薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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甘い匂い、苦い顔 四

咳の波が引いたあとの部屋は、急に広く感じた。

 やぶ医者が包んだ薬を下女に渡し、飲ませ方だけを短く言う。下女は何度も頭を下げて、障子の向こうへ消えていった。

 

 閉まる音がして、ようやく静けさが戻る。

 紙の端を指でそろえる音。筆を置く音。やぶ医者が一つ息を吐く音。

 

 苦い顔のまま、机に戻ってくる。

 

「……で、待たせた甘いのはどこだ」

 

 小蘭がぱっと明るくなる。けれど声はひそめたまま、こっちを指した。

 

「あります! 今度のは、もっと食べやすいの!」

 

「小蘭」

 

 猫姉が小さく呼ぶ。

 それだけで、小蘭は口を両手で押さえて、こくこく頷いた。

 

 俺は小机の皿を持って戻る。布を外すと、甘い匂いが細く立った。さっきより丸い。前へ出すぎない匂いだ。小さく切り直した分を、取りやすいように皿の端へ寄せる。

 

「先生、まず一つだけ」

 

「先生はやめろ。気味が悪い」

 

「じゃあ、やぶ医者さん」

 

「それも妙だな……まあいい」

 

 文句を言いながら、指はちゃんと皿へ伸びる。ひとつ摘まみ、口へ入れた。

 猫姉の目が、喉元を見る。俺もつられて見る。飲み込む前に顔をしかめないか、湯飲みへ急いで手が出ないか。

 

 やぶ医者は二、三度噛んで、そのまま飲み込んだ。少し遅れて湯飲みに手を伸ばす。ひと口すすって、眉間を押さえる。いつもの癖だ。

 

「……ああ」

 

 短い声だった。嫌な時の声じゃない。

 もう一つ、今度は間を空けずに取る。

 

 小蘭が肩を揺らして喜びかけて、猫姉の視線に気づいて飲み込む。子翠は口元だけで笑っている。

 

「さっきのより、ずっといいな」

 やぶ医者が皿を見たまま言う。「甘い匂いは残ってるのに、口がべたつかん。診る合間でも入る」

 

「よかったです」

 

 返すと、やぶ医者が鼻を鳴らした。

 

「返事が早い」

 それから、わざとらしく猫姉へ目をやる。「猫猫と違って、ほんと素直だな。いい子だ」

 

「聞こえてます」

 猫姉はいつもの顔で返した。「でも、役に立ったなら十分です」

 

「可愛げは相変わらずだな」

 

「要りません」

 

 間髪入れない返しに、子翠が肩を震わせる。小蘭は笑いをこらえきれず、膝に顔を伏せた。

 

 やぶ医者は三つ目を取る前に、皿の並びを見た。間隔を空けて置いた形、湯差しの位置、布の畳み方。視線が一つずつなぞっていく。

 

「……お前、手が丁寧だな、マオ」

 

 今度はからかう言い方じゃなかった。

 ぶっきらぼうで、でも雑じゃない声だった。

 

「猫姉がうるさいんで」

 

「マオ」

 

 猫姉の声が落ちる。

 怒ってはいない。けど、線を引く時の声だ。

 

「……猫姉が、ちゃんと見てるんで」

 言い直すと、やぶ医者がふっと鼻で笑った。

 

「そういうとこだ。素直でいい」

 

 褒めてるのか、からかってるのか、半分ずつの顔で、やぶ医者は皿を俺に押し返した。まだ一つ残っている。

 

「これはあとで食う。次のが来る前にな」

 机の端を指で叩く。「置いてけ。匂いはこのくらいなら邪魔にならん」

 

 礼は言わない。

 でも、下げるなとは言った。

 

 俺は皿を机の邪魔にならない端へずらし、布を半分だけかけた。猫姉は湯差しを少し奥へ。小蘭が包みを抱え直し、子翠が札でもないのに袖をさわって、ひとりで笑っている。

 

 苦い顔は、まだ苦いままだった。

 それでもさっきより、部屋の空気は少しだけやわらかい。薬の匂いの中に甘さが残っていても、もう喧嘩していなかった。

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