メンヘラエルフは勇者が大好き〜霧害世界で愛が重すぎる最強格ダークエルフと旅する話〜 作:かわうそ☆ゆう
戦いの後の描写・畏怖と救済の混在・
消えない感情の余韻が含まれます。
すべてが終わったあとに、
本当の意味で始まるものがあります。
救われたはずなのに、
何かが戻らない。
これは、
勝利の話ではありません。
残ってしまったものの話です。
霧は、ない。
空は青く、風は乾いている。
それでも街には、まだ戦いの匂いが残っていた。
焼けた木の香り。血の鉄臭。壊れた石畳の粉。
そして何より――「もう二度と戻りたくない」と思ってしまう、あの夜の記憶。
泣き声が止み、呼吸が整い、震えていた手が誰かの肩を掴めるようになっていた。
救われた。
確かに、救われた。
だが――
救われたことで、別のものが生まれていた。
◆
「……あの、エルフの子は……」
朝の市場跡。
瓦礫を運ぶ住民の中で、誰かが小声で言った。
「守ってくれた。分かってる。分かってるけど……」
言葉の続きが、誰の口にもならない。
フィリア・ネクロルナ。
昨夜、街を覆っていた恐怖を“洗い流した”存在。
同時に――一瞬で百を超える霧兵と霧獣を消し、上級霧将を三体、跡形もなく処理した存在。
助けられた。
でも、怖い。
その感情は、霧害とは違う。
浄化では消えない、人間の自然な反応だった。
「……王、って……ああいうものなのか」
瓦礫の上に座った老人が、呟いた。
誰かが、祈るように頭を下げる。
誰かが、距離を取る。
救いと畏れが同じ場所に立って、街の空気を重くしていた。
◆
詰所の奥。簡易寝台。
ユナトは、まだ起き上がれなかった。
意識ははっきりしている。呼吸も安定している。
けれど腹部の傷――グリードが刻んだ“楔”だけが、どうしても残っている。
「……痛む?」
ミリナが問いかける。
「痛み、っていうより……引っ張られてる感じがする」
ユナトは自嘲気味に笑った。
「剣を握ろうとすると……一瞬だけ、手の中が空になる」
“奪われた”概念が、まだ身体に刺さっている。
ミリナは目を伏せ、魔法陣を指でなぞった。
「……四天王クラスの上位存在が刻んだものは、格が違う。
治癒は肉体を埋めるだけ。概念は埋まらない」
「フィリアの権域でも、抜けなかった」
ライラが低く言った。
昨夜の戦いの最中、あれだけの光を見てもなお、ライラの顔には悔しさが残っている。
守れたはずの街。守れたはずのユナト。
それでも四天王の置き土産は消えない。
「……俺がもっと早く“押し返せて”りゃ」
「ライラのせいじゃない」
ユナトが言い切る。
「相手は四天王だ。――俺が弱いだけだ」
その言葉に、ライラの拳がきしむ。
「……弱いって言うな。俺たちは、まだ進める」
◆
寝台の傍。フィリアは黙って座っていた。
ユナトの手を両手で包むように握っている。
昨夜、王域の中心に立っていた時の“王”の表情はない。
今はただ、幼い頃と同じように、怖いものから目を逸らさないために手を離さない少女の顔だった。
「……ごめん」
突然、フィリアが言った。
ミリナとライラが顔を上げる。
「いっぱい……消した」
言い方が、淡々としている。
それが逆に、怖い。
「命令で動く霧、全部……いらなかった。
ユナトを殺しに来た。だから……いらない」
理屈は正しい。
正しいのに、胸がざわつく。
ミリナは小さく息を吐いた。
「フィリアちゃん。あなたがいなかったら、全員……死んでた」
「うん」
フィリアは頷くだけ。
そして視線が、ユナトの腹へ落ちる。
「……治らない」
「……ああ」
ユナトが短く答えた。
フィリアの瞳が、少しだけ暗くなる。
黒い影が動きそうになって、すぐに止まる。
「次は来るのか?」
ライラが問うと、フィリアは即答した。
「来る」
匂い憑き。
彼女は感情と意志を匂いとして捉える。
「“欲しい”の匂いが……まだ遠くにある。
消えてない。逃げてもない」
「……グリード」
ユナトが呟く。
フィリアは頷いた。
「また奪いに来る」
その言葉は、断言だった。予言ではなく、確信。
◆
昼過ぎ。街の責任者が詰所に訪れた。
昨夜まで、震えていた声が、今日は少しだけ芯を取り戻している。
妖精王権域による“浄化”が、確かに効いている。
「……皆、眠れました」
責任者は深く頭を下げた。
「怖さが……消えたわけではありません。
ですが……霧に見られている感じが、なくなった」
フィリアに視線を向けかけ、すぐに逸らす。
感謝と畏れを同時に抱えた人間の仕草だった。
