薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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香る客、甘い理由 参

 試しの盆を並べたのは、昼の火が少し落ち着いた頃だった。

 先に出すのは、香りの薄い蒸し菓子。喉に引っかかりにくくて、後味も軽い。そこへ、あとからシェルさんの包み菓子を重ねる――その順番で、今日は見てもらうはずだった。

 

 俺は二つの皿の間をあけ、蓋の向きをそろえる。

 猫姉はその横で、盆の縁と布のたるみだけを見ていた。小蘭は「今日はちゃんと覚えたもん」と得意げに頷き、子翠は口を挟みたそうにしながら、今のところは我慢している。

 

「じゃあ、先にこっちだな」

 俺が薄い蒸し菓子の皿へ手を伸ばした、その時だった。

 

「待って」

 

 猫姉の声は低くも強くもない。なのに、手がぴたりと止まる。

 視線の先を追うと、蒸し菓子の皿にかけた布の端が、いつの間にかシェルさんの包み布に触れていた。ほんの少し。けれど、その“ほんの少し”が嫌な形で残っている。

 

 猫姉が蒸し菓子の皿へ顔を寄せた。

 触れない。蓋も開けない。布の端だけを指でつまみ、すぐ離す。

 

「……移ってる」

 

 小蘭が「えっ」と声を漏らし、子翠が慌てて鼻先を寄せる。

 次の瞬間、子翠の顔つきが変わった。

 

「あ、ほんとだ。さっきの甘い匂い」

 

「でも、こっちまだ開けてないよ?」

 小蘭が目を丸くする。

 

「開けてなくても、近い」

 

 猫姉の言葉は短い。

 俺は布を外し、蒸し菓子を一つ割った。割れ目から立つはずの、やわらかい湯気みたいな匂い。その手前に、シェルさんの華やかな甘さが一歩だけ割り込んでくる。

 

 味は、たぶん変わっていない。

 でも、順番は壊れる。先にこれを出したら、「軽いものを軽いまま見る」って流れが崩れる。

 

「猫姉」

 

「うん。味じゃないです」

 

 猫姉は蒸し菓子ではなく、俺の手元と、盆の上の距離を見ている。

 それから、はっきり言った。

 

「味は変わっていません。でも、観察を邪魔します」

 

 部屋が少しだけ静かになった。

 シェルさんは笑っていない。怒ってもいない。包み布と、こっちの皿を見比べて、腕を組む。

 

「そこまで響くか」

 低く落ちた声は、機嫌の悪さじゃなく、悔しさに近かった。

 

「響きます」

 猫姉が返す。「先に嗅いだ匂いが残ると、そのあとの喉の感じも、後味も、見え方がずれます」

 

 小蘭が首をすくめる。

「じゃあ、せっかく順番決めたのに……」

 

「やり直せばいい」

 俺はそう言って、蒸し菓子の皿を盆から下ろした。布を替える。皿も替える。置き場も少し離す。

 手順が一つ増えるだけだ。面倒でも、分かってるなら直せる。

 

 シェルさんが、その動きをじっと見ていた。

 鋼棍に手は伸ばさない。ただ、料理人の顔で、俺の指先を追っている。

 

「マオ」

「はい」

 

「逃がすのか」

 

「こっちは、逃がします」

 新しい布を広げながら答える。「先に立てたい匂いじゃないんで」

 

 シェルさんの口元が、そこで少しだけ上がった。

 負けた顔じゃない。面白くなってきた時の顔だ。

 

「いいね。そういうぶつかり方なら、嫌いじゃねえ」

 

 猫姉は、そのやり取りには乗らない。

 盆の上の空いた場所を指で示し、さらりと落とす。

 

「香りの強いものは最後。布は別。近づけない」

 

「はいはい、今度はちゃんと覚える!」

 小蘭が勢いよく頷き、子翠が「私はもう分かったよ」と口を尖らせる。

 

「分かったなら、手を出さない」

 猫姉が言うと、子翠はすぐに両手を上げた。

 

 甘い匂いは、まだ部屋に残っている。

 いい匂いのままだ。けれど今は、ただ“おいしそう”じゃ済まない。どこへ行くか、何を押しのけるかまで、見なきゃいけない匂いになった。

 

 俺は新しい布の上に、香りの薄い皿を置き直した。

 今度は、順番を壊させない。

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