その日の仕事が一段落した頃、猫姉は俺を手招きして、人気の少ない一角へ移動した。周囲に耳がない場所を選ぶあたり、もう頭の中では話がまとまっているらしい。
「さっきの小蘭たちとの話、聞いてた?」
「少しだけ」
正直に答えると、猫姉は気にした様子もなく頷いた。
「ちょうどいいわ。あれで、だいたい確信が持てた」
猫姉は壁にもたれ、指を折りながら話し始める。
「蜜煎果は、味が強すぎない。仕事の合間に食べやすい。配られる頻度も高い。しかも、“善意”で出されてる」
淡々とした口調だが、整理の仕方はいつも通り無駄がない。
「つまり、誰も疑わない」
「疑う理由がない、か」
「そう。毒じゃないし、薬でもない。だから医官も深く追わない」
猫姉は一度言葉を切り、こちらを見る。
「でも、体調不良は確実に出てる。軽く、長く、広く」
「慢性的なやつだな」
「ええ。しかも、甘味で一時的に楽になるから、食べるのをやめない」
その言葉で、俺ははっきりと全体像を掴んだ。
「……悪循環だ」
「正解」
猫姉は小さく頷く。
「食べる → 一瞬元気になる → でも後でだるくなる → また食べる。この繰り返し」
「誰かが仕組んだ?」
「そこは、まだ分からない」
即答はしなかった。
「今のところは、“便利で評判が良かった菓子”が自然に広まっただけの可能性が高い」
「犯人なし、か」
「ええ。だから厄介」
猫姉は軽く息を吐いた。
「誰かを捕まえて終わり、って話じゃない。止める理由を作らないと、誰も納得しない」
「甘味を禁止するのは無理だろ」
「無理ね。反発しか生まない」
そこまで言って、猫姉は少しだけ視線を逸らした。
「だから、代わりが必要になる」
その一言で、俺の役目ははっきりした。
「体を疲れさせない甘味、か」
「そう」
猫姉は、当然のように言う。
「今の菓子が悪いって証明するより、“もっといいものがある”って示した方が早い」
「……相変わらず現実的だな」
「後宮で正論は嫌われるの」
猫姉は肩をすくめた。
「でも、味が良くて、体も楽なら、自然に置き換わる」
俺は頭の中で、材料を並べ始めていた。甘味は必要だが、糖を強くしすぎないこと。油分は控えめ。消化がよく、疲労を残さないもの。
「とにかく、俺も色々と作ってみるよ」
「それならば、待っておくよ」
「……猫姉」
「なに?」
「これ、事件としては地味だよな」
俺がそう言うと、猫姉は鼻で小さく笑った。
「後宮の事件なんて、だいたいそんなものよ」
そして、静かに付け足す。
「派手じゃないけど、放っておくと人が削れる」
その言葉に、俺は何も言えなかった。
「だから、ここで止める」
猫姉はそう言って、踵を返す。
「私は上に話を通す。あんたは菓子を考えて」
「了解」
短く答える。
猫姉の背中を見送りながら、俺は思った。
この人は、やっぱり薬屋だ。
毒を見つけるより前に、“毒になりかけたもの”を潰しにいく。
そして俺は、料理人として、その隣に立っている。
派手じゃないが、悪くない役割だと思えた。