薬屋と料理人は幼馴染み   作:ボルメテウスさん

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冬人夏草

 やぶ医者の部屋は、夜になると薬の匂いが濃くなる。

 

 乾いた葉の青臭さ。土をほぐした時みたいな湿り気。煎じ終わった湯の、舌の奥に残るような苦み。そこへ猫姉が布包みをひとつ、ことりと机の上へ置いた。

 

 軽い音だった。なのに、中身の重さだけが妙に残る。

 

「マオ、見て」

 

「何これ」

 

「茸」

 

 見れば分かる。分かるけど、そういうことじゃない。

 

 俺がそう思ったのを知ってか知らずか、猫姉はいつもの無表情のまま顎をしゃくった。やぶ医者が机の向こうで眉を寄せる。

 

「お前なあ。茸、で済む話なら、わざわざ夜に呼ばんだろ」

 

「済まないから来た」

 

「だろうな。そういう顔してる」

 

 やぶ医者がため息をつく。猫姉は気にした様子もなく、布の結び目を俺のほうへ押した。

 

 俺は端をつまんで、そっと開いた。

 

 湿った匂いが立つ。雨上がりの地面をめくった時みたいな、生ぬるい匂いだった。

 

 中に入っていたのは、平たい傘の茸がいくつか。形だけ見れば、平菇に似ている。けれど、よく見れば全部が同じじゃない。触る前から分かる。混ざってる。

 

「どこで見つけたの、猫姉」

 

「拾ってないよ。預かったの」

 

「誰から」

 

「今はいいから、先に見て」

 

 そこで切る。こういう時は、聞いてももう答えない。俺は小さく息を吐いて、まず食えそうなほうから持ち上げた。

 

 傘は灰白色で、縁が少し波打っている。裏のひだはやわらかく、柄へ自然に流れていた。水気はある。でも嫌なぬめりじゃない。これは平菇だ。

 

 次に、その隣へ指を伸ばす。

 

 似ている。似ているのに、違う。

 

 傘の肉が妙に厚い。裏のひだが詰まりすぎていて、柄の付け根へ寄るあたりの色が鈍い。湿っているのに、みずみずしいんじゃない。濡れた紙を重ねたみたいな、いやな重さがある。

 

「……これ、誰が混ぜたんだよ」

 

 口をついて出た。

 

 猫姉の目が、そこでほんの少しだけ動く。

 

「分かる?」

 

「分かるよ。食える茸だけが混ざってるわけじゃない」

 

 やぶ医者が椅子を引きずらないように立ち上がってきた。そういう妙な気の遣い方をする人だ。

 

「毒茸か」

 

「まだ断言はできないけど、少なくとも食える茸と同じ顔はしてないよ」

 

 俺は机の脇へ皿を二つ置いた。ひとつは平菇。もうひとつは、見た目からして触りたくないやつ。混ぜない。まずそこからだ。

 

「猫姉、火を借りる」

 

「どうするの」

 

「食えるほうが、本当に食える見た目をしてるか確かめる。料理を思い浮かべたほうが、逆に違和感が見えるから」

 

 やぶ医者が鼻を鳴らした。

 

「料理人らしい理屈だな」

 

「理屈というより、手順です」

 

 部屋の隅の小さな火鉢を借りて、浅い鍋をかける。油を少しだけ垂らす。音がまだ立たないうちに、平菇を手で裂いた。包丁より、このほうが繊維の向きが分かる。傘の薄いところはそのまま、柄に近い厚いところだけ少し細くする。

 

 皿へ落とすたび、湿った白さが灯りを鈍く返した。

 

 葱も一本、細く刻む。刻んだ端から青い匂いが立つ。

 

「それだけで作るのか」

 

 やぶ医者が覗きこむ。

 

「葱油平菇なら、塩があれば十分ですよ」

 

「地味だな」

 

「こういう茸は、あまりいじらないほうがいいんです。変に味を足すと、もとの癖が分からなくなるので」

 

 油が温まる。

 

 裂いた平菇を落とすと、じゅっと鳴った。水気が一度、音になって弾ける。鍋の中で白が少し透け、縁から艶が出た。そこへ葱を落とし、塩をひとつまみ。焦がさない。炒めるというより、湯気を抱かせるみたいに返す。

 

 香りが立った。

 

 やさしい匂いだ。茸の湿った甘さに、葱油の青さが乗る。これなら食べ物だ。ちゃんと、人の口に入る前提の匂いをしている。

 

 やぶ医者が、その匂いを吸って少しだけ肩を緩めた。

 

「……悪くないな。粥の横に添えても、邪魔はしなさそうだ」

 

「汁にしてもいいですけど、今日はこれくらいで十分です」

 

 猫姉は料理そのものを見ていない。鍋の横に残した、食えないほうの茸を見ていた。

 

「じゃあ、それは?」

 

 指先でそちらを示す。

 

 俺はその茸を持ち上げた。指に残る感じが、もう嫌だ。弾力があるのに、戻り方が鈍い。柄の付け根へ爪を当てると、色が沈む。平菇みたいに裂けず、ぐずっと潰れる。

 

「食う気にならない」

 

「味じゃなくて?」

 

「見た目と触った感じで、もう嫌だよ。傘の肉が変に厚いし、ひだも詰まりすぎてる。水を吸うと、余計に重くなるやつだ」

 

