッチと焼菓子は、今でもたまに強請って作ってもらう程には美味しかった。

 一緒に王立学園に入学して──何故か彼女は覚悟を決めたような顔をしていた──同級生たちと切磋琢磨しつつ学園生活を楽しんで、僕たちは無事卒業を迎えた。

 目立った出来事といえばルクシアに懸想した一部の男子生徒たちとじっくりしっかり話し合いをしたことと──ルクシア側も似たようなことがあったようで、彼女や彼女の友人たちが"お話し合い"をしているところを目撃したことがある。怖かった──僕が友人に「ルクシアとは政略結婚じゃなくて恋愛結婚がしたいんだ」と話しているところを中途半端にルクシア本人に聞かれたことか。つまり一大事。 

 聞かれていたのを僕が知ったのはだいぶ後になってから、というか本当にここ最近の話だ。しかもまさか「ルクシアとは」の部分だけ綺麗に聞こえなかったとは思わないだろう?道理で何をやっても反応が微妙だったわけだ。動揺させたかったらルクシアの意表を突かなければならなかったから、一種の勝負事でもしている気分だった。

 それでも僕は、彼女に決定的な言葉を言いたくはなかった。

 僕は、自分の言葉が相手を縛ることになるのだと知っている。一言願いを口にすればそれを勅命だと思い叶えようとする者たちはこれまでの人生に何人もいた。ルクシアがそうだとは言わないし思ってもない。

 けれども彼女はこの国にとって有益な存在だ。血筋も容姿も、一点集中型ではあるが魔術の才だって申し分ない。むしろ十分過ぎるほどだ。野放しにするには惜しいと判断されるくらいには。僕との相性が悪ければ他の兄弟たちの婚約者になっていたと予想がつくくらいには、国は彼女を囲いたがっている。そしてそれを、ルクシア本人もわかっていた。

 だからこれは、僕の勝手な我儘だ。

 国益とかそういう事情は一旦置いておいて、僕がルクシアを一人の女性として想っていることをちゃんと知ってもらいたい。僕の不用意な発言で長い間誤解させてしまったのは申し訳ないけれど、どうか──。

 

──初めて会ったあの時、僕は間違いなく君に一目惚れしたんだ。

 

 

 





✽ルクシア=カーライル✽
 サルーム王国で結界術師といえば?と聞かれたら8割くらいの人が彼女の名前をあげる。残りの2割があげるのは彼女の親の名前。つまりどのみちカーライル家。
 色々とアプローチを受けていたけど前世で培った知識()により終わりある関係だと思っていたためちゃんと向き合えていなかった。魔術が楽しすぎたのもある。自分の気持ちに気づいたのは本当につい最近だけど、一緒に城下に出かけるのも、ピクニックも、贈り物も、婚約者殿が相手じゃなきゃそこまで楽しくも嬉しくもなかった。つまりそういうこと。
 最後に何を言ったのかはご想像にお任せします。


✽アルベルト=ディ=サルーム✽
 初めて会ったときに一目惚れしてからあの手この手でアプローチしてた健気な人。とても一途。でも相手にあんまり響いてなさそうだったから時間をかけてじっくり攻めてた。が、最近過去の自分の発言を中途半端に聞いたことで、婚約者に想いが伝わっていないことに気づき攻め方を変えた。
 この度タリアによって酔いを共有されたためいつもより本能強めでお送りいたしました。それでも辛うじて理性が勝ちキスはしなかった。頑張った。でもその代わりに本音がポロリした。全部婚約者が相手だったからこそ。酔っても記憶は残るタイプなので最後の婚約者の言葉は聞こえてるしちゃんと覚えてる。
 これまで伝わってなかった分も含めて今後もアプローチは続けていく予定。



✽✽✽



 作画がいいのは当然として、まず主人公のお巫山戯と真面目なときの声と表情のギャップにやられ、それを見たいがために何度も再生させていたら第二王子の声と面の良さにやられ、夢小説の少なさに絶望し、読みたいなら自作しなきゃいけないのではという悟りの元、こねこねと錬成されていった結果のお話です。
 最初に考えていた展開と全くの別物が錬成されたけどまあいいや。


完!!! 


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