薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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療養膳監修の客人 参

 湯気が落ち着くころ、厨房の空気は一度ゆるんだ――はずでした。ところが倉庫から届いた籠の蓋を開けた瞬間、その緩みは氷水みたいに引きました。鶏の色が違う。肉の張りが弱く、皮の脂が粗い。札を確かめた料理長の眉が、ぴくりと動きます。数量も減っている。生姜と葱は“最低限”の印、包みの中は冗談みたいに軽かった。

 

「……等級が落ちてる」

 

 料理長の声が低く沈みました。倉庫番は困った顔で首を横に振ります。

 

「御膳房の札でして。こちらは指示どおりに払出しただけです」

 

 御膳房。割当を握る場所。火口より強い権限がある場所。料理長がその場で「行くぞ」と言ったのは、怒りだけじゃない。回復食は水で延ばせます。でも、回復の芯まで薄めたら、それは温い水になる。倒れる者が増えれば、厨房も回らない。宴の膳だって支える手がいなければ成り立たないのに。

 

 猫姉が籠の匂いを嗅いで、淡々と言いました。

 

「悪くはないけど、よくもない。回復用に出す質じゃないね」

 

「猫姉……」

 

「当たり前。これで効かせろって言うなら、薬屋が魔法使いになるしかない」

 

 笑えない冗談でした。俺は喉の奥で息を整え、料理長の後ろについて御膳房へ向かいました。レオンさんも無言でついてくる。背中が厚い。歩幅が小さいのに、存在が大きい。言葉じゃなく“やってきた時間”が先に届く人だ、と改めて思います。

 

 御膳房の前は匂いが違いました。油の厚い香り、香辛料の強い匂い、乾物の甘い匂い。人も多く、動きも荒い。ここは回復の台所じゃなく、面子と体裁の台所だ――肌で分かる空気でした。

 

「御膳房の責任者を呼べ。療養膳口の割当について話がある」

 

 料理長の声が通ると、しばらくして古参筆頭と呼ばれる男が出てきました。背は高くないのに、周囲の動きが一段落ちる。怒鳴らなくても人を黙らせる目。料理だけで立っていない。采配で立っている目でした。

 

「何だ、朝から。療養膳口が御膳房に用でもあるのか」

 

「ある。鶏の等級が落ち、量が減り、生姜と葱まで最低限にされている。理由を聞きに来た」

 

「理由? 簡単だ。宴の準備が詰まっている。上物はそちらへ回す」

 

「療養膳は回復の要だ。冷えで倒れる者が増えているのが見えないのか」

 

「倒れる? なら薬屋に任せろ。こちらは宮の顔を作っている」

 

「回復がなければ、その顔を支える手が倒れる」

 

 料理長の言葉は真っ直ぐなのに、古参筆頭は鼻で笑いました。そして、視線を俺の後ろへ滑らせます。レオンさんの革帯と刃の気配を見た瞬間、口角が歪みました。嫌悪の歪みです。

 

「外部の監修者か。外の若造に頼る前に、現場で証明しろ」

 

「監修は制度だ。壬氏さまの裁定で――」

 

「制度が何だ。割当を決めるのはこちらだ。療養膳など、上物を使う価値はない」

 

 猫姉が小さく鼻を鳴らしました。

 

「……意地だね」

 

「薬屋が口を出すのか」

 

「倒れたら困るのは、あなたの台所も同じでしょ」

 

 古参筆頭は黙り、料理長を見据えました。

 

「言うなら証明しろ。上物なしで、なお効くと示せ。御膳房は結果でしか動かん」

 

 奥の作業台を顎で示され、周囲の料理人たちの目が面白がる色を帯びるのが分かりました。忙しさの憂さ晴らしに、誰かの恥はちょうどいい。そういう空気です。

 

 料理長が息を吸って吐き、冷静さを作りました。

 

「条件を揃える。壬氏さまの前で、公式にやる」

 

「揃えればいい。だが、その監修者も出すのか?」

 

 古参筆頭の目がレオンさんへ向く。挑発と異物確認が混じった目。レオンさんは短く答えました。

 

「監修だ。手順を示す。勝ち負けで来たわけじゃない」

 

「綺麗事はいい。結果だけ持って来い」

 

 ここで料理長が、俺の肩越しに一瞬だけ確認するような視線を寄こしました。俺は小さく頷きました。熱くなる前に、先に筋を立てる。勝つための言い訳じゃなく、勝っても負けても“制度に落ちる形”にする。そのための筋です。

 

「監修者は“現場”と組ませる」

 

 古参筆頭の眉が動きます。

 

「組む? 外の若造と組んで言い訳を作る気か」

 

