薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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小蘭のお弁当作戦 弐

 包丁の音が、いつもより軽い。

 ひと口サイズに揃えるだけで、こんなに神経が削れるとは思わなかった。

 

 鶏肉を薄く切る。厚いと噛む。薄すぎると冷めた瞬間、味が飛ぶ。胡麻だれは別にして、あとから絡める。庭の風で砂が入るのが怖いから、蓋。蓋の裏に布も——と、頭の中で段取りが増えていく。

 

 その段取りの端っこに、猫姉がいる。

 台所の隅、柱にもたれて座って、何も言わずに見ているだけ。なのに、勝手に背筋が伸びる。

 

「ねえねえ、見て! 花の形!」

 

 小蘭が生地を持ち上げた。白い粉がふわっと舞い、光の筋に乗って広がる。

 

 猫姉の目だけが動いた。

 小蘭の指先、粉、鼻先。

 

「……息、止めない。離れて」

 

「えっ、わ、わかった!」

 

 小蘭が慌てて一歩下がり、手拭いで鼻を押さえる。勢いはあるけど、言われたら従う。そういうところが助かる。

 

 その横で子翠が、木札を並べていた。

 薄い板に穴を開け、紐を通して、指先でくるくる回す。楽しそうな顔が危ない。

 

「札、かわいくしたいなあ。葉っぱの絵とか——」

 

「子翠、絵は描かないで」

 

 猫姉の声が落ちる。低いわけじゃない。淡々としているだけなのに、子翠の手がぴたっと止まった。

 

「えー、でも分かりやすいよ?」

 

「分かりやすいのは番号。戻すのも番号」

 

「猫猫、まじめぇ」

 

「戻らないのが一番困る」

 

 子翠が口を尖らせつつも、札を机に揃え直す。

 猫姉はそれ以上言わない。勝った顔もしない。視線を俺のまな板へ戻した。

 

 俺は胡麻をすり鉢に落とす。香りが立つ。立ちすぎる前に、蓋。

 そこへ、子翠の声が滑り込んだ。

 

「マオのは地元の味っていうか、旅の味って感じ?」

 

「地元も旅も、後宮じゃ同じだよ。食べやすいかどうか」

 

 言いながら、指先が胡麻だれに触れそうになる。

 味見——と思った瞬間、背中に針が刺さった。

 

「マオ。舐めないの」

 

「……分かった」

 

 返事が短くなる。猫姉に言われると、言い訳が浮かばない。

 代わりに、匙で少しだけ取り、別皿に落として舌先で確かめた。塩が立つ。砂糖は控える。冷めたときに甘さだけ残るのが嫌だ。

 

 小蘭が粉だらけの指を見て、きょろきょろした。

 

「手、洗ってくる!」

 

 走り出しかけて、猫姉の視線に止められる。

 小蘭は「あっ」と言って、粉を払わずに桶へ向かった。賢い。

 

 猫姉が俺の横に来た。近いのに、匂いが薄い。薬の匂いでも香でもない、ただの清潔な布の匂い。

 

「猫姉のは……粥でいいんだよな」

 

「ひと口でいい」

 

「生姜、強くする?」

 

「強くしない。喉が通るほう」

 

 短い返事。

 でも、昔の夜みたいな温度が混ざる。あのとろみ。葱の匂い。湯気が袖に触れる感覚。言葉にしないからこそ、手が勝手に覚えている。

 

 俺が鍋に湯を張ると、猫姉は葱を刻み始めた。料理の手付きじゃない。薬を刻む時と同じ、無駄のない動き。刻んだ葱を小皿に寄せ、こちらへ滑らせる。

 

「……監視は?」

 

「監視しながら切る」

 

「器用だな」

 

「慣れ」

 

 それで終わり。

 小蘭が戻ってきて、手をぶんぶん振りそうになり、猫姉の目を見て、静かに拭いた。子翠は札の紐を結びながら、こっそり笑っている。

 

 机の上に、小さな箱が四つ並ぶ。

 木札が四枚。蓋が四つ。布が四枚。

 

 猫姉が札を数える。指で叩くみたいに、一定の間で。

 

「交換の順番、決める」

 

「順番って、くじ引き?」

 

 小蘭が目を輝かせる。

 

「くじは札が散る」

 

 猫姉の一言で、小蘭が口を閉じた。

 子翠が「じゃあ回す?」と軽く言い、猫姉が頷く。

 

「一往復ずつ。手渡し。落とさない」

 

 俺は蓋を指で押さえ、ひとつ試しに持ち上げた。軽い。軽すぎて、風に負けそうだ。

 だから、布をかける。紐で留める。

 

 庭に出る前の準備なのに、もう庭の風がここに入ってきている気がした。

 その風を、猫姉の視線が一本の線みたいに切ってくれる。

 

「マオ」

 

「ん?」

 

「あんた、焦ると手元が雑」

 

「……見てるから言うな」

 

「見てるから言う」

 

 猫姉はそう言って、また隅へ戻った。

 小蘭が箱を抱えて「かわいい!」と笑い、子翠が札をくるくる回し、俺は胡麻だれの香りを蓋で閉じ込める。

 

 庭での“ひと口”は、台所のこの瞬間から始まっている。

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