 やぶ医者が腕を組んだ。

 

「毒茸かどうかは別として、少なくとも“うまそう”には見えんわけだ」

 

「そうです。しかも——」

 

 そこまで言って、皿の上を見比べた。

 

 食える平菇。食えないやつ。混ざり方が変だ。

 

 うっかり一本紛れた感じじゃない。似てるやつだけを寄せて、わざわざ紛らわせたみたいな混ざり方だ。

 

 口の中が、少し乾く。

 

「食べるつもりで採ったなら、この混ぜ方は変だ」

 

 言った瞬間、部屋の空気が動いた。

 

 猫姉の視線が、茸じゃなく、もっと別のものを見た顔になる。いやな連想が向こう側で繋がった時の顔だ。表情はほとんど変わらないのに、それだけは分かる。

 

「……そう」

 

 短い。けれど、その一言の重さが違った。

 

「何だ、猫猫。何に繋がった」

 

 やぶ医者が聞く。ぶつぶつ文句は言うくせに、こういう時は放っておけない顔をする。

 

 猫姉はすぐには答えなかった。鍋の中の平菇を見て、皿の上の毒茸を見て、それから俺を見る。

 

「マオ。もしこれが、食べるためじゃないなら」

 

「なら?」

 

「見分けがつかない相手に渡すため、ってことになる」

 

 火鉢の熱が、急に遠くなる。

 

 やぶ医者の眉間に皺が寄った。

 

「お前、それ……」

 

「まだ決めない」

 

 猫姉が切る。声は低くない。なのに、その言葉でそれ以上は進めない。

 

「でも、食べるための採り方じゃない。そこは分かった」

 

 俺は鍋を火から外した。葱油平菇の匂いが、静かに残る。ちゃんと食べ物の匂いだ。その隣にあるだけで、皿の上のもう一方が余計に気味悪く見える。

 

 やぶ医者が、調理したほうをしばらく見て、それから毒茸へ視線を戻した。

 

「つまり、こっちは“人に食わせるつもりで選んだ形じゃない”ってことか」

 

「そうです」

 

「で、猫猫は何か別のものを思い出した」

 

「しました」

 

「言わんのか」

 

「まだ」

 

 やぶ医者は深くため息をついた。面倒くさそうな顔をしているのに、追い返さない。

 

「お前はほんと、こういう時だけ手順を大事にするな」

 

「いつも大事にしてます」

 

「口がかなり悪いくせに」

 

「それとこれとは別です」

 

 思わず笑いそうになったけど、喉の奥で止まった。猫姉が黙っている時は、だいたい笑ってる場合じゃない。

 

 俺は鍋の中の平菇を小皿へ移した。艶が出て、葱が細く絡む。これなら誰が見ても、料理だと思う。口に入るものの顔をしている。

 

 皿のもう片方は違う。似せているくせに、口に入る顔をしていない。

 

 猫姉はそこを見ていたんだろう。

 

「猫姉」

 

「なに」

 

「俺に言ってないこと、あるだろ」

 

 猫姉は平たい目で俺を見た。

 

「ある」

 

「だろうな」

 

「でも、今はいい」

 

 その言い方が妙に冷たくて、逆に分かった。言えないんじゃない。まだ言わないだけだ。俺に先入観を持たせたくない。たぶん、そういうやつだ。

 

 やぶ医者が小皿を指した。

 

「それ、食っていいか」

 

「そっちはどうぞ」

 

「そっちは、って言い方がひどいな」

 

 ぶつぶつ言いながらも、小皿を取る手はやさしい。ひと口食べて、目を細めた。

 

「……塩だけなのに、妙に落ち着く味だな」

 

「茸がまともなら、これでいいんです」

 

「まともなら、な」

 

 やぶ医者の言葉が、部屋の真ん中へ落ちる。

 

 猫姉はもう布を畳み直していた。食えない茸は別の包みに移し、結び目を固くする。触れたくないものへ触れる時だけ、猫姉の手は妙にきれいだ。

 

「行くのか」

 

 やぶ医者が聞く。

 

「行きます」

 

「どこへ」

 

 猫姉は答えない。代わりに、俺へ視線を寄こした。

 

「マオ。今日はここまで」

 

「ここまで、って」

 

「十分」

 

 十分なわけがない。でも、それ以上は今の猫姉から引き出せない。そういう顔だ。

 

 部屋を出る前、やぶ医者が俺を見て言った。

 

「マオ」

 

「はい」

 

「お前の一言で、あいつの顔が変わったぞ」

 

「そんなつもりはなかったんですけど」

 

「ないから効くんだよ。素直でいい子だなあ、お前は」

 

 猫姉が戸口で振り向く。

 

「甘やかしすぎです」

 

「お前には足りんくらいだ」

 

 やぶ医者のその声が、少しだけ救いみたいに響いた。

 

 廊下へ出ると、夜の空気は冷えていた。猫姉は前を向いたまま歩く。歩幅は変わらない。けれど、急いでいるのは分かる。

 

 俺はその背を追った。

 

 茸の匂いはもう薄い。代わりに残るのは、食べ物の顔をしたものと、そうでないものを見分けた時の、あの嫌な静けさだった。

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