拝啓
ベレリア半島もようやく暖かくなり春の訪れを実感しております。オルクセンの気候は如何でしょうか?
先日は読みたかった本を送って頂き、誠にありがとうございます。おかげでこの手紙もとても書きやすくなりました。ええ、まさにあれこそ私が求めていた本です。姉さまの行った事を現すのに、あれほど適した言葉もありません。
『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』、13年前に刊行された本だそうですね。あの戦争の直後にこのような社会を体系立てて解説する本が出た事はとても示唆的に感じます。
さて、あの本に書かれたゲマインシャフトとゲゼルシャフト、つまりは『本質的に結びついた社会(ゲマインシャフト)と選択的に結びついた社会(ゲゼルシャフト)』を比較するにはオルクセンが最適ですね。「魔種族の王選び」という本質意思により形成された集団オルクセン王国が「選挙」という選択意思により形成される集団オルクセン連邦へと変化する。これがテンニエスの言うゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行、すなわち近代化なのでしょう。
対してエルフィンド王国は完全なゲマインシャフト、それも崩壊したゲマインシャフト的社会でした。姉さまはまさに、このゲマインシャフトを立て直す事を己の使命としていたのです。
ゲマインシャフト社会は三段階で構成されます。「家族/地縁/教会・宗教」の三段階です。そのうちエルフィンドは家族が最初から存在せず、教会や宗教に類するものも未成熟でした。本来ならば家族の観念がそのまま民族への帰属意識を生み、教会・宗教が都市周辺住民らの連帯意識を生みます。しかし地縁が圧倒的に強く家族、教会・宗教が希薄なエルフィンドはゲマインシャフト社会としてとても歪でした。白エルフ族の帰属意識の低さ、極度の個人主義はまさにこれに由来しています。姉さまはこのエルフィンドを立て直す為に、『教義』をもって人々の帰属意識を高める事を意図しました。
ドワルシュタイン侵攻立案の功績もあり、姉さまはロザリンド戦後に女王陛下より教義大臣を拝命しました。姉さまがまず行った事は緑色の伝統的なローブ状のドレスで出仕する事でした。既に洋装が基本となっていた他の閣僚たちからは奇異の目で見られましたが、姉さまは気にする様子もありませんでした。
「この後の予定は?」
「はい閣下、午後から各地の氏族代表団からの陳情が。それと首都教義学校の視察となっております」
この頃になると私は完全に一執事として、姉さま……ダリンウェン閣下に仕える身となっていました。私設秘書のような仕事もやっていましたが、政治家としての姉さまの周囲には多くの人、特に官僚たちが集まっておりましたので私がお仕事に関わる機会はあまり多くありませんでした。それでも何処に行くにも姉さまに随行していましたので、他の者よりかは姉さまの動向や考えている事がよくわかります。
ロザリンド戦後、エルフィンド内では政治の季節が訪れました。有力氏族の均衡によって成り立っていた政治に挑戦するかのように、女王は『シルヴァン川流域を全てエルフィンド領にした成果』を国民に誇り、偉業の宣伝として記念通貨や切手を発行したりして己の権威を高める事を始めました。また新たに己が選抜した側近を取り立て有力氏族で選ばれた当時の首相に対抗し始めました。もちろん、その側近の一人が姉さまです。女王側近の大臣と有力氏族代表の大臣は互いに牽制しあい、権力争いを始めました。けれどもこの時はそこまで対立が深刻になる事はありませんでした。何故ならば、新女王の側近は姉さまを含めて有力氏族出身の者がほとんどでしたので、有力氏族達からしても女王はあくまで『有力氏族達とのパワーゲームのルール内で』権力争いをしていると解釈されたのです。
