夜の空気は昼間の熱を薄く引きずりながらも、闇の書の気配が混ざると途端に冷たくなるから厄介だった。
俺は小さな結界の内側で、イータが回収した測定データと、蒼玉が残していった「記憶と能力」という言葉を頭の中で重ね合わせていた。
結論を急げば海東みたいな観客が喜ぶだけなので、俺はわざと遠回りに見える手順で可能性を並べ、潰す順番だけを決める。
デルタは翼を畳んだまま耳をぴくぴく動かし、理解できない匂いを嗅いだ獣みたいに眉を寄せていた。
「うぅ、なんだか訳が分からないですけど、難しい話はデルタの頭が痒くなるのです。」
ゼータは肩をすくめ、情け容赦のない視線でデルタを横切りながら、ため息を一つだけ落とした。
「まぁ、こんな事を企む奴の考えなんてどうでも良いからね、重要なのは次に何が起こるかだよ。」
俺はその言い分に半分だけ同意しつつも、目の前の闇の書と転生者の線が、誰かの都合で結ばれている以上、都合の持ち主を探す必要があると考えていた。
そして、その都合の持ち主に一番近い場所で笑っていそうな顔が、どうしても脳裏に浮かんでしまう。
「まぁ、それらを知ってそうな奴が1人いるな、俺達の周りで一番たちが悪い泥棒が。」
イータは眠そうに瞬きを一つして、こちらの推論の余白を埋めるみたいに淡々と名前を落とした。
「……海東だね、あの男なら情報も人脈も勝手に盗んでくるから。」
デルタが分かりやすく頷き、納得の方向へ尻尾を振る。
「あぁ、確かに海東なら平気でやるですし、ボスの嫌いな匂いがするのです。」
ゼータは顎に指を当て、単なる嫌悪ではなく実務の視点で疑問を投げてくる。
「けれど、ツカサの話を聞くと管理局に入っているみたいだけど、そんなに簡単にできるの。」
俺は鼻で笑い、簡単だと言い切るほど世界は甘くないが、海東に限っては「簡単じゃないことを簡単に見せる」才能があると認めざるを得なかった。
「出来るだろうな、あいつならば面倒な手順ほど楽しむし、障害が多いほど燃えるタイプだ。」
デルタが首を傾げ、理解できないものを理解しようとする時の顔になる。
「出来るですか、でも管理局って堅そうで噛めなさそうなのですけど。」
俺はわざと尊大に肩をすくめながら、しかし核心だけは外さないように言葉を選んだ。
「あいつは様々な世界で泥棒をしていたが、俺のようにその世界の立場にならなくても、必要な鍵だけ盗めばある程度は出来るだろう。」
ゼータはスパイとしての経験を思い出したのか、軽い冗談みたいに言いながらも、その評価だけは妙に真面目だった。
「あぁ、確かに私もスパイで色々と潜入していたけど、あいつは確かに凄いから余計に厄介だね。」
デルタは頭の後ろを掻くような仕草で、分からなさをそのまま吐き出した。
「うぅ、なんだか色々と複雑ですし、デルタは狩りの方が分かりやすいのです。」
分かりやすい敵なら殴って終わるが、海東は殴る前に盤面を盗み、殴った後に結果まで盗んでいく。
しかも、あいつが持ってくる情報はいつも半分だけ正しくて、残り半分がこちらの心を乱すために丁寧に混ぜられている。
俺はその悪癖を思い出し、口の端だけで笑いながらも、内心では苛立ちを研いでいく。
「……まぁな、あいつが出した情報でフェイトの母親は暴走したからな、結果だけ見れば笑えない。」
ゼータの目が細くなり、俺の言葉の奥にある温度を探るように視線が刺さる。
「ツカサはどうするつもりなの、また放っておいて火が回るのを待つの。」
俺は首を振り、答えを曖昧にする余地をわざと残さないように言い切った。
「放っておくつもりはないし、どちらにしても奴は今回の闇の書の事件に関わる事は分かりきっているからな。」
イータは眠たげな声のまま、さらっと物騒な補足を混ぜてくる。
「管理局の制服が本物でも偽物でも、海東は“中身”より“使い道”を盗むから注意だね、ね。」
ゼータはその補足に頷きつつ、やや皮肉っぽく続けることで自分の不安を隠した。
「つまり、所属の真偽よりも目的を読むべきで、目的を外すと私達の方が踊らされるってことだね。」
デルタは難しい話を完全に理解していないが、危険の匂いだけは確実に拾っている。
「ボスが危ない顔してるとデルタも危ない気持ちになるのです、だからデルタが噛んでいいですか。」
俺はため息を一つ吐き、デルタの頭に軽く手を置いて動きを止めた。
「噛むのは最後だ、とにかく今は油断はしないようにな、闇の書も転生者も海東も同じ盤面に乗っている。」
結局のところ、俺達がやるべきことは単純だ。
闇の書の進行を止めるための線を守りつつ、転生者の正体を掴むための検証を進め、海東が盗もうとしている“次の一手”を先に潰す。
そのために俺は、海東が食いつきそうな餌を用意し、ゼータには外縁の監視を任せ、イータには測定と安全策を強化させる。
デルタには、噛みたい衝動を押し殺してもらう代わりに、最悪の瞬間だけを任せる。
「……次に海東が姿を見せたら、俺は逃がさないし、逃がさない形で話を聞かせる。」
俺の言葉に、ゼータは短く頷き、デルタは嬉しそうに息を吐き、イータは眠そうに笑って装置の設定をいじり始めた。
闇の書は静かに頁をめくり続けるだろうが、少なくとも今夜は、俺がめくる順番を奪い返してやるつもりだった。