メンヘラエルフは勇者が大好き〜霧害世界で愛が重すぎる最強格ダークエルフと旅する話〜   作:かわうそ☆ゆう

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※本話には、
 精神への侵食描写・執着の深化・
 逃れられない感情の描写が含まれます。

触れられたのは、身体ではありません。
名前でも、力でもない。

心です。

気づいた時には、もう遅い。
それでも、人は進むしかありません。

これは、
「侵され始めた」物語です。


10.侵食

鉄が唸った。

 

風ではない。

嵐でもない。

 

――意思だ。

 

ライラ・グランシールの剣が振るわれた瞬間、街道を覆っていた霧が、見えない壁に叩きつけられたかのように弾け飛んだ。

 

斬られたわけじゃない。

押し出されたのだ。

 

「……霧が、戻らない?」

 

誰かの呆然とした声。

 

それは、この街で誰も見たことのない光景だった。

霧兵は倒しても立ち上がる。

霧獣は斬っても再生する。

 

だが――

霧そのものが、そこに“在れない”。

 

「後退しろ!」

 

ライラが吼える。

 

「霧を前に戻すな! 押し返せ!」

 

鉄嵐構え(てつあらしがまえ)――

グランシール家の基礎にして最奥。

 

受け流すための構えは、今や“侵入を拒絶する構え”へと変貌していた。

 

剣が振るわれるたび、霧兵の列が崩れ、霧獣が足を止める。

再生する前に、霧そのものが散らされていく。

 

「……効いてる」

 

ミリナが息を呑んだ。

 

「物理攻撃が、じゃない……

 “存在の前提”を、壊してる……」

 

それは、王都でライラが掴み取った答えだった。

 

霧は物質じゃない。

感情と意思の集合体。

 

だからこそ――

 

「進ませねぇ」

 

ライラの声は低く、確かだった。

 

「ここは、俺が押し返す」

 

 

ユナトは前に出ていた。

 

剣を構え、四天王――

渇望将(かつぼうしょう) グリード=ヴェイルと対峙する。

 

全身を覆うのは、黒鉄色の重装鎧。

だがそれは防具ではない。

 

鎧の継ぎ目、関節、兜の奥――

そこから漏れ出しているのは、霧ではなく“欲”そのものだった。

 

見られている。

値踏みされている。

 

「ほう……」

 

グリードが、低く笑う。

 

「盾が“押す”とはな」

 

視線が、ライラからユナトへ移る。

 

「面白い。勇者よ、お前は良い仲間を得た」

 

「褒められても嬉しくない」

 

ユナトは剣を構え直す。

 

「ここから先は通さない」

 

「まだそんなことを言うか」

 

グリードは肩をすくめた。

 

「街を守るか、彼女を守るか――

 その二択に縛られている限り」

 

一歩、前へ。

 

「お前は、奪われる側だ」

 

空気が、軋んだ。

 

 

ミリナが杖を地面に突き立てる。

 

感情遮断陣(エモーションシールド)――再構築!」

 

淡い光が、街の一角だけを包み込む。

 

避難所。

詰所。

子供たちのいる区画。

 

すべては守れない。

だから、選ぶ。

 

《感情遮断陣》は、霧害による精神汚染を完全に防ぐ術ではない。

だが、心が折れる“速度”を遅らせることはできる。

 

広げすぎれば、術者が壊れる。

 

「ここだけは……守る!」

 

ミリナの声は震えていた。

だが、それは恐怖ではない。

 

決断だった。

 

 

「ユナト……」

 

フィリアの声が、背後で揺れる。

 

影が広がりかけ、黒霧が街を覆おうとして――止まる。

 

執着領域(オブセッションゾーン)選別(セレクト)

 

ユナトの認識を基準に、

敵と味方を切り分け、

守るものと排除するものを選ぶ領域。

 

街全体は守らない。

“今、ユナトが守ると決めた範囲”だけを守る。

 

