悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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闇の書への追跡

放課後の倉庫裏で闇の書に魔力を流し込んでから、俺の中は思ったより静かだった。

空っぽになった感覚は確かにあるのに、息は乱れないし、視界も澄んでいるし、足取りも普段と変わらない。

魔力が抜ければ身体に何かしらの反動が出てもおかしくないが、俺はこの世界の理屈だけで生きているわけじゃない。

その事実が頼もしい一方で、闇の書にとっては「扱いづらい獲物」として記憶されるだろうとも思った。

 

闇の書は俺を覚えた。

覚えたなら、次は呼ぶ。

呼ばれた時に俺がどこまで引きずり込まれるのか、そしてその引力が周囲へ波及するのかは未知だ。

未知は嫌いじゃないが、巻き添えは嫌いだ。

 

帰宅の道すがら、路地の影が一度だけ不自然に伸びた。

夕暮れの光が斜めに刺さっているだけ、と言い張るには伸び方がいやらしい。

その影の端から、眠たそうな声が落ちてくる。

 

「……ツカサ。新しいデータ、取れたよ。少しだけ、実験に付き合ってくれない?」

 

振り返らなくても分かる。

そのけだるげなトーンと、お願いの形をしながら拒否を許さない言い方は、イータだ。

影がゆるく形を取り、眠そうな目のままの女が現れる。

立ち姿はだらしないのに、手元にはもう装置が揃っているのが、研究者として一番タチが悪い。

 

「付き合うのはいいが、勝手に手を出すなよ」

俺が釘を刺すと、イータは小さく頷き、しかし否定はしないまま笑った。

 

「うーん……勝手に、ってどこからだろ。私、必要なことしかしないよ……たぶん」

 

たぶん、という言葉が余計に不安を増やす。

俺がもう一歩だけ距離を取ろうとすると、イータは足元へ小さな円盤を二つ置いた。

円盤が淡く光り、空気に薄い膜が張られて、外の生活音が一段だけ遠くなる。

周囲に人がいない状態が、より確実に固定された。

 

「もしもの時の対策。ここで変な反応が出ても、一般人に波及しにくいようにしたよ……ね」

「対策って言い方が怖いんだが」

「怖くないよ。必要なだけ」

 

イータは眠そうな声のまま、細い光の糸を三本、空中へ放った。

糸は俺の周囲を漂い、呼吸の周期や心拍に合わせて色を変える。

魔力だけじゃなく、生体反応まで取っているのが分かる。

 

「魔力が抜けた後なのに、揺れがほとんど無いね……普通はふらつく。つまり、依存してない……かも」

「依存してない。俺は魔力なしでも生活できる」

「うん。分かってる……だから面白い」

 

面白い、が研究者の意味でしかない。

イータの目がほんの少しだけ冴え、言葉の密度が上がる。

 

「闇の書に渡した痕跡、残ってるよ。座標化できる。侵入の糸口になる……ね」

「それが目的だ」

「目的が一致するの、珍しい。じゃあ次、侵入の安全策も作ってみるね」

 

俺は眉を動かした。

「安全策?」

「うん。闇の書がツカサを引っ張った時に、壊れないようにする。あと、戻すための遅延」

淡々とした口調で言う内容が、相変わらず物騒だ。

 

イータは装置を切り替え、俺の胸元に光点を散らした。

点が線になり、闇の書へ流した魔力の痕跡が、薄いマップのように浮かび上がる。

その線は細いが確かに生きていて、闇の奥へ続く糸として揺れている。

 

「ここ。反応が濃い。闇の書がツカサの魔力を“覚えた”ね……ふふ」

イータが小さく笑う。

その笑いは喜びというより、研究対象が増えた時の安堵に近い。

 

俺はその線を見ながら、胸の奥で確認する。

刻ませた目印は機能している。

侵入できる可能性は生まれた。

だが侵入が可能ということは、逆に闇の書が俺を引き寄せる可能性も上がったということだ。

 

「で、対策ってのは外付けでやれ。俺の身体に手を入れるのは無しだ」

先に言っておく。

こいつは最初から“手を入れる”気配を漂わせている。

 

イータは眠そうに瞬きを一つして、鞄の中を探り、何か細いものを取り出しかけた。

刃物の光が一瞬見えた。

 

「……おい」

「うーん……バレた。改造手術、したらもっと安全になるかも、って思っただけ」

思っただけ、が信用できない。

イータは淡々と続ける。

 