「あなた方がいてくれて……助かった。
ですが――この街は、もう戦場にはできません」
分かっている。
昨夜は“勝った”のではなく、“消された”だけだ。
四天王が本気で踏み潰しに来たら、街など残らない。
「この街を、離れるべきです」
責任者は、勇気を振り絞るように言った。
ユナトは頷いた。
「……分かった。準備する」
◆
夜。
焚き火の前に、四人が座る。
街の灯りは戻りつつある。
泣き声は減り、笑い声が、ほんの少しだけ増えた。
それでも、焚き火の音がやけに大きい。
「次の行き先、だな」
ライラが言う。
「王都に戻るのも手だ。情報が集まる。
四天王の動き、上級霧将の増え方、霧の都の状況……」
ミリナが続ける。
「でも――ユナトくんの傷。
“楔”を抜く方法が必要」
フィリアが焚き火を見つめたまま、ぽつりと言った。
「……抜けるところ、ある」
全員の視線が集まる。
フィリアは一度だけ目を閉じた。
もっと個人的な、匂い憑きの“勘”だ。
「霧の都……ネブラ・アザル。
あそこに、刺さったままの“元”がある」
「元……?」
ユナトが聞き返す。
「グリードの“欲”は、あそこにつながってる。
だから、楔が抜けない。ここに残る」
ミリナが息を呑む。
「つまり……本体に近づかないと、治らない可能性が高い」
「危険すぎる」
ライラが即座に言う。
「今の俺たちで、霧の都に踏み込めば――」
「分かってる」
ユナトは静かに答えた。
「でも、行かなきゃ終わらない」
沈黙。
その中で、フィリアだけがまっすぐだった。
「ユナト、行くなら……私も行く」
「……もちろんだ」
ユナトがそう言った瞬間、フィリアの表情が少しだけ緩む。
“王”ではない。
“好きな人の隣にいる”顔。
だが同時に、焚き火の光が彼女の瞳に映って、ひどく危うい輝きにも見えた。
◆
夜更け。
ユナトが寝台に戻る前、フィリアはひとり外に出た。
街の外れ。壊れた見張り台。
星が見える。
そこに、ライラがいた。
「……眠れねぇのか」
フィリアは首を振る。
「匂い、うるさい」
ライラは苦笑した。
「この街は、まだ震えてる。俺も同じだ」
フィリアは空を見上げたまま言う。
「怖い?」
「……怖い」
ライラは正直に答えた。
「でも、逃げるのはもっと嫌だ」
「うん」
フィリアの返事は短い。
ライラは、しばらく黙ってから言った。
「……昨夜の、お前。
正直……味方なのに、背中が寒くなった」
フィリアは、少しだけ視線を落とす。
「……ごめん」
「謝るな」
ライラは首を振った。
「お前がいなきゃ、ユナトは死んでた。街も終わってた。
……だからこそ、思う」
ライラの声が低くなる。
「お前が本気で壊れたら、俺たちには止められない」
風が吹く。
フィリアの影が、ほんの一瞬だけ濃くなる。
すぐに消える。
「壊れない」
フィリアは言う。
「ユナトがいるから」
それは救いの言葉であり、同時に――鎖でもあった。
ライラは息を吐いた。
「……なら、そのユナトを守るために。
俺も、もっと強くなる」
フィリアは頷く。
「一緒」
◆
翌朝。
街はまだ完全ではない。
でも、歩き出していた。
そして四人も、歩き出す。
霧が消えた空の下で。
霧よりも厄介な“欲”の気配を背に感じながら。
焚き火の
消えたはずの夜が、まだ指先に絡みつく。
ユナトは腹部の傷を押さえ、立ち上がった。
「――行こう」
フィリアが、指先を絡めるように手を握る。
「うん。ユナトの隣、離れない」
ミリナが小さく笑う。
「次は“街を守る戦い”じゃない。
……私たち自身が、試される」
ライラは剣を背負い直した。
「霧の都に行くなら――押し返すだけじゃ足りねぇ。
俺は、進ませない」
四人の影が伸びる。
その影の端で、黒いものが微かに揺れた。
光では浄化できない、人間の恐怖と、魔王軍の意志と、そして――執着の火種。
夜は終わっていない。
ただ、次の夜へ向けて、余燼だけが静かに燃えていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
第12話は、
「終わったあと」を描いた回でした。
霧は晴れ、
街は守られ、
命は救われました。
それでも、
恐怖は消えず、
距離は残り、
熱だけが、胸の奥に残っています。
余燼は、すぐには消えません。
忘れようとしても、
なかったことにはできないものです。
だからこそ、
この物語は、まだ続きます。
次話では、
戦いのない時間の中で、
その余燼がどう扱われるのかが描かれます。