包みを持った小蘭は、歩くたびに揺れていた。中身じゃなくて、本人がだ。
「ねえ、絶対よろこぶって! だって甘い匂いするし!」
「甘い匂いがするから、だよ」
猫姉が先を歩いたまま言う。振り向かない。言い方だけで止めにくる。
廊下の角を曲がるたび、包みの隙間から香りが漏れた。蜜を煮詰めた匂いに、炒った粉の香ばしさ。悪くない。むしろ腹は鳴る。けど、診療の合間に入る匂いかと言われると、少し重い。
子翠はそこを気にしない顔で、包みの端をつついていた。
「やぶ医者、いつも苦い顔してるし。たまには甘いので機嫌よくなるかも」
「それ、治し方が雑だな」
「マオの料理はいつも丁寧なのに、言うことは雑だね」
「うるさい」
言い返したところで、猫姉が障子を軽く叩いた。
「失礼します」
中から、気の抜けたような声が返る。
「……入れ」
薬の匂いが先に来た。乾いた草と、紙と、少し湿った棚板の匂い。その中に甘い香りが滑り込むと、部屋の空気が一瞬だけちぐはぐになる。
やぶ医者は机に肘をつき、こめかみを押さえていた。書き散らした紙の端がずれていて、筆も立てたまま。顔を上げた途端、こっちの包みを見て、眉の間にしわが寄る。
「……なんだ、その景気のいい匂いは」
小蘭がぱっと前に出る。
「差し入れです! 庭で食べたの、すっごくおいしくて、だから——」
「待って」
猫姉が小蘭の袖を軽く引いた。強くない。けど、そこで小蘭はちゃんと止まる。
猫姉の目は、包みじゃなく、やぶ医者の口元を見ていた。乾いた唇。湯飲みの減り方。机の端に寄せた薬包紙。いつもの顔色より、少しだけくすんでいる。
「今、口が疲れてますか」
やぶ医者が、いやそうに鼻を鳴らす。
「お前は相変わらず、聞き方がかわいくないな」
「当たってますね」
「……まあな。朝から喉が渇く。甘いのは嫌いじゃないが、今は匂いだけで腹いっぱいだ」
小蘭の肩がしゅんと落ちた。子翠まで「ありゃ」と小さく言う。せっかく持ってきたのに、出す前から合わない。そういう時の空気は、甘い匂いほど重くなる。
包みを見て、やぶ医者がもう一度顔をしかめた。怒ってるんじゃない。疲れてる顔だ。
猫姉が横目で俺を見る。
「マオ」
「分かってる」
包みを受け取って、紐をほどく。中の甘味は悪くない出来だ。照りもある。香りも立ってる。けど、今のこの部屋には前に出すぎる。
机の端に置かれた湯飲みを見て、やぶ医者の指先を見る。紙をめくる手が少し荒れてる。診る手だ。合間に口へ入れるなら、噛む回数も、喉の通りも、香りの残り方も変えたほうがいい。
「猫姉、湯、借りる」
「使っていいです」
猫姉が先に返していた。もう棚の脇に寄って、邪魔にならない場所を空けている。
やぶ医者は俺を見て、次に猫姉を見た。口の端だけ、ほんの少し動く。
「……ふん。猫猫と違って、返事は素直だな」
「聞こえてます」
猫姉が即座に言う。
「聞かせてる」
やぶ医者が言い返す。小蘭が吹き出しかけて、子翠が肩を震わせる。
俺は笑いそうになるのを飲み込んで、包みの甘味を小さく切り分けた。甘い匂いはそのままに、口に残る重さだけ落とす。まずはそこからだ。
部屋の薬の匂いに、湯気の気配をひと筋だけ混ぜる。やぶ医者の苦い顔が、少しでもほどけるなら、それでいい。