おねいさんお出ししておきますね   作:ジョン・アラサーフェチ

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第5話

 震える手でノブを回すと、鍵はかかっていなかった。

 ゆっくりと隙間を広げ、僕は息を飲んでその光景を覗き込んだ。

 

 

 その部屋はリビングの明るさとは隔絶され、ひどく冷たい静寂が支配していた。

 微かに湿った、人工的な香りが鼻腔を突く。

 

 

「えっ……」

 

 

 そこにいたのは、昼間僕に優しく微笑みかけてくれる、あのおねいさんではなかった。

 

 

「これは、一体……?」

 

 

 無数のチューブに繋がれた"おねいさん"──いや、"おねいさんだった物体"が、ガクリと首を垂れていた。

 歯科医院のような椅子に座り、眠っているように動かない。

 その傍らでは、先ほどの男が、彼女の後頭部から伸びたケーブルを自身のノートPCに繋ぎ、流れるログを見ながら無表情にキーボードを叩いていた。

 

 

 そして。

 僕を出迎えたのは、気まずそうに頭を掻いている人物だった。

 

 

 ヨレヨレのジャージを着た、ひとりの女。

 

 

「……え、誰?」

 

 

 瓶底のような分厚い眼鏡。

 手入れされていないボサボサの髪。

 猫背で、どこか卑屈なオーラを全身から放っている。

 街ですれ違っても、記憶にすら残らないであろう、地味で冴えない容姿の女性。

 

 

 僕の問いかけに、女は深いため息をつくと、聞き覚えのある――毎日僕を励まし、喘ぎ、愛を囁いてくれたあの"声"で言った。

 

 

「あーあ……だから覗くなって言ったのに」

「え……その声……おねい、さん?」

 

 

 脳が理解を拒絶する。

 美貌の美女と、目の前の冴えない女。

 共通点は声だけ。

 

 

「自己紹介、し直したほうがいいかな? 私は綾香……の中の人。当院の医療事務兼、清掃員の田中です」

「中の、人……?」

「そ。君が必死に腰を振ってたその美人は、遠隔操作型の生体アンドロイド。最新鋭の医療機器ってわけ」

 

 

 田中と名乗った女は、チューブに繋がれた"おねいさん"の頬を、ぺちぺちと無造作に叩いた。

 

 

「なんで、こんな……?」

「院長の趣味よ。『ブサイク救済プログラム』とか言ってたかな」

 

 

 彼女は眼鏡の位置を指で直し、淡々と語り始めた。

 

 

「世の中、結局見た目が全てでしょ? 君だって、相手が私みたいなドブスだったら、悩みなんて打ち明けなかったはず」

「……」

「だからガワ(見た目)だけ最高品質を用意したの。でも、中身のAIはまだ未完成だから、操作担当(オペレーター)が必要だった。そこで白羽の矢が立ったのが、コミュ障で彼氏いない歴=年齢、おまけに金欠だった私」

 

 

 彼女は自嘲気味に笑う。

 

 

「条件は簡単だった。『患者を愛せ』。それだけ」

「愛せ……?」

「そう。私みたいなブスが普通に生きてたら、誰からも愛されないし、誰かを愛する資格もない。でも、この"綾香"という最強のスキンを被れば、誰かに必要としてもらえる」

 

 

 彼女は立ち上がり、僕の方へと歩み寄ってきた。

 ジャージ姿の彼女からは、あの上品な香水の匂いはしない。湿布のような生活感のある匂いがした。

 

 

「君が扉を開けたのは、院長の想定通り。ここからが本当の実験(テスト)なんだって」

「テスト……」

「君は、"綾香"を愛してたよね? 優しくて、話を聴いてくれて、体を許してくれる美女を」

 

 

 彼女は僕の胸元に指を突きつける。

 

 

「その中身が、こんな冴えないオバサンだと知っても――君のその『愛』は本物か? ってね」

 

 

 彼女の瞳が揺れていた。

 挑発するような口調とは裏腹に、その目は怯えているように見えた。

 拒絶されることを、汚物を見る目で見られることを、何よりも恐れている目。

 

 

 それは、鏡の中で僕がいつもしている目と同じだった。

 

 

「騙してたことは謝るわ。ごめんなさい。……さ、幻滅したでしょ? 解約手続きは明日――」

 

 

 彼女が背を向けようとした瞬間。

 僕は、そのジャージの袖を掴んでいた。

 

 

「なーんだ、安心した!」

「……はあ?」

 

 

 拍子抜けしたような僕の声に、彼女が怪訝な顔で振り返る。

 僕は肩の荷が降りたように、深く息を吐き出した。

 

 

「僕はおねいさんを雲の上の人だと思ってた」

 

「えっ……?」

「完璧で、優しくて、どうしようもない僕をただ優しく包み込んでくれる。でも手の届かない存在。だから、一緒に居てどこか自分が惨めだった」

 

 彼女は目を丸くして僕を見つめている。

 僕は畳み掛けるように続けた。

 

 

「でもおねいさんも、僕と同じだとわかったから」

「同じ……?」

「あの、ゲームで僕が勝ったとき、本気で悔しがってくれたのも、あなたですよね」

「……そりゃ操作してるの私だし」

「僕が泣いたとき、一晩中背中をさすってくれたのも?」

「……だから、そうだってば。アンドロイドにそんな自律機能ないし」

 

 

 彼女のぶっきらぼうな答えに、僕は確信を得て、強く頷いた。

 

「なら、やっぱり僕が好きなのはあなただ」

 

 

 僕は目の前のジャージ姿の彼女と、奥で項垂れる美しい抜け殻を交互に見る。

 

 

「醜いとか、ブサイクとか、そんなことはどうでもいい。僕が好きになったのは、その完璧な虚像を維持しようと努力してくれた、あなた自身だった」

 

 

「……っ、あんた、バカなの?」

 

 

 田中さんは顔を真っ赤にして、眼鏡の奥で涙ぐんだ目をこすった。

 その表情は、作り込まれたアンドロイドの微笑みよりも、ずっと人間らしくて美しかった。

 

 

「……週二、三回のセックス、まだ有効?」

「えっ」

「契約期間、残ってるでしょ。ガワはメンテナンス中だけど……中身(オリジン)でも、いいなら」

 

 

 蚊の鳴くような声で、彼女は言った。

 部屋の隅で唸る機械音が、やけに心地よく響いていた。

 

 

「ゴメン、たまにガワ着てヤってほしい!」

「殺す!」

 

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