メンヘラエルフは勇者が大好き〜霧害世界で愛が重すぎる最強格ダークエルフと旅する話〜 作:かわうそ☆ゆう
逃げ場のない対峙が含まれます。
平穏は、必ずしも救いではありません。
何も起きない時間の裏側で、
何かは、確実に近づいています。
これは、戦いの話であり、
同時に「欲しがられる」話です。
ライラが街を発ってから、三日が過ぎていた。
霧は出ていない。
魔物の影もない。
それでも街は、確実に削れていった。
人々は眠れず、食事を残し、会話を避けるようになっていく。
夜になると灯りは早々に消え、誰もが“外”を恐れた。
「……もう限界が近いです」
詰所で、街の責任者が声を落とした。
「霧害の後遺症で働けない者が多すぎる。夜警も足りない。
このままじゃ、霧がなくても街が持ちません」
ユナトは答えられなかった。
死者は出ていない。
だが、“折れていない”とも言えない。
(ライラがいない)
盾役が抜けた穴は、数字以上に重かった。
霧を押し返し、前線を保つ存在がいない。
ミリナも、目に見えて疲弊していた。
「……感情遮断陣、これ以上広げるのは無理」
ミリナの魔法――《
一定範囲の人間を霧害による精神汚染から“緩和”する術式だ。
霧害を完全に遮断することはできない。
だが、感情の侵食速度を落とし、心が折れるのを遅らせる。
その代償として、術者の精神力と集中力は削られ続ける。
「次に来たら……この街、耐えられない」
その言葉に、反論できる者はいなかった。
◆
夕暮れ時。
フィリアが、突然足を止めた。
「……ユナト」
声が低い。
警戒ではない。――もっと原始的なものだ。
「来る」
「霧か?」
「違う」
フィリアは、ゆっくり首を振った。
「もっと……濃い。
霧より、欲しいって匂い」
匂い憑き。
フィリアが持つ、生存本能に近いスキル。
魔力や姿形ではなく、
感情や意志そのものを“匂い”として捉える能力だ。
特にユナトに向けられる感情は、
彼女にとっては痛いほど鮮明に分かる。
「奪う気の匂い」
その言葉の直後。
街の外れで、空気が歪んだ。
霧ではない。
だが、空間そのものが押し潰されるように軋む。
――ガン。
――ガン。
重い足音。
門の向こうから現れたのは、巨大な魔族だった。
全身を覆うのは、黒鉄色の重装鎧。
だが、それは守りのためではない。
鎧の継ぎ目、関節、兜の奥――
そこから漏れ出しているのは、霧ではなく“欲望”そのものだった。
視線が合った瞬間、
心の奥を値踏みされるような不快感が走る。
「……四天王」
ミリナの声が、震える。
「渇望将……グリード=ヴェイル」
ユナトが横を見る。
「知っているのか?」
ミリナは、唇を噛みしめた。
「王国の極秘文書よ。
勇者パーティの魔法使いには、閲覧権限がある」
視線を外さずに、続ける。
「四天王は、魔王直属の最高幹部。
名前、性質、討伐失敗例まで……全部、頭に叩き込まされてる」
声が低くなる。
「でも……実物を見るのは、初めて」
グリードは街を一瞥し、次に――
一直線に、フィリアを見た。
兜の奥で、何かが歪む。
「――ああ」
低く、愉悦を含んだ声。
「やはり、君だ」
視線が、突き刺さる。
「見つけた」
フィリアの肩が跳ねた。
◆
「下がれ!」
ユナトが叫ぶ。
だが、グリードは動かない。
ただ、片手を軽く振った。
それだけで、地面が軋み、空気が沈む。
「ッ……!」
ユナトの身体が、数歩押し戻された。
(……重い)
攻撃ですらない。
存在そのものが、圧力として襲ってくる。
「安心しろ」
グリードは、ゆっくり歩き出す。
「今日は街など、どうでもいい」
「目的は一つ」
視線が、再びフィリアに向く。
「君だ」
フィリアの影が、反射的に広がった。
《執着領域》
彼女の影から生まれる黒霧が、
“フィリア自身への害意”を感知し、自動で防御・排除する領域。
だが――
グリードは、笑った。
影が触れた瞬間、霧が弾かれる。
「なっ……!?」
「概念干渉耐性……!」
ミリナが歯を食いしばる。
「四天王クラスは……
単純な感情反応や自動防衛じゃ、通らない……!」
グリードは、影に触れた手を眺め、愉快そうに言った。
「拒絶する力。守る力。縛る力」
「実に、美しい」
一歩、前へ。
「欲しい」
フィリアの呼吸が荒くなる。
「……ユナト」
縋るような声。
「イヤ……あれ、イヤ……」
ユナトは剣を構えた。
「ここから先は通さない」
「勇者か」
グリードは、興味なさげに言った。
「君は後でいい」
そして、告げる。
「選べ…この街を守るか、彼女を守るか」
罠だ。
だが、逃げ道はない。
ミリナが叫ぶ。
「ユナト!
街を守ろうとしたら、フィリアちゃんが壊れる!」
フィリアの影が揺れた。
《
ユナトの“認識”を基準に、
敵と味方を選別し、
守るものと排除するものを切り分ける拡張領域。
ユナトと共にフィリア自身が考え編み出した新しい領域。
だがその範囲と精度は、
フィリア自身の精神状態に大きく依存する。
街全体を守ろうとすれば、
彼女の心は、確実に壊れる。
(……ライラがいれば)
その思考が、胸を刺す。
グリードは、その迷いすら楽しんでいた。
「いい顔だ…奪う前の絶望は、最高だ」
そして――
空が裂けた。
上級霧将が二体、
霧兵と霧獣を率いて現れる。
「増援……!」
「違う」
グリードが笑う。
「舞台装置だ。君が、どこまで壊れるかを見るためのな」
◆
街は、再び悲鳴に包まれた。
ユナトは斬る。
ミリナは支える。
だが、数が違う。
フィリアの影が、制御を失いかける。
「……イヤ……」
「ユナト、いなくなる……」
「守れない……」
グリードは、その姿を満足そうに見下ろす。
「壊れろ。そのまま、こちらへ来い」
――その瞬間。
街の外から、轟音。
霧が、一直線に散った。
「――待たせたな」
低く、確かな声。
鉄嵐が、街に吹き込む。
剣が振るわれる。
斬撃ではない。
霧そのものが、押し返される。
「ここから先は――」
男が、前に出る。
「俺が押し返す」
ライラ・グランシール。
その剣は、もう止めるだけの盾じゃない。
グリードが、初めて目を細めた。
「……ほう」
その鉄嵐は――
――戦線を、押し返すための剣だった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
第9話は、
「戦いが始まる前に、もう始まっているもの」
を描いた回でした。
力ではなく、心。
命ではなく、存在そのもの。
奪う者と、守る者。
そして――欲しがる者。
この出会いは、まだ序章です。
本当の意味での衝突は、
もう少し先で、もっと深いところで起こります。
次話では、
この夜が何を残したのか。
その“余波”が、静かに広がっていきます。