「違う。個人芸を見せる日じゃないと言ったはずだ。監修は現場に落とすためにいる。現場が鍋を握り、監修が手順と記録を担う。それなら、勝っても“監修のおかげ”で終わらん」

 

 古参筆頭が、嫌そうに笑いました。

 

「言い方だけは立派だ。だが二人なら有利だろう。頭が二つ、手が二つだ」

 

 料理長は即座に返します。

 

「なら、そちらに有利な条件でいい。だが、後から“出来レース”だの何だの言わせない条件を、ここで決める」

 

 猫姉が、面倒そうに付け足しました。

 

「条件は書面にして。あとで言い換えるの、嫌い」

 

 古参筆頭は鼻で笑い、手を払うように言いました。

 

「好きにしろ。――だが、こちらも条件を付ける」

 

 来た。俺は背中が冷えるのを感じました。条件は、割当と同じくらい強い。

 

「まず、食材だ。療養膳口の組は、鶏は二等。量は半分。生姜と葱も最低限。……それで“効く”と言うなら、証明してみせろ」

 

 料理長の目が鋭くなる。だが、黙って飲み込んだ。ここで反発すれば、相手の土俵に乗るだけです。

 

「次に道具だ。外の刃物は持ち込ませない。危険だし、規則にも合わん。監修者は御膳房の支給包丁を使え。一本だけだ。種類もこちらが指定する」

 

 周囲がざわつきました。包丁一本指定は、料理人には分かりやすい縛りです。しかも“外の刃物禁止”。レオンさんの強みを潰しに来ている。古参筆頭はそこを分かって言っています。

 

 俺は横目でレオンさんを見ました。レオンさんは表情を変えません。短く頷くだけでした。

 

「それでいい」

 

 古参筆頭が意外そうに目を細めます。

 

「……怖気づかないのか」

 

「刃は道具だ。手順が要る。一本でも切る」

 

 短い言葉なのに、揺れがない。俺は胸の奥が熱くなって、すぐに抑えました。ここで熱くなるのは早い。勝負はまだ始まっていません。

 

 猫姉が淡々と言いました。

 

「二人が有利って言うなら、手も縛れば? 監修は監修で、鍋は現場が握る。監修が直接食材に触れない、って条項を入れたら?」

 

 古参筆頭が眉を上げます。料理長が少しだけ頷き、俺も理解しました。これなら“二人で手数が増える”疑いは消える。しかも、レオンさんが前に出すぎない。俺が調理を担当し、レオンさんは手順・温度・切り方の指示、そして記録。監修として正しい役割分担になる。

 

「いいだろう」

 

 古参筆頭が即答しました。

 

「監修者は口と目だけだ。手は出すな。台所の者が嫌がるからな」

 

「構いません」

 

 俺が先に頭を下げました。

 

「私が鍋を握ります。レオンさんは監修として、手順と記録をお願いします」

 

 レオンさんが短く答えます。

 

「任せろ。手順を落とす」

 

 料理長が条件をまとめるように言いました。

 

「同一材料だ。こちらは二等鶏・半量・香味最低限。そちらは御膳房標準。火口と時間は同じ。評価は食後と翌朝の状態。猫猫は禁忌と体の反応を確認。記録は監修者が取る。書面にして壬氏さまに提出、裁定の場でやる」

 

「いい」

 

 古参筆頭が頷き、最後に釘を刺します。

 

「忘れるな。御膳房は宴で宮の顔を作る。療養膳は二の次だ。結果が出せなければ、割当は戻らん」

 

 猫姉が、いつもの温度で返しました。

 

「結果が出るかどうかは、体が決める。口じゃない」

 

 御膳房を出た廊下で、俺は息を吸い直しました。背中の奥が少し熱い。勝負の火種が、割当という一番単純な権限で再点火した。その上で、コンビは組めるが、楽はできないように設計されている。食材は弱く、道具は縛られ、監修は手を出せない。つまり、俺が“現場”として勝負の責任を背負う形になる。

 

 レオンさんが俺の横で、短く言いました。

 

「焦るな。条件が見えた。手順は組める」

 

「はい。……お願いします」

 

 猫姉が面倒そうに言いました。

 

「負けたら薬屋のせいにしないでね」

 

「しません。猫姉の目がある方が、むしろ安心です」

 

「変なこと言うね」

 

 そう言いながら、猫姉の目はもう次の評価軸を組み立てている顔でした。料理長は怒りを鎧に変えて歩いている。俺はその背中を見ながら、鍋の中で何をどう積むかを頭の中で組み始めました。一本の包丁、半分の鶏、最低限の香味。それで“効く”を出す。派手な勝ちじゃなく、明日から回る勝ち。そこに落とし込むための勝負です。

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