薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

67 / 100
小蘭のお弁当作戦 参

 すり鉢の底で、胡麻がひと粒だけ跳ねた。

 乾いた音がして、香りが立つ。鼻の奥にすっと入って、すぐ消える。

 

 台所の隅に猫姉がいる。

 座っているだけ。なのに、手元が勝手に整う。布巾の端を揃え、匙を置く向きまで気になる。

 

「ねえマオ、これ、もう食べていい?」

 

 子翠の声が軽い。軽すぎて、怖い。

 振り向くと、胡麻だれの小皿を両手で持って、目だけきらきらさせていた。

 

「ひと口なら」

 

 言い終える前に、猫姉の視線が刺さる。

 

「マオ。ひと口、って言う時は量を決める」

 

「……匙一つぶん」

 

 子翠がにこっとして、匙を差し入れた。

 舌先で確かめる。目が細くなる。次の瞬間、もう一回いきそうな指が動く。

 

「子翠、舐めないの」

 

「舐めてないよ? 味見だよ?」

 

「味見は一回」

 

 猫姉の声は低くない。淡々としているだけ。

 それなのに、子翠の手がぴたりと止まる。面白がる顔のまま、引っ込めた。

 

 小蘭は小さな蒸し布を広げて、花巻の生地を抱えている。

 粉が舞いそうで、息を吸うのも慎重になる。

 

「見て見て、これ、うさぎっぽくない?」

 

「うさぎは食べる前に手を洗う」

 

「はーい!」

 

 小蘭が走り出し、猫姉の目に気づいて途中で速度を落とす。

 戻ってきた手を振りそうになって、また止まる。拭く。従う。可愛い。

 

 俺は胡麻だれを練っていく。

 砂糖を控え、塩を少し。酢を落とすと、香りがふわっと丸くなる。鶏肉は冷めても固くならないよう、火を通しすぎない。庭の風に負けない味にする。

 

 すり鉢を傾けた瞬間、違和感が来た。

 底が見える。早い。

 

「……あれ」

 

 棚の袋を開ける。中身が、軽い。

 子翠を見る。子翠は視線を逸らさない。逸らさないまま、笑う。

 

「えへ」

 

「子翠」

 

「だってさ、止められなかったんだもん。おいしかったし」

 

 怒る気が削がれる言い方だった。

 猫姉は言葉を足さない。子翠の指先と、空の袋と、俺のすり鉢を同じ目で見ている。

 

 小蘭が不安そうに覗き込む。

 

「胡麻、なくなっちゃったの?」

 

「なくなってない。足りないだけ」

 

 口に出すと、余計に足りない気がする。

 庭弁当会の看板になる味だ。ここで崩したくない。

 

 棚の奥に落花生の袋がある。

 香りは違う。けど、寄せられる。粗く砕けば、胡麻の粒感に似る。舌に残る油も、冷めた時に嫌な重さになりにくい。

 

 猫姉が短く言った。

 

「香り、強くしないで」

 

「分かってる」

 

 落花生を乾いた鍋で軽く煎る。焦がさない。色が変わる手前で止め、すり鉢に落とす。

 胡麻と合わせると、香りが少しだけ前に出る。そこへ白胡椒をほんのひとつまみ。尖らせず、輪郭だけ作る。

 

 子翠が目を丸くする。

 

「それ、地元の味?」

 

「今ここで作った味」

 

「かっこいい!」

 

「かっこよくない。黙ってて」

 

 鶏肉を和える。指で触れない。箸で返す。

 たれが薄くまとい、艶が出る。香りが立ったところで蓋をする。布をかける。紐を結ぶ。

 

 猫姉がこちらを見た。頷きは小さい。

 それだけで、胸の奥が少し軽くなる。

 

 小蘭が手を差し出す。

 

「ねえ、味見していい? ひと口!」

 

「匙一つぶん」

 

「うん!」

 

 子翠がすぐ横で言った。

 

「……二つぶん?」

 

「子翠は一つ」

 

「えー」

 

「えーじゃない」

 

 猫姉の声が落ちる。子翠が笑いを噛み殺す。小蘭が肩を揺らす。

 台所の空気が、外に出られない日々より少しだけ明るい。

 

 庭へ行く前に、もう一回だけ桶を替えた。

 水の音が静かに鳴る。猫姉の監視は、怒鳴らないまま、ちゃんと日常を守っている。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。