回廊の端を歩いていた時、聞き覚えのある声が耳に入った。足を止めたのは無意識だった。角の向こうに、猫姉と小蘭、子翠の姿が見える。三人とも配膳を終えた後らしく、少し肩の力が抜けている。
「ねえ猫猫、最近あの料理人の人と一緒にいること多くない?」
小蘭の声は相変わらず明るい。からかうようでいて、純粋な好奇心が混じっているのが分かる。
「マオ? まあ、たまたまでしょ」
猫姉は素っ気なく答える。いつもの調子だ。俺の名前が出て、思わず息を潜めたが、出ていく気にはならなかった。
「たまたまにしては息合いすぎじゃない? 見てて思ったもん」
子翠が静かに言う。その声は控えめだが、視線は鋭い。よく見ている。
「うん。なんていうか、並んでるのが自然すぎる」
二人の言葉に、猫姉は小さく肩をすくめた。
「幼馴染みって言ってたでしょ。それだけ」
そう言い切る声音に、迷いはない。俺は苦笑するしかなかった。
「でもさ、幼馴染みでもあそこまで合う?」
小蘭は納得していないらしい。身を乗り出してくる様子が目に浮かぶ。
「合う人は合うんじゃない。小蘭と子翠だって、放っておいても喋ってるでしょ」
「それはそうだけど!」
小蘭が即座に返し、子翠が小さく笑う。そのやり取りが、妙に温かかった。
「でも、恋人って感じじゃないよね」
子翠の言葉に、場の空気が一瞬だけ静まる。
「うん。恋人なら、もっと分かりやすいと思う」
猫姉は淡々と答える。その横顔は変わらないのに、不思議と柔らかく見えた。
「……子翠、ちょっと残念そう?」
小蘭が冗談めかして言うと、子翠は視線を逸らす。
「別に。ただ、いい関係だなって思っただけ」
その言葉に、俺は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。羨ましさと、憧れと、たぶん善意が混じった声だった。
「変な勘繰りはやめなさい。あれはただの長い付き合い」
猫姉はそう言って話を切ろうとする。
「ほんとに?」
「ほんとに」
即答だった。
「じゃあさ、もし周りが噂したらどうする?」
「面倒だから放置」
「即答だね」
「猫猫らしい」
三人が笑う。その笑い声を聞きながら、俺は一歩だけ距離を保ったまま立っていた。姿を見せないのは、今はその方がいい気がしたからだ。
昔から、猫姉は一人で行動することが多かった。誰かを避けているわけじゃない。ただ、必要以上に群れない。それが当たり前の人だった。だから、こうして誰かと自然に並んで話しているのを見ると、少し意外で、同時に嬉しくなる。
小蘭は無邪気で、子翠は静かで、それでもちゃんと寄り添っている。猫姉は相変わらず飄々としているのに、その輪から離れようとはしない。
――友達、できたんだな。
心の中で、そんな言葉が浮かんだ。後宮という場所で、それがどれだけ難しいことかは分からない。でも、猫姉が誰かと笑っている。それだけで、ここに来た意味が少しだけ増えた気がした。
やがて三人は、それぞれの仕事に戻るために歩き出す。猫姉の背中を見送りながら、俺は考える。蜜煎果の件は、まだ序盤だ。原因は見え始めたが、解決には手間がかかる。
それでも今は、別のことが頭に残っていた。
猫姉が、一人じゃない。
その事実が、思った以上に嬉しかった。