壬氏さんの執務室に入ると、空気が張り詰めた。
ここでは回りくどい言葉は嫌われる。必要なのは、事実と、それをどう繋げたかだけだ。
俺は猫姉の隣に立つ。半歩引くでもなく、前に出るでもない。
料理人として見たものを、彼女の推理に重ねるための位置だ。
「それで?」
壬氏さんは書簡から視線を上げずに言った。
「何が分かった」
猫姉が、いかにも面倒そうに一息ついてから口を開く。
「結論から言います。鍋を作ったのは厨房ですが、事件を起こしたのは別です。膳組の配膳統括が、全部“そうなるように”動かしてました」
「随分とはっきり言うな」
「ええ。珍しく証拠が揃ったもので」
猫姉は袖から配膳札の写しを出した。
「宴当日の配膳札です。問題のスープだけ、朱で符号が打ってあります。順番固定、器指定。あれ、膳組統括の癖ですよ」
壬氏さんがようやく顔を上げる。
「器指定?」
ここで俺が続けた。
「蓋付き椀です」
壬氏さんの視線が、俺に向く。
「清湯に蓋?」
「本来なら使いません。香りを楽しませる料理ですから」
俺は一度息を吸ってから言った。
「ですが、乾貸を必要以上に使ったスープは匂いが強い。蓋付き椀なら、配膳中に気づかれにくいんです」
「匂い隠し、か」
高順さんが低く呟く。
猫姉が肩をすくめた。
「香も焚いてましたしね。あれ、偶然にしては出来過ぎです」
「乾貸の件は?」
壬氏さんの問いに、高順さんが答える。
「倉庫の払出は、膳組名義だった。厨房名義じゃない」
猫姉は頷いた。
「料理のためじゃなく、配膳のために材料を動かしてる。そういう書き方でした」
俺も、自分が見たものを重ねる。
「鍋の中を見ました。毒はありません。でも、滋養を考えた量じゃない。舌を疲れさせるには十分すぎる濃さです」
「結果は?」
猫姉が、淡々と答える。
「里樹妃は、そのスープを飲んだあと、ほとんどの料理を“味がしない”と感じるようになった。病でも毒でもありません。ただ、舌が先に参っただけです」
壬氏さんが小さく息を吐いた。
「毒を使わず、食を奪う……後宮らしいな」
「ええ。しかも表に出にくい」
猫姉は少しだけ目を細める。
「でも今回は、やりすぎました。乾貸、香、蓋付き椀、配膳順。全部同じ人の裁量で動いてます」
壬氏さんの視線が、再び俺に向いた。
「料理人として見て、事故だと思うか?」
俺は首を横に振った。
「思いません。料理ってのは、ここまでやると“偶然”じゃ済まない」
言い切ったあと、少しだけ声を落とす。
「誰かを喜ばせるつもりだったなら、量を間違えた時点で止まります。これは……止めてない」
壬氏さんは、短く笑った。
「十分だ」
書簡を閉じる。
「後は、こちらで処理する。里樹妃には、体調回復のための食事調整で通す」
「それが無難ですね」
猫姉はあっさり頷いた。
執務室を出たあと、廊下で猫姉が腕を組む。
「……正直、楽でした」
「何が?」
「料理の話が通じる相手がいるの。推理が空回りしなくて済む」
俺は少し照れくさくなって、視線を逸らす。
「猫姉が道を見つけるなら、俺は材料を揃えるだけです」
「十分すぎますよ、それ」
猫姉は、いつもの淡々とした声でそう言った。
探す者と、支える者。
役割は違うが、向いている先は同じだ。
後宮は静かだ。
だが、料理と同じで――
火を消さなければ、また次が起きる。
俺は、次に備えて頭を切り替えた。