薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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宮廷毒膳事件録 参

 宴が終わっても、後宮はすぐには静まらない。

 

 片付けが始まると同時に、警備の人数が増える。

 表向きは何事もなかった宴。

 だからこそ、余計な動きは目立つ。

 

「……今は、派手に動けない」

 

 猫姉が、声を落として言った。

 

 俺たちは、回廊の影になる位置に身を寄せている。

 灯りから少し外れた場所。

 視線が通りにくい、わずかな隙間だ。

 

「主賓は?」

 

「部屋に戻った。

 今すぐ倒れるほどじゃないけど……」

 

 猫姉は、少し言葉を選んだ。

 

「このままだと、

 確実に体力を削られる」

 

「……だから今、だね」

 

「そう」

 

 短く頷く。

 

「毒じゃない分、

 騒ぐと逆にまずい」

 

 警備が強化され、人の出入りが制限される。

 そうなれば、調理工程を探る余地はなくなる。

 

「こっそり行くよ」

 

 猫姉は、それだけ言って歩き出した。

 

 堂々とではない。

 だが、不自然にもならない。

 

 その歩き方を見て、俺は胸の奥が少し重くなる。

 

 ――こんな場所に、慣れすぎている。

 

 厨房の近くまで来ると、空気が変わった。

 人はいるが、声は低い。

 片付けの最中だ。

 

「……あそこ」

 

 猫姉が顎で示す。

 

 下拵え用の台。

 肉が処理されていた場所だ。

 

「見てくる」

 

「待って」

 

 即座に止められる。

 

「今は警備が近い」

 

 少し離れた場所に、人影がある。

 こちらを見てはいないが、目を配っている。

 

「じゃあ、どうする」

 

「回り道」

 

 猫姉は、何でもないことのように言った。

 

 案内されたのは、調理器具の保管庫。

 使われなくなった道具も多く、薄暗い。

 

「……よく知ってるね」

 

「知らないと、仕事にならない」

 

 淡々とした返答。

 

 俺は、壁際に並ぶ包丁に目を向ける。

 

「……やっぱり」

 

「何か分かった?」

 

「切り方が、揃いすぎてる」

 

 一本、手に取る。

 

「この包丁、

 肉を柔らかくするには向いてない」

 

「どうして?」

 

「繊維を断つより、

 押す切り方になる」

 

 猫姉は、すぐ理解した。

 

「……硬くなる?」

 

「消化にも時間がかかる」

 

 言葉を選ぶ。

 

「旅の途中で、

 体調を崩してる人向けの料理を

 よく頼まれたんだ」

 

 猫姉が、こちらを見る。

 

「だから分かる?」

 

「うん」

 

 頷く。

 

「元気な人なら問題にならない。

 でも、弱ってる人には負担になる」

 

 猫姉は、口元に指を当てた。

 

「……わざと、か」

 

「少なくとも、

 偶然じゃない」

 

 外から足音が近づく。

 

 俺たちは、息を潜めた。

 

 数秒後、足音は遠ざかる。

 

「……こういうの、慣れてない」

 

 思わず呟くと、猫姉が小さく鼻で笑った。

 

「でしょうね」

 

「旅先でも、

 せいぜい揉め事止まりだった」

 

 猫姉は、ちらりと俺を見る。

 

「巻き込みたくない、って顔してる」

 

 図星だった。

 

「……猫姉には、

 危ない思いさせたくない」

 

 一瞬、空気が止まる。

 

 猫姉は、何も言わずに前を向いた。

 

「もう、巻き込まれてるよ」

 

 静かな声だった。

 

「でも、大丈夫。

 役割は分かれてる」

 

 俺は、深く息を吸う。

 

「……俺は、料理を見る」

 

「私は、体を見る」

 

 二人で、視線を合わせる。

 

 それだけで、十分だった。

 

 後宮の夜は、静かだ。

 だが、確実に何かが進んでいる。

 

 俺と猫姉は、

 目立たない場所で、

 一歩ずつ、核心に近づいていた。

 

 ――料理で人を弱らせる。

 

