薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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故郷 六

 紙屋でも蝋の店でも、同じだった。こちらが「梅花みたいな印」「湿気を弾く厚紙」「細い絹紐」と口にした瞬間、相手の舌が引っ込む。脅された様子はない。怒鳴り声も刃物も出てこない。なのに、笑いが消えて、目が泳いで、会話が終わる。俺はその“終わり方”が妙に腹に残って、炭の匂いの方へ逃げるように歩いた。

 

「猫姉、結局、あの人たちは何が怖いんでしょう」

 

「怖いんじゃない」猫姉は肉串を受け取り、塩を指で軽く落としてから言った。「損するのが嫌」

 

「損……ですか」

 

「商人は命より帳尻。命が危ないなら逃げる。でも逃げないで黙るのは、逃げるともっと損するから」

 

 猫姉は串をかじり、噛みながら視線を通りへ滑らせた。屋台の笑い声の中で、猫姉の目だけが冷たい。俺はその目線の先に、小さな荷車が通るのを見つけた。昨日も見た、やけに丁寧な包み方。厚い紙、細い絹紐、蝋印。花街の雑踏の中で、そこだけ礼儀正しい。

 

「猫姉、また来ました」

 

「うん。来るのが日課」猫姉は口の端だけで言った。「日課なら、誰かが運んでる。運ぶのは、商人じゃない」

 

「……届け役」

 

「そう。商人が黙るのは、届け役に繋がる“筋”を切られたくないから。材料を回してもらえなくなる。店が死ぬ」

 

 なるほど、と思った。料理でも同じだ。食材の筋を握られたら、腕があっても鍋が空になる。脅しじゃない。生活の首を絞る圧だ。

 

「じゃあ、その筋を握ってるのは、丁寧な男ですか」

 

「丁寧な男は表」猫姉は串をもう一口。「表で金を払う係。裏で“黙れ”を運ぶ係は別」

 

「黙れを運ぶ……」

 

「言い方が大げさ」猫姉は面倒そうに眉を動かした。「要は、商人が黙る条件があるってこと。条件を逆算する」

 

 猫姉が串を食べ終え、指を拭いた。その布をしまう動作が、やけに手早い。考えがまとまった時の癖だ。

 

「逆算って、どうやって」

 

「黙ったのは誰?」猫姉が指を折る。「紙屋、蝋の職人、香油屋は半分だけ喋った。練香屋は“手順”は喋ったけど“客”は濁した。共通点は、例の包みを扱える人間」

 

「包みを扱える人間が、黙る」

 

「うん。で、黙らなかったのは?」猫姉が俺を見た。

 

「……肉串の親父は普通に桂花油を話しました」

 

「そう。あれは“食べ物の香り”。後宮筋の包みと繋がらないから喋れる。つまり、黙るのは“後宮へ繋がる包み”を扱う側。じゃあ次に狙うのは、包みを扱うけど、筋の中では弱い立場の人」

 

「弱い立場……見習いとか、使い走りとか」

 

「そう。末端の末端」猫姉は言い切り、屋台の端へ顎をしゃくった。「ほら」

 

 そこにいたのは、荷車を押していた若い男じゃない。女でもない。小柄な子どもだ。年の頃は十かそこら。腰に結び紐の束を下げ、包みを抱えて小走りに路地へ入っていく。身なりは地味で、目立たない。けれど動きは慣れている。人混みをすり抜けるのが上手い。

 

「……あんな子が?」

 

「目立たない。疑われにくい。捕まっても“知らない”で済む」猫姉の声は淡々としている。「商人は黙っても、その子は黙る理由が薄い。損得を知らないか、損得を教えられてない」

 

「でも、怖がって逃げませんか」

 

「逃げる」猫姉は即答した。「だから、逃げない状況を作る」

 

 猫姉は屋台の親父に追加で串を二本頼んだ。一本は塩、一本はタレ。親父が不思議そうな顔をする。

 

「食うのかい? さっき食ったろ」

 

「食う」猫姉は短く言った。「あと、これ包んで。小さいの」

 

