薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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味消失事件 弐

 里樹妃の部屋を出てから、胸の奥に引っかかっているものが消えなかった。

 あの粥の反応だ。味が薄いわけじゃない。作り方も、塩の加減も間違っていない。それでも「遅い」「弱い」と言われた感覚。あれは、舌そのものの問題だ。

 

 猫姉には一言だけ「厨房を見てくる」と伝え、俺は一人で足を向けた。

 

 厨房に入ると、先にこちらに気づいた料理人たちが声をかけてくる。以前の一件――烏骨鶏の料理以来、どうやら俺の印象は悪くないらしい。

 

「お、あんたか」

「また何か作るのか?」

「今日は点検役か?」

 

 冗談めいた空気に、少しだけ肩の力が抜ける。だが、目的は別だ。

 

「今日の宴で出た料理を、全部見せてほしい」

 

 そう言うと、料理人たちは顔を見合わせながらも、特に拒むことなく鍋の並ぶ列を指し示した。

 一つずつ確認していく。香り、色、浮いた脂。強すぎる香辛料も、怪しい粉末もない。毒物が混入した形跡も見当たらない。

 

(やっぱり、普通だ)

 

 猫姉が見れば、きっと同じ結論を出すだろう。

 だが、そこで終わらなかった。

 

 奥に置かれた一つの大鍋。蓋をしたまま、他の鍋と同じ顔をしている。だが、近づいた瞬間に違和感を覚えた。

 

(……軽い)

 

 直感だった。

 周囲の鍋に比べて、明らかに中身の気配が薄い。具材の存在感がない。

 

「これ、何の鍋だ?」

 

 俺が尋ねると、近くにいた料理人が答える。

 

「スープだ」

「宴の締めに出したやつだな」

 

「具は?」

 

「途中で引き上げた」

 

 その言葉に、俺は眉をひそめる。

 

「最初から、具は少なかっただろ」

 

「まあな」

 料理人は肩をすくめた。

「だから、俺たちも変だとは思った」

 

 俺は無言で蓋を外し、鍋の中を覗き込む。そして、そのまま腰を落として鍋底を見る。

 

 そこには、干された素材が敷き詰められていた。

 

 乾燥させた蟹の殻と身。

 しかも、雑に放り込んだものじゃない。隙間なく、均等に。水に戻す前提で、旨味だけを引き出す配置だ。

 

 一瞬で、理解してしまった。

 

(……なるほど)

 

 干し物を鍋底に敷き、具は使わない。

 水分は最小限。

 長時間、静かに煮出す。

 

 香りは立ちにくい。

 だが、味だけは異様なほど濃くなる。

 

「……他に鍋は使わなかったのか」

 

 俺の問いに、別の料理人が首を振る。

 

「本当はもう一つ必要だった」

「だが、これで十分だと言われた」

「意味は分からんが、確かにおかしいとは思った」

 

 全員が、違和感は共有している。

 だが、それが料理として何を意味するのかまでは、誰も分かっていない。

 

 俺は鍋の縁に手を置いたまま、しばらく黙っていた。

 

(毒じゃない。だが、善意とも言い切れない)

 

 これは、味で殴る料理だ。

 一杯で舌を疲弊させ、基準を狂わせる。

 

(……昔、見た手口と同じだ)

 

 胸の奥で、嫌な記憶が蘇る。

 料理は、人を喜ばせるものだ。

 だが、濃すぎれば――壊す。

 

 俺は静かに立ち上がり、蓋を戻した。

 

「この鍋のことは、覚えておいてくれ」

「理由は?」

「今は、まだ言えない」

 

 料理人たちは首を傾げながらも、それ以上は追及してこなかった。意味が分からなくても、何かおかしいという感覚だけは共有している。

 

 それで十分だ。

 

 俺は厨房を後にする。

 次に話す相手は、決まっている。

 

(猫姉……これは、ただの不調じゃない)

 

 また一つ、後宮で“静かな事件”が動き始めている。

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