メンヘラエルフは勇者が大好き〜霧害世界で愛が重すぎる最強格ダークエルフと旅する話〜   作:かわうそ☆ゆう

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※本話には、
 戦闘のない描写・心が休まる時間・
 静かな執着表現が含まれます。

何も起きない夜があります。
剣を抜かず、
力を使わず、
ただ呼吸をするだけの時間。

けれど、
静けさは終わりではありません。

それは、
次に進むために必要な、
ほんの短い夜です。


13.静夜

街を出て、三日目の夜だった。

 

霧は、ない。

空は高く、星ははっきりと瞬いている。

 

深く息を吸っても、肺の奥がざらつかない。

喉が焼けるように痛むことも、胸が締め付けられることもない。

 

――それが、まだ少し不思議だった。

 

霧害の中では、呼吸そのものが意識的な行為だった。

吸って、吐いて、耐える。

ただそれだけで、心のどこかが削れていく。

 

今は違う。

違いすぎて、落ち着かないほどに。

 

それだけで、胸が少し軽くなる。

 

「……静かだな」

 

焚き火の前で、ライラがそう呟いた。

 

「音があるのに、静かって感じだね」

 

ミリナは鍋を火にかけながら言う。

 

「火の音と、水の音と、虫の声。

 全部“ちゃんと自然の音”だからかな」

 

「……霧の中だと、全部が不自然だったからな」

 

「そうそう。音があるのに、落ち着かなかった」

 

ミリナは乾燥肉をちぎりながら、ふっと笑う。

 

「こういう夜に限って、何も起きないと逆に疑っちゃうの。

 “ほら来た”って言う準備だけしてる感じ」

 

ユナトは焚き火に枝をくべながら、何も言わなかった。

 

腹部に受けた傷が微かに疼く。痛みと言うより、存在を主張する違和感。

 

魔力が減っているわけでもない。

身体が動かないわけでもない。

 

それなのに、確かに“足りない”。

 

剣を握るとき。

呼吸を整えるとき。

何かが、途中で途切れている感覚。

 

――奪われたままの、何か。

 

焦りは、まだ小さい。

だが、無視できるほどではなかった。

 

だが今は、それよりも。

 

隣に座るフィリアの体温が、確かにそこにあることの方が大きかった。

 

 

「……川、きれい」

 

フィリアが、ぽつりと言った。

 

野営地のすぐそばを流れる川は、月光を反射して淡く光っている。

浅瀬で、流れも穏やかだ。

 

「行くか?」

 

ユナトが聞くと、フィリアは一瞬だけ考えて、頷いた。

 

「うん。ユナトと」

 

その言い方に、ミリナが小さく笑う。

 

「はいはい。じゃあ私は火の番してるから」

 

「俺も残る」

 

ライラはそう言って、剣を膝に置いた。

 

「……何か来たら、嫌だしな」

 

フィリアは一度だけライラを見て、頷いた。

 

「ありがと」

 

その一言が、少しだけ柔らかい。

 

 

川辺は、冷たかった。

 

水に足を入れた瞬間、ユナトは小さく息を吸う。

 

「……冷てぇ」

 

「夏でも、山の川はこんなもの」

 

フィリアは靴を脱ぎ、迷いなく水に入る。

 

その動きが、驚くほど軽い。

 

――昨夜、王域の中心に立っていた存在と、同じ人物とは思えない。

 

フィリアは水をすくって、指の間から落とした。

月の光が反射しキラキラと輝いていた。

 

「……水の流れ、ちゃんと速い」

 

「ちゃんと?」

 

「うん」

 

フィリアは小さく笑った。

 

「王域の中だと、全部が“分かりすぎる”から。

 今は……ただ流れてるだけ」

 

それが、少し嬉しそうだった。

 

「……ねぇ、ユナト」

 

「ん?」

 

「街の人……怖かった?」

 

一瞬、言葉に詰まる。

 

ユナトは正直に答えた。

 

「……正直に言うと、少し」

 

フィリアは頷く。

 

「うん」

 

「でも」

 

ユナトは続けた。

 

「それ以上に、助かったって顔してた」

 

