薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

28 / 100
療養膳監修の客人 六

 対決当日の朝、療養膳口の空気はいつもより乾いていました。火口の前に立っても汗が出ない。出るのは手のひらの湿り気だけ。包丁は高順さんが木箱ごと運んできて、封を切るのも戻すのも、必ず立ち会いのもと――そう決まってから、道具の音まで重く感じます。

 

「本番前に、確認を一つ」

 

 高順さんが帳面を開きながら言いました。

 

「試食者の名簿が届いております。……御膳房側が提出したものです」

 

 その言葉だけで、背中の奥がひやりとしました。条件は書面にして押した。なのに、人は紙の外で動ける。割当がそうだったように、勝負もまた、鍋の外から揺さぶられる。

 

 猫姉が名簿を覗き込み、面倒そうに鼻を鳴らしました。

 

「……濃いの好きそう」

 

「分かるんですか」

 

「分かる。名前じゃなくて役目。御膳房の宴担当が混じってる。あと、酒の席に近い人間が多い。舌が疲れてると薄味は“水”に感じるよ」

 

 俺は思わず名簿を二度見しました。確かに、半分以上が宴の場で働く者や、それに近い立場の人間に見える。味の好みまで断言できるほど俺は人を知らない。でも猫姉の言い方は、いつもの「薬屋の勘」というより、単なる経験則でした。濃い味が続けば、繊細な旨みは拾いにくくなる。回復と美味しさの両方で評価する、と決めた以上、試食者の舌が最初から偏っていたら、勝負は始まる前に傾く。

 

「高順さん、これは……」

 

「ええ。偶然とは言いにくい並びです」

 

 高順さんは淡々としていましたが、その目は鋭かった。感情で怒るより、手続きで締める人の目だ。俺はそこで、レオンさんの方を見ました。レオンさんはすでに紙束を開いていて、工程記録とは別の白紙に何かを書き始めている。手は出さない。ただ、場を組む。

 

「試食の前に条件を足す」

 

 レオンさんが短く言いました。

 

「香と茶。あと、漬物。試食前に口に入れたら舌が変わる。……禁止だ」

 

 猫姉が肩をすくめます。

 

「それ、言わないとやる人いる。特に“勝負”だと思ってる連中」

 

 俺は喉が鳴るのを堪え、火口の前へ視線を戻しました。粥そのものは、昨日の試作で形になっている。包丁一本、二等鶏半量、香味最低限。段階で香りを出し、米の崩し方で口当たりを作る。ここで焦って味を濃くしたら、猫姉の言う“舌の疲れ”を起こす側に回る。それは負け方として一番嫌だ。

 

 その時、外から人の足音がまとまって聞こえました。療養膳口の入口がざわつく。高順さんが一歩前に出て、入口の方へ向き直りました。

 

「どなたですか」

 

「御膳房より。試食の段取りの確認です」

 

 入ってきたのは、御膳房の段取り役らしい男と、名簿に載っているらしい数人の男たちでした。目の据わり方が違う。普段の“仕事の目”というより、“品定めの目”に近い。俺のことを見ても、遠慮がない。若い料理人を見下ろす、あの手の目だ。

 

「こちらが療養膳口の……調理担当か」

 

「はい。マオです」

 

「薄味で勝負するのか? 療養膳は結構だが、勝負の席で舌が満足すると思うなよ」

 

 俺は笑顔を作って頭を下げました。言い返したいのは山ほどある。けれど、ここで熱くなるのは相手の思うつぼだ。

 

「満足は、食べて決めてください。こちらは、条件どおりに用意します」

 

 猫姉が横から、いかにもどうでもよさそうに言いました。

 

「条件どおりに食べるなら、余計なもの口に入れないでね。茶とか漬物とか。舌が疲れるから」

 

 段取り役が目を細めます。

 

「薬屋が口を出すのか」

 

「口は出すよ。倒れたら困るし。あと、勝負が終わってから“薄くて分からん”って言われても面倒」

 

 高順さんがそこで、静かに紙を示しました。

 

「勝負の評価は、回復と嗜好の両方。嗜好は食べ進みと残量、香りの不快、舌の疲れも含める。これは裁定の文書に記載されています。試食者が事前に強い茶や香味で舌を荒らすことは、評価の前提を崩します」

 

「そんな決まりは——」

 

「あります。今ここで読み上げますか」

 

 高順さんの声は低いのに、引かなかった。段取り役は口をつぐみ、代わりに名簿を叩くように言いました。

 