「闇の書の内側に入るなら、“帰り道”と“壊れない器”が必要だよ。帰り道は魔力痕跡で作れる。だから器を強化したい……ね」

「強化って言い方で誤魔化すな」

「誤魔化してない。例えば、心臓が止まりそうになったら自動蘇生。精神汚染が来たら遮断。耐性を……融合で上げる」

 

融合、という単語が出た瞬間、イータの喋りが少しだけ早くなる。

低テンションのまま速度だけが上がり、熱だけが漏れる。

 

「やめろ。許可なしの改造は無しだ」

俺が言い切ると、イータは少しだけ頬を膨らませた。

膨らませても眠そうなのが腹立たしい。

 

「……残念。でも、分かった。じゃあ外付けにするね。妥協案」

 

彼女はメスのような器具をしまい、代わりにブレスレット状の装置を取り出した。

それを俺の手首に当て、カチリと留める。

金属なのに冷えず、皮膚に馴染むように柔らかい。

気持ち悪いくらい準備が良い。

 

「緊急時、ツカサの魔力痕跡を逆流させて引力を遅らせる装置。止めるのは難しいけど、遅延と遮断を繰り返して時間を稼げる……かも」

「止められないのか」

「闇の書の強制力、強い。だから戦い方を変える。時間を稼いで、ツカサが殴って解決する」

 

殴って解決する、という結論が雑で正しいのが悔しい。

俺は手首を回して装置の感触を確かめ、イータに視線を戻した。

 

「もう一つの対策は?」

イータは足元の円盤を指で弾く。

円盤の光が強くなり、空気の膜が厚くなる。

 

「暴走の兆候が出たら、反応をここに固定する。引力をここへ寄せて、街の中心で起きないようにする。避雷針みたいなもの……ね」

「ようやくまともなことを言ったな」

「まともだよ。私、いつも合理的」

 

合理的だから怖い。

俺は喉の奥で笑いを殺し、喰えない調子を保ったまま言う。

 

「対策は受け取る。だが忘れるな。俺を素材扱いするなよ」

イータは眠そうに笑って、しかし視線だけは妙にまっすぐだった。

 

「素材じゃないなら……研究仲間? でもツカサは、私にとって理想の研究材料でもある。両立する……かも」

「両立させるな」

「うーん……じゃあ、許可を取る。許可が出るまで改造はしない。約束するね」

 

約束の言い方が優しすぎて、逆に信用しづらい。

だが、今のところはそれで十分だ。

 

俺の意識の端では、別の疑問がずっと渦を巻いていた。

海東大樹が管理局の服を着て現れた意味だ。

あいつが組織に入ったのか、顔を盗んだのか、管理局そのものが舞台装置なのか。

どれでも厄介だが、厄介さの種類が違う。

 

イータはふと首を傾げ、眠そうな声で呟いた。

「……泥棒さんの匂い、残ってるね。甘くて軽くて、嫌な感じ」

「お前も感じたか」

「うん。で、管理局の匂いは……似てるけど違う。外側だけ着てる感じがする……かも」

 

観測結果としては十分だ。

海東は“中身”じゃない可能性が高い。

管理局の顔を借りて、盤面を揺らしに来ている。

 

「いい。あいつは俺が処理する」

俺がそう言うと、イータは眠そうに頷き、ぼそりと危険な願望を足した。

 

「処理の前に、捕獲して解剖したい……ね。データ増える」

「やめろ」

「冗談。半分」

「半分でもやめろ」

 

イータはふにゃりと笑い、結界用の円盤を回収し始めた。

空気の膜が薄れ、路地の生活音がゆっくり戻ってくる。

世界はいつもの顔を取り戻すが、俺の手首の装置は残り、闇の書には俺の痕跡が刻まれたままだ。

 

帰り道は作った。

対策も作った。

だがそれは嵐の中で傘を差した程度の話で、嵐そのものが消えたわけじゃない。

 

「ツカサ」

イータが立ち止まり、眠そうなまま言う。

 

「もし闇の書の中に入れたら……帰ってきた時、ちゃんと検査するね。すごく丁寧に」

「帰ってくる前提で話すな」

「帰ってきて。帰ってこないと、私が困る」

 

困る、という理由が自分本位で、だからこそ妙に信用できる。

俺は肩をすくめ、喰えない笑いを一つ落とした。

 

「じゃあ困らせないように帰ってくる。お前の対策も、俺の都合で使ってやる」

 

夕暮れの影が伸び、空が暗さへ滑っていく。

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