そんな中で姉さまは教義大臣として日々精力的に働いておられました。多くの氏族達からの陳情を聞き、各地の教義学校の運営に口出しし、モリンドを始めとした官僚たちに命じて『教義』の再編を行う作業を並行して進められていたのです。朝昼の食事はいつも粗末なものを短時間で召し上がり、時には夕食が遅れる事もありました――ああ、オルクセンの方には分かりにくかったでしょうか? エルフィンドでは夕食を遅らせる事は朝昼の食事を抜かす事にも等しいのです。一日の終わりには必ず長く時間を取り、豪華な食事を摂る事。姉さまはこの習慣すら忘れるくらい日々働き続けていました。
「教義学校の指導要領は酷いわね」
ある日姉さまは朝昼兼用のパン(ライ麦パンにニシンの塩漬けと玉ねぎを挟んだもの)とゆで卵を食べながら唸るようにおっしゃいました。
当時、教義学校で使っていた教科書は薄く、『教義』の概要と生活で使う簡単な学問(アールヴ語や計算など)を学ぶ為だけの、それはお粗末なモノでした。とはいえこれは仕方ありません、予算がありませんでしたから。姉さまはただちに予算を分捕ってきました――ええ、もちろん軍からです。ロザリンド会戦の結果大きな打撃を被ったオルクセンによる再侵攻の可能性は低く、軍の予算は緊急性を要するものではないと姉さまは訴え教義省の予算をその分増やしました。国軍は近代化改修予算まで削るのは国防上の重大な懸念になりうると必死に反論しましたが知った事ではありません。そんなに予算が重要なら、ロザリンド後に政治派閥を立ち上げその上で他省庁と交渉し折衝すべきでした。なすべき事をなさずに予算だけ要求するのは虫が良いと言うべきでしょう。
「モリンド、新しい指導要領に必要な事は分かっているかしら?」
「『指導者たちの九つの教え』を詳細に記しそれを権威として認めさせまず子供たちに周知する事。同時に勝手な解釈を許さない事、ですね」
「早速叩き台を作ってちょうだいな。いつまでに可能かしら?」
「明日の夕刻までには!」
他の教義官僚たちがうんざりした顔でモリンドを見ます。ええ、彼女は姉さまの元で教義事務次官に出世していました。彼女は姉さま以上に仕事に没頭し、庁舎に泊まり込む事もザラでした。この時も徹夜で資料を仕上げる気満々で、当時の教義省は「不夜城」と呼ばれたものです。ですが、姉さまやモリンドの働きを否定できるものは居ませんでした。有力氏族たちのご機嫌伺いで教義の解釈を勝手に変えていた先代までの大臣とその側近達とは違い、姉さまは教義に対し解釈を変える事を許しません。また当時の大臣はほとんどが有力氏族たちからの推薦による落下傘式で、各省の官僚たちは苦々しく思っておりました。対して姉さまは有力氏族出身とはいえ教義省出身です。また次官に(たとえどんなに嫌われていたとしても)生え抜きの教義官僚であるモリンドを取り立てた事を官僚たちは高く評価していました。
もっともすべての官僚に認められたわけではありません。教義省の中にも姉さまと教義の解釈を違える者、また氏族同士の関係を重視し教義を蔑ろにする者もおりました。そのような者に姉さまは容赦しません、子飼いとなったブレンウェルを使いそれらの者の弱みを握り、あるいは醜聞を作り出して片っ端から教義省から追い出す、あるいは「事故死」してもらう事になりました。こうして姉さまは教義省を掌握し、己の牙城としていったのです。
ロザリンド戦から10年以上の年月をかけ、教義省は姉さまを頂点とした完璧な組織へと生まれ変わりました。『指導者たちの九つの教え』を元に教義を体系化し纏め、それを権威として宣伝し周知していく。特に学校から最初に手を付けたのが大正解でした。分かりやすい『教義』が子供たちに浸透していった事で、徐々に人々が純化し権威化した教義を受け入れていったのです。
ですが、まだ第一段階に過ぎません。姉さまは次に必要な事が分かっておられました。
すなわち、『共通の敵』の存在と『利益の分配』です。
※参考文献(敬称略):
テンニエス著,重松俊明訳「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト 純粋社会学の基本概念」(中公クラシックス)