 そんなやり方を、

 見逃すつもりはなかった。

 翌朝の厨房は、静かだった。

 

 宴の後ということもあり、動きは少ない。

 それでも、下拵えは止まらない。

 後宮では、次の食事が常に控えている。

 

 俺は、猫姉から少し離れた位置で、作業台の一つを借りていた。

 表向きは、今日の仕込みを手伝う外部料理人。

 実際は――観察役だ。

 

 目を向けているのは、下拵え担当の一人。

 

 年は三十前後。

 動きに無駄はなく、経験もある。

 包丁の扱いも、決して下手ではない。

 

 だからこそ、妙だった。

 

 肉を置く。

 繊維を確認する。

 ここまでは正しい。

 

 だが、包丁を入れる角度が、ほんの少し違う。

 

 ――断ち切らない。

 

 繊維に沿うのではなく、押し潰すように刃を入れている。

 力の入れ方も、一定だ。

 

 偶然じゃない。

 

 俺は、別の台で野菜を切りながら、視界の端でその動きを追う。

 あからさまに見ない。

 料理人同士、互いの手元を気にしすぎるのは不自然だ。

 

 別の下拵え担当が声をかける。

 

「その切り方だと、硬くならないか?」

 

 普通の疑問。

 だが、返ってきた答えは淡々としていた。

 

「問題ない。

 後で火を弱める」

 

 理屈は通っている。

 だが、最適解じゃない。

 

 俺は、わざと独り言のように呟いた。

 

「……体調が良くない人向けなら、

 もう少し繊維を断った方がいいと思うけど」

 

 直接は見ない。

 あくまで、一般論だ。

 

 下拵え担当は、一瞬だけこちらを見た。

 

 ほんの一瞬。

 だが、確かに“意識した”。

 

「そういう指示は、出ていない」

 

 それだけ言って、作業に戻る。

 

 指示。

 

 胸の中で、言葉が引っかかる。

 

 俺は、包丁を置き、布で手を拭く。

 

 別の肉を手に取り、同じ切り方を再現してみせる。

 繊維を押す切り方。

 

「こう?」

 

 独り言のように。

 

「……いや」

 

 わずかに、声が漏れた。

 

「こうだ」

 

 今度は、繊維を断つ。

 刃の入りが、まるで違う。

 

 下拵え担当の手が、止まった。

 

 誰も見ていないようで、

 料理人は、こういう差を見逃さない。

 

「……慣れだ」

 

 彼は、そう言った。

 

「今の切り方に、慣れてるだけだ」

 

 慣れ。

 

 それは、嘘ではない。

 だが、言い切るには弱い。

 

 俺は、軽く頷いた。

 

「そうかもね」

 

 追及しない。

 詰めない。

 

 後宮では、問い詰めた方が負ける。

 

 その後も、観察を続ける。

 

 包丁は、同じものを使っている。

 だが、研ぎ方が違う。

 

 刃先が、ほんのわずかに立ちすぎている。

 繊維を“切る”より、“押す”ための研ぎだ。

 

 偶然ではない。

 

 しかも、その包丁は――

 料理長の管理下にあるはずのものだった。

 

 俺は、心の中で整理する。

 

 ・切り方は意図的

 ・包丁も、それに合わせている

 ・本人は「指示」と言った

 

 つまり。

 

 この下拵え担当は、

 “やり方”を教えられている。

 

 だが、目的までは知らない。

 

 昼前、猫姉とすれ違いざまに目が合う。

 

 何も言わない。

 だが、俺は小さく指を二本立てた。

 

 ――二段階。

 

 猫姉は、わずかに頷いた。

 

 下拵え担当は、

 ただ言われた通りに切っただけ。

 

 その先にいる誰かが、

 体調と料理の関係を理解している。

 

 俺は、包丁を布で包みながら、静かに思った。

 

 ――これは、

 料理を知っている人間の仕業だ。

 

 そして、

 その人間は、

 まだ厨房の中にいる。

 主賓の部屋の前は、思ったよりも静かだった。

 

 警備はいる。

 だが、緊張はしていない。

 

