薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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昔の話

 香油の小瓶をしまい直す作業は、思ったより静かだった。祭りの名残みたいにきらつく玻璃も、布でくるめばただの硬い塊に戻る。俺は木箱の中で瓶がぶつからないように仕切りを寄せ、猫姉は隣で札を書き替えていた。筆先の音が、夜の台所に細く続く。

 

 もう片づいたはずなのに、胸の奥にまだ引っかかるものがある。

 

「猫姉」

 

「なに」

 

 返事は短い。けれど手は止まらない。

 

「今回、やけに早かっただろ。香油の時も、危ないって決めるのが」

 

 猫姉はそこでようやく筆を置いた。墨の匂いがひとつ濃くなる。視線は俺じゃなく、小瓶の口元に残った艶へ落ちていた。

 

「前にもあったから」

 

「前?」

 

「マオが来る前」

 

 その言い方だけで、少し背筋が伸びた。俺の知らない後宮の話だ。

 

 猫姉は布を一枚取って、瓶の口を拭った。拭いながら、平たい声で続ける。

 

「鉛入りのおしろい。顔色がよく見えるからって、皆よく使ってた」

 

 手が止まる。

 

「……毒だったのか」

 

「派手じゃないけどね。少しずつ。毎日。きれいになりたい、って気持ちのほうが先に立つから、止まりにくい」

 

 言葉は淡いのに、机の上へ置かれていく音が重い。猫姉は感傷を混ぜない。ただ、事件の形だけを並べる。

 

「香油と同じだよ。いい匂いだし、使った本人に悪気はない。少しなら平気。けど、布に残る。寝具に移る。重なる。そういうのが一番面倒」

 

 俺は木箱の中の仕切りへ指をかけたまま、しばらく動けなかった。料理でも似たことはある。強い香辛料は一つなら立つだけだ。けれど、残り香が次の皿へ移ると、別の顔になる。

 

「料理も同じだな」

 

 ぽつりと出た声に、猫姉がやっとこちらを見る。

 

「うん?」

 

「香りの強いものを、続けて同じ布で包んだり、同じ鍋であおったりすると、次の皿が死ぬ。味そのものじゃなく、残り方で壊れる」

 

「そういうこと」

 

 猫姉が小さく頷く。その頷き方が、少しだけやわらかい。

 

「後宮って、そんなのばっかりなのか」

 

「珍しいものが入ると、だいたい線が消える」

 

 猫姉は新しい札を一枚持ち上げた。

 

「薬も、香りも、化粧も、食べ物も。きれいとか、珍しいとか、効きそうとか。そういうので寄ってくる」

 

「寄ってきた結果、混ざる」

 

「うん。で、誰かが困る」

 

 そこで、戸口が二度、控えめに叩かれた。

 

 返事をする前に、高順さんの声が入る。

 

「猫猫、マオ。いるか」

 

 猫姉が立ち上がる。俺も手を拭いて戸を開けた。高順さんはいつもの顔だったけれど、眉間だけが少し狭い。

 

「また何かあったんですか」

 

 猫姉が先に聞く。

 

「北の外れの植え込みで、見慣れない茸が見つかった。それと、年季明けを控えた女官が一人、行方が知れん」

 

 夜の空気が、そこで少しだけ変わった。小瓶の甘い残り香が、急に遠くなる。

 

「茸?」

 

 俺が聞くと、高順さんは短く頷いた。

 

「食うなとは伝えた。だが、後宮だ。珍しいものを見つければ、触る者もいる」

 

 猫姉が、机の上の札へ目を落とした。今しがた話していたことと、まるで同じ顔をしている。

 

「季節外れですね」

 

「そうだ」

 

「じゃあ、ろくでもない」

 

 言い切って、猫姉は筆をまとめた。迷いがない。俺は思わず苦笑した。

 

「今の、ひどい決めつけじゃないか」

 

「後宮の季節外れは、だいたいろくでもない」

 

 猫姉はそう言って、俺を見る。

 

「マオ、来る?」

 

「来るなら来い、じゃなくて?」

 

「今度は、見分ける目が要る」

 

 その言い方に、胸の奥が少し熱くなる。俺は布で手を拭き、木箱の蓋を閉めた。

 

「行くよ、猫姉」

 

 高順さんが、それを見て小さく息を吐く。

 

「では急げ。夜が深くなる前に片をつけたい」

 

 戸を閉める前、机の上の小瓶が月のない灯りを鈍く返した。きれいなもの、珍しいもの、季節外れのもの。後宮は、そういうもので静かに崩れる。

 

 猫姉はもう廊下へ出ている。

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