薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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隊商、後宮へ 参

 水晶宮の廊下は、光が冷たい。簾越しの陽が床に筋を落として、そこだけ白く浮く。人の声は控えめなのに、匂いは濃い。花の甘さが先に来て、あとから油の膜が追いつく。鼻の奥がすべって、喉が一度だけきゅっと狭くなった。

 

 猫姉は立ち止まって、息を吸わずに周りを見る。床、柱、帳子の端、侍女の袖。匂いの出どころを探すというより、匂いが“どこで残っているか”を拾っていた。

 

「猫姉、ここが一番?」

 

「濃い。あと、混ざってる」

 

 言い切って、猫姉は一人の侍女に向き直った。

 

「香油、使ってますか」

 

「はい。皆さま、最近は……」

 

「いつから。どれを。どこに」

 

 質問が短い。詰める声じゃないのに、侍女の返事がどんどん整っていく。

 

「隊商が来た日からです。玻璃の小瓶の——この薄い金色を。首筋と手首に。朝と、午後に少し……」

 

 猫姉が頷く。

 

「その後、気分が悪くなった人は」

 

「……頭が重いと言う子がいました。香りが強いからと……」

 

 猫姉は、その“頭が重い”を顔には出さない。代わりに袖口へ視線を落とした。

 

「その子の寝具、誰が扱った」

 

「同室の子です」

 

「同室の子は、同じ香油?」

 

「いえ、違うのを……果実の香りの、赤い瓶を」

 

 小さな違いが、並んだ。俺は侍女の指先を見た。油の光り方。爪の際の薄い艶。塗った量が分かる。少しだけ、じゃない。

 

 猫姉が次の侍女へ移る。小蘭と子翠も後ろに付いてきて、耳だけを働かせていた。子翠は口を挟みたそうにするのを我慢している顔だ。小蘭は真剣な顔が長続きしない。けど、今は黙っている。

 

「ねえ、猫猫」

 小蘭が小声で言う。

「みんな、同じ匂いなのに、何で違うの?」

 

 猫姉は歩きながら、さらりと返した。

 

「同じに見えて、重ね方が違う。場所も違う。量も」

 

「重ね方?」

 

「朝の花のあとに果実。寝具に移って、また肌へ戻る。そういうの」

 

 言葉は短いのに、背中にひっかかる。俺はそこで、厨房の湯気を思い出した。匂いは飛ぶものじゃない。油が抱いた匂いは、布に残って、熱でまた立つ。

 

 廊下の角、日当たりのいい場所で、猫姉が止まった。帳子の端に指を寄せて、触れないまま離す。

 

「ここ、強い」

 

 子翠が鼻を寄せて、すぐ引いた。

 

「うわ、甘っ……でも、ちょっと苦い?」

 

 猫姉の目が、子翠に向く。

 

「今の。喉は」

 

「んー……なんか、乾く」

 

 猫姉が頷き、俺を見る。

 

「マオ。香りの“下”」

 

「油だな。酸っぱさじゃない。焦げでもない」

 

 言いながら、帳子の裏側へ視線を滑らせた。布の繊維が、うっすら艶を持っている。ここに誰かが指を添えた。あるいは髪が触れた。どっちにしても、移る。

 

「猫姉、これ、塗る場所が増えてるんじゃないか」

 

「うん。首だけじゃなくて、髪。袖。帳子」

 

 猫姉はそこで、やっと“人の癖”を見る顔になった。

 

「香油は流行る。塗る場所も増える。増えると、戻る」

 

「戻る?」

 

「寝具に残って、朝また付く。少しずつ、ずっと」

 

 言い方が淡々としているのに、嫌な感じがした。毒の派手さじゃない。弱いものが、続く型。

 

 その時、奥のほうから小さな咳が聞こえた。侍女が一人、口元を押さえて柱に寄っている。猫姉はすぐ近づかない。距離を保って声だけ投げた。

 

「香油、今日も使った?」

 

「……はい。朝に」

 

「今は止めて。布も替える」

 

 侍女が頷く。猫姉はそれ以上言わない。俺は、猫姉が“原因”をまだ口にしないのが分かった。今は筋を集めている。匂いの筋、人の癖、布の戻り方。

 

 水晶宮の光が、床の白い筋を少し伸ばした。祭りは終わったのに、匂いだけが育っている。育つなら、どこかで折れる。折れる前に、猫姉はもう手を伸ばしていた。

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