 ――少なくとも、急変は起きていない。

 

「……まだ、大丈夫そうだね」

 

 猫姉が、声を落として言った。

 

「倒れるほどじゃない?」

 

「うん。

 でも、“良くもなってない”」

 

 その言い方が、気になった。

 

 部屋の中に入ることはできない。

 だが、猫姉は下女から、必要最低限の情報だけを集めていた。

 

 食事量。

 水の摂取。

 睡眠の浅さ。

 息切れの頻度。

 

 どれも、致命的ではない。

 だが、揃いすぎている。

 

「……薬は?」

 

 俺が小声で聞く。

 

「効いてる」

 

 即答だった。

 

「正確には、

 “効くはずの分”は、ちゃんと効いてる」

 

「じゃあ、なんで――」

 

「戻らない」

 

 猫姉は、腕を組んで考え込む。

 

「回復の速度が、

 本来の半分以下」

 

 俺は、昨日の料理を思い出した。

 

 滋養。

 刺激を避けた構成。

 一見、理想的。

 

 でも――

 

「……食後の様子は?」

 

「胃もたれ。

 軽い息苦しさ。

 あと、妙に眠い」

 

 眠い、という言葉に、引っかかる。

 

「それ、薬の副作用じゃない?」

 

「違う」

 

 きっぱり否定された。

 

「量も、種類も合ってる。

 むしろ、効きすぎるはず」

 

 猫姉は、しばらく黙り込んだ。

 

 視線は、床ではなく、空を見ている。

 考えを組み立てる時の癖だ。

 

「……栄養は、足りてる?」

 

「料理としては、ね」

 

 俺は、慎重に言葉を選ぶ。

 

「でも、

 “取り込めてない”感じはする」

 

 猫姉が、こちらを見る。

 

「どういう意味」

 

「噛む回数が多かった。

 消化に時間がかかる」

 

 一拍。

 

「……吸収が、遅れる」

 

 猫姉が、ぽつりと言った。

 

「だから、

 薬が効く前に、

 体が疲れる」

 

 言葉が、繋がる。

 

「薬は、効いてる。

 でも、回復の材料が、

 間に合ってない」

 

「つまり」

 

 俺が続ける。

 

「“治す”力はあるけど、

 “立て直す”力が足りない」

 

 猫姉は、ゆっくり頷いた。

 

「……そう」

 

 そして、深く息を吐く。

 

「毒じゃない。

 病気でもない。

 薬も間違ってない」

 

 指を一本ずつ折る。

 

「でも、

 食事が、

 今の体に合ってない」

 

 俺は、はっきり言った。

 

「合ってないどころか、

 “逆効果”だ」

 

 猫姉の目が、細くなる。

 

「……料理で、

 回復を遅らせてる」

 

 その言葉は、

 怒りよりも、呆れに近かった。

 

「こんなの、

 薬屋泣かせだよ」

 

「料理人もだ」

 

 思わず返すと、

 猫姉は、ほんの一瞬だけ笑った。

 

 すぐに、仕事の顔に戻る。

 

「でも、これで分かった」

 

「何が?」

 

「狙い」

 

 声が、低くなる。

 

「倒す気はない。

 目立たせる気もない」

 

 指を折り、最後に言う。

 

「“回復させない”だけ」

 

 それが、どれほど厄介か。

 

 俺は、昨日の宴を思い出す。

 

 誰も気づかなかった。

 誰も騒がなかった。

 

 だからこそ、

 この状態は続く。

 

「……猫姉」

 

「なに」

 

「これ、

 料理を変えない限り、

 ずっとだ」

 

「そうだね」

 

 即答だった。

 

「だから、

 次の食事が勝負」

 

 視線が、真っ直ぐこちらに向く。

 

「マオ」

 

 はっきりとした声。

 

「次は、

 “回復する料理”を出す」

 

 俺は、強く頷いた。

 

「任せて」

 

 包丁を持つ手に、

 自然と力が入る。

 

 料理で弱らせるなら、

 料理で取り戻す。

 

 それが、

 料理人としての答えだ。

 