 親父が笑って、小さく包んでくれた。猫姉はその包みを俺に持たせ、子どもが入っていった路地へ迷いなく向かった。俺は追いかけながら、さっきの話を噛みしめていた。口封じじゃない。沈黙の圧。圧があるなら、その圧が届きにくい場所がある。末端の末端だ。

 

 路地の先は、井戸端だった。洗い物の水音と、干し布の匂い。子どもは包みを一度地面に置き、腕で額の汗を拭っている。猫姉は、そこへ普通に歩いていって、普通に声をかけた。

 

「それ、重い?」

 

 子どもがびくっとして振り向く。逃げる一歩手前の目だ。俺は半歩後ろに立って、威圧しないように手を見せたまま、静かに頭を下げた。

 

「驚かせてすみません。俺たち、怪しい者じゃありません」

 

「怪しい奴がそう言うんだよ!」と子どもは言うが、声が裏返っている。

 

 猫姉は気にしない。袖から肉串の小包みを出し、井戸端の石に置いた。

 

「これ、食べる?」

 

 子どもの目が串へ吸い寄せられた。腹が鳴る音が、こっちまで聞こえた気がした。猫姉が淡々と続ける。

 

「条件。食べていい。その代わり、ひとつだけ教えて」

 

「……な、なに」

 

「その包み、どこに運ぶの」

 

 子どもは固まった。猫姉は畳みかけない。串を指で少し押して、肉の匂いを立たせるだけ。黙って待つ。焦らせない。逃げ道を作る。俺はそのやり方に、妙な安心を覚えた。料理の火入れに似ている。急がない方が、芯まで通る。

 

「……言ったら、怒られる」

 

「誰に」猫姉は平然と聞いた。

 

「……知らない」子どもは唇を噛む。「“喋るな”って言われた。喋ると、次の仕事がなくなるって」

 

 猫姉の目が少しだけ細くなった。やっぱりだ。暴力じゃない。仕事を切る圧だ。

 

「次の仕事がなくなると困る?」

 

「困る!」子どもが即答した。「飯が……」

 

「じゃあ、困らせない話だけして」猫姉はさらっと言った。「名前は言わなくていい。場所だけ。どこに置くの」

 

 子どもはしばらく迷って、串を掴んだ。ひと口かじって、急いで飲み込む。その後で、声を絞り出した。

 

「……置くのは、あっちの角の茶屋の裏。夕方。井戸の向こうの物置に、まとめて。取りに来る人がいる」

 

「取りに来るのは誰?」俺が思わず聞くと、子どもは首を振る。

 

「顔、見ない。見ちゃだめって言われた。包みの蝋印だけ見て、同じ印の箱に入れる」

 

 猫姉が、香油屋の試料瓶をほんの少しだけ見せた。梅花みたいな蝋印。子どもはそれを見て、目を見開いた。

 

「それ……それと同じ」

 

「うん。だから探してる」猫姉は淡々と言った。「その茶屋、名前は?」

 

「……“白鈴”」

 

 猫姉が頷いた。俺も頷いた。ようやく、匂いが人の動線になった。油や香袋の手順だけでは、後宮へ戻っても決定打になりにくい。でも“受け渡し場所”が分かれば、次は物が取れる。包材も、蝋印も、絹紐も、同じ手の癖も。

 

 子どもは串を必死に食べている。猫姉はその様子を見て、少しだけ声を落とした。

 

「今日は、誰にも言わなくていい。あなたは何も言ってない。分かった?」

 

「……うん」

 

「仕事、なくならないよ」猫姉は断言した。「なくなる方が面倒。面倒は私が嫌い」

 

 子どもは意味が分からない顔をしたが、猫姉の声が妙に落ち着いているせいか、逃げる気配は薄れた。俺は胸の奥で息を吐いた。末端の末端――確かに、ここが穴だった。

 

「猫姉、これで次は張り込みですか」

 

「張り込み」猫姉は言い切った。「商人が喋らない理由は分かった。喋らせるんじゃない。喋らなくても取れる証拠を取る」

 

 猫姉の視線が、夕方の光の落ちる路地の角へ向いた。白鈴の茶屋。物置。蝋印の箱。匂いの嘘は、とうとう“場所”を持った。

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