白百合の園に咲く、肉食の黒薔薇 〜転生したガチレズが原作を守ろうとして、リリアン最強のハーレムを築くまで〜 作:@レーガン
「……ふぎゃ?」
自分の口から漏れた音が、あまりにも間の抜けた、そして弱々しい幼児のそれだったことに、私は戦慄した。
視界が低い。手足が短い。思うように体が動かない。
まるで重たい肉襦袢(にくじゅばん)を全身に纏わされたかのような、もどかしい感覚。
そして何より、視界に広がる天井の装飾が、どう見ても日本一般庶民の家庭のものではない。
重厚なシャンデリアが、ぼやけた視界の先で煌めいている。天使のフレスコ画がこちらを見下ろしている。
「あらあら、雫(しずく)ちゃんがお目覚めよ」
「まあ、なんて可愛い天使ちゃんかしら。お目々がパッチリとして」
覗き込んでくるのは、これまた煌びやかなドレスや着物に身を包んだマダムたち。
私は混乱する頭を必死に回転させた。
直前の記憶……そう、私は確か、休日をフルに使って大好きなアニメと原作小説を一気見し、その尊さに悶え苦しんだ後、深夜のコンビニへ祝杯用のいちご大福を買いに行き――そこで、居眠り運転のトラックに突っ込まれたのだ。
宙を舞った瞬間の浮遊感と、走馬灯のように駆け巡った「推し」たちの笑顔。それが最後の記憶。
(まさか、転生?)
ベタだ。あまりにもベタな展開だ。ラノベの読みすぎだと言われても反論できない。
だが、事態を飲み込むのにそう時間はかからなかった。
なぜなら、マダムたちの会話から飛び出してくる単語が、明らかに「上流階級」のものだったからだ。
「西園寺(さいおんじ)のお家も安泰ねぇ。こんなに可愛い跡取り娘が生まれて」
「ええ、将来は素晴らしいレディになりますわ」
西園寺。それが私の新しい苗字らしい。
私の前世は、しがない日本人男性だった。独身、彼女なし。
趣味は二次元の美少女を愛でること。特に、清らかな乙女たちが織りなす繊細な関係性――「百合」を、壁や空気になって見守ることに至上の喜びを感じる、いわゆる「ガチ勢」だった。
(神様、ありがとう! 俺、前世で徳を積んだ覚えはないけど、トラックに跳ねられた甲斐がありました!)
私はベビーベッドの柵を掴んで立ち上がり、高らかに歓喜の産声を上げようとした。
しかし、ふと気づく。
下半身の感覚が、前世とは決定的に違うことに。
あるべきものがなく、ないはずのものがある。
(……あ、俺、女になってる)
当然だ。「可愛い跡取り娘」と言われていたのだから。
つまり、私はこの世界で「女性」として生きていくことになる。
ということは、女子校に通い、あわよくば美少女たちとキャッキャウフフできる……ってコト!?
思考が繋がった瞬間、私はニヤリと笑った(つもりだったが、傍目には天使の微笑みに見えたらしく、マダムたちが「キャーッ!」と黄色い声を上げた)。
ここがどこの世界なのか、あるいはただの過去なのか未来なのか、そんなことはどうでもよかった。
私は「西園寺雫」としての、勝ち組で安楽な人生を、のんびりと謳歌することに決めたのだった。
◇
それから5年の月日が流れた。
私は5歳になった。
西園寺家の屋敷での生活は、快適そのものだった。
何しろ、中身は大人だ。夜泣きもしないし、トイレのしつけも完璧。離乳食なんて一瞬で卒業した。
両親や使用人たちは、「雫お嬢様は神童だ」と手放しで褒め称え、私は欲しいものを何でも手に入れられる環境を整えた。
私は、この世界が何なのかを知らないまま、ただの「ちょっと賢い金持ちの娘」として、のんびりと過ごしてきた。
「雫。今夜はパーティーよ。お支度なさい」
お母様に言われ、私はフリルのついた一張羅のドレスを着せられた。
なんでも、親しくしている財閥のお披露目パーティーらしい。
正直、堅苦しい挨拶は面倒だ。だが、美味しいケーキがあるなら悪くない。
私はあくびを噛み殺しながら、車に乗り込んだ。
到着したのは、まるで宮殿のような洋館だった。
門には、立派な家紋が掲げられている。
「……ここが、『小笠原』のお屋敷?」
どこかで見たことがあるような気がする。
いや、気のせいか。
私はメイドの手を借りて車を降り、会場へと足を踏み入れた。
煌びやかなシャンデリア、弦楽四重奏の調べ。
大人たちの社交辞令が飛び交う中、私は退屈しのぎに人間観察を始めた。
誰か可愛い子はいないかな、とゲスな視線を巡らせていた、その時だ。
会場の中央。
大人たちに囲まれ、不機嫌そうに唇を尖らせている一人の少女が目に入った。
(……ん?)
黒髪をきっちりと編み込み、深紅のフリルドレスを身に纏った、人形のように整った顔立ち。
その瞳には、隠しきれない気高さと、周囲を拒絶するような棘がある。
5歳児とは思えない、完成された「お嬢様」のオーラ。
その姿を見た瞬間。
私の脳内に、前世の記憶という名の稲妻が轟いた。
『ごきげんよう』
『マリア様がみてる』
『紅薔薇のつぼみ、小笠原祥子』
(……う、嘘だろ?)
