薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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隊商、後宮へ 四

 蒸籠の蓋を持ち上げた瞬間、湯気が頬を撫でた。白い息の向こうで、粉の匂いがふくらむ。いつもの台所の匂い――のはずが、今日はどこか甘い。袖を振るたび、花の香りが遅れて追いついてくる。

 

 背中に視線を感じて振り向くと、猫姉が桶の横に立っていた。表情はいつも通りなのに、鼻先だけが忙しそうだ。

 

「ねぇ、マオ。この匂い、どう思う」

 

「いきなりどうしたの、猫姉。確か、今の時間はまだ仕事中じゃ」

 

「良いから」

 

 短い言葉に押されて、手を止めた。猫姉が小瓶を差し出す。玻璃越しに淡い金色が揺れて、蓋の縁だけが少し湿っている。

 

「んっ?」

 

 鼻先に近づけると、花の甘さが先に来た。悪くない。けれど、その下に薄い渋みがいる。喉の奥が、乾いた紙を擦るみたいにきゅっと鳴る。

 

「この匂い、なんだか変だけど」

 

 猫姉は瓶じゃなく、俺の袖口を見た。さっき湯気を浴びた布が、うっすら艶を持っている。

 

「布が覚えるやつだな。油が抱いてる」

 

「……それだけじゃない」

 

 猫姉が布を一枚寄こした。新しい、匂いのない布。そこへ香油をほんの一滴落とし、指で広げずに折りたたむ。

 

「湯気、当てて」

 

「ここで?」

 

 蒸籠の縁へ、布を近づけた。湯気が触れた途端、さっきの甘さが急に厚くなる。甘いのに、喉が狭くなる。花の奥から、苦い影が顔を出した。

 

 猫姉が一拍置いて、俺の喉元を見た。

 

「今、どう」

 

「……乾く。あと、渋いのが遅れて来る」

 

 猫姉は頷いた。頷きは小さい。次に、同じ布を少し冷ましてから、もう一度だけ湯気へ当てる。二回目のほうが、渋みが早い。

 

「残り香が、戻る」

 

「寝具とか帳子に移って、朝また立つ。そういう型か」

 

「うん」

 

 猫姉の返事はそれだけだった。そこへ、話を急に曲げてくる。

 

「マオに聞きたいんだけど、妊婦に食べさせたら駄目な食べ物は分かる。それがこの前の行商の中に」

 

 湯気の前で、指先が止まった。香りの渋みが、さっきよりはっきりする。

 

「……確かにあったけど、もしかして」

 

「匂いの“下”が、そっちの方向」

 

 猫姉は瓶の口を示した。甘い花の顔の裏に、別の顔がいる。

 

「あんたは厨房とかに行って、それの説明を頼める」

 

「俺に」

 

「料理の事はあんたに任せる!」

 

 言い切られて、腹の奥がすとんと決まった。台所の人間は、言葉より“理由の形”があるほうが動く。妊婦がいる宮なら、なおさらだ。

 

「分かった! 猫姉も気をつけて!」

 

「私は匂いを追う。あんたは口に入るほう」

 

 猫姉はそう言って、布を畳んだ。湯気の匂いが戻る前に、蓋を閉める手つきで。

 

 小蘭が「何してるの?」と覗き込み、子翠が「その布、甘い匂いする」と鼻を寄せかける。猫姉の視線が落ちて、二人の動きが同時に止まった。

 

「触らない。嗅ぎすぎない」

 

 猫姉の声は淡い。けれど、その淡さのほうが怖い。

 

 桶の水を替える音が、台所の熱気に混じる。祭りは終わった。なのに匂いだけは増える。増えるなら、どこかで誰かが困る。困る前に、段取りを変えるしかない。

 

 俺は布を一枚新しく取って、蒸籠の横へ置いた。湯気に近づけない位置へ。香りを立てるのは簡単だ。立てないようにするほうが、よほど技が要る。

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