フィリアの指が、水面で止まる。

 

「……怖いと、助かったは、両立する」

 

そう言って、視線を落とした。

 

「昔から……そうだった」

 

幼い頃。

森で迷子になったユナトの手を取った、あの日。

あの日も、夜だった。

 

泣きそうになりながら立ち尽くしていたユナトの前に、

フィリアは何も言わず、ただ手を差し出した。

 

「……迷った?」

 

それだけ。

 

慰めも、説明もなかった。

けれど、その手は温かくて、迷いがなかった。

 

――今も、同じだ。

 

「……それでも、ユナトは離れなかった」

 

ユナトは、川の水を手ですくって、顔を洗った。

 

冷たさが、頭をはっきりさせる。

 

「離れる理由、ないだろ」

 

フィリアが、ゆっくりと顔を上げる。

 

月明かりの下で、その瞳は静かだった。

 

「……壊れたら?」

 

「壊れたら、戻せばいい」

 

「……戻れなかったら?」

 

ユナトは、迷わなかった。

 

「一緒に、壊れた場所からやり直す」

 

フィリアは、少しだけ目を見開いて。

 

それから、ぎゅっとユナトの袖を掴んだ。

 

「……それ、ずるい」

 

 

その頃、焚き火のそば。

 

「……あの二人、大丈夫か?」

 

ライラがぼそっと言う。

 

「さあ」

 

ミリナは焚き火を見つめながら答える。

 

「でもね……」

 

一度、言葉を切る。

 

「フィリアちゃん、今日ずっと戦う時とは違う顔してる」

 

ライラは黙る。

 

「それって、多分……必要な時間なのよ」

 

「……だな」

 

 

ユナトが焚き火に戻ると、ライラがちらりと視線を向けた。

 

「……冷たかったか」

 

「まあな」

 

それだけで、会話は終わる。

 

「腹の傷」

 

不意に、ライラが言った。

 

「無理するな」

 

「してないよ」

 

「……ならいい」

 

それ以上、踏み込まない。

それが、ライラなりの距離感だった。

 

川から戻ると、フィリアは少しだけ上機嫌だった。

 

濡れた髪を軽く拭きながら、焚き火の前に座る。

 

「魚、いる」

 

「取ってくるか?」

 

「うん」

 

その会話だけで、十分だった。

 

影は、動かない。

王域も、展開されない。

 

ただの野営。

 

それが、今は何よりも貴重だった。

 

魚を焼いて、簡単な食事をして。

火が小さくなっていく。

 

「……なぁ、フィリア」

 

ライラが不意に声をかける。

 

「この間の夜のこと……」

 

フィリアは、ちらりと視線を向ける。

 

「……ごめんって言うつもりなら、いい」

 

「違う」

 

ライラは首を振った。

 

「ありがとう、って言いたい」

 

短い沈黙。

 

フィリアは、少し困った顔をしてから。

 

「……ユナトを守っただけ」

 

「それで十分だ」

 

ライラはそれ以上、何も言わなかった。

 

 

夜。

 

全員が寝静まった後。

 

フィリアは、ユナトの隣で目を閉じている。

 

手は、しっかりと握られたまま。

 

腹部の傷が、微かに疼く。

 

それに気づいたフィリアの指が、きゅっと強く絡む。

 

「……取らせない」

 

その言葉には、眠りの曖昧さがなかった。

 

願いでも、夢でもない。

確かな意志。

 

――奪われることを、知っている声だった。

 

ユナトは、静かに目を閉じた。

 

焚き火の余燼(よじん)が、まだ赤く光っている。

 

消えきらない熱。

次の夜まで、残るもの。

 

この旅は、まだ続く。

 

静かな夜の中で、

確かに“守られている”と感じながら




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

第13話は、
「守られている時間」を描いた回でした。

戦いも、
霧も、
王域もない。

それでも、
完全な安心ではありません。

傷は残り、
失われたものは戻らず、
握った手だけが、確かでした。

静夜は、
長くは続きません。
だからこそ、この夜は、
忘れられないものになります。

次話では、
この静けさが終わるところから、
物語が再び動き出します。
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