私は我が目を疑った。
あの特徴的な髪型。あのツンとした表情。そして、この会場は「小笠原家」。
間違いない。
あの子は、私の前世での最推しアニメ『マリア様がみてる』のヒロイン、小笠原祥子だ!
(ってことは……ここは間違いなく『マリみて』の世界なのか!?)
衝撃で膝が震えた。
なんということだ。私は単なる金持ちに転生したのではない。
ここは、清らかな乙女たちが織りなす繊細な関係性――「百合」の聖地、リリアン女学園が存在する世界なのだ!
心臓が早鐘を打つ。
祥子がいる。ということは、将来、支倉令や佐藤聖、福沢祐巳や藤堂志摩子といった尊い乙女たちがここに集うのだ。
その世界に、私は生きている。
しかも、同世代の令嬢として。
(神様、ありがとう! トラックに感謝! 前世の俺、グッジョブ!)
興奮で鼻血が出そうになるのを必死で堪える。
目の前に推しがいる。しかも幼女姿で。
か、可愛い……。あの不満げな顔、たまらない。いっそ踏まれたい。
私の「ガチレズ」としての本能が、理性の鎖を引きちぎろうとしていた。
その時だった。
「あっ……!」
祥子が、持っていたオレンジジュースのグラスを傾けてしまった。
近くを通った客にぶつかられたようだ。
オレンジ色の液体が、彼女の純白のレース手袋と、深紅のドレスの裾へと向かって落下していく。
周囲の大人たちは、まだ気づいていない。
祥子の顔が、失敗への恐怖と屈辱で歪む。
プライドの高い彼女にとって、公衆の面前での失敗は耐え難いものだろう。
――動け。
私の本能が叫んだ。
大好きな祥子が、公衆の面前で恥をかくなんて見過ごせない。
それに、ここで動かなければ、私はただの「背景(モブ)」で終わってしまう。
この世界を楽しむと決めたんだろう? ならば、特等席を勝ち取れ!
私はドレスの裾を翻し、駆け出した。
5歳児の体だ。武術の心得なんてまだない。
あるのは、前世の反射神経と、「推しを救いたい」という火事場の馬鹿力だけ。
「……失礼!」
私は滑り込むように祥子の前に入り、懐から自分のハンカチを取り出すと、空中でジュースを受け止めるように手を伸ばした。
バシャッ。
液体の大半は私のハンカチと、私のドレスの袖が吸い込んだ。
祥子のドレスには、数滴が跳ねただけ。
「え……?」
祥子は呆気にとられたように私を見ている。
近くで見ると、その肌は陶器のように白く、まつ毛は驚くほど長い。
いい匂いだ。最高級の石鹸と、少女特有の甘い香り。
理性が消し飛びそうになるのを、「完璧な淑女」の仮面で必死に押さえつける。
周囲の大人たちがようやく騒ぎに気づき、「まあ大変!」「お怪我は!?」と駆け寄ってくる。
私は濡れたハンカチを握りしめ、優雅に(見えるように必死で)微笑んだ。
「大丈夫ですわ。私の不注意で、ジュースをこぼしてしまいましたの」
とっさに嘘をついた。
祥子のプライドを守るためだ。彼女がこぼしたことになれば、彼女は傷つく。ならば、私が泥(ジュース)を被ればいい。
所詮、私は他家の娘。子供の粗相として笑って済ませられる。
「あらあら、西園寺のお嬢様ったら」
「お着替えを用意しましょう」
メイドたちに囲まれる中、祥子が私の袖を掴んだ。
その手は小さく震えている。
「……どうして?」
小さな声だった。
彼女の瞳が揺れている。
私は彼女の耳元に顔を寄せ、前世のキザな台詞回しをフル動員して囁いた。
「美しい花が汚れるのは、世界の損失ですから」
「なっ……!?」
祥子の顔が、ジュースよりも赤く染まる。
ああ、尊い。生ツンデレ、最高だ。
私は確信した。この笑顔を守るためなら、私はなんだってできる。
その夜。
家に帰った私は、鏡に映る自分を見つめながら、決意を固めた。
今日の私は、ただのラッキーだった。
だが、これから先は違う。
祥子の隣に立ち、リリアンの学園生活(イベント)を最前列で楽しみ、そして将来彼女たちに群がるであろう「害虫(男)」どもを排除するためには、今のままでは足りない。
西園寺家の財力。
前世の知能。
そして、この生まれ持った美貌。
すべてを使い尽くして、私は最強になる。
「お父様、お母様。お願いがあります」
私は両親の部屋のドアを叩いた。
「私、習い事をしたいの。ピアノに茶道、日舞に語学……それから」
私はキッと両親を見つめた。
「護身術として、合気道と剣術を習いたいのです」
「合気道に剣術? どうしてまた……」
「守りたいものが、できましたから」
ニヤリと笑う私の顔は、きっと5歳児のものではなかっただろう。
こうして、のんきな転生令嬢の生活は終わりを告げた。
ここから始まるのは、血と汗と欲望にまみれた、自分磨き(レベル上げ)の日々。
すべては、白百合の園で「肉食の黒薔薇」として君臨するために。
(第2話へ続く)