薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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香る客、甘い理由 弐

 シェルさんが包みを解くと、甘い匂いがふわりと広がった。花蜜の丸い甘さに、果実の明るい香りが重なる。強いのに、下品じゃない。さすがだと思うのと同時に、猫姉が先に布を見た理由も、すぐ分かった。

 

 包み布は厚手で、手触りのいいものだった。白いはずの布に、うっすらと蜜の色が移っている。シェルさんは鋼棍を壁際へ立てかけ、いつもの調子で笑った。

 

「どうだ。香り、悪くねえだろ」

 

「悪くありません」

 

 猫姉はそう返して、すぐ布の端をつまんだ。顔を寄せるけれど、鼻先を押しつけるような嗅ぎ方はしない。匂いの濃さを測るみたいに、一拍置いてから視線を上げる。

 

「強いです。菓子をどけても、残ります」

 

「残るって、いいことじゃないの?」

 

 小蘭が目をぱちぱちさせる。子翠も横から乗ってきた。

 

「だよね。いい匂いが長持ちするって、お得じゃん」

 

 猫姉はそこで言い返さない。代わりに、俺のほうを見た。説明じゃなく、手を出せ、の合図だ。俺は棚から、香りの弱い蒸し菓子をひとつ取った。甘さも軽い、喉に残りにくい、こっちではよくあるやつだ。

 

「これ、使うぞ」

 

 新しい皿を二枚出す。片方にはそのまま蒸し菓子。もう片方は、シェルさんの包み布を下に一枚だけ敷いて、その上へ同じものを置く。見た目はほとんど変わらない。変わるのは、近づいた時の空気だ。

 

 小蘭が先に身を乗り出した。左、右、と順に嗅いで、首をひねる。

 

「あれ。こっちのほう、甘い匂いがする」

 

「菓子は同じだよ?」

 

 子翠も顔を寄せる。今度はちゃんと、布に触らない。猫姉に見られているのを、もう覚えている。

 

「ほんとだ。こっちはまだ開けたてみたい」

 

 シェルさんの笑みが、そこで少しだけ引いた。機嫌が悪くなったんじゃない。職人の顔になっただけだ。俺はその変化が嫌いじゃない。

 

「……布に移ったか」

 

「布だけじゃないです」

 

 猫姉が静かに言う。皿の縁、布の折り返し、置いた位置を順に指で示した。

 

「箱も覚えます。蓋も。近くに置いたものへ、少しずつ移ります」

 

「味は変わってねえだろ?」

 

 シェルさんの問いはまっすぐだった。逃げる言い方をしないところが、この人らしい。猫姉も、そこは正面から返す。

 

「味そのものは、大きくは変わりません」

 

 そこで一度、言葉を切る。切ってから、蒸し菓子の手前で指を止めた。

 

「でも、先に匂いで決まります。喉の感じも、後味の見え方も」

 

 小蘭が「うーん」と唸る。分かったような、まだ半分みたいな顔だ。だから俺は、手で見せることにした。

 

 布を敷いたほうの蒸し菓子を、小さく割る。割った瞬間、元の軽い甘さより先に、華やかな香りがふっと立った。悪くない。悪くないけど、この菓子が持っていた静かな匂いは、一歩下がる。

 

「庭の時みたいに、順番で食べるなら困るんだよ」

 

 俺は、割った欠片を皿の上で少し離して置いた。

 

「最初にこういうのが来ると、次の淡い皿まで同じに感じる。軽いのを軽いまま出したい時、邪魔になる」

 

 シェルさんは黙って聞いていた。包み菓子じゃなく、俺の手元を見ている。どこで切って、どこで止めたか。そこを拾う目だ。

 

「なるほどな」

 

 低く落ちた声は、悔しがってるというより、噛みしめてる響きだった。

 

「香りを立てりゃ勝ち、って話じゃねえか」

 

「後宮では、そうです」

 

 猫姉がさらりと言う。きつくない。けれど、線ははっきり引く。

 

「先に嗅がせたい匂いと、後に残っていい匂いは違います」

 

 その一言で、部屋の空気が少し締まった。小蘭も子翠も、今度は茶化さない。シェルさんだけが、ふっと口の端を上げる。

 

「面白えな。菓子そのものじゃなく、置き方で止められるのか」

 

「止めてません」

 

 猫姉は即座に返した。

 

「通し方を見ています」

 

 シェルさんが、そこで声を立てて笑った。明るい笑いなのに、さっきより熱が深い。試されて、面白くなってる顔だった。

 

「いいねえ。そういうの、嫌いじゃねえ」

 

 俺は皿を引き寄せて、布をたたんだ。甘い匂いは、まだ指先に残っている。けれど、もう“いい匂い”だけじゃない。この先、どこへ移るかまで考える匂いだ。

 

 猫姉が布の端を見たまま、小さく言った。

 

「次は、順番です」

 

 その言い方で、次に何が起きるか、もう見えた。

 香りそのものより厄介なのは、香りが場をずらす時だ。

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