 そして――

 

 この時、俺たちは確信していた。

 

 この事件は、

 薬でも、

 毒でもなく。

 

 食事そのものが、

 仕組まれていたのだと。

 その日の午後、俺と猫姉は、同じ場所にいなかった。

 

 それは偶然じゃない。

 同時に動くと、目立つ。

 

 だから、別々に集めたものを、

 “すれ違いざま”に繋ぐ。

 

 後宮では、それが一番安全だ。

 

 猫姉が、先に戻ってきた。

 

 何事もなかった顔で、

 帳面を抱えている。

 

 俺は、食材庫の整理を手伝っていた体で、

 彼女とすれ違った。

 

 視線が、一瞬だけ交わる。

 

 ――分かった。

 

 俺が、先に口を開く。

 

「下拵えの切り方、

 やっぱり一人だけじゃない」

 

「複数?」

 

「同じ“教え方”をされてる。

 包丁も、研ぎ方も」

 

 猫姉は、歩きながら小さく頷く。

 

「主賓の食事、

 全部同じ傾向だった」

 

「消化に負担がかかる?」

 

「うん。

 しかも、滋養は“入ってる”」

 

 その言い方で、確信が深まる。

 

 俺は、声を落とした。

 

「……体調を知らないと、

 選ばない構成だ」

 

 猫姉が、ぴたりと足を止める。

 

 誰もいない回廊の角。

 

「そこ」

 

 低い声。

 

「私も、そこに引っかかった」

 

 帳面を、軽く指で叩く。

 

「体調は、

 医官と一部の側近しか知らない」

 

「厨房には、直接伝わらないはず」

 

「だから」

 

 猫姉は、静かに言った。

 

「料理の内容だけが、

 “調整”されてる」

 

 言葉が、ぴたりと噛み合う。

 

 誰かが、

 体調を知っていて、

 料理を分かっていて、

 直接手は下していない。

 

「指示は、

 “切り方”だけ」

 

 俺が続ける。

 

「味も、材料も変えない。

 だから、

 料理長も気づかない」

 

「下拵え担当も、

 理由までは知らない」

 

 猫姉が、短く息を吐く。

 

「……厄介だね」

 

 その言葉には、

 怒りよりも、納得が混じっていた。

 

「犯人は、

 “料理を使った”つもりもない」

 

「ただ、

 “回復を遅らせた”だけ」

 

 俺は、回廊の先を見た。

 

 警備が行き交う。

 人の気配が戻りつつある。

 

「目的は、

 時間を稼ぐことだ」

 

 猫姉が、頷く。

 

「主賓が回復しなければ、

 決裁が遅れる」

 

「判断が鈍る」

 

「立場が、揺れる」

 

 後宮では、

 それだけで十分だ。

 

「でも」

 

 猫姉が、俺を見る。

 

「決定的な証拠は、ない」

 

「うん」

 

 即答だった。

 

「料理は、

 “間違ってない”」

 

 だから、

 誰も罪に問えない。

 

 猫姉は、しばらく黙っていた。

 

 そして、ぽつりと呟く。

 

「……だから、

 次の食事を変えるしかない」

 

 俺は、深く頷いた。

 

「向こうは、

 “続く”前提で組んでる」

 

「なら、

 続かせない」

 

 二人の視線が、重なる。

 

 言葉は、もう必要なかった。

 

 犯人の輪郭は、見えた。

 

 だが、

 名指しはできない。

 

 後宮では、

 それが“解決”だ。

 

 だから、俺たちがやるべきことは、

 ただ一つ。

 

 ――結果を、変える。

 

 料理で奪われた回復を、

 料理で取り戻す。

 

 静かに、

 誰にも気づかれない形で。

 

 俺は、包丁の柄に触れた。

 

 猫姉は、帳面を閉じた。

 

 次の食事まで、

 時間は、そう多くない。

 

 だが、足りる。

 

 この後宮で、

 一番確かなものは――

 

 人の体と、

 それに向き合う知識だけだ。

 

 俺たちは、

 同じ方向を見て、

 静かに動き出した。

 

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