「……大丈夫」

 

ユナトは振り返らずに言った。

 

「全部じゃなくていい」

 

「俺がいる場所だけでいい」

 

フィリアの呼吸が、少しだけ落ち着く。

 

「……うん」

 

影は暴走しない。

 

初めてだった。

 

彼女の力が、

“壊さずに使われている”のは。

 

グリードが、それを見て愉快そうに笑った。

 

「なるほど……限定することで制御するか⋯美しい。実に美しい」

 

だが――

声色が、わずかに冷える。

 

「だが、それでも足りない」

 

 

---

 

 

上級霧将が前に出ようとする。

 

だが――

 

「来るな」

 

ライラが立ちはだかった。

 

剣を地面に突き立てる。

 

鉄嵐・断霧式(てつあらし・だんむしき)

 

踏み込み。

 

霧が、押し返される。

将の支配する霧が、侵入を拒否される。

 

「……貴様」

 

霧将が唸る。

 

「グリード様の前で――」

 

「関係ねぇ」

 

ライラは一歩も退かない。

 

「ここは、通さねぇ」

 

その背中を、ユナトが見ていた。

 

(……帰ってきたな)

 

止める盾じゃない。

前に進ませない剣。

 

 

---

 

 

グリードが、ゆっくりと背を向けた。

 

霧が、彼の身体を包み始める。

 

「……撤退だ」

 

低く、命じる。

 

「上級霧将は後衛を維持。

 霧兵は街に踏み込むな」

 

霧将たちが一瞬だけ躊躇し――即座に膝をつく。

 

「主命、了解」

 

「今日は“奪わない”」

 

グリードは続ける。

 

「観測は終わった。

 “壊れる寸前”が、最も美しいと分かった」

 

そして――振り返る。

 

「……一つ、置いていこう」

 

指を鳴らす。

 

音は小さい。

だが――世界が歪んだ。

 

「――ッ!?」

 

ユナトの視界が反転する。

 

防御も、反応も、間に合わない。

 

ただ――

奪われた。

 

剣を構える意思。

踏み出す力。

守ろうとする覚悟。

 

腹部に、圧倒的な衝撃。

 

「が――っ……!!」

 

地面に叩きつけられ、血を吐く。

 

「ユナト!!」

 

フィリアの叫び。

 

影が暴れ出しかける。

 

だがグリードは、淡々と言った。

 

「殺さない。勇者が壊れるには……まだ早い」

 

見下ろす。

 

「これは“楔”だ」

 

「次に会う時――

 お前は必ず、“奪われる恐怖”を思い出す」

 

 

静寂。

 

霧は消え、敵はいない。

 

だが、誰も勝ったとは思っていなかった。

 

ユナトは地面に倒れたまま、動かない。

 

ミリナが必死に回復魔法を重ねる。

 

「……生きてる。けど……深い……!これ、霧害じゃない……“欲”で殴られてる……!」

 

フィリアは、ユナトの手を掴んで震えていた。

 

「……奪うって……こういうこと……?」

 

ライラは、歯を食いしばる。

 

「……クソ野郎が」

 

遠く――

霧の都ネブラ・アザル。

 

感涙宮の玉座で、魔王は静かに笑っている。

 

勇者は、生きている。

 

だが――

四天王は、確信した。

 

次は、奪える。

 

そしてユナトは理解した。

 

霧害よりも恐ろしい敵がいる。

心を、覚悟を、未来を――

 

“欲しい”という理由だけで奪いに来る存在が。

 




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

第10話では、
はっきりとした勝敗や決着は描かれていません。
けれど、それ以上に重要なものが起きています。

――境界が、壊れ始めました。

守る側と、奪う側。
拒む心と、欲しがる意志。

まだ抗えている。
けれど、完全ではない。

この侵食は、
すぐに答えを出すものではありません。
じわじわと、確実に残っていくものです。

次話では、
その“侵食の結果”が、はっきりと形になります。
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