薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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小蘭のお弁当作戦 Ⅰ

 遠いのに、耳の奥に残る。金具が噛む乾いた音。春先の風が廊下を抜け、木の匂いを運んでくるのに、向こうへは行けない。

 

「ねえ、もうさぁ……外、無理なの分かってるけどさぁ」

 

 小蘭が頬を膨らませ、洗い桶の縁を指でとんとん叩いた。水が小さく跳ねて、袖を濡らす。

 

「庭でもいいの。せめて、庭!」

 

「庭は外じゃない」

 

 猫姉が淡々と言う。声は丁寧なのに、言い方が切れている。

 

 小蘭は反射で食い下がる。

 

「外じゃないけど、空が見えるもん! それに、日なたあるもん!」

 

「日なたは虫もある」

 

「虫は……うっ」

 

 小蘭が一瞬詰まった。そこへ、子翠がすっと割り込む。足音が軽い。言葉も軽い。

 

「じゃあさ、日陰で食べればいいじゃない」

 

「……食べる?」

 

 小蘭の目がぱっと開く。猫姉は子翠を見て、次に小蘭を見る。視線だけで、桶の水滴を片づけるみたいに場を整える。

 

「庭で食べるなら、条件がいる」

 

「条件!」

 

 小蘭が嬉しそうに復唱した。子翠が笑って、指を一本立てる。

 

「ひとつめ。食べ物がいる」

 

「当たり前だろ」

 

 口を挟んだのは俺だった。

 

 包丁を置き、濡れ布巾で指先を拭く。厨房の奥で鶏肉を切っていたら、さっきから声が跳ねている。跳ねる声は嫌いじゃないが、こっちの手が止まる。

 

「猫姉、また面倒——」

 

「面倒じゃない。日常」

 

 猫姉がかぶせる。顔は動かないのに、言い方だけが早い。

 

「マオ、手」

 

「はいはい」

 

 言われる前から洗ってる。けど、言われると洗い直したくなるのが悔しい。爪の間までこすり、桶の水を替える音を聞いて、息を吐いた。

 

 小蘭が身を乗り出す。

 

「マオも来るの? 庭で?」

 

「来るっていうか、呼ばれたっていうか」

 

「呼んだ」

 

 猫姉が即答した。子翠が目を細める。からかう前の顔だ。

 

「ふふ。仲いいねえ」

 

「うるさい」

 

 小蘭が笑って、桶の水を替えに走った。足が速い。洗濯場の床板が小さく鳴る。

 

 子翠は俺の手元を覗きこむ。

 

「なに作ってたの?」

 

「まだ決めてない。弁当って言われても、急だろ」

 

「急じゃないよ。今日やるって今決めたんだもん」

 

「それが急なんだよ」

 

 言い返しながらも、頭の中で小さく皿が並ぶ。庭。風。砂。虫。汁物は危ない。油も飛ぶ。熱いのも冷たいのも、扱いが難しい。

 

 猫姉が、そこで一拍置いた。

 

「ひと口ずつ交換にする」

 

「交換?」

 

 小蘭が戻ってきた。濡れた手を振って、水滴を飛ばしそうになる。猫姉がちらっと見る。小蘭はぴたっと止まって、手拭いで拭いた。

 

 猫姉は続ける。料理の話じゃない。遊び方の話だ。

 

「各自、小さい箱を作る。ひと口サイズで。交換して食べる」

 

「それ、いい!」

 

 小蘭の声が弾む。子翠も乗る。

 

「色んなの出せるね。地元のやつとか」

 

「地元?」

 

 俺が言うと、小蘭が頷きすぎて首が痛そうだった。

 

「そう! みんなの! 小蘭の村の! 子翠のところの! 猫姉の——」

 

「私は、別に」

 

 猫姉が遮る。遮るけど、否定の熱がない。

 

 子翠が首を傾げる。

 

「猫猫は地元、ないの?」

 

 猫姉は答えず、俺を見る。視線がまっすぐで、逃げ道がないやつ。

 

「……昔、マオが作ってくれた、生姜と葱のとろい粥」

 

 言い切って、そこで止まった。

 

 小蘭が「えっ」と声を漏らし、子翠が「へええ」と伸ばす。猫姉は気にしない顔を作っている。作っているだけで、耳が少し赤い気がしたのは気のせいにしておく。

 

「猫姉、それ弁当じゃ——」

 

「小椀なら弁当」

 

「理屈が雑」

 

「ひと口でいい。喉が通る」

 

 猫姉は料理の善し悪しを語らない。そこだけだ。条件と結果だけを置いていく。

 

 俺は負けた気がして、包丁を取り直した。

 

「分かったよ。小椀で。熱すぎないやつな」

 

 小蘭がぱん、と手を叩いた。

 

「猫姉の弁当、決まった!」

 

「決まってない。監視する」

 

「監視って言っちゃうんだ」

 

 子翠が面白がる。猫姉は面白がらない。

 

「庭は砂が入る。手は洗う。蓋は要る。時間は短く」

 

「はい!」

 

 小蘭が元気に返事をして、すぐ首を傾げる。

 

「交換って、どうやって交換するの?」

 

 子翠が待ってましたとばかりに、袖から木札を出した。どこから出したんだ、それ。

 

「札! これでね、番号つけて——」

 

「絵は描かないで」

 

 猫姉が食い気味に言う。

 

「えー、描くとかわいいのに」

 

「かわいさはいらない。戻す」

 

「戻すのが大事なのは分かるけどぉ」

 

 子翠が口を尖らせ、小蘭が笑う。笑い声が乾いた廊下に跳ねて、少しだけ外の風みたいになる。

 

 俺は鶏肉をひと口サイズに切り分けた。包丁がまな板に当たる音が、一定のリズムになる。油は控える。香りは立てすぎない。冷めても崩れない味に寄せる。

 

 猫姉が背中越しに言った。

 

「マオ。箱、四つ」

 

「四つ?」

 

「四つ。交換会だから」

 

「猫姉、俺まで数に入ってるのか」

 

「入ってる」

 

「雑」

 

「役に立つから」

 

 言い方がいつものやつで、少し肩の力が抜けた。

 

 庭で食べるだけ。外に出られない鬱屈を、ひと口の箱で誤魔化すだけ。なのに、手元が忙しくなると、妙に前を見られる。

 

 小蘭が炊事場の端で小さな箱を広げ、「ここに甘いの入れたい!」と騒いでいる。子翠は札にこっそり点を打とうとして、猫姉に視線で刺されている。

 

 猫姉は、言葉を増やさない。増やさないまま、手洗いの桶を替え、蓋に布をかけ、日陰の場所を指で示す。

 

 今日の庭は、外じゃない外になる。

 

 ひと口ずつ、交換して。

 

 それだけで、たぶん、息が通る。

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