「なら、試食者はこの名簿どおりでいいな。御膳房が選定した。宴の膳を知る者が評価するのが筋だ」

 

 猫姉が、ふっと笑いました。笑う時の猫姉は大抵、嫌なことを言う前触れだ。

 

「宴の膳を知る舌って、濃い味に慣れてる舌でしょ。回復食の評価に向いてるとは限らない」

 

「何が言いたい」

 

「偏ってるって言ってる。偏ったまま評価するなら、残量で決めるしかないね。口で文句言っても、体は嘘つかないから」

 

 段取り役が不機嫌そうに鼻を鳴らしました。

 

「残量? そんな子供じみた」

 

「子供じみてるのは、舌を疲れさせてから薄味を笑う方だよ」

 

 その瞬間、空気が少し凍りました。俺は内心で猫姉に「そこまで言うのか」と思った。けれど、ここで遠慮していたら、勝負が勝負にならない。

 

 レオンさんが紙束の上から視線を上げ、短く言いました。

 

「試食者の構成を変えろ。偏れば、記録に残る。……不利を作った方の責任になる」

 

 段取り役が鼻で笑います。

 

「口だけの監修が偉そうに」

 

「口だけでいい。俺は手を出さない。だが、記録は残す」

 

 レオンさんは淡々と、試食前確認の項目を指でなぞりました。茶、香、漬物、酒、喫煙。提供温度。椀の蒸らし時間。試食順。水で口をすすぐタイミング。全部、文字になっている。見せられると、反論が“言い訳”に聞こえる類の紙だ。

 

 高順さんが、決定打を静かに差し出しました。

 

「名簿の構成は、壬氏さまの裁定に照らし合わせて調整します。御膳房から宴担当が入るのは構いませんが、療養膳口の性質上、回復食に慣れた者も混ぜる必要がある。よって——半数は御膳房、半数は療養膳口に近い部署から。偏りは是正します」

 

「そんな勝手が」

 

「勝手ではありません。公平のためです。異議があるなら、壬氏さまへ直接どうぞ」

 

 段取り役の口が僅かに歪みました。高順さんの背後に、壬氏さまの影が見える。言い換えれば、ここで押せば自分が疑われる。押しきれない。

 

「……分かった。だが、舌の満足は誤魔化せんぞ」

 

 男は捨て台詞のように言って出ていきました。残った数人も、俺を値踏みする目を最後に一つ投げて去る。扉が閉まった瞬間、俺はようやく息を吐きました。

 

「高順さん、助かりました」

 

「仕事です。勝負は、鍋の中で決めていただく」

 

 猫姉が俺の横から覗き込み、薄く言いました。

 

「……試食者が偏ってたら、粥がかわいそう」

 

「粥が、ですか」

 

「だって、食べる前から負けにされる。面倒だし、腹立つ」

 

 猫姉が腹立つと言うのは珍しい。俺は胸の奥が少しだけ熱くなり、火口へ向き直りました。敵の策が一つ潰れた。それでも、彼らは別の場所で揺さぶるだろう。提供温度か、香か、あるいは場の空気か。だからこそ、俺がやることは一つ。段取りを崩さない。粥を“薄い”にしない。塩で押さず、旨みの出方と口当たりの段階で満足を作る。

 

 包丁箱の封が切られ、支給包丁が手に戻る。癖のある刃の重さが、逆に落ち着きをくれました。昨日、こいつで切れた。今日も切れる。条件は不利だが、条件を言い訳にしないために、俺たちは記録まで固めたのだ。

 

 レオンさんが、俺の背後から短く言いました。

 

「火は急ぐな。香りは二段。米は崩しすぎるな」

 

「はい」

 

 高順さんが帳面を閉じながら、淡々と続けました。

 

「試食者の調整は済みました。……ただし、御膳房側が諦めたとは思わぬことです」

 

「思ってません」

 

 猫姉が小さく呟きました。

 

「次は別の手。鼻か、温度か、どっちかだね」

 

 俺は頷き、鍋に水を張りました。勝負はもう始まっている。けれど、始まっているからこそ、こちらも“始め方”を間違えない。鍋が静かに息をする音を聞きながら、俺は粥の段階を頭の中でなぞり直しました。食べたくなる温かさ、残さない口当たり、体がほどける旨み。回復と美味しさは、別々じゃない。食べ進みが回復を連れてくる。その当たり前を、今日の勝負で証明する。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。